魔法をかけてあげます
美鈴の一件があってから、俺は家に引きこもりがちになっていた。友達を作ることの難しさを痛感したからだ。
最初は上手くやっていても、少しのことで関係は簡単に崩れてしまう。初めに期待がある分だけ、壊れてしまったときが恐ろしかった。
家に引きこもり色々なことを考えた。もう友達作りは諦めて、渚の雇用期間が終わるまで渚に擬似的な友達をやってもらおうかとも考えた。そうすれば刹那的には幸せを感じることができるかもしれない。それも悪くはない選択の一つだと思った。
やはり俺みたいな人間に友達を作ることなんて不可能なのだ。
渚を雇ってから約一ヶ月、俺が変わったことといえば、数人の顔見知りにちょっとした挨拶ができるようになっただけだ。会話まで繋げることができない。俺には人と関わる能力が致命的に欠けている。そう改めて実感した。
俺がこうして家に引きこもっている間にも、他の人間は友達や恋人たちと上手に関わり合っている。それを考えるだけで虚しくなった。
そんなある日の朝、俺は渚に叩き起こされた。
「雨宮さん雨宮さん、聞いてください」
渚は興奮しきった様子で俺に話しかけていた。
「私、ついに……ついに……やったんです」
「どうしたんだ? そんなに興奮して」
「私、ついに魔法が使えるようになったんです」
渚は今まで見てきた中で一番の、いや、今思えば二番目の笑顔でそういった。
「魔法? 魔法ってそんないきなり使えるようになるものなのか?」
「なんでそんなに冷静なんですか? 魔法が使えるようになったんですよ?これで私は正真正銘の魔法少女になったわけです。もっと喜んでくださよ」
「渚が嬉しがってる気持ちはよく伝わってくるよ。それでさっきも訊いたが、魔法ってそんないきなり使えるようになるのか?」
「うーん、なんて説明すればいいんでしょう。なにかが体の中に芽生える感じなんです。感覚的なものなので、いくらいっても理解してもらえないと思いますけど」
「さっぱり分からないな」
「とにかく、魔法が使えるようになったんですから、これで雨宮さんにも友達を作ってあげることができますよ」
渚は心底嬉しそうな表情だった。いつもの冷めた無表情はどこかに消え、満面の笑みでにこにこしている。
「では、早速魔法をかけてあげます。いいですか? 目を閉じて手を私の方に伸ばしてください」
俺はいわれた通りにした。目を瞑り、右手を渚がいる方へ向ける。渚は俺の手を握り、なにかを念じているようだった。すると、手からなにかが俺の体に流れてくるような感触を覚えた。
「はい、もう目を開けていいですよ」
「なにがどうなったんだ? 今のが魔法なのか?」
「そうです。今、雨宮さんには人が慕ってくる魔法をかけました。これで、相手から挨拶をしてきてくれたり、話しかけてきてくれたり、遊びの誘いをしてきてくれたりすると思います。ただ、この魔法はあくまで人が慕ってくれるだけであって、実際に友達を作ったり、関係を維持することは雨宮さんの努力次第です」
「そんなまどろっこしい魔法じゃなくて、俺のことを友達だと思ってくれる魔法はないのか?」
「あるにはあるんですが、人の心を操る魔法は魔法協会が禁止しているんです。ですからこれが精一杯ですね」
「魔法協会ってのは禁止が多いな」
「人智を超えた力ですからね。管理も厳しくする必要があるんですよ」
「たしかに使いようによっては危険なものかもしれないな。それにしてもよかったな。これで堂々と魔法少女と名乗れるわけだ」
「はい、私の長年の夢が叶いました。ずっとずっと魔法が使えないことがコンプレックスでしたから。憧れであり、夢だったんです」
渚は感動で今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「じゃあ魔法協会を抜けないように気をつけないとな」
「魔法が使えるようになったんですよ? 抜けるわけないじゃないですか。
私はこれからずっと魔法少女として生きていきます」
「それもそうだな。抜けるわけなんてないか。俺が渚の立場だったら絶対に抜けようなんて考えもしないだろう」
魔法少女なのに魔法が使えない。それは俺が想像するより遥かに苦痛なものだっただろう。サッカー選手なのにボールが蹴れない、あるいは水泳選手なのに泳げない、そんな感じなのかもしれない。
「そんなことより、今日の大学楽しみにしていてくださいね。きっと友達ができますよ。私の魔法を信じてください」
「楽しみにしてるよ。ついに俺にも友達ができるのか。感慨深いな」
今までの二十年間の夢がついに叶う日がきたのだ。俺も渚と同じくらい嬉しかった。
「あと、今日から外では私は雨宮さんから少し離れて行動します。雨宮さんに色々な人が寄ってくるでしょうから、私が魔法少女だとバレる確率が高くなると思いますので。お互いのためです」
「そうなのか? じゃあ一緒に学食で食べることもできなくなるな」
「もしかして寂しいんですか?」
「俺には友達ができるんだ。そいつらと食べるさ。寂しくなんてないよ」
「そうですか」
渚は少し口を尖らせていった。
*
大学までの道のりでも渚は俺から数メートル後ろを歩いていた。今まで俺の左にいた渚がいないことに少し寂しさを覚えた。
