六十四の章 イスズの秘技、クシナダとウズメの秘策
ヨモツの女王イザの突然の襲撃により、イワレヒコの身体を借りていた磐神武彦はイザの言葉に惑わされ、彼女に取り込まれてしまった。
「……」
アキツもツクヨミもなす術なく立ち尽くす。それはイスズ、ウズメ、クシナダも同様である。
「うぬらが頼りにしておった異界人は我の味方となりぬ。まだ抗うか、悪しき者共の末裔よ?」
イザが只黒き目でツクヨミ達を睨む。アキツはイザの言葉に失われていた気力を取り戻した。
(悪しき者の末裔とは、聞き捨てならぬ……)
しかし、神剣アメノムラクモの話によれば、イザを陥れ、王位を奪ったのは紛れもなく自分の先祖なのだ。
「例え悪しき者の末裔だとしても、貴女のなさっている事は間違っております。私は抗います。最後の一人になろうとも!」
アキツはゆっくりと立ち上がり、イザを睨み返して叫んだ。イザはその言葉を聞いてニヤリとし、
「さてもおかしき事をのたまうものよ。アキツ、うぬらのみで、この我に抗えると思うておるのか?」
「思うております! ツクヨミ様!」
アキツはツクヨミに目配せし、走った。ツクヨミが慌てて彼女を追う。
「アキツ様!」
イスズとウズメ、クシナダは唖然としていたが、援護のために動き出した。
(御剣様を手にできれば、まだ……)
アキツはツクヨミと祓いの連携攻撃を仕掛け、イザをアメノムラクモから遠ざけるつもりだった。
「祓いたまえ、清めたまえ!」
アキツとツクヨミが同時に祓いの祝詞を放つ。それがまるで渦を巻いてうねるような動きをして、イザに迫った。
「愚かな!」
イザは飛び退いてその攻撃をかわした。その隙を突いて、アキツがアメノムラクモを手に取った。
「よし!」
ツクヨミがニコッとした。
「御剣様」
アキツが呼びかけるが、アメノムラクモは応じない。
「これは……?」
アキツは蒼ざめた顔でツクヨミを見た。ツクヨミは首を横に振る。彼にもわからないのだ。
「愚か者が。アメノムラクモはあの異界人と共に我の内よ。そこにあるは、只の古びた剣よ」
イザは高笑いをした。するとツクヨミが、
「ならば新たなる命を吹き込みましょうぞ」
と何かを唱え始めた。イザが眉をひそめる。
「何をするつもりぞ、言霊師よ」
イザはアキツすら恐れてはいないが、ツクヨミの底知れぬ力は警戒していた。
「アキツ様、御剣様をお渡しください」
「はい」
アキツは嬉しそうにツクヨミに駆け寄る。
「どうぞ」
ツクヨミはアキツから抜け殻の剣を受け取り、それに息を吹きかけた。
「言霊師一族の力を結集して、貴女に挑みます、女王イザ!」
ツクヨミが輝き出した剣を構える。
「うぬは生かしておこうと思うたが、もはやアキツと通じ合うておるようじゃな。ならば、死ぬるがいい!」
イザの顔が兇悪になる。彼女の両手に漆黒の剣が現れる。
「ウズメ、クシナダ、ツクヨミを助けます!」
イスズが動いた。するとイザは、
「うぬらとじゃれ合うつもりはない!」
と叫び、再び宙を舞う剣を繰り出す。
「またしても!」
ウズメが歯軋りする。するとイスズが、
「剣は私に任せ、二人はツクヨミを!」
「はい」
ウズメとクシナダはイスズの命したがってしまっていいものかと顔を見合わせたが、すぐに気を取り直してツクヨミの方へと走った。
「はーっ!」
イスズは身体全体から癒しの力を放出し、飛び交う剣を全て溶かしてしまった。
「ぬう?」
イザはイスズの力を見てギョッとした。
(ヤマトの小娘め、やはりあの者、異界人と……?)
イスズは誰にも言っていないのだが、寝ている武彦の口から武彦の気を吸ったのだ。武彦すら知らない事である。要するに武彦に「キス」をしてしまったという事だ。身体はイワレヒコであるから、正確には武彦とキスした訳ではないのだが。イスズの武彦に対する思いが、新たなる力を生み出したのである。
(たけひこ様は私が必ずお救いします! 異界の姉様、ご安心を!)
イスズは、武彦の姉の美鈴と会って話をしてみたいと思った。
「イスズ様……」
ウズメとクシナダもイスズの力に驚愕していた。
「お覚悟!」
ツクヨミが一気に踏み込み、イザに斬りつけた。
「く!」
イザはその斬撃を跳ね除け、逆にツクヨミに斬りかかる。
「ぬう!」
二つの剣がかち合い、火花が散る。
「さても恐ろしき男よ、ツクヨミ。あの刹那にそれほどの剣を生み出すとはな。やはり、命を奪うは惜しい。我に服せ。さすれば……」
イザは瞬時に穏やかな顔になり、ツクヨミを誘おうとする。
「お断り致します。私の仕えしお方はアキツ様です。貴女ではありませぬ!」
ツクヨミは後ろに飛んだ。イザはまた凶悪な顔に戻ってツクヨミを睨み、
「そうか。ならば致し方なし」
アキツはツクヨミの言葉に涙を流していた。
「ツクヨミ様」
ウズメがクシナダに囁く。
「アキツ様が、ツクヨミ殿の事を『ツクヨミ様』とおっしゃっていますね」
「ええ。よろしいのではないですか?」
クシナダは嬉しそうだ。ウズメもクスッと笑って、
「オオヤシマに新しき世が訪れる前触れでしょうか?」
二人には打ち合わせていた事がある。クシナダの操る水を、ウズメが召喚した海神の聖なる力で加護し、イザを攻撃するというものだ。
「クシナダ殿!」
「ウズメ殿!」
二人は息を合わせて動く。イザはその動きを気にも留めない。ウズメとクシナダは数に入れていないのだ。
「ぬおお!」
ツクヨミとイザの戦いは続く。イザの剣撃はツクヨミを押し始めていた。ツクヨミは剣に自分の力を注ぎ込んだため、余力がない。戦いが長引けば、彼は確実にイザの剣に斬られてしまう。
「ツクヨミ様!」
アキツは何もできない自分が恨めしかった。祓いも通じないイザは、アキツにとっては脅威である。
「はい!」
その時、ウズメが海神を召喚し、クシナダが放つ水の刃にその力を与えていた。
「行け!」
クシナダは切れ味の増した水の刃をイザに放った。
「おのれ!」
イザはその刃の力を感じ、剣で弾いた。すると剣の刃がこぼれた。
「ツクヨミ殿!」
ウズメとクシナダが声を合わせて叫ぶ。
「はい!」
ツクヨミは怯んだイザの隙を突き、彼女に左袈裟斬りを浴びせた。
「ぐおおおっ!」
イザの斬られた左肩から黒い妖気が噴き出した。それは辺りの岩を黒く染めて行く。
「くっ!」
彼女はバッと飛び退き、ツクヨミと間合いを取った。そしてウズメとクシナダを睨む。
「小者風情が……」
彼女にしてみれば、ウズメやクシナダに傷を負わされたと感じるのはこの上もない屈辱であろう。
「やりましたね、ウズメ殿」
クシナダが嬉しそうにウズメを見る。
「はい」
ウズメも微笑み返した。イスズが二人に近づき、
「見事です、ウズメ、クシナダ」
と褒め称えた。
「おのれ……」
イザの標的が、ツクヨミからウズメとクシナダに変わった。