三十四の章 ホアカリの後悔、アキツの愛
言霊師。
その昔、オオヤシマでは人々に崇められ、王族より上位に位置していた。
しかし、その特別な能力を利用する者、その特別な能力を使って自分の立場を良くしようと企てる者の存在により、一族は絶滅寸前まで追い込まれた。
そして現在のオオヤシマには、言霊師はツクヨミしかいない。
「は!」
ツクヨミは子供の頃の夢を見てうなされ、目を覚ました。すると、目の前にワの国の女王になるはずであったアキツの顔があった。彼女は今まで以上に美しく見えた。
「ア、アキツ様?」
ツクヨミは状況が理解できず、混乱した。
「すみませぬ。貴方を案じておりました。無礼をお許しください」
何の事かわからないツクヨミであったが、自分がアキツに膝枕をされている事に気づくと、仰天して飛び起きた。
「無礼は私の方でございます。何と大それた事を……」
ツクヨミは地面に額を擦りつけてアキツに詫びた。
「顔をお上げください、ツクヨミ殿。私がした事です。そのように詫びられては困ります」
アキツは微笑んで言う。ツクヨミはゆっくりと顔を上げ、アキツを見た。
「大事なく、安心致しました。しかし、まだご無理はされませんように」
「は、はい」
ツクヨミは顔が火照るのを感じ、頭を下げた。
「アメノムラクモまで使ってしまいました。それでもイザに勝てねば、我らは滅びてしまうでしょう」
アキツは社のある部屋の外を見やって呟いた。ツクヨミは再び顔を上げ、
「たけひこ様がお救いくださいます。ご案じなさいますな、アキツ様」
「そうですね」
アキツはツクヨミを見てニッコリした。彼女から、今までに感じた事のない波動が伝わって来て、ツクヨミはまた混乱しそうだ。
(如何なる事なのか? アキツ様が、その……)
ツクヨミはいけないと思っても、アキツの心が読めてしまう。彼女はツクヨミに信頼ではなく、愛情を抱き始めている。あってはならない感情だ。
(言霊師は滅ぶべきなのだ。私は自分の血筋を残そうとは思っておらぬ)
アキツの気持ちは叫びたくなるほど嬉しかったが、それに答える事はできない。
(私もアキツ様をお慕いしている。しかし、それはあくまで憧れ。アキツ様と添いたいなどとは……)
自分の気持ちを必死に押さえ込もうとするツクヨミであった。そして言霊師には、他族との交わりを禁じた掟があるのだ。その理由を知っているからこそ、余計にアキツの思いには答えられないツクヨミである。
一方武彦達は、イザの送り込んだオオマガツ、ヤソマガツの二体の魔物と睨み合ったままだった。
「このままでは、ホアカリ様が……」
水使いのクシナダが夫スサノを見上げる。スサノも焦るばかりで、打開策が浮かばない。
「こやつら、我らでは太刀打ちできぬ。如何にすれば……」
スサノは歯軋りした。
「おのれ!」
タジカラとウズメの夫婦も同様であった。
「あ!」
その時武彦は、ツクヨミの声を聞いた。
『たけひこ様、そちらに神剣アメノムラクモをお送りしました。それでヨモツの魔物をお斬り下さい』
「は、はい!」
武彦は空を見上げた。すっかり明るくなったオオヤシマの青空を、小さな光が進んで来るのが見えた。
「あれかな?」
それはタジカラ達にも見え、そして魔物達も気づいた。
「そうはさせぬ!」
ヨモツの黒火を身に纏ったオオマガツが飛翔した。
「待て、魔物め!」
クシナダが水を飛ばし、オオマガツを縛った。
「温いわ!」
オオマガツはクシナダを睨みつけてから、水の縛りを易々と吹き飛ばすと、そのまま高度を上げ、光に迫った。
「く!」
ウズメが海神を召喚し、オオマガツを聖なる水で攻撃した。
「無駄よ!」
オオマガツは聖なる水の攻撃も受け付けない。ウズメは唖然とした。
