第5話(小トラブル発生)・第6話(皇帝の思惑)
【第五話】
大公国の公子リオーヌと共に、フラー王国の王都シャンベルタに向かう列車に乗ったベール・サ・ガン。
初めて乗ったので列車のことは全くわからなかったのだが、リオーヌを追いかけて最後尾車両の一等ラウンジに入った時、その場の雰囲気から一等車全体が上流階級のみの利用を考えて設計されていることに気付いたのであった。
そして、リオーヌが予約した一等車の個室に乗車した際、真っ先にリオから着替えるようにと言われ、今まで着たこともないスーツ姿となった理由も。
ラウンジ車両内の中央付近の空いているソファーに座った2人。
「公子〜」
ベールらしくない小さな声で話し掛けると、
「公子じゃなくてリオだよ、リオ」
先程呼び名に気を付けるよう言われたばかりなのに、高級ラウンジの雰囲気に飲まれて、すっかり忘れていたのだ。
気を取り直して、
「リオ様。 ここって、貧家出身の俺には場違いだと思うのですが......」
ラウンジ内に居る上品な利用客達から、
『お前は場違いだろ?』
と無言で言われているような、何だか痛い視線を感じ、居心地が非常に悪かったのだ。
「フェルメは我が国を代表する風光明媚な避暑地だから、諸国連合各国より多くの上流階級の方々が訪れるんだ。 今の時期この列車は、夏季休暇を終えた人達の利用者が多いから」
そうリオーヌは答え、
「これも経験だよ」
とベールの肩を叩く。
「いや〜、でも〜......」
何だかソワソワして落ち着かないまま、リオーヌの隣で、小さくなっていたのだ。
『戦場では敵の大軍を目の前にしても一切物怖じしない強い性格なのに、意外とこういう雰囲気には弱いんだな~』
そんな感想を抱くリオーヌ。
いつも騒がしいベールも、珍しく大人しくし続けていて、リオが適当に注文しアテンドが持って来た強い酒を、
『気つけ薬だ』
とばかりに、一気に飲み干してしまう。
すると、近くに座っていた若い美女達から、
「あらま〜」
という失笑が。
上品な雰囲気を醸し出しているこの女性達は、どうやら貴公子ぶりを自然に振り撒いているリオーヌを品定めしていたので、ベールが少しずつ飲むべき高級酒を一気に飲み干したシーンを偶然見てしまったのだ。
思わずムッとするベール。
ただ、隣に座るリオーヌが、ベールの着ているスーツの端を強く引っ張っていることに気付き、態度に出すのは思い留まったのであった。
そのまま暫く滞在していたが、やがて出入口付近にドカッと陣取っていた、如何にも貴族っていう感じの30歳くらいの男2名が酒を飲み過ぎ、車両内の人々が眉を顰める程の大声で話し出したので、余計なトラブルに巻き込まれぬよう頃合いを見計らってリオーヌが立ち上がり、ラウンジ車両内を出ようと歩き出す。
それに続くベール。
先程の女性達は、
「若い方は、やっぱりイイ男よ」
「顔に傷が無かったら完璧なのに〜」
「あとで誘ってみましょうよ」
狭い車内なので女性達の前を通り過ぎる時、そんな会話が聞こえてきたが、リオは笑顔で軽く会釈しただけで、出口へと優雅に進む。
「あゝ〜、笑顔も素敵ね~」
リゾートで過ごす日々が続いたので、美女達は解放的な気分に包まれたままだったのであろう。
露骨に誘うような言葉を聞こえる様に吐露するが、リオーヌは歩みを止めることなく出入口へ。
その時であった。
後ろを歩いていたベールの視界から、前に居た筈のリオが消えてしまったのだ......
