五十五の章 珠世の願い、ツクヨミの不安
異世界である「オオヤシマ」に呼び込まれ、図らずもそこの人々と共に戦う事になった高校生、磐神武彦。
彼は母と姉に自分の置かれている立場をようやく理解してもらえて、少しだけ気持ちが楽になった。
(アキツさんを助けに行かないと……)
武彦は自分の部屋に戻った。そして、またデジカメを抱え、ベッドに横になる。
「アキツさん……」
武彦は別人とはわかっていながらも、アキツと幼馴染の都坂亜希とを完全に重ねていた。しかし、それには実は深い理由があったのである。
キッチンでは、母珠世と姉美鈴が深刻な顔で向き合っていた。
「そんなに危険なの、そこ?」
美鈴は母から「異世界」の話を聞いて目を見開いた。
「私もどんなところなのかよくわからないんだけど、戦争をしているらしいのよ。どう考えても、安全な世界ではないわ。それに相手はゾンビだって」
珠世はゾッとした顔で言った。美鈴は逆に首を傾げて、
「ゾンビ? ゲームの話みたいだなあ。やっぱりあいつ、ウソついてるか、おかしいか……」
「でも、信じてあげたいのよ、母さんは。武彦があれほど熱い目をして私に話をしてくれた事、なかったから」
珠世は武彦支持派だ。しかし美鈴は、
「もちろん、私だって信じたいよ。それにあのバカがあそこまで話を作れるなんて考えられないしさ。でも、それにしたって話があまりにも突飛過ぎて……」
「そうなんだけどね」
珠世はそう言って立ち上がると、食器棚の引き出しから一冊の大学ノートを取り出した。
「でも、母さんさ、武彦の話を聞いて思い出した事があって、父さんの残したノートを見直してみたの。そしたら、あったのよ」
「何が?」
問いかける美鈴に珠世は付箋紙を貼ったノートのページを開いて、
「ほら、ここ」
と指差した。美鈴はそこに書かれた言葉を見て、ギョッとした。
「オオヤシマ……」
父の字で確かにそう書かれていた。珠世は美鈴を見て、
「私も父さんの影響で、日本の歴史に興味を持ったので、いろいろと勉強したから、『オオヤシマ』が日本の古代神話に出て来る地名なのは知っているわ。でもね、父さんの記している話は、日本の神話ではないのよ。父さんは、その当時見て来た事を書いているの。文章の中にも、『別の世界かも知れない』って書いているし」
「……」
美鈴は唖然としてノートを見た。現実主義者の彼女には受け入れ難いのだ。珠世は苦笑いして、
「空想好きな人だとは思っていたけど、まさか本当に異世界に行った事があるなんて、思いもしなかったわ。だから、余計に運命を感じたの」
「運命?」
美鈴はノートから目を上げて母を見た。珠世は目に涙を浮かべて、
「父さんが、そして、私と父さんを引き合わせてくれた私のお祖父ちゃんが、武彦を異世界に行かせたんだって。そう思ったの」
「母さん……」
美鈴も大好きだった父親の話には弱い。つい、もらい泣きしてしまう。
「確かに危険かも知れない。でも、きっとお祖父ちゃんと父さんが助けてくれる、守ってくれる。そう信じているの」
珠世は一筋涙を流した。美鈴も涙を拭って、
「うん、わかった。私も信じるよ」
「ありがとう、美鈴」
珠世は微笑んで美鈴を見た。
武彦はオオヤシマに行った。目を開けると、夜になっていた。
(あれ? ここ、イワレヒコさんの部屋か?)
