六十の章 ツクヨミの真意、アキツの本意
西に日が傾き始めていた。武彦達一行は、ゆっくりとアマノイワトに近づいていた。アキツを先頭にそのすぐ後ろをツクヨミが行く。そして更にその後ろを武彦とウズメとクシナダが続き、最後尾をイスズが受け持つ。
「アキツ様」
ツクヨミが馬を寄せてアキツに囁く。
「如何しましたか、ツクヨミ殿?」
愛する男に近づかれて、アキツの顔は紅潮する。しかしツクヨミはそれには気づかないふりをして、
「私は、オオヒルメ様の書物を拝見したいのですが」
「大叔母様の?」
アキツはツクヨミの意外な申し出に目を見開く。ツクヨミは、
「はい。古に異界より来たりし方がヨモツを退け、ワの国の王がご自身のお命を懸けてヒラサカを封じたというお話を確かめとう存じます」
「そうですか」
アキツは少しがっかりした様子だ。ツクヨミも彼女の気持ちが読めてしまうので心苦しかった。しかし、オオヒルメの遺した書物に驚くべき事が書かれているのをさすがのツクヨミも知らなかったのである。
「たけひこ様」
隣に馬を並べているウズメが呼びかけた。ジッとアキツとツクヨミの様子に見入っていた武彦は慌てたようにウズメを見る。
「は、はい」
その様子がおかしかったのか、ウズメはクスッと笑い、
「アキツ様とツクヨミ殿の事が気がかりでございますか?」
「あ、いえ、その……」
武彦は心の中を見透かされたようでドキマギしていた。
「しかし、許されぬ事なのです。お二人共、それはご存知のはず」
反対側に並んでいるクシナダが悲しそうに言った。
「許されない?」
武彦はキョトンとした。すると神剣アメノムラクモが、
『如何にも。アキツは王家の者、ツクヨミは言霊師。古き世より、言霊師は他の一族との交わりを禁じられている。そして、王家も他族との交わりは許されぬのだ』
「そんな……。お互いに好きだったら、そんな事関係ないでしょ?」
武彦にはオオヤシマの恋愛のルールが理解できない。いや、理解したくなかった。もし自分が、幼馴染の都坂亜希との仲をそんな事で裂かれたら、絶対に納得がいかないからだ。
「それがこのオオヤシマの掟なのです、たけひこ様」
後ろからイスズが言った。武彦はイスズを見て、
「でもそれって、昔の人が決めた事でしょ? だったら、今の人がそれを変えればいいじゃないですか? 歴史ってそうやって動くんだって、世界史の先生が言ってましたよ」
と返した。どうしてそんなに熱くなっているのか、自分でもわからない武彦である。
「たけひこ様……」
イスズは悲しそうだ。武彦はハッとした。
(いけない……。今の言い方って、イスズさんに失礼だったかな?)
『このオオヤシマでは、男と女の思いよりも、血筋が大事なのだ、武彦。だからこそ、ホアカリとウガヤは相争う事となった。だからこそ、ナガスネは自分で王になろうとはせず、最後までホアカリを立てたのだ』
アメノムラクモが語る。武彦は、
「それはわかります……。わかりますけど……」
何か反論したかったが、言葉が思いつかない。
「たけひこ様のお考え、私は正しいと思います。ですが、今はまだこのオオヤシマにはそのお考えは早いのです。私はそう思います」
イスズは愁いを帯びた眼差しで武彦を見た。武彦は姉美鈴に瓜二つのイスズの視線に堪えられなくなり、俯いてしまった。
「そう……ですか」
アキツさんとツクヨミさんが可哀想だ。武彦はそう思い、目を潤ませた。
闇の国ヨモツ。まだ多くの死人の軍団が控えていたが、何故か女王イザはそれを動かそうとしなかった。
「イザ様、今ならば、一気にオオヤシマを攻め落とせますぞ。何とぞ、ご命令を」
ヨモツの先兵である顔の半分が腐り落ちたシコメがイザに進言した。しかしイザは、
「その必要はなし。我に考えがある。うぬらは控えていよ」
「はい」
シコメは仕方なく下がった。
(何故にオオマガツとヤソマガツを退かせなかったか、わかるか、アキツ?)
