四十八の章 イスズの願い、イザの怒り
オオヤシマの地下深く存在する闇の国ヨモツ。その最深部の玉座の間に女王イザはいる。
「オモイめ。我を頼ろうとするは、浅はかよ。うぬは我の手駒に過ぎぬのだ」
イザの漆黒の目が細くなる。
「オオマガツ、ヤソマガツ」
イザは闇の向こうを睨んで言う。
「ははっ!」
イザの分身である黒い炎の化身であるオオマガツと雷を身に纏ったこれもまたイザの分身であるヤソマガツが、イザの前に現れた。
「うぬらなら、オオヤシマに留まれよう。すでにそこまでは穢れておる。あと一息、穢れを増やして参れ」
「はい」
二体の魔物は跪いて答え、そのままオオヤシマへと向かった。
「アキツ、異界の者を呼び寄せたは、さすがよ。じゃが、このイザは先轍は踏まぬぞ」
彼女は、大昔ヨモツがオオヤシマに攻め入った時、異界の者がそれを阻止した事を知っていた。
「そして、例え神剣アメノムラクモであっても、この我を斬る事は叶わぬ」
イザは高笑いをした。
「只、まだ時が足らぬ」
イザの言う「時が足らぬ」とはどういう意味なのか?
アキツと武彦はヨモツとの境であるヒラサカに来ていた。目には見えないが、ヒラサカにはアキツとクシナダがかけた封印が施されている。ヨモツの者はそれを通り抜ける事はできないのだ。
「やはり、封じたはずがすでに軋んでおります」
アキツが結界を調べて言った。破れる心配はないが、このままにはしておけないとアキツは思った。
『アキツ、魔物がここに向かっておるぞ』
アメノムラクモが告げる。武彦はビクッとした。
(魔物? もしかして、あの黒い火と雷の?)
武彦はあと一歩のところでその二体の魔物に逃げられた事を思い出した。そしてその時、アメノムラクモが、
『いや、逃げてくれたのだ。あのまま留まられれば、味方が幾人か死んでいた』
と言った事も思い出していた。
「大丈夫なんですか、御剣さん? 今はアキツさんと僕しかいませんよ」
武彦が不安を口にするとアメノムラクモは、
『何を言うておるか。アキツがおるのだぞ。タジカラ達にはすまぬが、アキツはこのオオヤシマで一番の強さよ』
「御剣様、そのような事を仰らないでください」
何故かアキツは顔を赤らめた。また彼女が、幼馴染の都坂亜希と重なる。女性にとって「この国で一番強い」は褒め言葉ではないかも知れない、と武彦は思った。
「来ました、たけひこ様」
アキツがヒラサカを睨んだ。その直後、バチンと大きな音がして、辺りが揺れた。パラパラと天井から岩の破片が落ちて来る。
「突き破ろうとしているんですか?」
武彦が尋ねる。アキツは頷き、
「そのようです。ですが、私とクシナダで封じ直したのです。そのくらいで破れるものではありませぬ」
「そうですか」
武彦はホッとして微笑んだ。しかしその後も魔物達の体当たり戦法は続き、アマノイワト全体が崩れるのではないかと思えるくらい揺れた。岩の破片の落ちて来る量が次第に多くなって来ていた。
「たけひこ様、このままでは動けませぬ故、一度封を解きます。ヒラサカよりお離れください」
アキツが厳しい表情で言った。またその横顔に思わず亜希を重ねてしまう。
「は、はい」
武彦はどういう事なのか理解できなかったが、ヒラサカから離れた。
「は!」
アキツが気合と共にヒラサカの封印を解いた。武彦は張り詰めていた何かがスウッと消えた感覚に囚われた。
「ぬおおお!」
オオマガツとヤソマガツは突然障害物がなくなったせいで、勢い余って飛び出して来た。
「祓いたまえ、清めたまえ!」
その機を逃さず、アキツが柏手を連続して打った。途端に辺りに清らかな気が満ち、二体の魔物が悶絶した。
「グオオオオッ!」
彼女達は聖なる気の中では自分達の姿を留められない。身体の端が崩れ始めた。