「リオ様、大丈夫ですか?」
何故か、車両の床面と間近にご対面しているリオーヌ。
酔っ払った貴族の男の一人が、わざとタイミング良く足を伸ばしたので、油断していたリオが引っ掛かって大きく転んでしまったのだ。
思わず失笑が漏れるラウンジ内。
これには流石に美女達も笑っている。
即駆け寄ったベールが手を差し出す。
その手を掴んで立ち上がったリオ。
『ヤバい......公子の目が笑ってない......』
戦場で何度も見てきた魔剣士リオーヌの恐ろしい目つき。
ベールが引き起こしつつリオの表情を覗き込んだ時には、確かにその目つきだったのだ。
『もしここで魔剣士となってしまったら、力付くで止めなければ。 でも俺に出来るか? あの恐ろしい『仮面の貴公子』を制することが......』
そう考えるとベールの全身に緊張が走る。
しかしリオーヌは、
『パンパンパン』
と、付いてもいない埃を払う動作を繰り返す。
ラウンジ車両内は、清掃が行き届いていて、目立つような埃が落ちていないのに......
『そうか〜。 公子は怒りを鎮めようと自身を御する為、パンパンしているのだな』
ベールはそのことに気付き、少し緊張を解く。
そして、必要以上に埃を払い終えると、
「ベール、行こう」
と、一言。
ただ、その瞬間リオーヌの両目に、何やら不気味な輝きが一瞬灯ったことを、戦士であるベールは見逃さなかった。
一方、何処かの王国の貴族らしい泥酔した男達は、
「大丈夫ですか? 坊っちゃん」
「ギャハハハハ」
「何も無いところでコケるなんて、そこの兄ちゃんみたいに屈強そうなお付きの者が居なければ、街中も歩けないんじゃね〜のか?」
「おしめも取れないお坊ちゃまは、部屋で大人しくしておくんだな」
「ここは、選ばれし上流階級の者だけが集える場所なんだよ~」
「高級ラウンジには、酒の愉しみ方を知ってから来るんだな、坊っちゃんよ〜」
等と、特にリオをクソミソに茶化して大笑い。
若い美女達が貴族である自分達では無く、若いリオを誘おうとしていた状況を妬んで、嫌がらせをしたのだ。
そして、
「ベール、行こう」
というリオの言葉を聞き、悪口に拍車を掛ける2人。
「お〜お〜、尻尾を巻いて逃げるのか?」
「ダセ〜な、お坊ちゃん」
「そこの綺麗なお嬢様方。 こんなションベン臭いガキよりも、俺達の方が素敵な夢を見させてあげられるぜ」
「どうですか? 口直しの酒をご一緒に」
貴族っぽい男2名はヨロヨロと立ち上がり、美女2人が座るソファーに近寄る。
その時であった。
「うっ......ぷっ......」
2人は急に口を押さえ、顔面蒼白に。
その場で立ち止まり、必死に何かを堪えていたのだが......
直ぐに限界が来て、2人の口から水分を多量に含んだ、キラキラしたものが若い美女2人に向けて、ドバっと勢い良く放出されたのだ。
「キャ~」
「嫌〜、汚い、臭い〜」
大量の吐瀉物を衣服に掛けられてしまった女性達。
高級ラウンジ車両内の上品な雰囲気は一変してしまい、
「フザケンなお前等」
「アンタ達、何処の国の貴族?」
「こんな非道い目に合わせて......私達はフラー王国の王族に縁のある貴族よ。 アンタ達の国王に今回の出来事を抗議するから、首を洗って待っていることね」
本性が出たのか、美しい容姿に似合わない言葉を連ねて、口汚く罵り始めた女性2人は怒り心頭で顔は真っ赤っ赤。
慌ててラウンジのスタッフ達が、酔っ払っいの代わりに女性達やその他の客に向かって低頭平身謝罪し、あらゆる備品を使って、応急処置でゲロを拭き取り始める。
それが一通り終わると、プンプン怒ったままの美女達は着替えとシャワーを浴びる為、足早にリオーヌ達の前を通り過ぎてラウンジを出て行ったのだ。
