三十の章 武彦の願い、イスズの思い
タジカラ、スサノ、ウズメ、クシナダのヤマトとヒノモトそれぞれの最強夫婦二組がヨモツの兵シコメ達を退け、一時的にではあったが、アマノイワトは解放された。
「清めます」
アキツの柏手がイワトの中に鳴り響いた。柏手の力で、ヨモツの妖気に汚されたイワトが清らかな気で満ちて行く。
「おお、これぞワの女王陛下のお力だ」
タジカラ達は感激していた。ウズメとクシナダは感動のあまり、アキツを見て目を潤ませている。
「ツクヨミ殿、ご一緒くだされ」
「はい」
アキツはツクヨミを伴い、ヨモツとの境であるヒラサカに向かった。そこにはオオヒルメの首のない遺体がある。
「お辛かろう、アキツ様は……」
タジカラが呟いた。
「そうだな。我らがこれほど身に堪えているのだ、あの方のお心を思うと、それだけで……」
スサノはグッと涙を堪え、両の手を握り締める。ウズメとクシナダは互いを支え合うようにして泣いていた。
アキツとツクヨミはヒラサカに着いた。オオヒルメの遺体は、まるで昔からそこにあったように横たわっている。ヨモツの穢れで妖気に塗れているのだ。
「ツクヨミ殿」
アキツは前を見たままでツクヨミに話しかけた。
「はい」
ツクヨミはアキツの凛とした声に思わずビクッとしてしまった。
「これより、大叔母様のお清めを致します」
「はい」
ツクヨミは身の引き締まる思いがした。ワの国の女王であったオオヒルメの葬儀に立ち会うのだ。
「……」
僅かな蝋燭の火に照らされているだけで、薄暗い洞窟の先に、首のないオオヒルメの遺体が見える。
「オオヒルメ様……」
ツクヨミの目から涙が溢れ出る。
(何たる事か……。オオヒルメ様がこのような……)
「始めます」
アキツは気丈にも涙を流していない。
「はっ」
ツクヨミは自分の脆さを思い知り、涙を拭った。
(誰よりもお辛いはずのアキツ様に先んじて泣くなど、恥知らずだ)
「祓いたまえ!」
アキツの柏手が四回打った。それは彼女の心の内を表すかのように悲しく鳴り響いた。そして穢れている空間が、たちどころに清らかになって行く。
「清めたまえ! 祓いたまえ! 清めたまえ!」
アキツは連続して柏手を打ち続けた。その異常な様子にツクヨミが気づき、
「アキツ様!」
と止めなければ、アキツは両手が砕けるまで柏手を打ち続けていたかも知れない。
「ツクヨミ殿……」
アキツは遂に涙を流し、崩れるようにしてツクヨミに抱きついた。
「ア、アキツ様……」
あまりの出来事にツクヨミは動揺したが、
(今はこの方を何としてもお支え申すのが我が務め)
と思い、震えているアキツを受け止めた。
「ううう……。大叔母様……大叔母様……。大叔母様ァッ!」
アキツは絶叫した。それほど彼女は我慢していたのだ。
「アキツ様……」
自分にしがみついて泣くアキツを優しく抱きしめ、ツクヨミは思った。
(この方のためにこれからの私の命を捧げよう)
「すみませぬ、ツクヨミ殿。お恥ずかしいところをお見せしてしまいました」
アキツは我に返り、顔を赤らめてツクヨミから離れた。そして、乱れた衣の襟を正す。
「いえ、滅相もございませぬ」
ツクヨミもまた顔を赤らめ、アキツの温もりが残る手を握り締めた。アキツはツクヨミに背を向け、
「大叔母様を弔いの間にお運びしますので、お力をお貸しください」
「はい」
ツクヨミはオオヒルメの遺体を言霊で浮遊させ、アキツについて行った。
二人は薄暗い洞窟をしばらく進んだ。やがて、行く手から荘厳な気が漂って来た。
「おお」
