六十一の章 イザの真実、ツクヨミの迷い
言霊師ツクヨミと、ワの国の次期女王であるはずのアキツ。二人の心が通い合ったのは、束の間の夢となるのだろうか?
ツクヨミは蝋燭の明かりの下で、ワの国の先人達が遺した書を読んでいた。その傍らにはアキツが座っている。
(ヨモツとは如何なるものなのか? 随分書を読み進めてみたが、未だにわからぬ……)
彼は、亡き先代の女王オオヒルメが言っていた異界の者の話が書かれているのを確認したかったのだが、数十冊読んでもどこにもその記述はない。書は暦年で綴られており、年代はすでにオオヒルメの一代前のものだ。
「アキツ様」
ツクヨミはアキツを見た。アキツは微笑んで、
「アキツ様はお止めくだされ、ツクヨミ様。アキツでよろしゅうございます」
「あ、そうでございますか……」
あまりに眩しいほどの笑顔のアキツに、ツクヨミは苦笑いした。
「書を読み進めて参りましたが、異界の方の話がありませぬ。何かご存知ではないですか?」
ツクヨミの問いにアキツは首を傾げて、
「書はここにあるもので全てのはずです。他にあるという話は聞いた事がありませぬ」
「そうですか……」
ツクヨミは溜息を吐いた。
(異界の者の話は偽りなのであろうか? しかし……)
その時彼はある事に思い当たった。一番知りたい事が書かれていないのだ。
(イザの話がない。イザはオオヒルメ様の大伯母だと聞いた。だとすれば、スセリ様が一代前、サクヤ様が二代前で、その前辺りのはず……)
書に記された系図によると、オオヒルメのすぐ上の姉がスセリで、一番上の姉がサクヤとなっている。その系図にも、イザの名はない。該当すると思われる欄には、名が記されていない。
(もしや、この名もなき王が、イザの事なのか?)
彼はもう一度アキツを見た。アキツは居ずまいを正してツクヨミを見る。
「イザの名がありませぬ。イザも女王だったはず……。何故ないのですか?」
しかし、アキツはイザが「我はオオヒルメの大伯母」と言うまで、彼女が自分の先祖だと知らなかったのだ。わかろうはずがない。
「わかりませぬ。只、大叔母様の三代前の王の名が書かれておりませぬ故、それがイザではないかと……」
アキツはツクヨミの推測と同じ事を言った。恐らくそれが真実なのであろう。
(王は全て女性であるのか……。時折ご在位が短いものがあるのは、そのせいであろうか?)
「何故イザの名はないのでしょう? 消されたのであれば、まだわかりますが、初めより書かれた様子がありませぬ。誠に面妖です」
ツクヨミはまた深く溜息を吐く。
(もしや異界の方の話は口伝なのか? ワの王家以外に知られてはならぬ事であったのか?)
オオヒルメは、異界の者を呼ぶ術を「禁呪」と言い、決して使ってはならないとアキツに語っていた。
(何があったのだ、その時?)
ツクヨミは何としてもそれを知りたかった。
『どうしても知りたいか、ツクヨミ』
そこに武彦が神剣アメノムラクモを抜刀したままで現れた。
「御剣様」
ツクヨミは立ち上がって武彦に近づいた。アキツもそれに続いた。
「はい。ご存知なら、お教えください」
ツクヨミは跪いて頭を下げる。アキツも跪き、
「御剣様、何卒お教えください」
『承知した。武彦、我を鞘に納め、ツクヨミに渡せ』
アメノムラクモが命じた。武彦は慌てて、
「あ、はい」
とアメノムラクモを鞘に納め、ツクヨミに差し出した。
「どうぞ」
「はい」
ツクヨミは立ち上がって恭しく受け取った。その途端、ツクヨミにアメノムラクモの情報が流れ込んで来た。
「おおお!」
彼は驚愕していた。そして涙を流した。それを見て、アキツと武彦は思わず顔を見合わせた。
『どうだ、わかったか?』
アメノムラクモが語りかける。ツクヨミは涙を拭い、
「はい、御剣様。そのような事があったとは……。何としても、諍いを収めねばなりませぬ」
『そうであるな』
ツクヨミはアメノムラクモを武彦に返した。
「御剣さん、ツクヨミさんに何を教えたんですか?」
武彦が小声で尋ねる。しかし、アメノムラクモは、
『子供は知らぬ方が良い事よ』
「ええ!?」
武彦は思わず赤面した。するとアメノムラクモは、
『戯け! そのような邪な事を考えるでない!』
「え、あ、はい!」
武彦は自分の思考の全てをアメノムラクモに覗かれている事を思い出し、更に赤面した。
「ツクヨミ様」
アキツがまだボンヤリしているツクヨミに声をかける。ツクヨミはハッとしてアキツを見て、
「はい」
「御剣様は何をお教えくださったのですか?」
アキツは探るような目でツクヨミを見上げている。ツクヨミは決まりが悪そうに彼女を見て、
「今はお答えできませぬ。全て終わりし後、申し上げまする」
「そ、そうですか……」
アキツの悲しそうな顔を見て、ツクヨミは心が痛んだが、
(御剣様よりお教えいただいた事、まだお二人に話す事はできぬ。あまりにも悲しき事である故……)
と思い、何とか堪えた。
一方、ウズメとクシナダとイスズは、様子を見に行った武彦も戻って来ないので、気を揉んでいた。
「如何されたのでしょうか?」
とりわけイスズは不安だ。武彦がアキツに心を寄せているのに気づいているからである。しかも、武彦の世界にいる武彦と親しい女性は、アキツと瓜二つだとも聞いているから尚更であった。
「もしや、イザがあちらに現れたのでは……」
クシナダが立ち上がる。ウズメもギクッとした。イスズも不安そうにクシナダを見上げた。
「参りましょう、ウズメ殿」
クシナダはすでに戦闘態勢に入っていた。ウズメは八百万の神を召喚し、付近を探らせ、
「クシナダ殿、イザはおりませぬ。心配なさいますな」
「そうでございますか」
クシナダは自分の早合点に赤面し、腰を下ろした。
(たけひこ様……)
しかし、イスズの心配はまだ尽きない。
そして、闇の国ヨモツ。イザは、アメノムラクモがツクヨミに語った事を全て把握していた。
「アメノムラクモめ、愚かな事を……。ツクヨミに迷いが見える。この戦、我の勝ちよ」
イザは漆黒の目をカッと見開き、高笑いした。その声はヨモツ中に鳴り響いた。