三十三の章 イザの策略、ツクヨミの祈り
闇の国ヨモツが動き、オオヤシマは大きく揺れていた。
「ナガスネ様……」
スサノは、ヒノモトの国の将軍であり、ホアカリ王の妃トミヤの兄でもあったナガスネのおぞましい姿を見て涙が止まらなくなった。
「スサノ、私の僕となるがいい。イザ様の国は素晴らしいぞ」
ナガスネは半分失われた顔でニヤリとする。
「ナガスネ様ァッ!」
スサノはナガスネの言葉に震えた。
「ヨモツめ、我が国の偉大なるお方をここまで弄びおって!」
スサノの掲げる炎の剣の火の勢いが増した。
「ナガスネ様、これは天への送り火にございます! お逝き下され!」
スサノは涙を流しながら剣を振るった。剣の先から炎が渦となってナガスネに襲いかかった。
「うおお!」
ナガスネはそのまま炎に包まれ、燃え尽きるかと思われた。
「効かぬぞ、スサノ。私はイザ様から力を賜ったのだ。うぬ如きの剣でやられはせぬ」
「何と!」
スサノは剣から放たれた業火の中で、ナガスネが燃えずに高笑いをしているのを見て驚愕した。
「これもまた、ヨモツのなせる業なのか?」
スサノの額を汗が伝わった。
「ははははは!」
脇に抱えられた首が大声で笑う。そんな不気味な姿のウカシに、タジカラも苦戦していた。
「私は雑兵共とは違うぞ、タジカラ! この身体は、不死。死ぬる事なき身体よ」
ウカシが高笑いをしてタジカラを睨みつける。
「うぬ……」
タジカラは剣をギュッと握り締めた。
(ウズメがおれば、このような魔物、たちどころに……)
二人の戦士はヨモツの力で甦った者達に苦戦していた。
「うわ!」
一方武彦も、その姿こそオオヤシマ一と言われたイワレヒコであったが、彼自身が戦ができる訳ではないので、死人の攻撃をかわしながら、タジカラ達に近づいていた。
『ツクヨミさん、大変です! タジカラさんもスサノさんも、苦戦してますよ!』
武彦はツクヨミに救いを求めた。
そのツクヨミはアキツの元に到着していた。
「そうですか」
彼はアキツから、オオヒルメの霊がイザに封じられた事を知らされた。
「イザから大叔母様の御髪を取り戻さぬ限り、大叔母様の弔いはすみませぬ」
アキツは毅然とした顔でツクヨミを見る。その凛々しさにツクヨミは涙が出そうだ。
「はい、アキツ様」
アキツはツクヨミにすがるような眼差しを向け、
「力を貸してくだされ、ツクヨミ殿」
「無論です」
ツクヨミは大きく頷いた。その時、彼に武彦の声が届いた。
「は!」
それはアキツとウズメにも聞こえた。
「お館様が危うき事になっております、クシナダ殿」
ウズメが叫んだ。クシナダは、
「先に水に行かせます。ウズメ様もお急ぎ下され」
「ええ」
二人はアキツに頭を下げ、部屋を出て行った。
「ツクヨミ殿?」
アキツはツクヨミが行かないのか確かめるように見た。ツクヨミはアキツを見て、
「ウズメ様とクシナダ様で大事ないでしょう。私はアキツ様のお手伝いを致します」
「ありがとう、ツクヨミ殿」
アキツは微笑んで言った。ツクヨミはアキツに縋りつかれて泣かれた事を思い出し、赤面した。
「いえ」
彼は顔が赤くなったのを感じ、慌てて頭を下げて誤魔化した。
「大叔母様は、私一人の気ではアメノムラクモを操る事はできぬとおっしゃいました。ですから、貴方の気を使っていただきたいのです」
アキツの言葉に、ツクヨミは改めてアメノムラクモを見た。その圧倒的な気を放つ神剣を見て、ツクヨミは尻込みしそうになるような圧迫感を受けた。
「そうでございますか……」
彼はアメノムラクモに宿るアキツの気を感じ取った。
(アキツ様の気で賄えぬものが、私如きの気で足りるのだろうか?)
