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星願未遂 ふたりの長いものがたり リマスター版  作者: つくね


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29/52

― この観覧車が最後の景色 ―


 夕暮れが近づく遊園地。

 ライトが徐々に灯り始め、カラフルな光が二人の顔を優しく照らす。


 遊園地の喧騒とは裏腹に、麗華の表情はどこか静かで決然としていた。

 勇真と麗華が手をつなぎ歩く。


 勇真が何か言いかけるのを遮るように、麗華が明るい声を出す。

 「ねえ、せっかくだし、あれもう一回乗らない?」


 勇真、少し意外そうな顔で笑う。

「珍しいな。もう観覧車に乗るのかと思ってた」

 麗華、軽く笑う。どこまでもいつも通りを演じて。

「だってさ前にも言ったけど、観覧車って最後に乗るから意味あるんだよ。もうちょっと遊ばなきゃ、今日が終わっちゃうでしょ?」

(勇真と一緒の時間を少しでも長く過ごしたい……)

 麗華は小走りで先に行く。

 いつもより少し早足なのは、背中を見せてしまえば顔が隠せるから。

 (泣いちゃダメだ。もう少しきちんとできる予定だったのに。絶対に、泣かないって決めたんだから。もう少しだけでいい。ほんの少しだけ。最後の最後まで、私はいつもの勇真の彼女でいたい)



——

 バイキングの列に並ぶ二人。

 前に並ぶカップルたちは、写真を撮ったり、手をつないでいたり。

 そんな光景に目をやりながら、麗華はいつもどおりの笑顔。


「次はあれ乗ろうよ、わたあめも食べてないし。ほら、アレ似合ってたじゃん、あのヘンな帽子」

 勇真が苦笑する。

「また被らせる気かよ。あれは売り物だからお店の人に怒られるよ」

「うん、記念だけ撮っとこ。ね?」

 その「記念に」という言葉に、勇真が少しだけ目を細めた。

 いつもと様子が違う麗華。

 あまり目を合わせようとしないし、会話が続かない。

「今日の麗華って、いつもと違うみたいだけど、どうかしたの?」

「ううん、何でもないよ」

 勇真はそれ以上は確かめようとしなかった。


 バイキングに乗り込む直前、麗華が勇真を振り返る。

 夕暮れの光を受けた彼女の笑顔は、少しだけ陰っている。

 バイキングが動き出す。

 風に髪がなびく中、麗華は笑う。



——

 夜のライトにてらされた観覧車乗り場の前で、麗華はゆっくりと話し始めた。

「勇真……」

 麗華は声を少しだけ震わせながらも、小さく深呼吸し話す。

「今日まで一緒にいてくれてありがとう。たくさんの思い出ができて、嬉しかった」

 勇真は突然の言葉に、動揺を隠しきれなかった。

 とっさに勇真は状況を悟り麗華の手を握り返した。彼女の瞳に宿る強さと優しさに胸が締めつけられる。

「なに?急に!」


「私、もうあなたの心の場所がわかってる。凜ちゃんのこと、ずっと見てた。いつも、なにをするのも勇真からではなく私からだった。好きだけじゃ足りないとわかったんだ」


 麗華の決心に、遊園地のざわめきが一瞬遠くに感じられた。

「だから、私、初めてのデートで来たこの遊園地で身を引くことにしたの。あなたが本当に好きな人のために、道を空けるのが私の幸せなんだ」

「でも、好きだった、だからがんばって行ってらっしゃいって言えるよ」


 麗華は観覧車のチケットをそっと勇真に見せた。

「これ、最後に二人で乗るためのチケット。これからは、あなたと凜ちゃんの幸せを願ってる」


 突然の別れの言葉を聞き、勇真の耳には遊園地の音がほとんど入ってこなくなっていた。観覧車の受付の人が話し掛ける声も、すべて水の底から聞こえるようにぼやけている。


 麗華が静かにゴンドラへ乗り込む。勇真は足が地面を離れる感覚さえ曖昧なまま、その後を付いて行った。まるで知らない世界に連れていかれる気持ちだった。


(麗華が終わらせるって、今、本当に言ったのか?今のが別れの言葉だったのか……)

