三十一の章 タジカラの悲しみ、アキツの決心
アキツはウズメを伴い、アマノイワトの別棟に当たる部屋へと赴いた。イワトの中は、基本的にはヨモツとの境であるヒラサカに通じる幹とも言うべき広い洞窟が全体の真ん中に位置している。アキツとウズメが向かったのは、そこから枝分かれしている別の洞窟である。広間やオオヒルメの遺体が安置されている弔いの間から比べるとこじんまりとした小さな部屋だ。その奥に祠のような小さな社があり、その中に剣が一振り置かれている。
「それは……」
ウズメはその剣を見て息を呑んだ。それはナガスネが戦乱の折に持ち出したアメノムラクモだったのだ。剣は荘厳な光を放ち、ウズメは無意識のうちにその前に行くと跪いていた。
「この剣はワの国の最後の力を秘めしもの。イザに対するには、この剣を解き放つ以外になし」
アキツがウズメの隣に立って言った。
「解き放つ?」
ウズメは眉をひそめた。剣に何かが宿っているのかとも思ったが、何も気配を感じない。
「この剣は使う者の力を奪います。使い方を誤れば、死ぬる事もある」
アキツは淡々と恐ろしい事を語っている。
「……」
ウズメはギョッとしてアメノムラクモを見上げた。アキツはアメノムラクモに近づき、
「ですが、このままではこの剣も只の剣。ワの王家に伝わりし秘術で解き放ちてこそ、真の力を帯びる事になるのです」
ウズメは思わず後退りした。
「怖いですか、ウズメ?」
アキツが優しい笑顔でウズメを見る。ウズメは苦笑いをして、
「怖くないと申さば、偽りとなります」
「そうですか」
アキツはまた剣を見た。
「私も恐ろしい。大叔母様ですら、この剣を解き放ちし事がないのです」
「オオヒルメ様も……?」
ウズメの額を汗が伝わる。そこへクシナダが駆け込んで来た。
「アキツ様、また何やらヒラサカが騒がしゅうございます」
クシナダは跪いて報告した。アキツは二人を見て、
「少しだけ時を稼ぐ事はできますか?」
「はい。クシナダ殿の水と、私の海神の結界で、しばしの間、ヨモツを抑える事はできましょう」
ウズメが答えた。隣でクシナダが頷く。
「ではお願い致します。私はこの剣を解き放ちます」
「はは!」
ウズメとクシナダはヒラサカへと走った。
イザはヨモツの最深部にある玉座に座り、アキツの動きを探っていた。
「やはり、アメノムラクモを使うか、アキツ。じゃが、無駄ぞ」
彼女は只黒い目を細め、ニヤリとした。
「今の我には、そのような剣、何の役にも立たぬ」
イザはすでにアメノムラクモの力を凌駕したと思っていた。
武彦達一行の先発であるツクヨミは、姿を消してヤマトの城に入っていた。
(イツセ様がご出陣?)
彼は城の中の言葉を拾い集めていた。
(ウガヤ王のいらっしゃるところがわからぬ。オモイめ、何をした?)
ツクヨミは城の奥へと進み、イスズの部屋を訪ねた。
「ツクヨミ!」
思わず歓喜の声を上げてしまったイスズに大声を出さぬように指示したツクヨミは、
「陛下はいずこに?」
「私にはわかりませぬ。母上もご存じないのです」
イスズは悲しそうな目でツクヨミを見た。
「タマヨリ様はお部屋ですか?」
「はい」
ツクヨミは一瞬躊躇ったが、
「では、こちらにお連れしてください。私がお話を致します」
「わかりました」
イスズは部屋を出ようとして、
「兄様にはツクヨミの事、話しました」
「はい。イツセ様ならご信頼できます故、大事ありませぬ」
ツクヨミは微笑んで答えた。イスズもニコッとして、部屋を出て行った。
(それにしても、何故ウガヤ王の居場所がわからぬのだ?)
ツクヨミはその事の方が不安であった。オモイは得体が知れない。何を仕掛けて来るか読めないところがある。
武彦達はヤマトの国の端に到達していた。アマノイワト付近のゴツゴツとした岩肌が続く土地が終わり、背丈の低い草むらが広がる。
「如何した、スサノ?」
タジカラがスサノに尋ねた。スサノの炎の剣が別の方角に反応しているのだ。
「こちらの方角より、敵が迫っておる」
「敵? 敵などおるはずがあるまい」
タジカラはスサノの剣が間違っていると思った。しかし、間違いではなかった。
「何事ぞ?」
朝日を背に、得体の知れぬ一団がゆっくりとではあるが武彦達に近づいて来る。
「まさか……」
タジカラは掲げられた破れた旗の紋様に気づき、驚愕した。
「あれは紛れもなくヤマトの旗……。如何なる事だ!?」
彼はスサノを見た。スサノは、
「よもやとは思うが、彼奴ら、死人ではないか?」
「何!?」
タジカラはスサノの言葉に接近して来る一団をもう一度見た。武彦はギクッとした。
(死人? ゾンビ? そんなあ……)
武彦はホラー映画も怖い話も大の苦手だ。ましてや、本物のゾンビなんてとんでもない。彼は、気絶してしまうかも知れないと思った。
(ツクヨミさーん、助けてください!)
