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二十六の章 イザの悪意、ツクヨミの叫び

 イワレヒコ一行の前で勢いを増して燃え広がる黒き炎。何もかも飲み込んでしまいそうな漆黒。それはヨモツの火である。普通の水では消せぬばかりか、勢いを増させてしまう。そして掠められただけで、人は死人しびとと成り果てる。

「皆の者、離れよ。今から私が、この火を飛ばす」

 イワレヒコが剣を構えた。

如何いかがなさるおつもりです、イワレヒコ様?」

 タジカラが眉をひそめて尋ねた。対処のしようがないと思えたからだ。イワレヒコは炎を見据えたままで、

「この炎をウズメが元に飛ばす。ウズメにしずめてもらうのだ」

「何と!?」

 タジカラはイワレヒコの途方もない作戦に唖然とした。ナガスネやスサノ達も驚愕している。

「そのような事、おできになるのですか、イワレヒコ様?」

 スサノが恐る恐る言った。イワレヒコはチラッとタジカラ達を見て、

「私はできぬ事は言わぬ。見ていよ」

と言い放つと、ブワンと剣を振り回した。

『たけひこ様、先ほどの手筈通りに参ります』

 ツクヨミが声をかける。

『わかりました、ツクヨミさん』

 武彦は剣を握る手に力を込めた。

「我ヨモツのほむらを舞いに舞わせて届かせん!」

 ツクヨミの放った言霊ことだまがヨモツの黒い炎にぶつかった。言霊は炎の周囲の空気を捕らえ、炎を宙に浮かばせた。武彦の言葉でツクヨミが思いついた秘策である。

「いざ行かん!」

 イワレヒコの声に合わせて、炎は遥か彼方へと飛び去った。

「おおお!」

 ナガスネ、スサノ、タジカラが、異口同音に叫んだ。クシナダはすっかり驚き、天を仰いだままである。

(す、凄い……。何たるお力)

 クシナダはイワレヒコに異界人の魂が降ろされている事を知らないので、イワレヒコの秘儀だと思っていた。

『そして、ウズメ殿にお伝え致します』

 ツクヨミは更に言伝ことづての言霊をウズメに放った。

『やりましたね、ツクヨミさん』

 武彦はホッとしたが、ツクヨミはまだ気を抜いていない。

『まだです。ウガヤ様が進軍、お止めせねばなりませぬ』

 武彦はハッとして、

『ああ、そうでした!』

 黒火が飛び去るのを確認し、イワレヒコは馬に跨った。

「さて、時が惜しい。行くぞ、皆の者! 父上をお止めせねばならぬ!」

「はは!」

 イワレヒコ、タジカラ、スサノに加えて、クシナダ、ナガスネと、オオヤシマの名立たる武将が一斉に馬を走らせ始めた。


 闇。一切の光が入り込まない世界。そこがヨモツ。イザ女王の支配する国だ。もちろん、彼らはそんな闇の中でも眼は見える。だから何も不自由はない。

「イザ様」

 ヨモツの国の兵であるシコメがイザのいるヨモツ最深部の玉座の間に赴き、跪いて報告する。シコメには性別はない。姿は半身が腐りかけた女性に見える。鎧は身に着けておらず、薄汚れたような色合いの衣をまとっているだけである。

「如何した?」

 玉座に座している女王イザ。その姿は美しい巫女。しかし、着ている服は全て漆黒。頭を飾る王冠すら黒。彼女に瞳はなく、眼は只黒い。黒く長い髪は足元にまで及ぶ。

「ウカシめがしくじりました。如何なさいますか?」

 シコメの言葉にイザはニヤリとし、

「大事なし。まだ我には駒あり」

「左様で」

 シコメは額ずいて応じた。


 その頃ウズメはツクヨミからの言伝の言霊を受け取っていた。

(何と、ヨモツのほむら?)

