~初夜~
さて。ではどうしようか。ここでは外食をするという概念がないのかもしれない。だとしたら俺がこれからこの城でなにをすれば良いのかが分からない。
「料理を作るのは母親の仕事なのはわかった。じゃあここでは誰が作っているんだ? 兵士達も食べているんだろう?」
「兵士達は自炊だ。それくらいの能力はある」
ここの人達はちゃんと自立いている。凄いことだ。
そして俺は自分がやりたいということができなくなってしまった。
「……この城を明日にでも出て行く。人間達の街に行く」
さすがに魔王を倒すために勇者や冒険者がいるのだろうから、その人達の為に宿屋はあるだろう。
そして、そういう人達は外食をしなくてはいけないだろうから俺が求める仕事はあるだろうしあると思いたい。いや信じたい。
「どうしてだ。夫婦になって早々、片割れがいなくなるなんて許さないぞ。私が納得する理由を言うんだったら許してやるがな」
シリルが俺の右腕をつかんで引き止める。彼女が怒る。というより止めるのは考えれば当たり前だろう。俺達は形だけの夫婦だが、その夫は8日間も行方不明。そして帰ってきたらすぐにこの城から出て行くというのだ。止めるに決まっている。
「俺はお前の荷物にはなりたくない。一人でもこの世界で生きていけるようなりたいんだ」
「私は雅彦のことを荷物だなんて思ってない。だが、出て行く前にちゃんとやることはやってもらうぞ」
俺はいったいなにをすれば良いのだろうか? シリルの顔を見る限りではとてつもなく恥ずかしいことなのだろう。目を瞑って顔を真っ赤にしている。耳まで真っ赤だ。
「契約初夜は必ず二人で同じベッドに寝なくてはいけないんだ。だが、お前はそれをする前に消えてしまったから今までそれができなかったんだ。せめて初夜ぐらいはしてからにしてくれ」
また俺が消えないようになのだろう。腰に手を回してしがみついてきた。泣きそうになりながら。
しかし、シリルは俺をと望まない結婚をしたのではないだろうか? 俺よりも強い男と本当は結婚するはずだろうし。
だとしたら、そんな初夜とかしなくてもいいはずなのだ。俺のことなんか放っておいて別の男にでも乗り換えれば。と考えが自分のことを貶しているので、だんだんと気が滅入ってくる。
それにしても初夜とはなんとも淫靡な響きだろうか。もしかしたら本当にそういうことをするのだろうか?
「初夜。どんなことをするんだ? ただ寝るだけなのか?」
「それだけだったらどれだけ良いだろうか。とりあえず私はシャワーを浴びてくる。雅彦はこの部屋で待っていてくれ。くれぐれも抜け出そうとはするなよ。もし逃げたりしたら次会った時はお前を喰らう。忘れるなよ?」
口の奥にある鋭い歯を見せ付けられては逃げた場合、確実に死ぬんだろうなぁということを直感した。今はどこにも行かないでおこう。
それよりもシリルだけがシャワーを浴びに行くのだ。俺もシャワー浴びたほうが良いだろう。
だが、俺は今着ているスーツしか服がない。下着もだ。どうしたものか。
「なぁシリル。ありえないと思うが、俺の服はこれ以外ないよな?」
シリルはきょとんとした顔をしてクローゼットを指差す。そこには俺が着れる服があるのだろうか? と勢い良く扉を開ける。
すると、スーツだけで8着もある。すべて同じものだ。同じ色、同じ大きさ、何もかもが今着ているスーツと一緒だ。だが、ネクタイは様々な模様、色、合計で20本はある。
いつ用意したのだろうか? そしてクローゼットの隅っこには寝巻きなのだろう。地球で着ていたパジャマと同じものが丁寧にたたまれていた。
下着もボクサータイプだったりトランクスだったり、様々なものが用意されていた。ブリーフだけはないのは物心ついた頃からブリーフを履いていないからなのかもしれない。
だが、スーツの素材はどこから用意したのだろうか? ポリエステルなどの化学繊維がこの世界にあるとは到底考えられないのだが。
「シリル。俺もシャワーを浴びても良いか?」
とりあえず俺もシャワーを浴びよう。色々と考えるのは後からにしておこう。
「なっ! 雅彦。それは本気なのだな? 雅彦が本気なら私は雅彦の意見に従おう」
本気? たかだかシャワーを浴びるだけなのに本気かどうかを聞いてくるとはこれいかに。ただ男湯に案内をしてほしいのだが。
もしかして魔王一族に入ってからは同じ風呂に入らなくてはいけないのか? そうだとしたら俺は後から入ろう。スケベなことは今後のお楽しみということで。
「いや。どういう本気かわからないが、風呂場だけ教えてくれ。先にシリルが浴びていいから。俺は後でもいいんだ」
「そういうことか。少しばかり身構えてしまったではないか。では私の後をついてきてくれ」
少しと言っているが、俺を殴ろうと右手を振りかぶっている。おそろしやおそろしや。
そして案内された場所は風呂場。魔王一族のみが使える風呂みたいだ。男湯とか女湯で区切られてはいない。何も知らないで色々と聞くものではない。何かひとつで身を滅ぼしてしまいそうだ。
ひとまず俺はシリルの部屋に戻った。スーツを手にとってみる。手触りで素材がわかった。麻だ。黒い麻なんてないだろうから染色したものを使っているのだろう。ワイシャツもスーツと同じ枚数あり、素材は触ることで綿でできている。
それにしても麻のスーツなんて1着がだいたい4万円くらいの値段がするものだ。これを8着となると単純計算で32万円。ズボン、ワイシャツも付いたら40万円はいくだろう。
日本円で思い出したのだが、この世界通貨はいったいどのようなものなのだろうか? 日本円が使えるわけないだろうから俺は無一文である。どうしようか。
何かを作るためには材料が必要なわけで金が必要になる。無一文では何も変えない。オシマイだ。
では、どこかで仕事をするしかないだろう。まずは宿屋や酒場。料理を提供するところで働いてお金をもらうしかないだろう。
「雅彦。シャワー浴びてきてくれ。私はここで一休みしておく」
なんて無防備な格好なのだろう。バスタオル1枚を体に巻き付けただけの格好。途中で誰かに見つかって襲われるということを考えないのだろうか?
