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星願未遂 ふたりの長いものがたり リマスター版  作者: つくね


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12/52

―  ぽっかり空いた隙間  ―


 教室のドアには「Welcome Cafe C-2」の手描き看板。高校二年生の文化祭2日目、二年C組は教室を喫茶店風に飾りつけ、模擬店を開いていた。机は二人用に並べられ、白いクロスと紙製のメニュー。後ろの黒板には、チョークで「本日のおすすめ」と書かれている。窓から差し込む柔らかい陽射しに、ゆったりとしたジャズのBGMが重なっていた。


「ご注文、アイスコーヒー、ミルク多めでーす!」

 制服の上からエプロンを着けた勇真が、明るく声を上げる。彼はウェイター役。ぎこちないお辞儀や、少しこぼしそうなトレーの扱いに、お客さんから笑いが起きる。

「勇真くん、今のこぼしてない!?」

「ギリギリセーフ!」

 笑いながら、勇真は次の注文へ走っていった。厨房スペースでは、凜が手際よくホットドリンクを淹れていた。


 メジャーカップを手に、真剣な表情でミルクを測る横顔。白いカチューシャと三つ編みが、少しレトロな喫茶店の雰囲気に似合っていた。

「凜ちゃん、手慣れてるね~」

「うん、家でもコーヒーよく淹れるから」


 そんな何気ない会話が、聞こえてくる。一方、レジの前では翔太が接客中。爽やかな笑顔で女性客たちに囲まれながら、チケットを受け取っていた。

「翔太くん、また来たよー!」

「ありがとう。カフェオレでいい?」

 翔太の周りに集まった女子たちの黄色い声に、場の空気は柔らかく弾むように感じた。


 ピークの時間を越えた頃。客が一段落し、店内が少し落ち着いた。勇真がトレーを片手に、カウンターへカップを下げに行く。

 ふと、厨房に立つ凜の横顔に目をやった。凜は気づいていなさそう。けれど、手元のカップを洗いながら、ほんの少しだけ、顔を上げた。

 (あ……)

 一瞬だけ、視線が交わった——気がした。そして、どちらからともなく目を逸らす。それだけのこと。でも、勇真の心には、小さな波紋が残った。

 (凜、変わったな)

 表情も、少しだけ大人っぽくなったように見えた。ただ、それが翔太のとなりにいる時間が作ったものだと思うと、どこか少し、胸がざわついた。その後ろで、翔太が凜に声をかけていた。

「あと30分でラストオーダーみたいだよ。少し休む?」

「うん、ありがとう」

 やさしい凜の声に、勇真は聞こえないふりをした。


 外の風が、校舎のカーテンをふわりと揺らした。

 教室には、コーヒーの香りと、言葉にできない凜との距離感だけが残っていた。



——

 グラウンドに立ちこめる砂埃と、鳴り響く応援団の声。秋晴れの空の下、校舎の壁に反射した陽の光が、まぶしくて目を細めた。


 体育祭の後半、メインイベントのクラス対抗リレーが始まろうとしていた。勇真は、第3走者だった。運動が得意なわけではない。足も、そこそこ。ただ、やる気だけは人一倍あった。


「頼んだぞ、勇真ー!」

 クラスメイトに背中を叩かれながら、白いハチマキを結び直す。目の前には、自分より足の速い選手ばかりが見える。

 一方、観覧席では凜のとなりから翔太がスタート地点へ移動しようとしていた。翔太はアンカーだ。体育祭実行委員も務める翔太は、みんなから頼られていて、今日も完璧にこなしていた。

「翔太くん、最後頼んだね」

「任せて。絶対1位、取るからさ」

 スターターのピストル音が響く。

 1走、2走が次々にバトンを渡す中、勇真の番が来た。となりのレーンの選手が一気に前に出る。

 でも勇真は、バトンを握る手に力を込めて、前だけを見て走った。もつれそうな足、砂に取られるスニーカー。でも、歯を食いしばって、懸命に走った。



——

 観客席の凜は笑いながらも、リレーの名簿を見て、一人の名前に目が止まった。

 (望月勇真、出るんだ)

 何も知らなかった。クラスは同じなのに、話す機会はほとんどなくなっていた。


 凜は、その姿から目が離せなかった。勇真の走りは、結局順位をキープした程度だった。何かを劇的に変えたわけじゃない。

 でも、走り終えて息を切らしている彼の顔は満足そうに見えた。それを、スタンドから見ている自分がいる。

 そして、自分は翔太の彼女。

 リレーは結果的に、翔太のラストスパートで優勝を勝ち取った。クラスメイトの歓声があがる中、翔太は凜に笑いかける。

 でも凜は、グラウンドの端で水を飲む勇真の背中を、無意識に追っていた。

 日焼けした首筋。白いシャツに付いた砂。疲れているのに、どこか満ち足りた顔。自分のペースで頑張り続けている。



——

 体育祭の閉会式、表彰の拍手が鳴る中、勇真は凜の方をふと見た。目が合う。でも、お互い言葉はなかった。ただ、それだけで、胸が少しだけ熱くなった。


 午後の教室は、照りつける西日でオレンジ色に染まっていた。体育祭が終わり、表彰式を終えたクラスメイトたちは、テーブルを囲んで勝利の余韻に浸っていた。

「翔太、やっぱ速ぇーな!」

「いや、勇真のリレーも地味に熱かったっしょ」

「てか、うちのクラス強くね?」

「イエーイ優勝!」

 ワイワイと盛り上がる声の中、勇真は教室の隅でスポーツドリンクのペットボトルを握っていた。

 ハチマキを外して乱れた髪のまま、ひと口ごくりと飲み込む。ふと、視線の先に凜がいた。教室の窓際、女子数人と並んで笑っている。


 笑顔が綺麗だった。翔太がなにかを言って、凜が少し吹き出す。その光景に、勇真の目がほんの一瞬だけ止まった。

 楽しそうだな。

 そう思っただけ。それ以上でも、それ以下でもないはずだった。

 でもその時、凜がふとこちらに目を向けた。目が合った……気がした。そして、すぐに逸れた。お互いに、なにも言わない。

 なにも、できない。

(もう、俺が凜の事を助ける必要はないんだ。ちゃんと隣には翔太が居るんだから)

 ペットボトルの水滴が、勇真の指先を冷たく濡らしていた。笑い声の中、彼は黙って席に戻り、静かに窓の外を見つめた。


 空には、秋の雲がゆっくりと流れていた。


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