 彼女はすぐさま、八百万やおよろずの神の中から、海神わだつみを召喚し、黒火を待ち構えた。

「ウズメ、如何したのですか?」

 ウガヤ軍の進撃を見ていたアキツはウズメが召喚した海神に気づいて尋ねる。

「ツクヨミ殿が、ヨモツの焰をこちらに……」

 ウズメの言葉にアキツはハッとした。彼女はそれを聞いた途端、ヨモツの策略が見えた。

「ウカシがヨモツの焰を運んでいたのというのか?」

 アキツは拳を握りしめ、唇を震わせる。

「そのようです」

 ウズメは悲しそうに答えた。

「何という事を……。ヨモツ、誠に許し難し!」

 アキツは声を荒げた。そして、

「ウガヤ殿もそこまで参っておる。ウズメ、巻き添えにしてすまぬ」

と頭を下げた。ウズメはそれに驚いてしまった。ワの王家の方々が、私のような者に御髪おぐしをお下げになるとは……。ウズメは感激して跪いた。

「恐れ多きお言葉にございます、アキツ様。私はオオヒルメ様とアキツ様の御ためならば、いつでもこの命、差し出す覚悟です」

 ウズメの顔は真剣そのものである。アキツは目を潤ませて膝を着き、

「ありがとう、ウズメ」

とウズメの手を握りしめた。


 ウガヤの軍は遂にアマノイワトの前に到着した。

「如何致す、オモイ?」

 ウガヤは馬上から軍師オモイに尋ねた。オモイは跪き、

「イワトは大きな洞窟にございます。そしてその奥はヒラサカ、更にその奥はヨモツに通じております。焼き払うが宜しいかと存じます」

 その言葉に周囲にいる兵達は顔を引きつらせた。彼らにとっては、まだアマノイワトは聖なる場所なのだ。

「そうか」

 しかし、ウガヤはニヤリとした。彼にはオオヒルメもアキツも、もはやどうでも良い存在なのだ。ヒノモトも軍が崩壊し、返す刀で攻め入れば、たちどころに滅ぶ。すでにオオヤシマの支配者は自分。そう確信したウガヤは、その心に鬼が棲み始めていた。

「火矢を放て。オオヒルメ、アキツ諸共、ツクヨミを焼き殺してしまうのだ!」

 ウガヤがそう命じた時、異変が起こった。空の星が突然見えなくなり、禍々しい気が辺りに漂い始めたのだ。ウガヤ軍の兵達は混乱し、右往左往した。やがて星を隠していた正体が明らかになった。空からヨモツの黒火が降りて来たのだ。

「何事ぞ!?」

 ウガヤはその妖気をはらむ黒い炎を見て狼狽えた。オモイも仰天していた。

(これはヨモツの焰? 何故それが天から?)

 さすがの彼にも何が起こったのかすぐにはわからなかった。


「おお!」

 ヨモツの焰が進軍するウガヤ軍とイワトの間に降り、その行く手を阻んだのを見て、アキツとウズメは思わずそう叫んだ。

「お見事です、ツクヨミ殿は。ウガヤ様を止めました」

「ええ」

 ウズメは感動している。アキツはツクヨミの力に驚嘆しながらも、感謝していた。

(ありがとうございます、ツクヨミ殿)

 黒火は周囲を侵食し始める。土は腐り、草は枯れ、虫は砂のように崩れ去る。

「さて、ここより先は進ませぬ!」

 ウズメが降臨させた海神がヨモツの黒火を聖なる水で押し留めて浄化して行く。そのため、黒火は海神を恐れるかのようにウガヤ軍の方へと広がり始めた。


「ええい、何じゃ、この火は!? 早う何とかせぬか!」

 ウガヤは黒火の恐ろしさを知らないため、兵達に消火命令を出した。

「陛下、これはヨモツの焰にございます。人には消せませぬ」

 オモイが慌てて進言した。目先の事で精一杯のウガヤは、異国人のオモイが何故なにゆえそのような事を知っているのかと疑問にも思わない。

(冗談ではない。この私程の者が、ヨモツの焰に焼かれて死ぬるなど、ご免被る)

 彼は黒火の真の恐ろしさをよく知っているので、真剣だった。ウガヤが勝手に黒火に焼かれるのは構わないが、これから自分の手足として使うつもりの兵まで全滅しては元も子もないからだ。

「一度お退きくださいませ」

 オモイはウガヤの前に立ちはだかるようにして言った。

「ううう……」

 ウガヤは唇を噛み、悔しそうにイワトを睨んでいたが、

「全軍、退け!」

と命じた。ウガヤ軍はヨモツの火に追い立てられるように後退し始めた。


「ウガヤ様の兵が、立ち往生しておりますな」

 水に調べさせたクシナダが告げた。イワレヒコ達は高台に出てその先を眺めているところだ。

「そうか。ヨモツの焰が父上を止めたようだな」

 イワレヒコが言った。タジカラはチラッとイワレヒコを見た。

(あれもまた、ツクヨミの力なのか? 誠に恐るべき男よ)

 ツクヨミが味方で良かったとつくづく思うタジカラである。

「イワト攻めは何としても止めねばならぬ。イワトが攻められれば、ヒラサカの封が解け、ヨモツが雪崩を打ってオオヤシマを攻むる事となろう」

 イワレヒコはそう言うと、また馬を走らせた。タジカラ、ナガスネ、スサノ、クシナダの順でそれに続く。


 ヨモツの女王イザはウガヤ軍とイワレヒコ達が接近している事を知った。

「時は満ちる。オオヤシマは闇に染まる」

 彼女はニッと笑って歩き出し、闇の向こうに消えた。


「ぬっ?」

 ヒラサカで祈り続けていたオオヒルメが異変に気づいた。

「これは如何なる事か? 闇がヒラサカの向こうだけではなく、イワトの外からも迫っておる……」

 オオヒルメの額を汗が伝う。

「イザめ、何を企む……」

 彼女は唇を噛み、身体を震わせた。

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