逆に2人の男達は、連絡を受けた駆け付けた列車の車掌や警備兵により、身柄を拘束。
ゲロまみれの姿のまま、女性達より先にラウンジ車両からつまみ出され、ひとまず汚物を落とす為、直ぐ近くのトイレで水を掛けられていたのであった。
その後は、ラウンジのスタッフ達によって、車両内の清掃が始まる。
吐瀉物がぶちまけられることは時々有るのだろう。
手際良く清掃が進められる。
その様子を出入口付近で、事の顛末を見極めようと、立ったまま見詰めているリオーヌとベール。
あっという間に元通りの綺麗な車内へ変貌する様子に、いたく感心していたのだった。
自分達の個室に戻ると、話が続く。
「ベール、分かっただろ?」
「何がです?」
「魔術師は、他人の心の内を覗くことが出来ないってことを」
「へっ?」
「僕がもし、魔力で人の考えていることを覗けるのならば、足を引っ掛けられて転んだりしないさ」
「あ~、なるほど〜」
リオーヌがまだあの会話の続きをしてくるとは思ってもいなかったので、最初はピーンとこなかったが、説得力のある事態に遭遇し、漸く理解したベール。
ということは、心が読めると言って、如何にもそんな感じの会話を続けていたのは、リオーヌがベールを誂っていただけだと理解したのだ。
「あまり人をおちょくり過ぎると、しっぺ返しが来るっていうことですね。 怪我した公子が正にその例」
「まあ、そういう結果だね」
思いっ切り転んでしまった際、運悪くリオーヌは鋼鉄製の列車の硬い手摺り部分に右手を強く打ちつけていて、腫れを氷で冷やしていた。
「それで俺達を滅茶苦茶誂った、性格の悪い何処ぞ屋の貴族達も、手痛い反撃を喰らったと」
ベールがニヤつきながら、リオーヌの方を見る。
あの2人が美女達に近付いた時、急に吐き気を催したのは、誰かさんの魔力の影響だと見抜いていたからだ。
「僕は、精神干渉系の魔術が得意だからね〜。 あの程度で済んだのだから、感謝して欲しいぐらいだよ」
その悪戯顔を見て、大笑いするベール。
「東方戦線で何度か有りましたね。 公子の魔力で昏睡させられた敵将。 戦場で突然ブッ倒れて、何をしても目覚め無いまま兵士達に後方へと運ばれてしまう事態が。 あれは眠ったまま魂が延々と死の淵を彷徨い、酷く苦しい夢を見させられるんだと聞きました。 でも今回の場合は、胃の中身を全て美女達にぶちまけさせられた方が、悪夢を見させられるより酷い結果だと言えますね~」
そして、この話をしているうちにベールはある事に気付いたのだ。
「公子も、やっぱり年頃の青年なんだな〜、やっぱり」
「?」
「美女達に何度も褒められて、魔力を顔の傷跡を消すことに集中させ過ぎたのでしょ? だから、酷くコケたんですね」
「......否定はしないよ......」
小声で、指摘された事実を認めるリオーヌ。
少年の時、他国に半ば人質として出され、以後いつ終わるか分からぬ長く続く戦乱の最前に飛び込み、死線をくぐり抜け、魔剣士として大きな名声を得たこの青年は、年齢に比して、万事大人びた考え方や対応をしてみせる。
しかし今回の出来事で、やはり年相応の部分も併せ持っているのだと実感したベールは、リオーヌがそうした人間っぽさを見せてくれたことで、何だかより親しみを持って仕えられるような気がしたのであった。
【第六話】
リオーヌ達がフラー王国へ向かったその頃。
シ・タン帝国の新宮殿内。
初代皇帝シーラー・シュンが鎮座する玉座の一つ『氷粋の間』では重臣達が全員揃い、皇帝を囲んで種々の討議をしていた。
中でも、東方世界の統一という世紀の大偉業に関する、その論功行賞については、既に帰国した援軍のディアナ大公国の者達に対する褒賞を除き、重臣達の議論が遅々として進まず、かなり揉め続けていたのだ。