「これは如何なる事だ……?」
ウズメは二体の魔物の底知れぬ力に震えてしまった。
「行かせぬ!」
タジカラが馬を駆って追い始める。それにスサノが続く。
「待ってください、二人共!」
武彦も慌てて追いかける。ウズメとクシナダは目配せし合い、続こうとしたが、
「うぬらは我が相手じゃ」
と雷を身に纏ったヤソマガツが叫んだ。
「うぬ!」
ウズメとクシナダはヤソマガツを睨んだ。
「あれか?」
オオマガツは光の近くまで飛んで来ていた。彼女は身体に纏っている黒火を大きく広げた。光を取り込んで滅するつもりだ。
「何!?」
その光は突如巨大化し、オオマガツに襲いかかった。
「ぬおお!」
光が掠めた部分の黒火は削り取られたかのように消えた。オオマガツは辛うじて光から逃れ、地上に降りた。光はそのままオオマガツを無視するように飛び去った。
「あれは何者ぞ?」
彼女はその見聞きした事を逐一ヨモツの女王イザに伝えている。
『オオマガツ、それはアメノムラクモじゃ。不用意に近づくでない』
イザの声が返って来た。
「アメノムラクモ?」
オオマガツはイザの分身であるが、イザの知識を全て与えられている訳ではない。彼女にはアメノムラクモの力が計れなかった。
「あ!」
武彦達はアメノムラクモの光が近づいて来るのを見た。
『磐神武彦よ、我を使うがいい。ヨモツの魔を退治るぞ』
「え?」
武彦はその声がどこから聞こえたのかわからなかった。しかもその声は彼の名を知っている。不思議だった。
「ああ!」
光はやがて剣の形となり、武彦の手に降りて来た。
「おお!」
武彦がアメノムラクモを手にした途端、輝きが更に増し、それを見たタジカラとスサノは驚愕の声をあげた。
「よおし!」
武彦はアメノムラクモを脇に差し、鞘から抜いて構えた。そしてまず、オオマガツに向かう。
「何!?」
オオマガツは、前方から迫る武彦の姿を見て驚愕した。
「あれは、まるで……」
まるで何だ? オオマガツは頭の中の靄のようなものを振り払おうとするが、どうしても思い出せない。彼女は慌てて飛翔し、相棒のヤソマガツの元へと急いだ。
「逃げるのか?」
追いかけたいが、武彦は飛翔の術を知らない。ツクヨミがいなければ飛べないのだ。
『戻るのじゃ、武彦。女子達が危うい!』
「はい!」
武彦はアメノムラクモを鞘に戻し、手綱を握り締めた。
ホアカリ達は背後から迫る異様な風体の軍に気づき、逃走していた。その軍の歩兵達はゆらゆらと歩いており、馬はよろけながら進んでいる。移動する速さはそれ程速くはない。
「何者か?」
馬を駆りながら、ホアカリの嫡男ウマシが老参謀に尋ねる。
「死人の兵です。逃げるしかありませぬ」
「し、死人?」
ウマシはその言葉に震えた。彼も武彦と同じで、その手の類いが苦手なのだ。
「ヨモツが現れたというのか?」
ホアカリは悲しそうな顔で呟いた。
「オオヤシマはやはり滅ぶのか……。我ら兄弟の罪は重いぞ、ウガヤ」
ホアカリはヤマトの国の方角を見やり、涙を流した。
そんな兄の憂いも知らず、弟ウガヤは大軍を率いてアキツとツクヨミのいるアマノイワトを目指していた。先に出陣したイツセを途中で待機させ、合流する手筈である。
「私も嫌われたものです」
ウガヤの左斜め後ろで馬を駆るオモイが言った。ウガヤは手綱を引き締め、
「イツセの我が儘だ。お前を蔑ろにするなど、許せる事ではない。戦の後、きつく罰する」
と怒りを露にした。イツセがオモイの同行を拒否した事を怒っているのだ。
「ツクヨミを討ち、アキツを捕らえれば、この国は治まる」
ウガヤはニヤリとした。
(どこまでも愚かな者だ。お前らの国はもうすぐ滅ぶのだ、ウガヤよ)
オモイはその青い目をギラつかせ、フッと笑った。