イザは玉座に身を沈めてニヤリとした。
武彦達はアマノイワトの前まで来ていた。
「穢れはないようですね」
八百万の神を使い、付近を偵察したウズメが言った。
「イザは何故イワトを落とさなかったのでしょう?」
クシナダがアキツに尋ねた。アキツは首を傾げて、
「わかりませぬ。我らの事にも気づいているはずであるのに、何も仕掛けて来ないのも解せませぬ」
「何やら企んでおるのでしょうか?」
ツクヨミがイワトの中を覗き込んで言った。
「イワトに入りましょう。不意打ちを仕掛けて来る様子はありませぬ」
アキツが馬を降りる。ツクヨミも慌てて馬を降りた。彼女は足早に中に入って行く。
「ツクヨミ殿、先程のお話ですが」
アキツがツクヨミに囁く。
「はい」
今度はツクヨミがドキッとした。
「大叔母様の書物はイワトの別棟にあります。こちらです」
アキツはツクヨミを先導した。
「他の方々は、広間でお待ちを」
彼女は後続の武彦達にそう言いおくと、ツクヨミと奥に消えた。
「何でしょうね、御剣さん?」
武彦はアキツとツクヨミが二人で奥に行ったのが気になっていた。
『男の嫉妬は見苦しいぞ、武彦』
アメノムラクモが窘める。
「あ、いや、嫉妬だなんて、そんな……」
武彦は真っ赤になって否定する。アメノムラクモは笑ったようだ。
アキツとツクヨミは以前オオヒルメの遺体を清めた弔いの間の前に来ていた。
「こちらです」
荘厳な気を放ち続ける弔いの間を通り過ぎると、そこはまた広々とした場所になった。壁一面に書棚のようなものがあり、たくさんの書物が並べられている。
「ここはワの開闢以来の書物が全てあります。どうぞお調べくださいませ」
アキツはそれだけ言うと、逃げるように部屋を出て行こうとした。
「お待ちください、アキツ様」
ツクヨミが呼び止めた。アキツはビクッとして立ち止まった。胸の鼓動が高鳴る。期待しているわけではないが、ツクヨミの次の言葉が待ち遠しくなってしまう。
「アキツ様のお気持ち、このツクヨミ、身に余る程です。ですが、私は言霊師です。言霊師は他族との交わりを禁じられています」
アキツは思わず振り返った。それは言い訳でしょうと言いたかったのだ。しかし、ツクヨミの顔を見たら、言えなくなってしまった。
「何故なのか、ご存知ですか?」
ツクヨミの顔は悲しみに満ちていた。アキツはツクヨミの問いかけに黙ったまま首を横に振った。
「言霊師は他族との間に子をもうけると、その子は魔となるのです。この世を滅ぼす者となるのです」
「……」
アキツは絶句してしまった。ツクヨミは弱々しく微笑み、
「ですから、私はアキツ様のお気持ちには答えられませぬ。申し訳ございませぬ」
と土下座した。アキツはハッとしてツクヨミに駆け寄り、
「詫びねばならぬのは私の方です、ツクヨミ様。お手をお上げくださいませ」
アキツの呼び方が変わったのにツクヨミは気づいた。
「アキツ様……」
ツクヨミは泣いていた。それを見てアキツも泣いてしまった。
「私は貴方のお子を産みたいのではありませぬ。貴方と添い遂げたいだけです。貴方のおそばにいたいだけです。それも叶いませぬか?」
アキツの言葉はヨモツとの戦いで死を覚悟したツクヨミにとって衝撃的だった。
(私はこの方のために生きたい)
そう思ってしまうほど、今のツクヨミにとってアキツの存在は大きくなっていた。
「アキツ様」
「ツクヨミ様」
二人はしっかりと抱き合った。そして相手の本当の気持ちを知り、更に涙した。