武彦はツクヨミに呼びかけた。
そしてまた、広々とした平原を進み、ヤマトの城を目指すホアカリ一行にも、その死人の軍団が近づいていた。しかもその先頭には、首を失ったヒノモトの武将ウカシと、噴き出した妖気で身体の大半が吹き飛んだ将軍ナガスネがいた。彼らが騎乗している馬も一度死んで黄泉返った馬だ。
「ホアカリ様、お命頂戴仕ります」
顔が半分ないナガスネが呟く。ウカシの胴体は、首を小脇に抱えている。
「これでようやくオオヤシマは死人の王国となる。我らの世が来るのだ」
ウカシはニヤリとした。
ホアカリ一行も、死人と化したヤマトの兵に気づいていた。
「な、何じゃ、あの者達は? ヤマトの兵ではないか? 我らを襲うつもりか?」
戦の経験がほとんどない愚息ウマシが慌てふためくのをホアカリは嘆いた。
「お前はそれでもヒノモトの王子か、ウマシよ。父は情けないぞ」
「……」
父上には言われたくありませぬ、と反論したいウマシであるが、そんな事を言っている場合ではない。敵は自分達の数倍の規模なのだ。
「陛下、お退きくださいますよう。我らに勝つ見込みはありませぬ」
老参謀が進言した。ホアカリは遠くに見えるヤマトの城を見やり、
「無念じゃ。ウガヤはあくまで我らと戦をするつもりらしいな」
ホアカリ達はウガヤの兵だと思っている。彼らは死人の軍団である事に気づいていなかった。
ツクヨミは武彦の心の叫びを捉えた。
(死人? まさか?)
イワレヒコに斬り殺されたヤマトの兵が死人となって武彦達を追いかけて来たようだ。
(死人は昼夜別なく戦い続くると聞く)
ツクヨミはウガヤを探すのを諦め、イスズの部屋を出る事にして姿を消した。
「ツクヨミ?」
そこへイスズがタマヨリを伴って戻って来た。
「お帰りなさいませ、イスズ様。お久しゅうございます、タマヨリ様」
ツクヨミは姿を現し、跪いた。タマヨリは、イスズに来る途中で事情を聞いていたが、それでも仰天したようだ。
「久しいですね、ツクヨミ」
イスズはツクヨミが慌てているのに気づき、
「如何した、ツクヨミ?」
ツクヨミは二人を見て、
「はい、イワレヒコ様ご一行が、死人に襲われております」
「何と!」
イスズはタマヨリと顔を見合わせた。ツクヨミは頭を下げ、
「しばし、こちらでお待ちを。すぐに戻ります故」
と言うと、再び姿を消して城を出た。
(死人、か。どれほどの力なのか……?)
さすがのツクヨミも死人とは戦った事がない。それは、タジカラもスサノも同じだ。
「急がねば」
ツクヨミは飛翔し、武彦達の元へと向かった。
「ここは?」
ウガヤは、ヤマトの城の中のオモイの部屋に連れて来られていた。見た事のない異国の文字で壁が埋め尽くされている。
「ここならば、大事ありませぬ、陛下。例えツクヨミでもこの部屋には入れませぬ」
「そうか」
ウガヤはホッとして椅子に腰を下ろした。オモイはその前に跪き、
「私はこれからイツセ様に同道し、ツクヨミを討ちます。そして、逆賊タジカラも」
ウガヤはオモイの言葉を頼もしく感じたのか、嬉しそうな顔をした。
「うむ。じゃが、タジカラはできれば許せ。あれは私の一番の兵じゃ」
「はい」
しかし、オモイは誰も助けるつもりはない。
(タジカラもスサノも、皆イザ様の僕となるのだ)
「こやつら、頭を潰さねば動きを止めぬ! スサノ、頭を潰せ!」
タジカラは一騎当千の働きをしていた。
「わかっておる!」
スサノは、炎で死人を焼き払い、倒した。
「ぬうう!」
タジカラは泣きながら死人の頭を潰した。
(皆、我が兵。皆、我が友……)
知っている顔を斬るのは、自分の身を斬るように辛かった。
「タジカラ、私が代わろう!」
スサノが次々に炎で死人を焼く。タジカラは涙を拭い、
「要らぬ世話よ、スサノ! こやつらに正しき道を与えるが、我が務め!」
タジカラはスサノを押し退け、死人の頭を潰した。
「今度こそ、天に行けよ、うぬら……」
タジカラはそう呟いた。
ツクヨミは飛翔しながら、死人の別働隊に気づいた。
(アマノイワトを目指す死人もおるのか?)
タジカラとスサノの活躍で、武彦達は危機を脱したのを知り、ツクヨミは方向を転換した。
(ヨモツめ、小癪な真似を……)
ツクヨミは歯軋りしながらイワトを目指した。
タジカラとスサノは、死人の数が少ないのに気づいていた。
「別の動きをしたる者共がおるのか?」
タジカラが辺りを見回す。その時武彦はツクヨミの声を聞いた。
(たけひこ様、ヒノモトの王であらせられるホアカリ様ご一行が、死人に追われております。そちらにお向かいください。アマノイワトにも死人が向かっておりますが、こちらは私が)
武彦は仰天した。そして、
「タジカラさん、スサノさん、ホアカリさんがゾンビに、あいや、死人に追いかけられてます。そちらに向かいましょう」
「何と!」
タジカラとスサノは顔を見合わせた。
「こっちです!」
武彦はツクヨミの言霊で知らされた方向へ馬を駆った。
「続くぞ、スサノ!」
タジカラが武彦の馬に続く。スサノはタジカラに続いた。
「おう!」
タジカラは武彦に追いつくと、
「たけひこ様、我らはどうぞ名のみでお呼びください」
「そうです。呼び捨てで構いませぬ」
スサノが同調する。武彦は苦笑いして、
「でも、年上の人を呼び捨てにするなんてできませんよ」
「そうでございますか」
タジカラはスサノと顔を見合わせた。