~準備~
ひとまず、俺は大金持ちになった。どうしてこうなった。
「ですから、こんなにはいただけません。お気持ちだけで嬉しいです」
彼女はそういうが、俺としては申し訳ない。
「では、なにはお手伝いすることはありませんか?」
彼女の荷物を見る限り、かなり大所帯の家族と住んでいるのだと思う。林檎だけで20個。人参は50本などほかにも単品大量の荷物だ。
「では、荷物を運んで欲しいんですけど良いですか?」
「はい。大丈夫です。じゃあこれ、持ちますね」
彼女が手にしている荷物を受け取る。これを彼女は一人で運んでいるのだろうか。だとしたらかなりの筋力が付くと思うのだが、彼女の腕は細い。というか、彼女の体全体が細いのだ。胸はそれなりに主張しているが、シリルのと比べてしまうと、どうも小さく感じてしまう。
俺は彼女の後ろをついていき、目的地に向かった。そこは繁華街の中にあるところだった。どう見ても酒場である。
「君はここで働いているのか?」
「そうですけど、今は少し休業と言いますか、父が腰を痛めてしまって」
では、この荷物はいったいなんなのだろうか? 休業しているならこんなに食材は必要ないだろうに。
「それではあと3往復です。頑張ってくださいね」
……3往復? まだほかにも荷物があるのだろうか? それからの3往復は地獄のようなもので、ジャガイモだけで60kg、カボチャは30kg。腕に力が入らなくなるまで運んだ。彼女はいつもこんなことをしているのだろうか? だとしたら怪力どころではない。
「いつもこんな風に何往復もして運んでいるのか?」
「いえ。私はいつも台車を使っていますので平気ですよ?」
だったろそれを早く言って欲しかった。そしたら地獄のような体験をしないで済んだのだから。
「すいませんね。飲み物を持ってきますので少し休んでいてください」
俺は彼女の家。酒場だが。そこで休ませてもらっている。普通の酒場だ。カウンターやテーブル席がある。テーブルクロスなどはない。それは当然だと思い出す。休業中なのだから。
「お待たせしました。当店自慢のレモネードです」
すこし黄色がかったレモネードを片手に彼女は帰ってきた。
出されたグラスを礼を言いながら受け取り、一口。レモンの香りが口から鼻に抜けるような感じ。それでいて酸味が強すぎていない。甘味も抑えられていて美味しい。
「美味しいよ。さすがは自慢のレモネードというところなのだろうね」
「ありがとうございます。そういえば自己紹介をしてませんでしたね。私はココ。よろしくね」
「俺は横山雅彦。雅彦でいいよ。よろしくな」
軽く握手をする。彼女の手の感触は柔らかかった。指は皮が厚いような感触。
「で、あのさ。ココのお父さんって腰を痛めてるんだよね?」
「はい。それで休業しているんですけど、今日から私一人で頑張ろうかなって。ウェイトレスとコック兼任して」
「それは無理だと思うんだ。そこで出来れば俺にお手伝いをさせてもらいたいんだ。実は職を探しているところなんだけどどうかな?」
俺は腰に携えていたケースごと包丁をテーブルの上に出す。
「雅彦さんは料理できるのですか? でしたら助かりますけど、ウチ独自のレシピが多数あるので……」
独自のレシピを今日初めて会った男に易々と教えるわけにはいかないだろう。
「まぁ教えることなんて出来ませんよね」
「いえ。そうじゃなくて、レシピが沢山あるので覚えるのは難しいだろうなぁって」
じゃあレシピを教えてもらえるのだろうか?
