プロローグ
「貴様は誰じゃ!」
目の前に色白な美女がいる。化粧などはしていないのだろう。そういう白さではない。その肌の色とは対照的に真っ黒で長い髪を腰ぐらいまで伸ばしている。
「えっと、誰と言われましても。横山雅彦というものですが」
俺は初対面の人に。まして俺の事をいきなり誰じゃと聞かれて、自己紹介を始めるような人間ではないと自負していた。
なのだが、俺が答えてしまったのにはちゃんとした理由がある。
それは、自分の死を覚悟したからだ。目の前の美女以外に5人も俺のことを囲んでいるのだから。その人達は鎧を着込んでいて、顔も兜をかぶっているので表情が分からない。右手には槍や剣。左手には金属製の盾を持っている。この美女を守る衛兵なのだろう。
そして、美女の格好は真紅のドレスを着ている。これは普通だ。たぶんどこかの姫様なのだろう。だが、普通じゃない点があるのだ。もしかしたらここにいる俺以外の人は人ではなく、匹と数えたほうが良いのかもしれない。そんな普通じゃない点が。
彼女の頭には2本の角が生えている。どう見てもカチューシャとかではない。本物っぽい質感だ。と、無意識のうちに俺の腕は動いていてその本物っぽい角に触れていた。やはり偽物ではなかった。ゴツゴツと山羊の角に似たような感触。しの感触をもっと調べようとすると
「ひっ! き、貴様! 自分が何をしたのか分かっているのか!?」
慌てたように目の前の女性は俺との距離を機敏動きで取った。何か変なことをしたのだろうか? 俺はただ生えている角に触れただけだが。それがいけなかったのだろうか?
「と、とりあえずだ。雅彦よ。私はシリルという。そなたは人間か?」
「あ、あぁ。人間だ。ひょっとしなくてもシリルは人間じゃないんだろうな。その角は本物だもんな」
と、いうかここはどこだろうか。ゲームなどで良く見るような城の玉座のように見えるのだが。
「私はそうだな。魔王という種族だ」
魔王。種族なのだろうか? 魔王とは悪魔とかそういう類いの化け物を統べるモノだと思っていたのだが、そういう種族があるのだろうか?
「それで、俺が魔王様の前にいることは分かった。でもどうして俺が魔王様の前にいるんだ?」
そういえば俺はどうしてここにいるのだろうか? 俺は確か普通に自転車に乗っていたはずだ。少し思い出してみよう。
* * *
俺こと横山雅彦は今年20歳になる大学生である。
そんな俺は夕方からのバイトを始めて23時までバイトしていた。
バイトまでは自転車を使って通勤している。その帰り道。いつも通り自転車で帰る。よく、警官に「自転車のライトをつけてねー」と言われるが、街灯のおかげでライトをつけなくても十分明るいのでつけていない。
俺が自転車で帰っていると、後ろから車が近づいて来ると車のヘッドライトで明るいなぁと思うことがある。そこで俺は車線の歩道側にある白線の中を走る。それは事故になる確率を少しでも抑えるためである。
しかし、後輪からぶつかる感触を受けた。
そのすぐあとに背中かから車が当たったのだろう。肺に入っている空気が抜け出すほどの衝撃を受けた。
そこで俺の意識が途切れた。
* * *
さてさて、一応覚えているようだ。
背中から車がぶつかってきたのだが、なんということでしょう。背骨やら色々な骨は一切折れていない。普通だったら折れているだろうに。
今着ている服は意識が途絶える前に着ているものと一緒だ。たまたまスーツを着る予定があってそのままバイトに行っていたのでスーツだ。ネクタイもちゃんとしている。バイト終わりには外したはずなのだが。
そしてなんだろう。違和感がある。右の尻ポケットに何かが入っているような違和感。
そこから何かを取り出すとカードケースが出てくる。
特に、何かが入っているわけではない。バイトの社員証。へそくりの1万円札。それと入れたことなどない。というより買ったことがないお守りだ。
そのお守りは恋愛だとか、安産だとかは書いていなかった。書いてあった文字は「移動」という二文字だった。移動とはどういうことだろうか?
