初めての大学です
大学の構内に入るとちらちらと視線を感じた。おそらく渚を見ているのだろう。渚の容姿は整っている。正直にいって可愛い。もし、他の男が渚を連れて歩いていたら、俺も視線を送ってしまうだろう。こんな可愛い女の子を連れて歩ける、そしてこの周り、つまり少なくとも大学構内では、俺が渚に一番近しい存在だ。そんな気持ちが俺に優越感を与えた。だが、普段視線に慣れていない俺にとって、この視線は緊張を強いる。目立つということは俺の人生において今までなかったことなのだ。
その視線に晒されつつ教室へ入る。やはりここでも渚への視線は止まなかった。俺は教室の窓際の一番後ろの席へと座る。ここがいつもの定位置だ。渚も自然と俺の隣に座る。昔から目立たなかったことで、自ずと自分がいるべき場所が分かるようになっていた。ここの席はだれからも視線を送られずに済むのに最適の場所だった。
本来、ここの学生ではない者が講義を受けることは当然禁止されているし、バレれば即、叩きだされるだろうが、大学の講義を受ける学生の人数はとても多い何百人なんてザラだ。つまり、渚が一人が増えたところで、大学教授が気付くとは到底思えない。講義が始まっても、案の定、渚が咎められることはなかった。
友達と一緒に講義を受ける。それは俺の憧れの一つだった。今隣にいるのは、友達ではなく魔法少女だが、もし友達がいたらこんな風なのだろうかと思いながら講義を受けた。
その間、眠そうに気だるげに講義を受けている俺とは裏腹に、渚は真面目に大学教授の話を聴いていた。中学までしか通っていないといっていたからもの珍しいのだろう。話を理解しているのかどうかは疑わしいが、じっと黒板を見つめ、時折こくこくと大学教授の話に頷いていた。
講義を二つ受け終え、昼休みになった。俺はいつも昼は学食で済ませている。いつも通り学食へ行き、食券機のメニューを眺める。五百円硬貨を食券機に投入し、適当にラーメンのボタンを押す。そして出てきた食券を取った。隣を見ると、なにやら渚が真剣な表情で食券機を見つめている。
「そんなに悩むことか?」
「私、学食っていうものも初めてなんです。お昼を学食で食べるっていうのは、憧れの一つだったんですよ。悩まないわけがないじゃないですか」
うーんと唸りながらついに食べるものを決めたらしい。俺は千円札を投入してやる。魔法少女の食費などは全て雇い主負担になっている。渚は、ありがとうございますといって、オムライスのボタンを押した。出てきた食券を嬉しそうに握りしめている。俺たちはそれぞれの食券を持って、学食のカウンターにいる職員へ手渡した。食券と引き換えに料理が出てくる。
出てきた料理を手に、空いている席を探した。お昼時の学食は生徒たちで賑わっていて、なかなか空いている席が見つからない。二人してきょろきょろと探していると、奥にある席が空いた。つかさずそちらに向かって席を確保する。これでやっと昼食にありつける。
席に座って、ラーメンをテーブルに置く。渚は俺の正面に座ってオムライスを置いた。ラーメンを啜る。不味くもなく美味くもなく、ありふれたどこにでもある味だった。正面に目をやると、渚がオムライスに熱い視線を注いでいた。
「そんなにオムライスが珍しいのか?」
「オムライスぐらい当然知ってますよ。馬鹿にしないでください。学食で食べられることがいいんです。いつも学食で好きなメニューを食べられる雨宮さんとは違うんですから」
昼食を食べ終え、午後の講義を受ける。午後は一つしか講義がない。講義では午前中と同じように渚は真剣に教授の話を聴いていた。
今日の全ての講義が終わり、大学を去るとき、渚は名残惜しそうな様子だった。俺はそんな渚に、大学なんてまたすぐ来ることになるからといってやった。渚は無表情ながらもどこか嬉しそうな顔で頷く。
家に帰って来てからは夜まで仮眠をとろうと思っていた。今日の夜は最後のアルバイトだ。アルバイトは夜から朝までなので今のうちに仮眠をとっていないときつい。渚にその旨を伝え、俺は布団に潜り込んだ。渚はいつもの部屋の隅へ。そこがもう定位置になっていた。目覚ましをセットし、カーテンを閉め、部屋を暗くし、寝る体勢に入る。渚は暇そうに体育座りをしながら、膝に顔を埋め、自分のつま先を見つめていた。