あまりにも纏まらぬだらしない事態に、業を煮やした皇帝自ら裁可を下したことで、概ねその結論は出つつ有ったが、不満を持っている者も多いというのが実情だった。
「後学の為に、臣は陛下が方針を示された今回の論功行賞について、いささか尋ねおきたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
発言者は、帝国丞相の地位にある老臣『ゼナ・ゴウドウ』。
元々はシーラー王国の大蔵大臣であり、莫大な戦費の調達に滞りを生じさせず、天下統一を陰ながら支えた手腕を評価され、臣下として最高位の職である丞相に抜擢されていた。
「丞相の発言、許可しよう」
皇帝シュンが許諾したことで、口を開き続ける丞相。
「仮面の魔剣士なる者......名前はなんでしたかな?」
「ディアナ大公の御子息だ」
「そうそう、そうでした。 歳のせいか、少し忘れっぽくなってしまいましてな。 特に人の名が」
その言葉に座が少し和む。
「丞相は予とそれ程変わら年齢ではないか? まだまだ老け込んで貰っては困るぞ」
皇帝も丞相も齢70に達し、平均寿命が50歳に満たないこの世界では、かなりの高齢と言える。
「仮面の剣士殿は、一応帝室の遠縁に当たる人物ですが、将軍ならともかく、イチ剣士でしかない者への恩賞が過大なように感じていましたので、その御心をお教え願えればと考える次第です」
内心、ムッとした皇帝。
それは、絶対権力者である帝国の皇帝の地位について、丞相が未だ王国の国王レベルの権力と混同し、勘違いしている発言と感じたからである。
国王を遥かに凌ぐ、絶対専制君主の極みである至尊の地位、それが皇帝。
その存在が、白と言えば白、黒と言えば黒なのであり、異論無く従わねばならぬのだ。
ただ、そうした大きな変化を王国時代から付き従ってきた者達はイマイチ感じとれておらず、既に皇帝により決定され、完全に終わっている事柄について迄、後になって賢こ気に自身の意見を述べ、それを今後の皇帝の決定に反映させようと不満を仄めかしたり、策を弄そうと画策する者が多いのが、新帝国の実情だ。
そこでシュン皇帝はこの議論の方向性を、褒賞の多寡では無く、その質を問題にすべきだと考え、この機会に皇帝の真意を臣下に披露しておくべきだと考えるのであった。
「なるほど。 丞相は臣下への恩賞には金品よりも地位や爵位、所領を与えるべきだと?」
「いえ。 そういう意味ではありませぬが......」
「予は、無闇矢鱈に爵位や領地を下賜すべきでは無いと考えている。 帝国の領土臣民は全て皇帝に直属するものだからだ」
「それは......確かに一理ございますが......」
「他国の傭兵を大規模に雇って戦線に投入して来たのも、その考えに基づくもの。 功績に応じて彼等には金品さえ与えればそれで済むから、後腐れが無い。 今でも結論が出ず揉めているのは、功績の差に比べて爵位や下賜される領地の大小の差異が小さいことに、臣下全員の納得が得られないからだ。 そうであろ?」
皇帝の深慮と鋭い指摘に、列席の重臣達は無言となってしまう。
帝国領とその民全てが皇帝のものだという原理原則。
天下統一に大功を立てた者でも、相応の大領地を貰えることを期待すること自体が間違いだとシュン皇帝は指摘したのだ。
「それによく言うではないか? 大功績を立てた臣下に、それに見合う領地や地位を大盤振る舞いで与え過ぎると、最後に行き着くところは、粛清されるか、叛いて自身が君主となるかの二者択一を迫られてしまうと。 予は共に過ごしてきた忠臣達が終わりを全う出来るよう願っている。 だから、なるべく一時金で報いることに主を置き判断したのだよ」
シュン皇帝の、臣下を思いやる玉言に感服する出席者達。
『流石、当代一の英傑だ』
『論功行賞についての聖断には、深慮遠謀が有るのだ』