 自分の頭の中の声でさえ、自分のものではないように感じた。

 ゴンドラがゆっくりと地上から離れる。その揺れにも、心がまったく付いていかない。


 麗華はそっと勇真の手を握り、窓の外を見つめ、少しだけ微笑んで居るように見えた。

 勇真は無意識に息を呑む。麗華の横顔が、光に照らされて淡く輝いている。


 麗華の言葉は、静かで迷いがなくて、ただまっすぐだった。

 その真っ直ぐさに触れた瞬間、勇真の胸の奥で何かが音もなく崩れていく。

 麗華の瞳がそっとこちらを見た。穏やかで、それでも底の見えない眼差し。

 まるで全部分かっていたと言うように。

 勇真は、どうして?という疑問の余地もなく、自分の心を見透かされていた事を知った。反論する言葉なんてどこにもなかった。

(麗華は俺なんかよりもずっと、俺が封印していたはずの心の中を分かっていたんだ)

 その事実だけが、じわじわと胸に広がり、息を奪っていく。観覧車の揺れがいつもより大きく感じるほど、心の足場が崩れていた。そして、目の前の光景が全部色を失って見えた。


「……きれいだね」麗華は静かにつぶやいた。

 その声は、驚くほど落ち着いていて、別れを告げた直後だとは到底思えなかった。

 勇真は返事をしようとして、音にならないまま唇が震える。

 そんな彼の様子を見て、麗華がふっと微笑んだ。優しくて、なおさら勇真を苦しめるような微笑みだった。

「勇真、手……冷たいよ?」

 その麗華の指先の温かさが、逆に彼の動揺を露わにした。

 言わなければならない言葉は、山ほどある。待ってくれとか、嫌だ、行くなよとか。でも、どの言葉も麗華に伝えるには相応しくなかった。

 それは麗華の覚悟を知ってしまったため。


 観覧車はゆっくりと昇り続ける。

 夜景が広がっていくのに、勇真の視界は逆に狭まっていった。

 思考が途切れ途切れになる。何度も同じ問いだけが頭の中で反響する。

 麗華は窓に手を添え、静かに外を見ている。

 下を見れば人々の楽し気な喧噪が、もう届かないほど遠くなっていた。


 観覧車が昇り詰めた時、麗華がつぶやいた。

「ありがとう、勇真くん。あなたの笑顔が大好きだった」

 眼下にきらめく遊園地の光が、麗華の頬を照らしていた。

 その光の中で、彼女は小さく呟いた。


「この観覧車が下に着いたら、お別れだよ」



*****

 気丈にそう話した麗華だったが、あふれ出す涙をこらえきれなくなった。

 勇真の身体は硬直し、小さく震える麗華の手を握る事しかできなかった。

 麗華は外を眺めていたはずだった。だが肩が小さく震え、その震えが徐々に大きくなる。

 それを最初に感じ取ったのは、握っている彼女の手だった。

 勇真ははっとして麗華を見る。彼女は必死に涙をこらえようと押し殺した声。目元が滲み、視界を曇らせているのが分かる。

 麗華は首を横に振り、無理に笑おうとした。だけどうまく笑えず、唇が震え、目尻から涙がぽろぽろと零れ落ちていく。

*****



「ほんとはもっと一緒にいたかった……」

「でも……あなたの幸せ、邪魔したくないの」

「だめだね、今日だけはちゃんとするつもりだったけど、ぜんぜん出来なかった……」

 麗華は勇真の胸に額を押しつけ、泣き声を漏らす。

 勇真は胸が潰れそうだった。それでも抱きしめ返す腕に、力を込めることができない。

 麗華の心の痛みを受け止めても、答えを返す資格が自分にはないと分かっていたから。


「……ごめん、麗華……」

 その一言が、彼女の嗚咽をさらに強くした。