真っ赤で今まで触ったことがない感触の布に紐は黄色でこれまた触ったことのない感触である。その中に何か硬いモノが入っているようで、中身を出してみるとそこにはどの方向から見ても歪みがまったくもってない球体で出てきた。色は赤色で半透明だ。
「おい。その石をどこで手に入れたんだ!?」
シリルは俺の両手首を掴んでこの丸い石のことを聞いてくる。俺にもさっぱりなのだが。
「いや。わからない。いつの間にかこの中に入っていて居たんだが、これは一体何なんだ? そんなに貴重なものなのか?」
「お前はこの貴重なものを知らないで所持していたのか!? お前は本当に何者なんだ?」
目を見開いて見つめてくる。でも表情は呆れ顔だ。
「本当もなにもただの人間だ。でだ。俺はコイツの使い方を知らない。それでシリルはこの使い方をまでとは言わないが、この正体を知っているように思えるが、そこまでは良いか?」
彼女は頷いて俺が言っていることが正しいということを肯定した。さて。次に何を言おうか。内心、冷や汗で脱水症状を起こしそうなほどびびっている。いきなりわけのわからない世界に飛ばされて、飛ばされたところには魔王という種族の美女がいるところで、そこではいつの間に入手していたお守りの中に入っていた赤い石が貴重なものという。
「そこで取引をしたいと思う。良いか?」
条件にもよる。ということなのだろう。頷くことを渋っているようだがゆっくりと頷いた。
「では、条件を。と言いたいが、取引の前に俺は本当だったらすぐに食われる立場にいるのか?」
「いや、そんなことはない。雅彦が私に敵意を向けて襲い掛かるのならばすぐにでもお前を殺すことになるだろう。それは揺るがない。だが、ただここに現れたというのならば、お前がもと居たところまでは安全に送ってやろう」
魔王だからといって見境なく人間を襲うというわけではないようだ。この世界での魔王とはどのような立場なのだろう? とりあえず今食われるというわけじゃないみたいなので一安心。
「そうなのか。で、取引の条件だが、俺がもと居たところには帰れそうに無いんだ。だから俺が安全に暮らせるさせてもらいたい。人一人養うくらいの価値はこれにはあるんだろう?」
良くネット小説を読むのでこういう異世界トリップでは主人公がもとの世界に戻ることが無いほうが多いので、俺の場合もそうなのかもしれない。きっとそうなのだろう。そう思っただけで体全体から力が抜けていくような感覚。絶望的だ。友達が少ないながらも充実した世界だったのに。もしかしたら車との事故もたいしたことが無かった場合もあるのだ。まだやり残したことも沢山ある。
「確かに。この石には人一人といわずに人5人分の価値がある。それでもお前はこの石を私にくれるのか?」
5人分。本当に高価なようだ。だとしたらもっと良い条件を出しておけば良かった。
「それでだ。私からもひとつ条件がある。それを聞いてくれるのならばその石を私に渡さなくてもお前の安全は保障しよう」
シリルは少しモジモジとしだす。それよりも石無しで俺の安全を保障してくれるのは良いな。すこしだが体に力が入ってきた。
「私の種族は女しか生まれない。他種族の血を混ぜることで私達種族は強くなっていくのだ。それで、その種族を選ぶ理由だがな、私が成人して初めて角を触れられた人と、その、結婚をすることになっているんだ。これは代々伝わってきたことだから変わることや変えることはないんだ。これだけ言えば私が言いたいことはわかるよな?」
わかった。あぁ。確かにわかった。俺がこの世界に来て一番最初につかまったのがシリルの角。つまりはそういうことなのだろう。
「わかった。それで俺がお前のいわゆる夫になるということで良いのか?」
「……そういうことになる。まさか成人初日で触られるとか前代未聞だ。本当なら私に勝った相手が私の夫になるというのに」
俺は残念そうにしているシリルになんて声をかけて良いのかわからず俺はただ座っている状態。なんだか、ここから居なくなりたい気分だ。できるならもとの世界に戻りたい。
「今更だけどそれは無効にならないよな」
「そんなことができれば最初からしている。無効になるのはその相手が死んだ時。……そうかお前を殺せば良いのか」
腰に携えている細身の剣を鞘から抜き、彼女はゆっくりと俺の喉元に剣を突きたてる。
あぁ。これは殺されるのだろう。殺気だけで気を失いそうになる。ここで死ぬのであればできれば楽に殺してもらいたい。もとの世界では体がグチョグチョになっているだろうし。最後は綺麗に死にたいものだ。
「と、いきたいところだが、私は無駄な殺生はしないことにしている。このことは諦めてお前との子孫を残すしかないだろう」
彼女の殺気がみるみるうちに萎んでいき、抜いていた剣は鞘に戻し、抱きついてきた。いったい何が起こっているのやら。
角にずっと目が行っていたのだが、彼女に抱きしめられた時に胸のボリュームの多さに気づいた。でかいのだ。
「……あぁ。それで俺はこのまま生きていて良いのか?」
「仕方ないから生かしておいてやる」
こうして俺は魔王の夫となった。