多くの功臣達が感じていた、貰える領地が少ないことへの不満も、少し解消される方向に臣下の心が動いたことが感じ取れた。
「話を戻そう。 仮面の剣士の場合、まず称賛されるべきは、我が軍が非常に手こずった連合軍随一の猛将『竜遣いのダズマ大王』を一撃で仕留めるという大功を立てたことだ。 それに匹敵する功績は、皇太子キョウを今日まで護り通してきたこと。 予の実子達は長い戦乱のうちに、敵の放った刺客に暗殺されたり、戦場で斃れたりして、皆が鬼籍に入ってしまっておるのだからな。 その他にも数え切れぬ大小それらの功績に報いてやったまでだ」
「しかし、下賜金が金10万(1金で1年分の米や麦が買える)、シーラー王家に代々伝わる名刀皇の譲渡等、少し度が過ぎていると臣には思えてしまうのです」
丞相が明かした、皇帝直々に贈られたリオーヌへの恩賞。
初めて聞くその過大な内容に、重臣達の間でざわめきが起きる。
「丞相。 わざわざこの場で、予が決めたことをそこまで明かし、今更反対を唱えるとは、いったいどういう了見だ? 予はシ・タン新帝国の絶対君主、皇帝であるぞ」
その強い言葉に、唖然とする丞相以下の重臣達。
シュン皇帝のこの言い方は、暗に、
『重臣・貴族達と共同権力者であった国王とは、権力構造が全く異なる』
ことを指摘したのだ。
特に、皇帝の怒りを買ったと今更気付き、内心、
『これは下手を打ってしまった』
と、相当焦るゼナ丞相。
実は丞相、かなりの吝嗇家で、地位よりも金が欲しいというタイプの人間。
ケチな質なので、王国の財務大臣としては無駄遣いを許さず優秀だった。
ただその性格から、他の大功績者が多くても下賜金一万であるのに対し、リオーヌだけがその10倍の褒賞金を貰ったと知り、ずっと不満を持っていたのだ。
「しかし、ここに出席している重臣達にも、いずれ知れ渡ることであろうし、丞相のようにケチで金に五月蝿い人間が不満を溜めても良くないから、この場で理由を説明しておこうか」
皇帝は、余計な差し出口への怒りをスーッと鎮め、大恩賞を与えたキチンとした理由が有るのだとその内心を披露し始める。
「今から二十年程前。 同盟相手である大公国の現ディアナ大公に当家から婚約者を出すことが決まったものの、陰鬱で有名な大公の元に嫁ぎたいという我が一族の女性は、多くの褒美を与えるとニンジンをぶら下げても誰も名乗り出なかった。 そこで、初代国王の異母弟を先祖とする遠縁も遠縁、王家誕生から数百年以上が経ち、既に王族と見なされていない一族が、国境付近の中央山岳地帯の山奥に纏って暮らしていることが偶然分かり、急遽その中から、最も見栄えの良い娘を予の養女に仕立て、大公の元に送った。 確か名はリリアと言ったかな?」
王国時代から仕える者にとっては、よく知られている話であった。
当時のディアナ大公国の公子、リオーヌの実父は引き篭もりで有名だったのだ。
「彼の養女は病で既に亡くなってしまっているが、悪評しか聞こえて来ない現大公の元に、嫌な顔一つせず嫁ぎ、両国の同盟関係を強固なものにしてくれた。 それが現在の新帝国建国という栄華に繋がった故、予は非常に感謝している。 もしあの娘が生きておれば、予は莫大な謝礼をしたであろう。 その彼女の忘れ形見が、仮面の剣士という訳だ」
もちろん多くの臣下は、リオーヌが皇帝の養女が産んだ一人息子であることを知っていた。
ただ、大公国の国力は、シーラー王国やその発展形のシ・タン帝国と比べれば取るに足らないもので、半ば属国だと見下していた。
それに対し、たとえ小国であっても、叛くことなく盟約を忠実を守ってきた者達を皇帝が高く評価していることを改めて表明したのだ。