 観覧車の揺れに合わせて、麗華の身体も小刻みに震え続ける。


 地上の光がだんだん近づいてくる。

 現実に戻されるようで、勇真の心も締め付けられた。

 麗華は涙で濡れた目元を必死に拭き、呼吸を整えようとした。

「ごめんね、最後なのに泣いちゃって……」

 そう言いながら、まだ喉が震えている。

 勇真は首を横に振るしかできない。


 やがて無情に、観覧車は地上に降り、麗華はそっと勇真の手を離した。

 涙で赤くなった目のまま、彼女は小さく微笑んだ。

「さようなら……」

 麗華は振り返らずに一歩、二歩、そして三歩。

 涙を袖でそっと拭いて、でも歩く速度を落とさない。

 勇真は「ちょっと待って」と言おうとして喉が詰まる

 涙を拭きながら小さくなる麗華の姿を、ただ茫然と視界に収めていた。

 そして、大切なものを手放した喪失感に渦巻かれていた。

 ただ自分の身体は意志とは違い、その姿を追いかけようとはしなかった。ただただ、愛おしい姿が消えるまで立ち尽くすだけだった。

 

(俺って、酷い人間だ。あんなに真剣に向き合ってくれてた麗華の事を……このまま見送ることしか出来ないなんて……)

 勇真は罪悪感で足が動かなくなっていた。



——

 遊園地からの帰り道、コンビニで見かけた焼き芋ののぼりを見つけた勇真。

 ふと、麗華の声が蘇った。

 「秋って焼き芋でしょ!一緒に食べよ?」

 その声が、風に混ざって聞こえた気がした。

 何でもない時間が、ただ楽しくて、あたたかかった。

 (あいつ、全部わかってたんだな。俺のこと)


 ずっと、麗華は自分の心に正直だった。

 遠慮がなくて、言いたいことを言って、笑って泣いて怒って……でも、不思議と嫌じゃなかった。

 (俺、こんなに誰かにちゃんと好きだよって言われたこと、あったっけ)


 振り返れば、麗華はいつだって先に言ってくれた。

「今日会えてうれしい」

「がんばってるの見てたよ」

「勇真って、本当はすごく優しい人でしょ?」

 彼女の目に映る自分は、どこか誇らしげで、少し照れくさかった。

 (あいつの言葉に、どれだけ救われてたんだろう)

 そう思った瞬間、胸の奥に、ぽつんと穴が空いたような感覚が残っていることに気づく。

 (もう、俺のこと呼ばないんだな、勇真って)


 携帯を開いてみる。メッセージアプリの履歴。スクロールするほど溢れていた日常のやりとりが、数日前でぴたりと止まっている。

「ばかか、俺」

 失ってからじゃないと気づけないなんて。


 その笑顔の裏に、どれだけのがんばりや背伸びがあったのか。

 どれだけ、彼女が自分に向けて真剣だったか。


 気づかなかったわけじゃない。ただ、それをちゃんと返してこなかった。なんとなくで、付き合ってる気になってた。でも、麗華は違った。自分の気持ちに素直だったよな。俺なんかより、よっぽど


 じんわりと胸が熱くなる。誰にも言えなかったこと、言わずにいた想い。全部、見透かすように笑って、冗談みたいに包み込んでくれた彼女のことを、今さらになって、どんどん鮮やかに思い出していく。


 そして気づいた。惹かれてたのは、あの笑顔でも、可愛さでもない。俺の弱さを、丸ごと受け入れてくれたこと。

 それが、一番あたたかかったんだ。 


『麗華、ゴメン。俺なんかと一緒にいた事で、辛い思いをさせてしまった』と、ラインを書きかけ、消去――


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