「とりあえず、何か服を着ろ。どうしてそんな格好で出歩けるんだ」
「どうしてってここは私を雅彦以外入れないようになっているからだ。そうじゃなかったらこんな格好で歩けるわけないだろ」
当たり前だという感じで別段へんな顔をしていない、いつもどおりの顔。俺の方が変なことを言っているようで納得がいかない。
「まぁとりあえず行ってくる」
着替え等を持って部屋を出る。風呂場までの間、誰とも会うことはなかった。本当に俺達以外に入ってこれないのだろう。
風呂場は木材でできている浴槽。木の色合いはヒノキに近い。身長180cmぐらいの俺が2人ぐらい簡単に入れる大きさ。本当に金持ちだと思う。
床や壁には薄い水色のタイル。浴場の大きさは浴槽が4つ以上入るぐらいの大きさ。無駄に大きいだろう。
貴族の屋敷だ。ここは。
体など色々と洗った後、ゆっくりと湯船に使ってこれからのことを考える。
初夜といっても別にどうのこうの。スケベなことをするわけじゃないだろう。きっとそうだろう。そんなことはないに違いない。うん。そうだ。
だってゆっくりと考えてみよう。初夜とは最初の夜というだけだ。別になにかをするという意味じゃない。そうなのだ。ただとなりで寝るだけだ。
少し安心して、浴槽に頭まで浸かってから出る。シリルも待ちかねているだろう。
部屋に戻ると、ガッチガチに緊張してベッドに腰掛けている。なんだか可愛い。俺が部屋を出るまでのバスタオル姿ではなくバスローブを着ている。色はドレスと一緒の真紅だ。
「どうしてそんなに緊張しているんだ?」
シリルの隣に俺も腰掛けて、彼女の肩に手を置くと吃驚したのか飛び跳ねた。
「ま、雅彦! 急に触るんじゃない。緊張することをこれからするんだから緊張するに決まっている」
「でだ。いったい何をするんだ? 初夜って」
いまだ謎に包まれている初夜。本当にそういうことをするのか?
「じ、じゃあ初夜をするぞ。恥ずかしいから明りは消すからな」
部屋を明るくする照明を消して月明かりだけが俺たちを照らす。
暖色の照明では感じることは出来なかったが、寒色の月明かりが当たるシリルの肌はよりいっそう美しく見える。
「……雅彦。私のことを受け入れてくれるか? 他種族の血が流れる私を受け入れてくれるか?」
しっかりと俺の目を見据えて彼女はそう言う。これが初夜の契約なのだろうか?
「俺が受け入れるもなにもシリルが俺のことを受け入れてくれたんだ。俺はシリルのことを受け入れるさ」
俺がここにいるのは彼女がこうして夫にしてくれているからだ。だから俺は何も言えない。
「そ、それでも。良いのか? 絶対に私のことを手放したりしないな? 絶対だぞ?」
「わかってる。手放したりはしない。もちろんだ」
俺の言葉を聞いて安心したのか。ほっとしたような顔をして布団の中に入る。
「……これだけなのか?」
「あぁ。あとは夫の腕枕で寝る。これが魔王一族に代々伝わる初夜のやり方だ。なにか他にあるのか?」
不思議そうに彼女は首をかしげながら聞いてくる。あぁ。本当に知らないようだ。どうやら俺の一人相撲だった。
「んー。いや。なんでもない。俺の腕を枕にして寝るんだろう? ほら来いよ」
右腕を差し出すとシリルはおっかな吃驚に近寄り、安全だということを確認してから枕にした。どこの動物だ。と心の中で突っ込んだ。
手のひらでシリルの長い黒髪を弄るとくすぐったそうにしている。
ものすごく寝つきの良いのだろう。すぐに寝息を立てて寝だす。
なにか一人で色々と考えていたが、彼女の性格からしてそういうことはすぐにしないということはわかっていたはずだ。
とりあえず、俺も寝るとしよう。向かい合うように寝ているので、大きな山の間にある深い谷を見つつ俺は寝ることにした。




