四十の章 オモイの罠、ツクヨミの狼狽
二つの国に割れ、争いが続けられているオオヤシマ。それも全て、闇の国ヨモツの女王イザの企みなのだろうか?
ヤマトの国の嫡男であるイツセは、先発隊を率いて武彦達がいるアマノイワトに進軍していた。
「イワレヒコ……」
イツセは妹であるイスズから武彦の事を聞いていたが、まだ完全に理解はしていなかった。
(イワレヒコがイワレヒコでないなどと、イスズの申す事がわからぬ)
それでもイツセにとって、血を分けた兄弟の中で一番信頼できるイスズの言葉は重い。
「あの話が真ならば、まだ望みはある」
彼は、武彦と共に父であるウガヤ王を説得し、戦をやめさせ、軍師オモイを追放するつもりである。戦の元凶はオモイ。イツセはそう思っている。
「しかし……」
その当のウガヤはオモイに操られているらしい。それが真実ならば、事はそう簡単には捗らない。そのためには、協力者が必要である。
「何にしても、今はツクヨミと話さねばならぬ」
イツセはイワトを見据えた。
そのツクヨミは姿を消して飛翔していた。
(イツセ様?)
彼は先発隊の先頭にいるイツセに気づいた。
(イスズ様はイツセ様には我らの事をお話されたと仰った)
ツクヨミはイツセと話そうと思ったが、そのすぐ後ろをオモイ率いる別の部隊が追って来ているのにも気づいた。
(オモイ!)
ツクヨミは飛翔をやめ、ふわりと地面に降り立った。オモイはツクヨミに気づく事なく、馬を進めている。
(彼奴を仕留めれば、戦は終わる)
ツクヨミはオモイに向かって走り出した。
オモイはイツセが反逆するのではないかと考え、ウガヤにはイツセを援護すると嘘を吐いて、彼の部隊を追っていた。
(む?)
何かが迫る気配がする。しかし、視界には何もいない。
(もしやこれは?)
ツクヨミの接近を感じたオモイはニヤリとした。
(無駄よ、ツクヨミ。お前にはこの私は殺せぬ)
スサノとナガスネの戦いは最終局面を迎えようとしていた。
「そろそろ終わりにするか、スサノ?」
ナガスネは半分失われた顔でニヤリとした。スサノはフッと笑い、
「ようやく、消える覚悟ができたか、魔物め」
「ほざくな!」
ナガスネはそう言い捨てると、剣を振り上げ、突進して来た。
「はあああ!」
スサノは炎の剣の業火を最大にし、
「消えよ、魔物! それ以上、ナガスネ様を愚弄するな!」
と叫ぶ。ナガスネの黒い剣が振り下ろされ、しなる。グーンと曲がった剣先が、スサノに襲い掛かる。
「笑止!」
スサノはそれを脇差で叩き落とし、炎の剣でナガスネを斬り裂いた。
「ぐおおおお!」
ナガスネの身体は真っ二つになり、馬から転げ落ちる。それと同時に、馬が崩れるように消滅した。馬もまた黄泉返った死馬だったのだ。そうでなければ、死人であるナガスネを乗せる事はできない。
「スサノ、礼を言う」
燃え尽きる寸前のほんの刹那、ナガスネは己を取り戻し、スサノに微笑んだ。
「ナガスネ様ーッ!」
燃え尽きて行くナガスネにスサノは絶叫した。ウズメは涙を流し、タジカラに寄り添った。
「スサノ、見事だった」
タジカラは涙を堪えて、友の決断を褒め称えた。そして、ゆっくりと馬を近づける。
「よし、ホアカリ様に追いつかねばならぬ、スサノ」
「おう」
スサノは涙を拭い、タジカラを見た。
アマノイワトの奥のヒラサカの禊を完了したアキツとクシナダは元の服に着替え、イワトの入口に来た。
「イツセさんが来るようです」
武彦はツクヨミからの連絡をアキツに話した。
「イツセ殿が?」
アキツは、イツセはヤマトの城に帰らされると思ったのだ。
「はい。イツセさんはツクヨミさんの事も僕の事も知っているそうです。だから、話し合いに来るのではないかと、ツクヨミさんが言ってました」
