四十六の章 イスズの怒り、イツセの決意
ヤマトの国の王であるウガヤは、すでに身も心も異国人の軍師オモイに操られていた。
「陛下、斯様な行い、天が許しませぬぞ」
年配の兵が命懸けで諫言した。しかしウガヤは、
「五月蝿い!」
と一喝すると馬から降り、老兵を一太刀の下に斬り殺してしまった。
「陛下……」
老兵は目に涙を浮かべながら、そのまま地面に倒れ伏した。他の兵達はそれを固唾を呑んで見守っているしかない。
「うぬらは、このウガヤの兵なのだ。逆らう事は許さぬ。ヤマトの国が永遠に栄えるために、この儀式は何としても為さねばならぬのだ!」
ウガヤの目は血走り、とても正気とは思えない様子だった。しかし、兵達は何も言わない。
ヤマトの軍は城の周辺の民の家に火矢を射かけ、焼き払っているのだ。多くの民が家から逃げ出したが、中には逃げ遅れる者もいた。
「助ける事は許さぬ。民はヨモツへの贄。より多くの命を捧げねば、ヨモツは我らの味方にならぬ」
ウガヤのその言葉にオモイはニヤリとした。
(もはやオオヤシマは落としたも同然よ)
「何て事を!」
武彦はヤマトの城を飛び出し、真っ赤に染まる城下を見た。
「人間のする事じゃないよ!」
彼は城の外へと走る。ツクヨミがそれを追った。
「たけひこ様、敵は近くにおります。お気をつけください」
「今はそんな事より、みんなの命ですよ、ツクヨミさん!」
武彦は走りながら叫んだ。
「こんな時、クシナダさんか、ウズメさんがいてくれたら……」
彼は歯ぎしりした。
『我がおるぞ、武彦』
神剣アメノムラクモが言った。
「えっ?」
意外な言葉に、武彦はアメノムラクモを見た。
『我を天に向けよ、武彦。雨を呼び、火を消す』
「そんな事ができるんですか?」
武彦は仰天した。アメノムラクモは、
『我を何だと思うておるのだ』
とちょっぴり誇らしそうだ。
「その間を私が繋ぎ申す」
ツクヨミは城の周囲にある堀の水を言霊で吹き上げ、燃え盛る民の家に降り注がせた。
「こんな感じですか?」
武彦はアメノムラクモを空に向けた。
『それでよい。では、参るぞ』
アメノムラクモが輝き始める。その光は強く、それでいて温かく、次第に周辺に広がって行く。
「わわっ!」
武彦はその輝きに驚いた。ツクヨミもそれに気づいたが、
「私は私で……」
と言霊で堀の水を飛ばし続けた。
「む?」
オモイはアメノムラクモが放つ強い光に気づいた。
(何だ、あれは? 焔ではない。面妖な……)
「如何した、オモイ?」
馬に戻ったウガヤが尋ねる。オモイはウガヤを見て、
「先程、ヤマトの城の近くに面妖な光が見えました」
「光? 何か?」
ウガヤは近くにいた兵を見る。兵はウガヤの形相に震えながら、
「斥候からはまだ何も……」
「役に立たぬ奴らよ」
ウガヤは吐き捨てるように言い、
「ならば進軍じゃ。城に怪しき者がおるのやも知れぬ」
「あるいは、ツクヨミかも知れませぬ」
オモイが言った。その時、天が急速に曇り始めた。
「何と!」
あまりに早い天候の変化にオモイは狼狽えた。
(もしや、これは、神剣アメノムラクモの力か?)
アメノムラクモの名の由来。それは、「雨雲を呼び寄せる剣」だと言う。
(雨を降らせ、火を消すつもりか。そうはさせぬ)
「陛下、更に火矢を射かけましょう。ツクヨミ達が火を消そうとしておるようです」
オモイの言葉にウガヤの目つきが更に険しくなる。
「おのれ、ツクヨミめ。このウガヤの邪魔を致すのか。許さぬぞ」
ウガヤは兵達を睨みつけ、
「早う矢を射かけよ」
兵達は動かない。ウガヤは苛立ち、
「早う射かけよ! うぬらは王の命が聞けぬのか!」
と怒鳴った。兵達は顔を見合わせて仕方なく火矢を放った。皆、泣いていた。射かけているのは、どれも自分達が知る者達の家なのだ。
ツクヨミはウガヤ軍が更に火を射かけて来たのを知り、
「何という事を!」
と憤激した。
「御剣さん、まだですか?」
武彦も焦っていた。家を焼く火はどんどん勢いを増している。ツクヨミが誘導している堀の水ではとても追いつかない。
『慌てるな、武彦。もうそこまで来ておる』
アメノムラクモが言った。次の瞬間、ドドーンと雷の音がして、凄まじい勢いで雨が降り注いで来た。
「おお!」
ツクヨミが歓喜の声を上げ、空を見上げる。
「やった!」
武彦も叫んだ。シュウシュウと音を立てながら、民の家を燃やしていた炎が弱まって行く。
『武彦よ、火が消えるまで我を掲げておれ。下ろしてはならぬぞ』
「ええっ?」
武彦はそれは過酷だと思った。でも、ヤマトの民達の命が懸かっているのだ。弱音は吐けない。
「ぬうう……」
ずぶ濡れになりながら進軍していたウガヤは、いくら射かけても消えてしまう火を見て、更に苛立ちを募らせた。
(おのれ、アメノムラクモめ。ここは退くしかないが、どこに退く?)
オモイは進退窮まったと思っていた。
ヒノモトの国の王であり、ウガヤの兄でもあるホアカリを中心に、ヤマトの国の将軍タジカラ、その奥方ウズメ、そしてヒノモトの国の戦士スサノは、ヤマトの国に向かっていた。
「お館様、ヤマトの国で恐ろしき事が起こっております」
異変を察知したウズメがタジカラに囁く。タジカラは眉をひそめた。
「恐ろしき事? 何じゃ?」
「ここでは……」
ウズメは悲しそうに答える。タジカラは頷き、
「わかった」
と答えると、また前を向いた。
(八百万の神々が、ヤマトの国の民の家が焼かれていると教えてくださった。ウガヤ様は、ご乱心遊ばされたのか?)
ウズメは悲しみのあまり、知らないうちに涙を零していた。
アキツはツクヨミからの言霊で、ヤマトの国の異変を知った。
「何という事を……。ウガヤ殿、血迷うたのか……」
あまりの出来事に、アキツは目眩がしそうだった。
「父上……」
いや、もはや父ではない。あれは魔物だ。イツセはそう思う事にした。
「ウガヤ王は、闇に落ちました。もはや王でも我が父でもありませぬ」
イツセのその言葉にアキツは悲しそうな目で彼を見た。
(兄様……)
その昔遊んでくれた優しいイツセが悲しむ姿を見るのは、アキツには辛かった。
ヤマトの城では、イスズ姫が中心になり、焼け出された民の救護に当たっていた。
「怪我人はおるか? おるならば、私のところに連れて参れ」
イスズは母タマヨリと共に大広間に出て、傷ついた民達を診て回っていた。
「父上、何という事を……」
悲しみより先に怒りが込み上げて来る。イスズは天を仰いだ。
「もう少し。もう少しじゃ、オモイ。もう少しで、我はオオヤシマに出られるぞ」
闇の国ヨモツの最深部の玉座の間で、女王イザが呟く。
「もはや我に隙はなし。ツクヨミもアメノムラクモも恐るるに足らぬ」
彼女は不敵に笑った。