1月 大胆な初詣
「ほんとに、ごめん!」
minaと待ち合わせをした地下鉄の改札口の前で、オレはひたすらに謝っていた。
minaは少し驚いた表情だったが、すぐに真剣になって、
「いえ、私の方こそ、佐伯さんの過去をほじくり返すような真似をしてすいませんでした……ほんとおせっかいで……」
と言ってくれた。
今日のminaはベージュのトレンチコートにデニム。いつものストレートヘアは後ろで束ねていた。
あと、初めてメガネをしている姿を見た。黒縁のメガネ、なんか新鮮だ。
後で聞くと、「一応、変装ですよ」だって。紅白出場でますます人気が加速しそうだからな。
そんな調子でお互い謝り合いながら、オレたちは地下鉄の階段を並んでゆっくりと登っていった。
ちょうど地上への出口の方向に冬の柔らかい太陽の光が差してきて、オレとminaは同時に目を細めた。
そして、minaと目が合い、少し遅れてお互いに微笑みあった。
優しいオレンジ色に照らされる、歌姫のメガネの奥のガラス細工のように綺麗な瞳。
その美しい表情を眺めているだけで、オレの心はなんだかじんわりと暖かくなった。
「ん? 佐伯さん? どうかしました?」
minaは少し、首をかしげた。
「い、いや……何でもないよ……」
オレ、minaに見とれていた? た、たぶん違うよな。
そんなminaとの些細なやり取りもほんと久し振りで、オレはminaと心が通じ合った気がした。
色々あったけど、これで良かったんだよな……
最寄の駅からminaのリクエストの神社へと向かう。縁結びにご利益があるらしい。minaも年頃だから、そういうことに興味があるのかね。
正月も三が日を過ぎていたせいか、辺りはそんなに人出も多くなかった。空気が澄んでおり、空は明るい。行き交う人達がminaに気づいている素振りもない。
屋台が立ち並ぶ参道を、minaと隣合い、歩く。
「そのコート、良く似合ってるね」
そのうち、女性ファッション誌で、特集とかあるんじゃないか。
「ふふっ。ありがとうございます。真由ちゃんとショッピング行って、ヤケ買いしたんですよ。佐伯さん、全然かまってくれなかったから」
minaはそういって笑った。真由ちゃん、あの子にもちゃんと謝らないとな。
「ごめん……あっ、オレもなんかプレゼントさせてよ。さんざん迷惑かけたしさ」
「えーー別にいらないですよー」
「それじゃあ、オレの気が済まないしさ。高い服でも、アクセサリーでも、それとも高級ホテルでバイキングとかの方がいいかな?」
minaは結構、食いしん坊だからな。
「じゃあ、お願い……聞いてくれます?」
「えっ、なに、なに?」
財布の中身を思い出しながら、オレは聞いた。どんな高級ブランドの名前が飛び出すことやら……
しかし、minaが口にしたのはそんなことではなかった。
「敬語……今から無しで喋ってもいいですか?」
「ふ? なんだ、そんなことでいいの?」
「そんなことでも、私にとっては大事なことなんです。いつか言おうと思ったけど、きっかけがつかめなくて」
「うん、もちろん、敬語無しにしてよ。オレ達はもう、心の友と言ってもいい間柄だからさ」
オレがおどけると、
「じゃあ、佐伯さん、これからもよろしく」
minaは少し苦笑いをした。
「ん……でもそれだけじゃ、まだオレの気が晴れないよ。なんか、利息とかたまってそうだし」
「銀行員みたいなこと言わないでくださいよ。あっ、あはは……言わないでよ」
「今、敬語使ったー」
逆にからかってやった。
「じゃあ、利息分、もらいましょうか……」
minaの黒縁メガネの奥があやしく光った、気がした。
「えいっ!」
minaはそういって、オレの腕に、自分の腕を絡めた。二人の距離が、一気に近づく。