「祓いたまえ、清めたまえ!」
アキツが柏手を打ちながら魔物に近づく。
「うおおお……」
自分達があれほど苦戦した二体の魔物がアキツの柏手にもがき苦しんでいるさまを見て、武彦は、
(確かにアキツさんは強いなあ。でも、タジカラさん達とは違う強さだ)
と思った。
「おのれええ!」
オオマガツはヤソマガツを抱えるようにして、ヒラサカの向こうへと逃げて行った。
「追います、たけひこ様」
アキツが武彦を見る。
「ええ?」
ここで終わりかと思ったので、ホッとしていた武彦だったが、
「わかりました!」
とアキツに続いてヒラサカを越えた。
「うわ」
そこは何とも形容しがたい禍々しいところだった。周囲の壁が死人でできているような造形だ。まさに「死の国」である。しかし、
「祓いたまえ、清めたまえ!」
とアキツが柏手を打つと、たちどころに辺りは清らかな気で満ちて行った。同時に闇も追いやられたかのように明るくなる。壁に浮かび上がっていた死人のような模様も消えてしまった。
「凄いですね、アキツさん。さすがです。尊敬しちゃいます」
武彦があまりに絶賛するので、アキツは照れたように微笑み、
「そのような事、ございませぬ。たけひこ様がいらっしゃるので、私も心置きなく力が使えるのです」
「そうなんですか」
武彦はキョトンとしてしまった。同時に急にアキツの事が可愛く見えてしまう。
「参りましょう」
アキツが歩を進める。
「はい」
武彦もそれを追った。
このアキツの「進撃」はイザにも意外だったようだ。
「アキツめ、よもやこちらに攻め入って来ようとは……」
彼女は歯軋りして玉座から立ち上がり、
「何としても押し返すのだ。ヨモツにあの女の気を満たされては、国が保たぬ」
冷徹な女王が感情を露にしたのを見て、オオマガツとヤソマガツは恐れ戦いた。
ツクヨミは自分の持てる力の全てを注ぎ込み、ヤマトの国王ウガヤを弔った。ウガヤの身体から邪気が消え、その顔は穏やかになった。
「忝い、ツクヨミ。陛下もこれで天に行かれた事でしょう」
妃のタマヨリが涙を流して礼を言う。ツクヨミは跪いて、
「ありがとうございます」
と言ってから顔を上げ、
「これより、アマノイワトに向かいます。アキツ様とたけひこ様がヒラサカを越えてヨモツにお向かいになりました」
「ええ? ヨモツに?」
タマヨリとイスズ姫は驚いて顔を見合わせた。
「たけひこ様が?」
イスズは心配そうな目でツクヨミを見ている。ツクヨミは微笑んで、
「お二人は私がお守り致します。この命に代えても」
するとイスズは、
「ならぬ。ツクヨミも必ず生きて帰りなさい。死ぬる事は許しませぬ」
と強い調子で言った。ツクヨミはその言葉に感動して目を潤ませ、
「はい」
と頭を下げた。
ホアカリ達一行はヤマトの城が見えるところまで来ていた。その時だった。
「何奴だ、あれは?」
スサノが彼らの遥か左から駆けて来る騎馬隊を見つけて呟いた。
「あれは……」
ホアカリがその軍旗に気づいた。それは彼の嫡男であるウマシのものだったのだ。
「ウマシが駆けつけてくれたか」
ホアカリは嬉しそうに言ったが、ウズメが、
「いえ、そうではありませぬ。ウマシ様から妖気が感じられまする」
「何?」
スサノもタジカラもその言葉にギョッとした。
「ご覧ください、ウマシ様に付き従っておる兵共を。死人です」
ウズメは厳しい表情になって言った。
「……」
ホアカリは言葉を失ってしまった。タジカラとスサノも顔を見合わせた。
「オモイの気が感じられます。彼奴がウマシ様を取り込んだようです」
ウズメは悔しそうに言った。スサノが、
「おのれ、オモイめ! ナガスネ様ばかりでなく、ウマシ様まで!」
彼はウマシを嫌ってはいたが、殺してしまおうとは思っていない。彼は複雑な心境だった。