ツクヨミはいつになく弱気で不安だった。
「む?」
スサノは奥方のクシナダが放った水の気配を感じた。
「タジカラ、クシナダ達がこちらに向っておる」
「そうか」
二人共、それぞれの相手と睨み合ったままである。
「ぐお!」
ナガスネとウカシをクシナダの水が攻撃した。
「無駄よ。我らは不死。何をしても無駄」
ナガスネとウカシは、口を揃えて言い放った。
「ならばこれでは!」
ウズメの声がした。
「海神!」
聖なる水が、ナガスネとウカシに降り注いだ。
「うぬ!」
さすがの二人もこれには堪えたらしい。
「おのれ!」
ナガスネとウカシは攻撃された箇所を溶かしながら、タジカラ達から離れた。
「タジカラさん、スサノさん!」
武彦の馬が駆け寄った。
「たけひこ様!」
タジカラとスサノは、武彦を守るように馬を寄せる。死人の残存兵達も、ナガスネとウカシを囲むように集まった。
「お館様!」
そこへ、ウズメとクシナダが、馬ごとクシナダの水に乗って宙を滑るようにして現れた。
「おお、よう来てくれた」
タジカラとスサノはそれぞれの奥方を労った。奥方達はそれぞれの夫に微笑み、再会を喜んだ。
「さあ、クシナダ、我が主であったナガスネ様を天へとお送りするぞ」
「はい」
二人は同時にナガスネに迫った。
「ウズメ、我らも行くぞ!」
「はい、お館様!」
タジカラ達も馬を走らせる。
「我らは不死! 負けぬーッ!」
ナガスネとウカシが叫ぶ。
「皆さん!」
武彦はツクヨミの姿が見えないので不安になったが、
「アキツさんが?」
ツクヨミからの知らせを受け、納得した。
(やっぱりツクヨミさんはアキツさんが好きなんだな)
別にそういう事でツクヨミはアキツの元に残った訳ではないのだが、そう思われても仕方あるまい。
(でも、実際あの二人はお似合いかも)
武彦はそんな事をふと思い、幼馴染みの都坂亜希に瓜二つのアキツがツクヨミとお似合いだという事に何となく嫉妬してしまう。
(何考えてるんだ、こんな非常時に!)
武彦は自分の呑気さに呆れた。
「我らは敗れぬ! 出でよ、ヨモツの使いよ!」
その時、ナガスネが叫んだ。すると突然彼の前に黒い炎が渦巻き始めた。
「何!?」
スサノとクシナダは馬を止めた。
「まさか、あれはヨモツの焔?」
二人は顔を見合わせた。
「違うぞ、スサノ。それはヨモツの使いだ。うぬらに勝てるか?」
ナガスネがニヤリとする。
炎はやがて人形となり、顔が現れた。それはイザに瓜二つのヨモツの魔物であった。
「我が名はオオマガツ。イザ様が僕」
オオマガツと名乗った女の魔物はニヤリとした。
「これは……」
クシナダはオオマガツからイザと同じ気を感じた。
「お館様、お退きくだされ、こやつはイザと同じでございます!」
「何!?」
スサノはクシナダと共に馬を下がらせた。
「ぬ?」
そしてまたウカシの前にも、イザと瓜二つの雷を纏った女の魔物が現れていた。
「我が名はヤソマガツ。イザ様が僕」
タジカラとウズメも、ヤソマガツから離れた。
「そやつらを仕留めよ。我らはホアカリ様をお迎えに行く」
「はは」
ナガスネとウカシは死人の兵を伴い、ホアカリを追い始める。
「く!」
タジカラ達はその強大な気を放つ二体の魔物に阻まれ、ナガスネ達を追えなくなってしまった。
『ツクヨミさん、大変です!』
武彦は慌ててツクヨミに呼びかけた。
ツクヨミは自分の気を集中し、アメノムラクモに注ぎ込んでいた。
(これで足りねば、最早なす術なし!)
ツクヨミは身体中の気を送り込み、アメノムラクモに祈った。
(オオヤシマをお救いくだされ、御剣様!)
再び剣が強く輝き出した。
「おお!」
ツクヨミとアキツは、その輝きに目を細めた。
『その願い、お聞き致そう』
剣が答えたような気がした。ツクヨミはそれを確かめるようにアキツを見た。アキツは頷いた。空耳ではないのだ。確かに剣が答えたのである。
「は!」
ツクヨミは武彦の声を聞いた。
「ツクヨミ殿、たけひこ様が!」
アキツが叫ぶ。ツクヨミは頷き、
「御剣様、たけひこ様の元へ!」
『我を運べ、ツクヨミよ。我が力で魔を退けよう』
剣が答える。ツクヨミは言霊を使い、アメノムラクモを武彦達のところへと飛ばした。
「間に合ってくだされ」
そう呟き、次の瞬間ツクヨミは血を吐いて膝を折ってしまった。
「ツクヨミ殿!」
アキツが驚いてツクヨミを支えた。ツクヨミは力なく微笑んでアキツを見上げ、
「大事ありませぬ、アキツ様。少し休みます」
「ええ」
それでもアキツは心配だった。
(ツクヨミ殿は身体の気を全て剣に注いだ。無理をしているのではないだろうか?)
ツクヨミはアキツの心がわかるので、それが辛かった。
(この方にここまでご心配させてしまうとは、情けなし)
それでも、身体が言う事を聞かない。アキツの肩を借り、壁にもたれた。
「たけひこ様、後はよろしくお願いします」
そしてツクヨミはそのまま気を失った。