ツクヨミは思わず感嘆の声を漏らしてしまう。それほど、その先にある弔いの間は荘厳な雰囲気だった。蝋燭が灯されている訳ではないのに中は明るく、張り詰めたような気に満ちている。
「こちらに大叔母様を」
ツクヨミは部屋の中央の一段高くなっている祭壇のような場所にオオヒルメの遺体を下ろした。
「あ!」
途端にオオヒルメが強く輝き出した。同時に彼女の体の奥底にまで沁み込んでいた妖気が浄化されていくのがわかった。
「これでようやく、大叔母様から穢れを祓い切れました」
アキツの言葉にツクヨミはハッとした。
(それほどまでにヨモツの穢れは深かったのか……。オオヒルメ様のお身体が輝きを増した)
アキツはオオヒルメの遺体を悲しそうに見つめて、
「でもこれは仮の弔いです。大叔母様の御髪をイザが持ち去ってしまったのですから」
ツクヨミは頭を下げて応じた。
「はい」
イザからオオヒルメの首を取り返さなければ、本当の弔いは完了しないのだ。
「戻りましょう、ツクヨミ殿。ここはもう、ヨモツには侵せませぬ」
「はい」
二人はタジカラ達のところへ向かった。
武彦は眠りに落ちながら、アキツ達の悲しみを感じていた。
(何があったのですか、アキツさん?)
彼は不安になりながらも、幼馴染の都坂亜希に瓜二つのアキツを心配した。
やがて、武彦は目を覚ました。すると、目の前にアキツがいる。どうやら、最初に呼ばれた場所のようだ。アマノイワトの広間のようなところである。
「あ、アキツさん」
武彦は何も考えずに喋ってしまい、そこにツクヨミ以外に人がいる事に気づき、慌てた。
「ご案じ召されますな、たけひこ様。ここにいらっしゃる方は皆、たけひこ様の事をご存知の方です」
ツクヨミが笑顔で教えてくれた。
「そ、そうなんですか」
そこにはウズメ、タジカラ、クシナダ、スサノがいた。
「あれ、もう一人の人は?」
何も知らない武彦はナガスネがいない事に気づいて尋ねた。
「ナガスネ様は、ヨモツの妖気で……」
スサノがそこまで言って涙を流した。その様子を見て、武彦はまずい事を訊いてしまったと悟り、
「ご、ごめんなさい。何も考えずに訊いてしまって……」
とスサノに歩み寄り、頭を下げた。スサノは武彦の行動に驚き、
「恐れ多き事です、たけひこ様。我らは皆、たけひこ様に仕えるべく集いし者です。そのようなお心遣いはもうなさいますな」
スサノは地面に頭を擦りつけて言った。武彦はそれに驚いてしまったが、
「わ、わかりました」
とだけ言った。
(僕が何かするたびに大袈裟な事になりそうだもんなあ)
そしてツクヨミがタジカラ達を正式に紹介してくれた。会話の中で誰が何という名なのか知ってはいたが、改めて紹介され、頭の中の整理がついた。オオヤシマの女性は皆美人だな、などと呑気な事を考えてしまう武彦である。
「これより先は、私もたけひこ様の影ではなく、先陣を切って戦う事に致します」
ツクヨミが言った。武彦はビックリして、
「ええ? じゃあ、僕はどうすればいいんですか?」
「恐らく、たけひこ様のお手を煩わせる事はなきに等しいでしょう。我ら四人とツクヨミが戦えば、鬼神にも勝てましょう」
タジカラが豪快に笑って言った。するとウズメがそれを見て、
「お館様、お控えなさいませ。ここは兵の詰め所ではございませぬ」
武彦は改めてウズメの露出の多い衣を見てドキッとしてしまう。
「ウズメ、細かい事を申すな」
タジカラは苦笑いをした。するとアキツが、
「イザは退きましたが、一人気になる者がまだ残っております」
「オモイ、でごさいますね?」
ツクヨミが尋ねる。アキツはそれに頷き、
「オモイはウガヤ王とヤマトに戻ったようです。あの者もイザの使いと見ております」