minaの髪が揺れ、いい香りがふわっと……
「えっ!! ちょっと、ちょっと……まずいよ!」
思わず大声が出てしまった。周りの数名が「バカップル、余所でやれ!」という風にオレ達を睨んだ。
「そんなにイヤなの……?」
minaがジト目でオレの方を見た。メガネの奥……澄んだ瞳……なぜか、オレの鼓動が早くなる。
「いや、そうじゃなくて……マスコミとかに嗅ぎ付けられたら、面倒なんじゃない?」
オレは声を潜めていった。
「堂々としてたら、大丈夫。それに、少しの間だけだから」
minaは澄まし顔で言った。さすが、日頃から人前で歌っているだけはある。度胸があるな。
本殿に着くまで、minaは色々と話かけてきたが、オレはコート越しのminaの腕の感触と、周りの視線が気になって、落ち着かなかった。
「そういや、紅白はどうだった?」
「すごい、良かった。言葉に表せないくらい。緊張したけど、最後はやりきったって思いで一杯だった。夢が叶ったら、燃え尽きちゃうかなって思ったけど、そんなことなくて……次も、あの舞台に立てたらいいなって思う。もっとライブツアーもやりたいし、曲も書きたいし、色々なことに挑戦してみたい。って、欲張りかな?」
「そんなことないよ」
minaの歩幅は小さくて、オレは歩く速度を少しだけ落とした。
「それで、ほっとしたら、佐伯さんの顔が浮かんできちゃって。紅白やり遂げたノリで思い切って電話しちゃった」
そうやってminaはへへっと舌を出した。
「さっ、お参りしよ」
minaがオレの腕をほどいて、財布からお賽銭を出した。
なんか、少し寂しい気分になった。あれ、なんでだろう?
おれも、それに倣う。minaは真剣な表情でお願い事をしていた。
「佐伯さんは、何をお願いしたの?」
本殿からの帰り道、minaが聞いてきた。
「minaの歌が、もっともっと色んな人に届いて、今年も来年も、ずっと、紅白に出れますように。って」
「えーー本当かなー?」
「本当だって、それより、minaは?」
「私は、佐伯さんの夢が叶いますようにって」
「オレの…夢…」
「いつだったか、言ってたよね。『金融で日本を元気にする』って、あと『中小企業を支えたい』って、その夢が叶いますように……って、余計なお世話だったかな?」
minaがおそるおそると言う風に聞いてきた。
本当に、いい娘だな。
「いや……そんなことない。すごい、嬉しいよ」
「なら、良かった」
「mina!」
オレは知らず知らずのうちに、声に熱がこもった。
「今すぐにはできないかもしれないけど、オレ、もっと頑張るよ。過去は辛かったけど、それには囚われないように、もっと……」
大晦日の日、minaから熱い想いと本当の勇気をもらった。
その気持ちを、大切にしていきたい。
「佐伯さん……」
minaは少し涙ぐんでいた。オレは申し訳なさそうに、オレの肩口までしかない、minaの頭をぽんぽんとなでた。minaは顔をくしゃくしゃにして……笑っていた。
約一週間後、minaとの初詣の余韻が冷めない中……いつも通り業務をこなしていると、オレの仕事用の携帯が鳴った。
誰だ? 登録してない番号だ。
電話に出ると、なんと岡安マネージャーだった。
「佐伯さん、お久しぶりです」
相変わらず、声は無機質だ。
通り一遍のあいさつを交わすと、彼はこう言ってきた。
「佐伯さんにお願いがあります」
来たか、初詣でminaとはしゃぎすぎたか。「minaさんと遊ぶのもほどほどにしてください。彼女は忙しいのです」とかそういうことだろうか……喉の奥が乾いてきた。
「銀行員としての、佐伯さんにお願いがあります」
へっ?? 何?
「うちの事務所が経営の危機にあります。救っていただけないでしょうか?」
オレは思わず、携帯を取り落としそうになった。