十話*そして前を向く
──殺してやる! 怒りが収まりきらないまま男を警察につきだしたことで、さらなる怒りが上乗せされ女を追いかけるライカの足はいつも以上の速さだった。
ここで逃がしてたまるものか。絶対に報いを受けさせてやるんだ。
「ちくしょう! 来んな!」
女は震える足で必死に逃げるが、投げつけるゴミに一切、怯むことなくその背中を見据えて迫る。
そして、転がっていた空き缶を素早く掴んで女の足下に投げつけた。
「きゃあ!?」
見事に当たって女は転ぶ。
「よくも、よくも」
声を震わせながら女を見下ろし銃口を向けると、女はその形相と向けられたハンドガンを前に引き気味に小さく叫んだ。
「死んで、償え」
「ライカ!」
ようやく追いついたセシエルは、二人の間に入って引鉄を絞るライカを制止した。
「どけよ!」
「だめだ! 落ち着け」
ハンターになれば、いつかは人を殺めるときが来るだろう。しかし、今じゃない。それは今じゃない。
「よく考えろ! そいつを殺して、おまえの怒りは本当に収まるのか?」
「当たり前だろ! 両親の敵なんだぞ!?」
オレから全部を奪った──復讐してやるんだ。
「ライカ! だめだ。よく考えろ。おまえの人生を棒に振るほどの価値が、そいつにあるのか?」
「じゃあ、クリアはこれまで、人を殺したことないのかよ!?」
「──っそれは」
痛いところを突いてきやがるな。
「捕まらなければいいだけだろ!」
「そういうことじゃない!」
捕まるとか、捕まらないとか、そういうことじゃない。確かに不可抗力ではあったが、命を奪ってしまったことはある。
決して、望んで殺めた訳じゃない。
「人を殺すことは、そう簡単なものじゃないんだ。おまえは、まだその準備ができていない。感情だけで突っ走ったら、絶対に後悔することになる」
こいつは、外見だけなら十分、強く見える。だが、精神的にはまだ幼い。人を殺めたあとの気持ちのやりどころなんて、あるはずがないんだ。
「止めないでよ。クリア」
未だ制止を続けるセシエルに震える銃口を向けるが、それでも揺るがない鋭い視線にライカは顔をしかめた。
引鉄を絞る仕草を見せても、セシエルは少しも動こうとはしない。
負けてなるものかと睨み返すが、幾度も死地を経験してきた重みに勝てるはずもなく気圧されたことで、ようやく落ち着きを取り戻す。
「オレ……。オレは──っ」
両親から受けた暴力が脳裏によみがえり、ゆるゆるとハンドガンを下ろした。
捨てられたこと、殴られたこと、誕生日を祝ってもらえず、一度もプレゼントをもらえなかったこと、それら全てがライカの目から涙を落とした。
「うう。なんで」
父さんも、母さんも、他人を殺すほどの価値なんか、なかったじゃないか。
これが現実なんだと、絶望にうちひしがれる。自分は両親にとって、取るに足りない存在なんだと、認めたくなかった。
まるで、犬を捨てるときのように「ここで待っていろ」と言われたのは、紛れもなく現実だったじゃないか。
「ライカ……」
大きな体を折り曲げてしゃがみ込み震える体を、セシエルは言葉もなく見下ろしていた。
──さきほど男を引き渡した警察署に再び訪れ、今度は女を引き渡して建物から出ると、力なく前を歩くライカの背中を見やる。
「よくやったよ」
つぶやいてライカの肩を軽く二度叩く。
「クリア……」
本当に、これでよかったのかな。もやもやは消えないけれど、きっとこれでよかったんだよな。
「帰るぞ」
振り返らずにつぶやいて車に向かう。慰めの言葉はない代わりに、セシエルの背中はいつもと同じで大きかった。
「そうだね」
今はまだ、少し納得できないけれど。いつか、これでよかったんだと思える日がくると思いたい。
だから、クリアみたいな立派なハンターになれるように、ずっとそばにいるんだ。
セシエルにとっては、愚痴の一つもこぼしたいほどの呆れた考えだろう。見ているだけでハンターになれるなら、誰にだってなれる。
何度もそれを諭したはずなのに、ライカには一向に通じていない。果たして、ライカは一人前になれるのだろうか。