武彦はイワレヒコの部屋の寝所に横になっていた。部屋の隅に置かれた蝋燭の明かりが、周囲をボンヤリと照らしている。その時彼は人の気配と温もりを感じて、
「え?」
と右隣を見た。そこには、イワレヒコの腕を取り、スヤスヤと眠るヤマトの王女イスズがいた。
「わ!」
武彦は驚いて大声を出して飛び起きた。
「たけひこ様?」
イスズが眠そうな目を擦りながら起き上がり、
「如何なさいましたか?」
「え、あの、その、どうしてイスズさんがここに?」
武彦はすっかり慌てふためいていた。姉美鈴に瓜二つのイスズが自分に寄り添って寝ていたのだ。混乱するのは仕方なかった。
「私達は許婚にございます。寝食を共にするは、当たり前にございますよ」
イスズはそう言いながらも、どことなく恥ずかしそうだ。
「そ、そうかも知れませんけど、僕はイワレヒコさんではないから……」
そこまで言いかけて、イスズが泣き出しそうな顔をしているのに気づき、武彦は更に慌てた。
(うわあ、姉ちゃんに泣かれそうな感じで、何だか複雑だなあ)
武彦は苦笑いをして頭を下げた。
「ご、ごめんなさい、すみません。この身体はイワレヒコさんですもんね」
するとイスズも頭を下げ、
「私の方こそ、たけひこ様のお気持ちも考えず、失礼致しました」
「あ、いえ、僕は別に……」
武彦は苦笑いをするしかない。するとイスズは、
「この戦が終わりましたら、晴れて私達は夫婦になります」
「あ、そうですか」
武彦は只返事をするだけにした。話をややこしくしたくないのだ。しかし、
「私は早う貴方様の御子を生みとう存じます」
とイスズが言ったので、武彦は真っ赤になってしまった。
(また姉ちゃんと顔を合わせるの、怖いよ……)
そんな武彦の動揺を感じていないのか、
「まだ夜更けです。もう一度眠りましょう、たけひこ様」
イスズはまた横になり、武彦が横になるのを待っているかのように見つめる。
「は、はい」
武彦はドキドキしながらイスズの横に寝た。イスズが抱きついて来るかと思ったが、それはなかった。
(わかってくれたのかな、僕とイワレヒコさんは違うって)
目を閉じて眠ろうとしているイスズを見て、武彦は思った。
その頃、城の周囲の警戒に当たっていたタジカラは交代のために城門をくぐり、スサノと顔を合わせていた。
「何も異変はなし、だ。イザならば、夜襲を仕掛けて来ると思うたのだが」
タジカラが眠そうな目で言うと、スサノはニヤリとして、
「とにかく休め、タジカラ。寝ている間に、私がイザを退治ておく」
「抜かせ」
二人は笑い合って交代した。そこへタジカラの奥方であるウズメがやって来た。
「お疲れ様にございます、お館様」
「如何した、ウズメ?」
タジカラはウズメが何かを感じたのかと思い、尋ねた。
「静か過ぎます。何やら起こりそうな気が致します」
「そうだな。私もこの静けさは気に入らぬ」
タジカラは周囲を見渡して言った。
ツクヨミは自分の部屋で調べ物をしていた。かつて闇の国ヨモツが蠢き、その時異界の者の力を借りてヨモツを封じたという話を詳しく知りたかったのである。しかし、ヤマトの城にある全ての書物を読んでみたが、その事が書かれているものはなかった。
(あれは言い伝えに過ぎぬのか?)
しかし、ワの女王であったオオヒルメが話してくれたのだ。彼女が単なる伝説を本当の事のように言うはずがない。
「やはり、オオヒルメ様がお持ちだった書物を調べるしかないか」
イザの力が及んでいる今となっては、アマノイワトに近づくのは非常に危険であったが。
「ツクヨミ殿、よろしいですか?」
アキツの声で、ツクヨミはハッと我に返った。
「はい、アキツ様」
ツクヨミは顔を火照らせて答えた。すると、やはり顔を赤らめたアキツが入って来た。
「このような時刻にお訪ねして申し訳ありませぬ」
アキツはツクヨミに頭を下げた。ツクヨミは微笑んで、
「いえ。如何なさいましたか?」
アキツは顔を上げて、
「イワトでの私の無礼、どうぞお許しください」
と今度は土下座した。ツクヨミはそれを見て仰天し、
「お止めください、アキツ様。御剣様のお話では、イザがアキツ様を操っていたと」
「それはそうですが、そうなったのは、私にそのような邪な心があればこそです。本当にお恥ずかしい限りです」
顔を上げたアキツは涙を流していた。ツクヨミはその涙を拭い、
「それは邪な心ではありませぬ、アキツ様」
その言葉にアキツは喜びの表情を見せたが、
「しかし、私は貴女様のお心にお答えする事はできませぬ」
と言われ、また顔を曇らせた。ツクヨミは心が痛んだが、
「それより、外が静か過ぎる気がします。アキツ様はどう思われますか?」
アキツはツクヨミとの事は、今考えている場合ではないと気持ちを切り替えた。
「イザが仕掛ける前触れ。私はそう思います」
アキツはいつもの顔に戻った。ツクヨミは彼女の心が修復して行くのを感じ、ホッとした。