― 私を掴んだ手 ―
私(相原 凜)はこのイベントが大好きだった。家族ぐるみの夏休み旅行。小四で同い歳の望月 勇真はこぶし大の石を集めてダムを作り、私は川の流れに手を浸して日常では味わえないひんやりとした感触を楽しんだり、木の葉を浮かべたりしてはしゃいでいた。
「見て、りん。ここで水止まった!」
「すごーい!わっ、つめたっ!」
その時だった。
私の足元の石がズルッと滑り、次の瞬間、バランスを崩してそのまま浅瀬へ倒れ込んでしまった。
「きゃっ」と声を出せたかも分からない。
川の水が耳の中に入り込み、世界がぐるんと歪む。息ができない。
流れは想像以上に速く、さっきまでの心地よかった川の冷たさが私を飲み込んだ。立てば届く深さだったのかもしれない。でも、そんなことを考える余裕はなかった。どこが上でどこが下なのかも分からず、ただ恐怖だけが頭の中を埋め尽くしていた。パニックに襲われた私はとにかく必死に手足をばたつかせながら沈んでは浮かび、声にならない助けを求めた。
「りん!!」
激しい水の音の中にかすかに誰かの声が聞こえた。
それから誰かの大きな手が、私の腕を強く掴んだ……
私の記憶に残っているのはそこまで。
川岸まで助け上げられた私は、何が起きたのか意識は曖昧だった。
咳き込みながら吐き出す水と涙。
お父さんが私の震える身体を抱きかかえながら、静かに言った。
「よく頑張ったな、凜。そして勇真、お前が凜を守ってくれたんだな」
その時、私は震える唇で呟いた。
「助けてくれたの、大きな手だった。お父さんでしょ、助けてくれたのは」
「大きな手じゃないさ。あれは、勇真の手だ。最初に凜の腕をつかんだのは勇真だよ、俺が駆けつけた時も、勇真はお前を離していなかった」
「最後にふたりを救い上げたのは俺だったが、最初に助けに向かったのは勇真だったんだ」
勇真は砂まみれの顔。擦りむいた腕。息を切らして座り込んでいた。
あの時私の視界は歪み、ぼんやりとした光と、水の音と、遠のく意識の中での出来事。
「勇真だったの?私の手を掴んでくれたのは」
私は勇真の擦りむいた腕を見て、胸が痛くなるような気がした。
——
あの日の川辺でだって、いつもと変わらなかった。
バーベキューで私たちはキャンピングチェアに並んで座り、
「りんは野菜がきらいなのか?ピーマンぐらい食えるだろう」と勇真が眉をひそめる。
「いちいちうるさいよ」と私はそっぽを向いた。
勇真は昔からそんな男の子だった。
口うるさくて、すぐむきになって、転んで泣くのを我慢して、放っておけなくて私が手当てする。
勇真は同い歳だけど、まだ私より背も小さくて弟の様に思っていた。
事故の少し前の事。
私と勇真はベンチに並んで座り、おこづかいを出し合って買ったチョコモナカを分け合っていた。
「半分こって言ったのに、りんの方が大きいじゃん!」
「えー、そんなことないよ。気のせい、気のせい!」
「いつもそうやってズルする!」
「ズルじゃないってば!」
「りんのほうがちょっとだけ背が高いと思って、ズルしてるだろ」
声が少しずつ大きくなる。やがて、勇真はぷいっと顔を背け、私もむっとして黙り込んだ。
でも、帰り道。勇真が小さく「……ごめん」とつぶやくと、私も「こっちもごめん」と笑った。
その笑顔に、さっきの喧嘩がすっかり溶けていく。二人の距離は、やっぱり変わらない。
そんな勇真が、あの日、真っ先に川へ飛び込んだ。
——
学校で勇真の姿を見つけるたび、つい目で追ってしまう。
教室の窓際で友達と笑っている姿も。
休み時間に走っていく後ろ姿も。
目が合うと、なぜだか慌てて視線を逸らしてしまう。
そんなこと、今まで一度もなかったのに。
そしてそのたびに、川の中で私の腕を離さなかったあの手を思い出す。




