― 陰の中に宿る魅力 ―
高校三年生への進級を間近にした放課後。テニス部の練習後の帰り道。テニスコートの夕焼けは、オレンジというより、ちょっと焦げたような赤だった。
「次の試合も補欠かぁ、まぁ当然か」
部室を出て、勇真はバッグを肩にかけながら、分かってはいるものの選手に選ばれなかった事を、ひとりごとのように寂しく呟いた。
「ねえ、ちょっといいですか!」
後ろから聞き慣れない声が飛んできた。振り向くと、見たことのない女子がこちらに向かって早足で近づいてくる。セーラー服のリボンの色が、自分たちとは違う。学年が下だとすぐにわかった。
「望月先輩でしょ? テニス部の」
「えっ、うん。そうだけど」
あわてた口ぶりの俺に、彼女はにこっと笑った。
「やっぱり。いつも声出して走ってるから、目立つんだよね」
「え、えーと、それっていい意味で?」
「さあ、どっちだと思う?」
にやっと笑ってから、その子は前髪をかき上げ、ポケットから小さなノートを取り出した。
「私、水瀬麗華。一年のA組。今度の新聞部に部活特集があるの。で、ちょっと取材!」
「俺、補欠だけど?」
「うん、それがいいの」
「はあっ?」
俺は目をぱちくりさせた。
「エースじゃなくて、地味に頑張ってる人を取り上げたいって言ったら、先生に変わってるねって笑われたけど、でもそういう人ってカッコいいじゃん。報われない努力、ってエモいでしょ?」
「うーん。報われてない感はたしかにあるかもな」
苦笑いする俺に、その子はペンを構えながら言った。
「じゃあ、ちょっとだけいい?いくつか質問させて」――
——前日、放課後の新聞部の部室
壁際の棚には過去の新聞がぎっしりと並び、紙とインクの匂いが静かに満ちていた。
麗華は部活顧問の寺岡先生に新学期に発行する学校新聞の取材対象を伝えていた。
一年生の麗華は、いつものように明るい口調で先生へ取材対象を説明していた。
「あれ? 望月君を取材対象に選んだの?珍しいね、一般的には部長とか人気のある人を選ぶもんだけどね」寺岡先生は麗華に問いかける。
「ううん、私は望月先輩の地味だけど頑張ってるところに惹かれたんです。きっと記事にしたら、みんなが主役になれなくても地道に頑張るカッコ良さを分かってくれると思うから」
先生は少し首をかしげながらも、頷いた。
「そうか、水瀬さんの自分特有の視点でとらえると、面白い記事ができるかもしれないな」
「先生、あの、もうちょっと聞いて欲しいエピソードがあるんです」
私は一呼吸置き、彼の姿を思い浮かべた。
「望月先輩って、たぶん誰よりもチームのことを考えてる人なんだと思います」
「へえ、そんなに?」
私はこくりと頷いた。
「この前、テニス部の試合を見に行ったんです。先輩、試合に出てないのにずっと声出して声を枯らして、自分の試合じゃないのに、あんなに必死に応援する人、初めて見ました。自分だってチームが負けて悔しいはずなのに、仲間のことを本気で励まして誇ってました」
私は言葉を重ねるうちに、胸の奥から熱が込み上げてきて、自然と声が強くなった。
「スポットライトが当たらなくても、誰より努力してて、誰より仲間思いで。それを記事にできたら、絶対に誰かの心に届くと思うんです」
静かに聞いていた先生は、ふっと目を細めて笑った。
「水瀬さん、いい顔するようになったね」
「えっ?」
「今の話し方、まるで望月君のことをずっと見てきたみたいだったよ。ただ変わっているからとか、声援が大きくて目立つからって理由じゃなくて、人として感じ取った良さを伝えたいと思ったんだろう?」
私はハッとした。
そうだ。気づいたら、彼のことを取材対象じゃなく、誰かの話題でもなく、ひとりの人として見ていた。
「記事ってね、書く人の心が動かなければ、人の心は動かないんだ。水瀬さんが彼をどう感じたか、それを大切にしなさい。それがきっとすごくいい記事になる」