「間違いありませぬ。陛下に張り付きしは、何やら企みがあると思われます」
タジカラが同意した。
「イツセ様が心配です」
ウズメが口を挟んだ。タジカラも頷き、
「イツセ様は陛下をお諌めできる方のお一人。オモイの企みの邪魔となるはず」
「早うヤマトに出立致しましょう、アキツ様」
スサノが立ち上がった。しかしアキツは、
「私はここに残ります。ヒラサカを押さえねば、再びヨモツが現れましょう」
その言葉に危機感を抱いたウズメが、
「では私も残りまする」
「よし、頼んだぞ、ウズメ」
タジカラが言う。ウズメはタジカラを見上げ、
「はい、お館様」
部隊は二手に分かれた。アキツを守護するウズメ、そしてその背後を固めるクシナダ。ヤマトに向かうタジカラ、スサノ、ツクヨミ、そしてイワレヒコの姿の武彦。
やがて武彦達はアマノイワトを出発した。
「オモイめ。陛下に事あらば、只ではおかぬ」
タジカラはそう呟き、馬に鞭を入れた。
「私が先に参り、様子を探りまする」
ツクヨミが宙を舞い、ヤマトへと飛翔した。
「我らも急ぎましょう、たけひこ様」
タジカラに促され、武彦はハッとし、
「は、はい」
と手綱を握った。
ヤマトの城では、イツセがウガヤにツクヨミ討伐を命じられ、自分の部屋で出立の支度をしていた。
「兄様」
そこへ悲しそうな顔のイスズ姫が現れた。イツセはたった一人の妹の心を思うと胸が張り裂けそうだ。
「イスズ」
そして場合によっては、イワレヒコも殺めなければならない立場のイツセはイスズの目が見られない。
「ツクヨミをお討ちになるのですか?」
イスズは兄を真っ直ぐに見て尋ねる。その視線が突き刺さるようで、イツセは辛かった。
「あるいはな」
イツセは俯いて言葉を濁した。
「私は、オモイを怪しんでおる。あの者、何やら企んでおる気配なのだ」
「私もオモイは嫌いでございます」
いつになく強い調子でイスズが言ったので、イツセはギクッとした。
「イスズ、何か存じておるのか?」
「はい」
イスズはこの兄にだけは全てを話すべきと思い、武彦達の事を説明した。
「……」
イツセは唖然としてしまい、しばらく何も言わなかった。
「兄様?」
しばらくして、堪りかねたイスズが声をかけたので、イツセはハッと我に返った。
「俄かに信じ難き話だが、イワレヒコの変わりようは、それでわかった」
一部納得がいったイツセである。イスズはホッとして微笑み、
「ですから、イワレヒコ様はツクヨミに操られてなどおりませぬ」
「そのようだな」
イツセは妹の目をやっと見る事ができた。
「父上にはお話なさいませぬよう。父上は、オモイの意のままになっておいでです」
イスズはすがるような眼差しでイツセに進言した。
「それもわかっておる。操られしは、父上の方よ」
イツセはキッとオモイがいる方角を睨んだ。
そして、ホアカリとウマシの父子一行は、着々とヤマトの城に近づいていた。すでに日は高く昇り、民は動き始めている。彼らは直にホアカリ達を見た事がないので、馬で通過して行く人々がヒノモトの王一行だとは夢にも思っていない。ホアカリもまた、その方が良いと思い、兵達にも何もさせなかった。やがて集落を抜け、大平原に出た。
「この平原を越えれば、ウガヤ叔父の城が見えて参ります」
ウマシが説明する。ホアカリはそれを鬱陶しそうに聞きながら、
「ウマシよ、出過ぎた真似をするでないぞ。我らは話をしに行くのであるからな」
「はは、父上」
口ではそう言いながら、ウマシは、
(隙あらば、叔父を亡き者とし、ヤマトを滅してくれる)
と考えていた。戦乱はまだ収まる気配を見せていない。