12月 海辺の街の片隅で
普段は冷静にしているお坊さんも駆け回る、と言われている、師走、十二月。日に日に寒さが厳しくなり、通勤にはコートが必要になってきた。
銀行もやはり忙しい。
定期預金獲得のノルマ、ボーナス支給の企業の運転資金や、期末の支払日に材料費の支払がある会社はそのための融資、などやることが多い。
おまけに、取引先からは営業協力と称して、色々な商品を銀行員の自腹で買わされる。クリスマスケーキやフライドチキン、お歳暮、年越しそばなんてものある。まあこっちも日頃から定期預金や融資をお願いしているから持ちつ持たれつなんだが。
前にクリスマスケーキの買い取りノルマが十個来た時は焦ったな。そんな具合に一人で何個も買わされるから、それを親しい内勤の人か、友人に頼んで買い取ってもらう。
そんなことをしているうちに、あっという間に最終営業日、十二月三十日になった。
ちなみに銀行の休みは大晦日と正月三が日だけ。入行した頃は正月休みが少ないなと残念に思ったものだ。
仕事をなんとか終わらせて、行員同士の決まりきった挨拶も済ませ、オレは新潟行きの最終の新幹線に飛び乗った。
帰省シーズンとは言ってもさすがにこの時間帯。指定席にもポツポツと空席が見える。
新幹線がゴォーーという音を立てて国境のトンネルを抜けると、車窓から見える夜闇の中を雪がちらついてきて、長岡を過ぎると、それはさらに強くなっていった。
窓越しに冷たい空気が感じられて、オレはふと身震いをした。
新幹線の窓を覗き込むと、暗闇の中に疲れた顔が映っていた。まるでおっさんだ。オレも三十歳……もう若くはないのか。
minaとは相変わらず音信不通状態が続いていた。あまり見たくないが、時たまテレビで姿を見かけることもあり、見た目は元気そうにやっていた。
可愛い妹分、いや……『元』妹分か。
minaや仲間たちとわいわいと食事会をしたり、星がきらめく浜辺で二人で語り合ったのが、まるで遠い昔の出来事のようだ。
オレも自分の思い出したくもない過去をつつかれたとはいえ、あんなにヒドイことを言ってしまったんだ。
今更、元の仲に戻れる訳なんてないよな。
minaもオレのことなど、忘れてしまったに違いない。
いいんだ、これで……きっと。
暗い車窓を眺めながら、オレはため息を漏らした。
約一年ぶりに実家に戻り、両親との会話もそこそこにして、その日は泥のように眠った。
海辺の地方都市。商店街はシャッターが降りている店が多く、若者の半数は高校を卒業すると地元を離れていく。新しくできる建物は葬儀場か老人ホームばかり。
オレの実家はそこで、小さいながらも不動産業を営んでいる。祖父はもう亡くなっていて、父と母、嫁いだ妹とその旦那が、仕事を切り盛りしている。不景気でもなんとかやっていけているのは、父の手腕と先代からの付き合いによるところが大きい。
田舎だから、居間は広い。昔は祖父と祖母の結婚式も自宅で行ったらしい。オレの実家では、毎年、年越しに親戚が集まって宴会が行われる。二十人は来る大宴会だ。
まあ、早く嫁いで子供が二人もいる妹がいる一方で、オレは独身だから、「そろそろオメもヨメゴもらわんばねえな(そろそろお前も嫁をもらわないといけないな)」という親戚の言葉がつらい。だから、ここ数年は気乗りがしない。
しかもついているテレビは、必ず紅白歌合戦だしな。
おっさん連中の笑い声と、酒や懐かしい郷土料理の香り。
幼い頃から見慣れた光景だ。
一通り、親戚にビールや熱燗をついで回り、さて、久々のまともな飯を食べようかと、オレがごちそうに箸を伸ばそうとすると、
「カズ兄ぃ、久しぶり~~!!」
従姉妹の高校生の佳奈に声をかけられた。
真っ白いふわふわしたセーターはわかるが、下はショートパンツという真冬なのに寒そうな格好で、佳奈はオレに笑いかけてきた。
小さいころからよく「カズ兄、カズ兄」とオレの後ろをくっ付いて回っていたが、こいつも、あと2,3年もすれば、美人の仲間入りをするだろう。
「ねえねえ、佳奈も高校出たら、東京に行きたいんだ!」
そう言って、佳奈はツインテールに結った髪を揺らしながら、色々と質問をしてきた。
「やっぱり、東京に行ったら芸能人に会えたりとかするの? 友達になったりとかして。キャー!」
「そんなわけないだろう、確かにたまに見かけることはあるけど」
一瞬minaのことが頭に浮かんだが、オレはやんわりと佳奈の夢を否定した。
「えーー何だ、つまんないの……あっ、minaちゃんだ! 佳奈この子大好きーー歌詞が切なくて、元気が出る曲もあって、いいんだよね」
テレビに見知った顔が映った。
画面越しにminaと目が合った気がして、なんだか気まずい。
今年の紅組司会のベテラン女優にうながされて、minaがインタビューを受けている。