「はい!」
彼のことを先生に語れば語るほど、麗華の中で望月勇真という存在が、少しずつ、強く、鮮明になっていった。
——
望月先輩への取材という名の雑談は、思いのほか盛り上がった。
「そんなに練習してるのに試合出られないの?」
「うん。でも、しかたないよ。翔太とか、テニスのテクニックがすごいし、特にバックハンドのダウンザラインで自分のペースに持ち込むんだ。そういった何か武器がないと試合には出られないよ」
「へえ。そういうの、悔しくない?」
「そりゃ、悔しいよ」
「でもやめないんだ?」
「うん。俺、たぶん好きなんだと思う。テニスが。
うまくなりたいっていうのもあるけど、毎日走って、汗かいて、ちょっとだけ昨日の自分より上手くなったら嬉しい。他人と比べて上手とか下手とかじゃないんだ。自分の成長を大事にしたいんだ。でもテニスは他人と競う競技だからこんなこと言ってられないんだけどね。そんな感じ」
私は取材で話を聞きながら、勇真のテニスに向き合う真面目さや周囲の人を認める優しさを改めて感じていく。
私は少し黙ったあと、こう言った。
「変わってる。でも思った通りの人だった。私そういう人、嫌いじゃないよ」
そして帰り道。夕焼けの中、並んで歩きながら、
「ねえ、彼女とか、いるの?」
「えっ? いないけど」
「そっか。よかった」
「えっ?」
「じゃあ、取材は終わり。あとは、こっから先は水瀬麗華個人として聞きたいんだけど」
私は望月先輩の前にぴたっと立ち止まり、目を見て言った。
「私、先輩のこと実はずっと気になってたんだ」
私は少しだけ息を吸った。
「気づいたら、心の中で追いかけてたんだ。連絡先、教えてくれない?」
「マジで?」
「マジ」
「なんで?」
「うーん、笑うかもしれないけど、顔よりも声が好きかも。部活の最中のなんか、まっすぐで」
先輩は黙って私の話を聞いてくれていた。
「望月先輩は、誰にも見られていない時でも、ちゃんと頑張ってた。自分の弱さも、カッコわるさも隠さないで、それでも頑張ろうとしてる」
私はいたずらっぽく先輩のスマホを自分の手に取り、LINEの友だち追加をした。
「じゃ、よろしくね。望月先輩。あとでLINE送るね」
——
麗華は勇真へ告白した帰り道、夕方。制服のポケットに手を入れ、マフラーに顔をうずめながら、駅へと向かって歩いていた。
自分の足音と、遠くで部活動の掛け声。夕焼けが、もうすぐ夜に変わろうとしている。
「言っちゃった、か……」
口に出すと、胸がじんと熱くなった。
でも、今朝の雨の後にきれいな虹が架かってたから、きっとうまくいくよ。
あのときの望月先輩の顔、驚いたような、少し困ったような、それでもちゃんと目を見て「ありがとう」と言ってくれた。
あれだけ緊張してたのに、ちゃんと伝えられた。ずっと、伝えたかったから。
「怖いなぁ……」
呟いた言葉は、マフラーの中で小さく消える。返事が「ごめん」だったら?いや、それでもいい。ちゃんと言えたから。
帰宅しベッドに寝転び、スマホを手に取る。LINEを開く。
『おつかれさま』って送るだけでもいい。でもそれじゃ、あの時の続きにならない気がして。
何度も入力しては消し、また打ち直して、ようやく、たどり着いた短い一文。
『返事、待ってるね。今日じゃなくてもいいよ』
その一文を打ち終えて、指先が、送信ボタンの上で止まった。
(これで本当に、私の気持ちが届いたって、信じていいのかな)
(気持ちよ、届け)そう願いながら、画面の送信ボタンを、ぎゅっと押した。
メッセージが「既読」になるのは、もう少しあとでいい。今はただ先輩の心に、私の気持ちが静かに届いていれば、それで。
『返事、待ってるね。今日じゃなくてもいいよ』
<送信済>




