二十三の章 ウカシの罠、ナガスネの嘆き
イワレヒコの身体に魂を宿された磐神武彦と言霊師のツクヨミは、ヤマトの国の将軍タジカラ、そしてヒノモトの国の魔剣士スサノと合流した。
ツクヨミは、周囲のヒノモトの兵達の妙な気に気づいた。
(これは、ヨモツの臭いだ。ならば!)
彼は言霊を使い、すぐそばにいる兵達の正気を取り戻した。
「む?」
タジカラは捕らえていた兵の顔つきが変わったのに気づいた。そしてイワレヒコを見た。
(ツクヨミが何かしたのか?)
タジカラ自身はウズメからツクヨミの事を聞いてはいたが、彼の気配を感じる事はできないので、ツクヨミがどこにいるのかはわからない。
「スサノ様!」
幾人かの兵がスサノに気づき、跪いた。
「おお、正気を取り戻したか。これは如何なる事だ?」
スサノはその兵達に尋ねた。
「ウカシ様の下さった水を頂いてから、何もわからなくなりました」
兵の言葉にスサノはタジカラと顔を見合わせた。
「やはりそうか」
イワレヒコが馬を降りて言った。タジカラとスサノ、そして正気を取り戻した兵達が彼に跪く。
「ウカシめ、ヨモツに通じておるわ」
イワレヒコはウカシが逃げ去った方角を睨みつけて言った。
「何と!」
スサノとタジカラは異口同音に叫んだ。正気を取り戻していない兵達は逃亡を始めており、軍は崩壊した。
「追う必要はない。やがてヨモツの水の力が切れる。さすれば元に戻ろう」
イワレヒコが追いかけようとするタジカラを止めた。
「はは!」
タジカラはイワレヒコに向き直った。イワレヒコはタジカラとスサノを見て、
「ウカシは城に戻ったようだ。ナガスネが危うき事になる」
「ナガスネ様が?」
スサノがギクッとしてイワレヒコを見た。
「ナガスネが討たれてしまえば、ウカシの企み通りとなり、再びヨモツの悪しき心がオオヤシマを覆う。それは何としても防がねばならぬ」
イワレヒコの言葉にスサノは、
「ならば一刻も早くナガスネ様の元へ。クシナダがおそばにおりますが、ウカシの策に陛下が惑わされておいでだとすれば、危うき事この上なし」
その言葉にイワレヒコは頷く。
「イワレヒコ様」
タジカラとスサノは、イワレヒコの命を待っている。イワレヒコは馬に跨りながら、
「ナガスネの元に参るぞ、タジカラ、スサノ」
「はは」
スサノは兵達には城を目指すように命じた。そしてイワレヒコ、タジカラ、スサノというオオヤシマ最強の三人衆が結成され、ナガスネ救出に向かった。
ウカシはホアカリの勅命を受け、再び軍を率いてナガスネ討伐に出発した。
(愚かな王の浅はかな考えでヒノモトは終わる。後はヤマトだが……)
彼はヤマトの軍師であるオモイの動きが気になっていた。
(彼奴もイザ様のご命令で動いているが、どうも好かぬ。この俺を出し抜こうとしているのが、ありありとわかる)
ウカシとオモイは、共にイザのために行動している仲間でありながら、互いを信用していなかった。いや、仲間とは思っていないのかも知れない。
ヒノモトの玉座の間では、妃トミヤが泣いていた。
「トミヤ……」
非情の決断をし、自分の義理の兄であるナガスネを討つ事をウカシに命じた国王ホアカリは、妃の泣いている姿を見て、何も言葉をかける事ができなかった。
「父上、私もウカシに同行し、伯父上を討ちとう存じます」
そのような時に、全く二人の心を考えない愚息のウマシが鎧兜を身に着けて、トミヤの心を逆撫でするような事を言い出す。
「勝手に致せ」
ホアカリは息子の愚かさを嘆き、そう言い捨てた。
「はは!」
それを真に受け、ウマシは得々として出陣した。
「何という事だ。ヒノモトは滅ぶるのか?」
ホアカリは天を仰いだ。
ナガスネに同行しているスサノの奥方であるクシナダは、水を使って辺りを探っていた。そして、ウカシの軍が近づいている事を知った。