大学の構内に入ると、いきなり声をかけられた。
「久しぶりだな。ここ最近大学きてなかっただろ? なにかあったのか?」
俺に声をかけてきたのは同じ講義を受けている男だった。たしか名前は川谷。早速魔法の力を垣間見た俺は驚きを隠せなかった。ここまで人の反応が変わるものなのか。大学に入学して以来、挨拶をされるのは初めてのことだった。
「ちょっと最近忙しくて、これなかったんだ」
美鈴にフラれたショックで休んでいたなんていえない。
「そうか。じゃあ今日来たってことはもう落ち着いたのか?」
「ああ、まあな」
「よしよし、今日講義が終わった後、如月と片瀬と三人で遊ぶことになってるんだけど、よかったら雨宮も来ないか?」
如月と片瀬というのは同じ講義を受けている女の子だったはずだ。
「もちろんいくよ」
「よかった。前から雨宮と遊んでみたいと思ってたんだ。とりあえず、一緒に講義いこうぜ」
ちらっと木陰に隠れている渚を見ると嬉しそうに、でもどこか物憂げに微笑んでいた。
友達と一緒に受ける講義は楽しかった。教授が話しているときもお構いなしに、くだらないことを話し、笑い合った。これが友達と受ける講義なのか。なんて楽しいのだろう。俺の夢の一つが叶った。
講義が終わり、俺と川谷は如月と片瀬と合流した。それから駅前のファミリーレストランで色々な話をした。内容は主に俺に対する質問が多かった。好きな音楽はなにか、好物の料理はなにか、好きな女の子のタイプはどんな人なのか。そんなことをたくさん話した。
俺は最初はこの状況に戸惑ったが、すぐに慣れることができ、夢中で喋った。人との会話がこんなに楽しいものだとは知らなかった。川谷だけでなく、如月も片瀬も好意的でどんどん話が弾んだ。
楽しい時間はあっという間だ、気がつけばもう夜遅い時間になっていた。
今日はもうこれで解散し、今度の休みに買い物に行こうという約束をした。
それから最後にみんなと連絡先を交換してから別れた。
俺にもついに友達と呼べる存在ができたのだ。これ以上嬉しいことはない。
俺が感慨に浸っていると、渚がやってきた。
「よかったですね。これで雨宮さんはもう一人じゃありませんね」
「全部渚のおかげだ。本当にありがとう」
「自分の仕事をしたまでです。さあ、帰りましょう」
家までの帰り道でも渚は俺から離れて歩いた。
家についてから渚はいつもの部屋の隅に座り、無言で本を読み始めた。もう俺が買ってやった本は全部読み終えたようで、同じ本を何度を読み返しているようだった。
「なあ、魔法のお礼にまた本を買ってやるよ。今度本屋に行こう」
「ありがとうございます」
渚はこちらには一瞥もくれず、そういいながら本を読んでいた。
今思えば、俺はこのとき、渚との時間をもっと大切にするべきだった。渚には雇用期限がある。別れのときは着実に迫っていたのだから。
*
次の休日になり、俺は川谷たちと約束していた買い物のため駅へと向かっていた。駅に集合し、そこから電車で二十分ほどの場所にあるショピングモールが目的地だった。
駅に着くと、すでに三人は先に到着していた。
「待ったか? 悪いな」
「お、やっときたな」
「私たちも今きたところだよ。じゃあ出発しよっか」
買い物の目的は如月と片瀬の洋服だった。新しいコートが欲しいのだという。ショピングモールの様々な店を見て回った。俺は女もののコートを見て、渚に似合うかもしれない、なんて考えていた。
女の子の買い物の付き添いはつまらないと聞いたことがあったが、そんなことはなかった。俺にはとても新鮮な体験で楽しめた。
渚は他の買い物客に紛れて、俺達の後をついてきていた。なんだかここ最近渚とはほとんど話していないような気がする。家で話しかけても、「そういう話は友達としたらどうですか?」といわれてしまう。渚のことは気になったが、俺は友達のいる楽しい毎日を謳歌していた。
買い物を終えて駅に着いたとき、この後居酒屋にいこうという話になった。俺は渚以外と飲んだことがなかったから、友達と飲む酒はどんなにうまいものなのだろうかとわくわくした気分で店へと向かった。
四人で飲む酒はこれまで飲んできたどの酒よりもうまかった。ここでもファミリーレストランと同じように色々な話になった。
「雨宮くんは彼女とかいないの?」そう訊いてきたのは片瀬だった。一瞬、美鈴の件が頭をよぎる。
「実はこの前失恋したんだ」
俺がそう話すと三人は俺のことを慰めてくれた。これが友達の優しさなのか。俺は美鈴のことを詳しく話した。中学のときに知り合ったこと、大学で再会してデートしたこと、そしてそのデートで失敗したこと。
友人たちは親身になって俺の話を聞いてくれた。心が晴れ渡っていくようだった。友達の大切さを実感させてくれた。
ここでふと、渚のことが気になって周りを見渡してみた。ここから少し離れた席に渚は一人で座っていた。飲んでいたものはテキーラ・サンライズだった。
*
居酒屋での飲み会も終わり、みんなと別れた。また渚が近寄ってきてなにかいうのかと思ったが、近づいてくることはなかった。
俺から渚の方へ近づいていき、こう訊いた。
「テキーラ・サンライズはうまかったか?」
「はい、おいしかったです」
渚はそれだけいい、また俺から離れていった。
なぜだか、胸が苦しかった。




