五十二の章 オモイの無念、イザの進撃
ヤマトの国の王女であるイスズは、かつてヤマトの軍師であったオモイの形相に驚愕していた。あの穏やかな表情は面影すらない。
「オモイ、如何しました?」
イスズは悲しそうな顔で尋ねる。しかしオモイはニヤリとして、
「私は変わりありませぬよ、イスズ様。昔のままでございます」
イスズはその声に寒気を覚える。
「……」
そして、オモイは初めから自分達を騙していたのかと気づき、イスズは唖然とした。
「く、イスズ、逃げよ……」
イスズの癒しの力で、死の淵から戻ったイツセが呟いた。
「兄様!」
イスズはイツセを見た。イツセは微かに笑い、
「私はもう逝かねばならぬ。其方は逃げよ……」
「兄様、そのような事を仰せにならないでください」
イスズは泣いていた。たくさんの兄達が戦場で散り、兄はイツセのみ。そしてイツセを喪えば、弟であるイワレヒコしかいなくなってしまう。
「戯言はおすみですか、姫?」
オモイがゆっくりと近づく。イスズは兄とオモイを交互に見た。
その頃、ヤマトの舞踏師ウズメは、土塊の魔物と戦っていた。
「ええい!」
海神の聖なる水の攻撃で魔物の身体を砕く。しかし、一度崩れた小石はすぐに集まり、再生してしまう。それの繰り返しだ。
「埒が明かぬ!」
ウズメはその美しい顔を険しくして、魔物を見上げる。
(こうしておる間に、イツセ様達が……!)
彼女はいつになく焦っていた。
(やはり、オモイを倒すしかないのか……)
ウズメは魔物の足をクシナダの水の槍を参考にして作った聖なる水の槍で攻撃して吹き飛ばした。魔物は片足を失って均衡を失い、ズズンとその場に倒れた。ウズメはその隙を突き、城へと走った。
「ぐおおお!」
だが、魔物はすぐに小石を集めて再生し、ウズメを追いかけて来る。それを遠巻きに見ていたイツセの兵達は固まってしまったかのように動かなかった。
武彦は、自分の姉美鈴に瓜二つのイスズが危機に瀕しているのを感じていた。もはや他人とは思えないくらいイスズに親近感を抱いている武彦は慌てていた。
「イスズさんが危ない……。御剣さん、どうすれば……?」
彼は神剣アメノムラクモに尋ねた。
『イスズに伝えよ。其方の力で、オモイを倒せるとな』
アメノムラクモは謎めいた事を言った。
「え? どういう事ですか?」
武彦は意味がわからず、ポカンとした。アメノムラクモは、
『オモイは死人ではないが、ヨモツの者だ。イスズの癒しの力はヨモツの者に効く』
「え?」
こんな時に、武彦は自分の頭の悪さを痛感して情けなくなってしまう。そんな武彦にアメノムラクモはいらついたようだ。
『早うイスズに伝えぬか!』
「は、はい!」
ウダウダ悩んでいる武彦をアメノムラクモが一喝した。
そしてイスズは武彦の声を聞いた。
『御剣さんが教えてくれました。イスズさん、貴女の力でオモイを倒せるそうです。やってみてください』
イスズには武彦の言っている意味がすぐにわかった。彼女は武彦より更に親近感を抱いているのだ。だから彼の伝えたい事が瞬時にわかったのだ。
(オモイはヨモツの者。ならば……)
彼女はイツセへの治療を続けながら、オモイをもう一度睨んだ。
「どうされました、姫?」
オモイは相変わらず不敵な笑みを浮かべ、イスズを見ている。
「其方はヨモツの者。ならば、私にも戦う術がある!」
イスズは自分の力を解放した。オモイはギョッとして立ち止まる。
(何? イスズめ、何をするつもりか?)
イスズの身体が更に強く輝き始める。しかしそれは決して攻撃的な輝きではない。癒しの輝きだ。
「はあ!」
彼女は気合と共に癒しの力をオモイに放った。
「ぬ!」
オモイは完全に虚を突かれ、それをまともに食らってしまった。
「ぐううう!」
ツクヨミの言霊さえも効かなかったオモイがその場に膝を着いてしまった。
「こ、これは……」
オモイは自分の身体が溶けている事に気づいた。彼には訳がわからない。
「私の力は、癒し。それは生くる者には助け。しかし、ヨモツの者には痛み」
イスズはイツセの治癒を続けながら言った。
「……」
オモイは唖然とした。
(これは……? 私はイザ様に忠誠を誓ったが、死人にはなっておらぬ。ヨモツの水も飲んでおらぬ。如何なる事なのだ?)
『わからぬのか、オモイ』
アメノムラクモの声が聞こえる。
「ぬ?」
オモイは武彦が来たのかと思い、辺りを見回した。しかし彼の姿はない。
『ヨモツに忠義を示さば、それは死人になったと同じ。うぬはその生まれついての力をイザに利用されたのみ』
「……!」
オモイは、イザの嘲笑を聞いた気がした。彼は歯軋りした。
(この私も、ウカシと同じく捨て駒に過ぎぬのか!?)
「ふおおお!」
オモイはイスズの癒しの力で身体を溶かされ、ドロドロと崩れ落ち、遂に消えてしまった。
「イザめーッ!」
それが彼の断末魔だった。
「……」
オモイが溶けてなくなってしまったのを見て、イスズはその場にしゃがみ込んだ。
「兄様!」
彼女は次第に生命力を取り戻して来ているイツセに、更に癒しの力を注ぎ込む。
「イスズ、代わりましょう」
そこへ二人の母タマヨリが微笑んで現れた。イスズは母を見上げて、
「はい、母上」
と微笑んだ。
ウズメは、追いかけて来た土塊の魔物がいきなり倒壊したので、ビックリしていた。
(これは一体?)
彼女はすぐに我に返り、城の中へと駆け込んだ。
アキツが武彦のところまで戻って来た。
「たけひこ様」
アキツの微笑みに、武彦は照れる。また彼女が幼馴染の都坂亜希と重なる。
『武彦』
すかさずアメノムラクモが釘を刺す。
「わかってますよ、御剣さん」
武彦は苦笑いした。
「如何なさいましたか、たけひこ様?」
アキツが不思議そうに彼を見たので、武彦は真顔になって、
「いえ、何でもありません。急ぎましょう、アキツさん」
「はい」
二人はツクヨミの元へと走った。
ヨモツの女王イザは、アキツと武彦がツクヨミのところに向かっているのを知り、
「オオマガツ、ヤソマガツ、戻れ。アキツとイワレヒコがそちらに向かっておる。ツクヨミの始末は後だ」
「はい」
ツクヨミは二体の魔物に追い詰められて瀕死の状態だった。身体中に火脹れができ、顔や手の傷から血が流れ出している。
「また相手をしてやるよ」
オオマガツはそう言い捨てると、もと来た穴に飛び込む。
「あんた、結構いい男だねえ」
ヤソマガツがニヤリとして言って、穴に飛び込んだ。
(助かったのか……)
息をするのも苦しいツクヨミは、ドサッと地面に崩れ落ちた。
「アキツ様……」
彼はそのまま気を失ってしまった。
イザはヨモツの最深部である玉座の間で狂喜していた。
「オモイよ、最後に大儀であったぞ。うぬの我に対する恨み、確かに受け取った。うぬは役に立ったぞ」
彼女は玉座を立ち上がり、
「さて、時は満ちた。オオヤシマを我が手に」
イザはそう言うと、大声で笑い続けた。