武彦の言葉にアキツはニッコリとし、
「そうでしょうね。戦がお嫌いなイツセ殿なら、そう考えるでしょう」
クシナダも安心したように、
「ならば、ここは攻められないのでしょうか?」
アキツはキッと前方を睨み据え、
「いえ、その後ろにオモイが来ています」
アキツの言葉に武彦とクシナダはギョッとしてアキツを見た。
ツクヨミはオモイの乗る馬のすぐそばまで来ていた。オモイは全くこちらに気づいた様子はない。
(このようなやり方は好まぬが、そうも言っておれぬ)
彼は意を決して、オモイを見上げた。そして口を開いた。
「露と消えよ、オモイ」
言霊が放たれ、オモイに到達した。ツクヨミはそこまでを間違いなく確認した。しかし、オモイは何事もなかったかのように馬を進め、ツクヨミの脇を通り過ぎて行った。
(如何なる事だ? 言霊は間違いなくオモイに届いたはず……)
ツクヨミは今見た事が信じられなかった。
「イツセ様から離れるな。私は別の用がある」
オモイは何故か部隊から離れ、アマノイワトとは別の方角へと馬を駆った。そこはイワトへ続く道より険しい岩山が並ぶ草木も少ない平原である。
(どこへ行くつもりだ?)
ツクヨミは不審に思い、彼を追った。
「ついて来ているか、ツクヨミ」
オモイが前を向いたままで言い放った。ツクヨミはギョッとした。オモイは狡猾な笑みを浮かべ、
「姿を消しても、私にはわかる。隠れておらずに出て参れ」
オモイは部隊からしばらく離れたところで馬を止め、振り返った。
「お前は何者だ?」
ツクヨミは姿を現して尋ねた。オモイはニヤリとして、
「それは私にもわからぬ。生まれた時から、私は面妖な力を持っていた」
「何?」
ツクヨミは眉をひそめた。オモイはツクヨミの混乱ぶりを嘲り、
「私には如何なる術も通じぬ。それが何故なのかは、誰も知らぬ。ある者は私を神と称えた。しかしある者は私を物の怪と謗った」
ツクヨミは自分と同じような境遇のオモイの話に呆然としていた。
「よって、お前得意の言霊も、私には通じぬ。如何致す、ツクヨミ?」
オモイは不敵な笑みを浮かべ、ツクヨミを見た。ツクヨミの額に汗が伝った。
アキツは、オモイとツクヨミがアマノイワトへの道から移動して別の場所に行ったのを感じた。
「二人で別のところに移りました。何があったのかはわかりませぬが」
アキツはツクヨミの身が危ういのではないかと危惧していた。
「それは誠に気がかりですが、イツセ様との事の方が先です」
クシナダが口を挟んだ。アキツは微笑んで、
「それはわかっております」
クシナダはアキツに近づき、囁く。
「アキツ様はツクヨミ殿の事を?」
「え?」
クシナダにいきなり図星を突かれたアキツは顔を赤らめた。クシナダは微笑んで、
「私は良い事だと思います」
「あ、ありがとう、クシナダ」
アキツは照れたように笑って、そう言った。
『来るぞ』
神剣アメノムラクモが武彦に呼びかけた。
「はい!」
武彦は剣を抜く。
『イツセがどう考えておるかはわからぬが、油断はするな、武彦』
アメノムラクモが言う。
「わかりました」
武彦は剣を握る手に力を入れた。そして、近づいて来るイツセの部隊を見た。
ウガヤは、先発したイツセを追ったオモイが姿を消したと知り、狼狽していた。
「オモイが討ち取られたのか?」
ウガヤは目を血走らせて興奮気味に尋ねた。
「いえ、そうではありませぬ。進軍から外れ、どこかへ行かれたようです」
斥候が跪いて告げる。ウガヤは苛立ちを隠さずに、
「何をしておるのだ、オモイは!?」
と叫んだ。周囲にいる兵達は、ウガヤの機嫌が悪くなったのを知り、恐れおののいていた。