光沢のある真っ赤なドレスに、トレードマークの長い髪がなびく。
「今年は大活躍だったminaさん。minaさんにとって今年はどんな年でしたか?」
「大きいツアーもできて、新曲もできて、そしてこの紅白という夢の舞台に立たせていただいて、本当に色々あった一年でした」
minaは緊張しているのか、一つ一つ噛み締めていくように言葉を発していた。
「今日歌っていただく『大切な人達へ』は友達への想いを歌った曲なんですよね?」
「そうです。私の大切な友達に、感謝と……前を向いて輝いて進んでいって欲しい、そんな想いを込めて作った、私にとっても大切な曲です」
「その素敵な想い、お友達にきっと届いてますよね」
minaはそう言われて、大きくうなずいた。
「それでは、準備のほうお願いします……初出場、紅組、minaさんで、『大切な人達へ』」
何十回も聞いた、イントロ……
そして、minaが言葉を紡いでいく…
『私も 夢に向かって進んでいるよ』
『だからあなたも 自分の信じた道を どこまでも駆けて行って』
遠くの、憧れのステージで歌っているはずのminaが、目の前にいて、オレに優しく言葉をかけてくれる、そんな気がした。
酔っ払っていたおっさん連中も、惚けたように、テレビの画面に釘付けになっている。
佳奈は、うっすらと涙を浮かべていた。
母親がうっとりとした表情で言った。
「いい曲だね、私もCD、買おうかね…」
まだ終わらないでくれ……もっと、minaの歌声を聞いていたいんだ。
minaがいつか言っていた。「年末の家族の団欒に、私の歌が、私の想いが届けられたら」って。それはちゃんと叶っているよ。
minaの弾けるような笑顔、たまに見せた拗ねたような表情。外房の海辺で満天の星空を見ながら語り合ったこと。
そして、泣き顔……minaと会ってからの思い出が、浮かんでは消えていった。
自分の心の中の黒く淀んだ部分が、minaの歌声でどんどん洗い流されていくような気がした。
永遠とも思える時が過ぎ、最後のピアノの音が終わると、minaは深く、おじぎをした。髪がはらりとなびき、minaはそれを整えて、微笑んだ。
歌姫の、夢がかなった瞬間だった。
紅白歌合戦出場。
口に出すのは簡単なことだが、歌手を夢見る者など幾らでもいる。
人に言えないような苦労もたくさんあっただろう。それでもこうして夢を掴み、憧れのステージに立っている。
minaの歌声、そしてその一途な想いに打たれて、オレの心の中の何かが変わった気がした。
それは幻想なんかじゃない。確かにオレの心の中に暖かい炎のようにしっかりと灯っている。
来年は、ちゃんとminaに謝ろう……オレはそっと決意した。
紅白歌合戦も終わり、テレビは初詣客と夜の寺院を映し出していた。先ほどのお祭りとは、まるで異なる静けさ。
佳奈や他の従兄弟達と、初詣に行くか、とコートを着て支度をしていると、オレの携帯が鳴った。
画面を見てみると、mina……
慌てたせいで携帯を落としてしまった。古い家の土間は暗く、すぐに見つからない。そうこうしているうちに、バイブは鳴り止んでしまった。
どうにか、携帯を見つけ、あわてて掛け直す。
年末で回線が込み合っているせいか、なかなか繋がらない。
数回の失敗のあと、やっと呼び出し音が鳴った。
オレの心臓の鼓動が高鳴ってきた。
「あっ、もしもし……」
聞き慣れた、minaの優しい声、ちょっと疲れているかな?
「あっ、mina……えっと……どうしたの?」
久しぶりなのに、気の利いた言葉一つ出てこない。
「あの……ね。前に紅白に出たら、何でも言うことを聞くって言ってくれましたよね……」
「うん、もちろん覚えてる」
「その約束は、今でも生きていますか?」
minaのお願いなら、たいていのことをするつもりだ。
「うん、もちろん」
「じゃあ……」
minaは言葉を選びながら、こう言った。
「私と、初詣に行ってくれますか?」
「えっ! そんなんでいいの? もちろん!」
オレは会って、minaに謝りたい気持ちで一杯だった。
「うん、一緒に行きたいの。よかった……」
オレとminaは再会を約して、電話を切った。
オレは胸の中のモヤモヤが晴れたような気持ちになり。心底ほっとした。
「カズ兄ぃ、もしかして彼女? 」
ふわふわのコートを着込んだ佳奈がニヤニヤしながら、オレの顔を覗きこんできた。
「えっ! んなわけないだろ」
「えーーほんとかなあ……まあいいや、初詣行くよ。遅かったら置いてっちゃうからね」
「わかったよ、待てよ」
佳奈を追いかけながら、地元の神社へと向かうオレの足取りは弾んでいた。
あれっ、初詣って、二回行ってもいいのかな? まあ、いいか。ちょっと無礼かもしれないけど、神様にも許してもらおう。