「少し見せてもらってもいいかな? そのレシピを」
「あっ、はい。わかりました少し待っててくださいね」
ココは厨房の奥の方へと向かいガサゴソと音を立ててレシピを探しているようだ。
「ありましたありました。これです」
と、ココは分厚い本を持ってきた。確かにこれを覚えるのはかなり時間がかかるだろう。
「では。少し見させてもらうね」
俺は表紙を開いてまず1ページ目。読めない。
どうしたことだろう。読めない。
「ココ。これはお父さんが書いたんだよね?」
「そうですよ。父が自分で作ったレシピです」
会話は出来る。うん。ちゃんと相手が言っていることは理解できている。口の動かし方でも同じ日本語を話している。
では。この文字は一体なんなのだろう。日本語では書かれていないし、地球で使われている英語やフランス語、ロシア語。の文体ではない。象形文字のような感じで書かれている。
少し、じっくりと読んでみよう。するとどういうことだろう。書いてある文字はいっこうに理解できないのだが、書いてある事柄が理解できた。
頭の中に直接流れくるような。そんな感じ。1ページ目には出汁巻き卵の作り方が書いてあった。
次のページも解読できない文字が羅列している。が、頭の中に書き込まれる。茶碗蒸しの作り方。
もしかすると、すべてのページを覚えられるかもしれない。俺はそう思いページを開いては頭の中にレシピを書き込み、ページを開いては頭の中に書き込んで。という作業をこなした。時間にして1時間程度だろう。総ページ数は500ページを超えていた。
「もしかして全部覚えたんですか?」
本をとじると、そうココが聞いてくる。
「なんとか、覚えれたよ。これで少しはこの店を手伝えるかな?」
「はい。私もこの店をまた開けるのが嬉しいので。よろしくお願いします」
彼女は頭を下げた。俺としては、仕事をしたいだけなので、こうやって感謝されるのは、仕事が終わってからの方が良いなぁ。と思いつつ、ココに顔を上げさせる。
「それにしてもどこから来た奴かわからないのに、仕事をさせちゃって良いのか?」
「今は、とにかく人手が欲しいので。手伝ってくれるならそれだけで嬉しいです」
女神がいるのかと思ったほど、彼女の器は大きい。
「それじゃあ早速下ごしらえをしておくか?」
「はい。私はフロアの方の準備をしますのでお願いしますね」
俺は厨房に。ココは雑巾を片手にフロアの掃除を。互いに違う作業を開始した。
「そうだ。その前にメニューとかってどう決めてるんだ?」
「いつもは父の気まぐれでやっていましたので雅彦さんが決めちゃってください」
「頻繁に出てたメニューはあるか?」
「ビーフシチューだけは毎日作っていました。後は基本的に自由です」
ココの情報ではいつもはココのお父さんが自由に決めていて、ビーフシチューだけは毎日作っていた。とのこと。ではまずビーフシチューから作ろう。
頭の中からビーフシチューのレシピを引き出す。
まず、手のひらに乗る石鹸くらいの大きさの牛のスネ肉をしっかりと焼く。油が出てくるので、肉を取り出し、食べやすい大きさにきった人参やたまねぎなどの香味野菜を焼く。ここでポイントなのだが、この店のフォンは甘いらしく、たまねぎの量が肉300gに対して4玉らしいのだ。
そして、香味野菜に軽く火が通ったら、野菜と肉は寸胴鍋に。肉と野菜を焼いたフライパンに旨みが残っているので水で旨みを溶かし、その水を肉などが入っている寸胴鍋に移す。
具材がヒタヒタ浸かるくらいまで水と赤ワインをいれ、潰したニンニクを加えて火にかける。ワインと水の比率は3:10ぐらいの割合だ。
沸騰しそうになったら火の強さを出来る限り抑えて5時間煮る。
つまり、今日のメニューにはビーフシチューは乗らないのだ。
さて。どうしようか。今からの時間では煮込み料理など無理だ。肉を香草と一緒に焼いたものとかをメインで出してみようか。どうせ酒場だ。飲んで騒いでいられれば十分なのだろう。
では、その料理の下ごしらえだ。
まずは、タイムやバジル、ローズマリーなどの香草を包丁でミンチ状にして、オリーブ油を加えてペースト状にする。そのペーストを肉に塗りここで下ごしらえは終了。焼くのは店を開ける直前でいいだろう。
あとはどうしようか。肉以外にも食べたい人が来るだろう。
それよりも、下ごしらえをしていて気づいたのだが、固形調味料やら、粉末出汁というのはとても便利だということに気づいたのだ。
あれは本当に頑張る人を堕落させる魔法のような食べ物だ。今寸胴鍋で煮込んでいるものだって『デミグラスソース』というものがあればあんな工程をこなさなくても良いのだ。
と、あれこれぼやいていても仕方がない。手を動かそう。手を。とりあえず、肉以外のメインは魚をまるまる煮込んだもので良いだろう。トマトソースで。
これはオヤジさんのレシピには乗っていない俺独自のレシピ。
店を開けていて新しいメニューが一品ほどあっても良いと思う。モノは試しということでやってみよう。
まず、魚は癖のない淡白な味わいの白身魚を使い、丁寧に内臓や鱗。背びれや腹びれを取る。内臓が少しでも残っていると、とたんに魚くさくなるし、鱗やひれが残っていると食べにくい。下手をすれば口の中で刺さったりするので丁寧に作業をする。
トマトソースはみじん切りにしたたまねぎをオリーブ油で炒める。苦い焦げがでる直前まで炒めることがポイントで、甘くなったたまねぎに皮を剥いたトマトを加えて、塩コショウで味付けをして煮詰める。水分をこの段階で出来るだけ飛ばしておく。そうすればトマトの甘味が凝縮されるからだ。
そして、白ワインを加えてアルコールを飛ばせばソースの出来上がり。
あとは下処理が終わっている魚と一緒にもうひと煮込みすれば完成だ。
などと、色々と仕込みをしていると、店の外は暗くなってきて、店を開ける時間になった。
「雅彦さん。今日からよろしくお願いしますね」
ぺこりと、カウンター席から頭を下げるココ。俺も頭を下げる。
「こちらこそよろしく。それじゃあ頑張ろうか」
そして、ココの酒場は開店した。
とりあえず、今週の更新はラストかもしれないです。
次は28日か、29日の予定です