目覚まし時計が鳴り、目を覚ます。三時間ほど眠れただろうか。まだ渚が部屋にいることに馴れてないせいで緊張しながら眠ったからか、体のあちこちが凝っていた。伸びをし、体をほぐす。
「やっと起きましたね」
「あんたは俺が寝てる間なにしてたんだ?」
「なにもしてませんよ。おかげで暇でした」
そういうと渚は俺にアルバイトの準備を促した。よっぽど暇だったんだろう。今度暇つぶしになる本かなにかでも買ってやるか。
着替えて荷物を持ち、準備を整え外に出ると、冷たい風が吹いていた。まだ秋といっても、もう十月の末だ。気温は低く体が凍えそうになる。渚は相変わらず俺についてきた。
アルバイト先のコンビニの入り口で、急に渚の足が止まった。
「私は雨宮さんがアルバイト終わるまで外で待ってます」
「終わるのは朝の六時だぞ? 今から八時間もある。こんな寒い中外にいたら風邪引くだろ」
「でも、店内にいるのは邪魔ですし、厚着してきたので大丈夫です。私のことは気にせず、労働に励んでください」
その後も何度か店の中にいてはどうかといったのだが、渚は「雇い主に迷惑をかけるのはいかがなものかと思うので」といって譲らなかった。仕方がないので俺は渚を外に残し店内に入った。
今日は魔法少女のことを教えてくれた先輩と一緒だったが、渚のことは黙っていた。他の人間に雇っていることをいうのは禁止らしいからな。
アルバイト中、店内から渚を見てみると一人ぽつんと立っていて、微かに震えているようだった。無理もない。寒い中ずっと外にいては体も冷える。
休憩時間になり、俺は廃棄のおにぎり二つと温かいお茶を渚に持っていった。
「休憩時間ですか?」
「ああ。あんたに飯とお茶を持ってきた」
「いいんですか? 貰っちゃって?」
「どうせ捨てるもんだ。かまわないさ」
すると渚は、「どうもです」といって小さくお辞儀をした。
「お茶温かいですね。雨宮さんって最初会った時はこういうことしない人かと思ってたんですけど、結構優しいところもあるんですね。なのに、なんで友達いないんですか?」
「俺が訊きたいぐらいだな」
それから朝の六時まで働いた。先輩に最後の挨拶をして店を出ると、ちょこちょこと渚がこちらに寄ってきた。
「お仕事お疲れ様でした」
「あんたも疲れただろ。ずっと立ちっぱなしだったんだ」
「これぐらい平気です。さ、帰りましょう」
俺たちは家に帰り、シャワーを浴びて眠りについた。
起きたのはもう日が沈む時間だった。
夕飯の買い出しにスーパーへ行って適当な惣菜とビール六缶、
それにつまみを買ってくる。
二人で惣菜を食べ、俺はそれからビールを飲み、タバコを吸った。
「お酒好きですね」
「ああ、数少ない趣味の一つなんだ。あんたも飲むか?」
「結構です」
「そうか。せっかくだれかと酒が飲めるかと思ったんだが」
「それは友達ができてからの楽しみにしてください」
「なあ、なんで俺には友達がいないんだと思う?」
「そんなの知りませんよ。でも、昨日の大学での雨宮さんを見るに、人と全く関わりがありませんでしたね。挨拶すらだれにもしていなかったですし」
「俺は昔からこうなんだ。人との接し方が分からない。なにをいつ、どんな
タイミングで話せばいいのか、その術を知らない」
「もっと積極的に自分から交流するべきですよ」
「頭では理解しているんだができない。上手く言葉が出てこないんだ」
「私とは普通に話せてるじゃないですか」
「いわれてみればそうだな。それは俺があんたを雇ってるって気持ちがあるからかもしれない」
「そういう関係だったら問題ないんですね」
「みたいだな」
溜め息をつきながら答えた。それから渚に祈るようにこういった
「俺は友達を作るためにあんたを雇った。だから協力してほしい」
「もちろんです。仕事ですから。でも私、魔法が使えないから普通のことしかできませんよ?」
「それで十分さ」
俺はそういって、わずかに残っているビールを喉に流し込んだ。