「ナガスネ様、ウカシがまたこちらに向かっております」
クシナダはナガスネの馬に自分の馬を寄せ、
「そうか。もはやこれまでのようだな」
さすがのナガスネも自分の愚かさに気づき、宿命を感じていた。
「いえ、まだ終わりではありませぬ。我が夫スサノとヤマトのタジカラ殿がこちらに向かっております。それと、イワレヒコ様も」
クシナダは嬉しそうに続けた。
「何?」
スサノはともかく、タジカラとイワレヒコは敵ではないか? ナガスネはクシナダがおかしくなったのではないかと思った。
「スサノはタジカラと共におるのか?」
「はい」
クシナダは微笑んでいる。ナガスネは眉をひそめ、
「それは如何なる事か?」
クシナダは真顔のなり、
「タジカラ殿は我らの味方。そして、イワレヒコ様も我らの味方にございます」
「何と!」
ナガスネは理由がわからなかった。
「ウカシはヨモツの力を借り、兵を操っております。ヤマトの村を攻めたるも、その力によるものです。敵はウカシ。ヤマトでもウガヤ様でもイワレヒコ様でもありませぬ」
クシナダの言葉でナガスネはようやく全貌が理解できた。
「そうか。あの者、ヨモツと……。おのれ、ウカシめ」
ナガスネはヒノモトの城の方角を睨んで拳を握り締めた。そして再びクシナダを見る。
「どちらが早くここに来るのか?」
クシナダは水を放ってから、
「ウカシが早いかも知れませぬ」
「そうか……」
ナガスネは歯ぎしりした。
「私は陛下の御ためと思い、戦って来た。しかし、ウカシがヨモツに通じていたとなれば、それも怪しくなる。彼奴の進言で動いた事もあったのでな」
ナガスネは自嘲気味に言う。クシナダはナガスネの心を思い、胸が痛んだが、
「もうそれは過ぎたる事です。今はこれからを考えるのが先でございます」
と頭を下げて進言した。ナガスネは苦笑いをして、
「そうだな。して、どうする、クシナダ? このままでは我らはウカシの軍に蹴散らされるぞ」
「戻りましょう。ヒノモトの城から離れるのが良いでしょう」
クシナダは来た方角を見やった。
「それしかあるまい」
ナガスネは手綱を引き、
「一同、行く先はこちらじゃ。ついて参れ」
と方向転換した。クシナダがそれに続き、兵達が更に続く。
「少しでも足止めになれば」
クシナダは水を使って罠を仕掛けた。
『む?』
ツクヨミはクシナダの水の動きを感じた。
『どうしたんですか、ツクヨミさん?』
武彦がツクヨミの心の変化に気づいて尋ねる。ツクヨミは、
『ウカシがまた城を発ったようです。多勢です。ナガスネ様を討つつもりです』
『急がないといけないですよ』
武彦は焦った。しかしツクヨミは、
『ご安心を、たけひこ様。クシナダ殿が足止めをしてくれましょう』
初めて聞く名である。
『くしなださん?』
確か、同じ名字の中学の同級生がいた。その子も奇麗な子だった、などと場違いな事を思ってしまう。
『スサノ殿の奥方です』
武彦はチラッとスサノを見て、
『その人、強いんですか?』
『ええ。この国の女性で三番目に強いと思います』
三番目? 一番はあの英語の尼照先生に似ているオオヒルメさんで、二番目はアキツさんだから、その次か。それは凄いな。武彦はそう思い、クシナダがどんな女性なのか会ってみたくなった。
「大叔母様」
アキツはヒラサカの前で祝詞を唱えているオオヒルメに声をかけた。
「ナガスネの命が危ういか」
オオヒルメは振り返らずに言った。アキツは跪き、
「はい。ツクヨミ殿とたけひこ様がナガスネの元に向かっておりますが、ウカシはヨモツに通じる者です。安心できませぬ」
「そうだな。イザの命を強く受けている気配がする。ウカシという男、誠に怪しき者じゃ」
オオヒルメは目を閉じ、そう言った。