「臣下の者達は知らないことであろうが、シーラー王家には数百年間所在不明となっている、初代国王愛用の双剣の魔剣が存在した。 その現在の所有者がなんと仮面の魔剣士だ。 魔剣は所有者を自ら選ぶという言い伝えであったが、まさにその通り。 僅かに我が帝室の血を受け継いでいる、あの仮面の貴公子が数々の戦場で強力な魔剣を振るい、その存在の凄さを天下に知らしめてくれた。 それを予は大変喜ばしいと思っておる。 王国建国時に間違いなく存在した秘剣。 初代国王逝去後、所在不明となった家宝が、再び予の代に突如現れ、現在の栄誉に至った。 これは偶然であろうか?」
双剣の魔剣の伝説。
その伝説とは、新たな支配者の誕生時に、魔剣がこの世に姿を現すというもの。
それを支配者である皇帝は利用していたのだった。
「仮面のあの者、盟約の証として、当家に預けられた子供の頃には現皇太子キョウの学友の一人という立場でしかなかったが、戦場でキョウが敵の送り込んだ数名の刺客に襲われた際、命を賭し大きな傷を負ってまで護り抜いた。 ただ、その刺客の放った術の一撃による酷い傷が未だに彼を苦しめ、仮面を着けることによって、その苦しみの一端を和らげる状況が続いておる。 そして戦場における功績の数々。 これらを報いるに、大公国の跡継ぎでは、我が領地を割いて与えることが出来ない故、下賜金10万を贈った。 予はそれでも足りないと思っておるが、皆はどうであろうか?」
それを聞き、重臣達の大半が思っていた。
皇帝は死者となった者の恩をも忘れず、キチンと報いてくれる方なのだと。
そして気付かされたのだ。
亡くなった者や過去の功績、裏方の功も忘れることなく、論功行賞の場においてそれらを総合的に評価した上で、今回の恩賞の分配に繋がっているという事実に。
仮面の貴公子と呼称される若者は、本来、領有数万戸、爵位は群公、役職は州の太守という恩賞を貰うべき評価をシュン皇帝がしていることも、知らされたのであった。
やがて、皇帝臨御の元、実施された最重要会議は終了した。
天下統一という偉業への論功行賞について、皇帝の聖断した方針が完全承認されたのだ。
それにより、功臣達が封じられ領有出来る土地は、重臣達が討議していたレベルの半分以下で。
その代わり、下賜金を倍に。
というものであった。
重臣達が氷粋の間から去り、残ったのは主であるシュン皇帝自身と、最大の功臣で名将と謳われるホージョ・レイオル(本名レイオル・ディアナ)のみ。
レイオルは、ディアナ大公国の前大公の実兄で、自身の才幹に自負があり、戦国の世が続く東方一帯で腕試ししたいと、大公国の継承権を放棄して出奔し、シュンの妹を娶った上で臣として仕え、その後長い間、シーラー・シュンの右腕と言われる程に、その知略と辣腕を捧げてきた者であった。
「これで漸く揉めていた論功行賞に、ケリが付きましたな」
ホッとした表情で皇帝とグラスを交わすレイオル。
「ケチな丞相を悪者にすべきだという、レイオルの進言に従ったまでだよ」
「下賜金など、幾ら配ったとしても、帝国の財務に与える影響は微々たるもの。 第一、その下賜金の源は、我等が帝国に敗北し、滅亡した数多くの国々が民の膏血を絞って溜め込んできた巨万の富なのですから」
「それを丞相は吝嗇家故、その富すら世に出さぬつもりだったのだ。 『せっかくの戦利品だ、将来に備えて』と言ってな。 名前も分からぬ数代先の未来の跡継ぎ達にそれを遺しても、一つも感謝されないさ」
「これからは太平の時代。 戦費に消えていた金が市中に回るようになることで、新帝国には空前の好景気が訪れることでしょう」
「大帝国の誕生直後が、歴史に残る優れた治世になるカラクリは、正にそれだよ」
我が意を得たりと、シュン皇帝はレイオルの言にウンウンと頷きながら、愉しそうに酒を酌み交わす。
「そこに皇帝陛下より、戦勝で得た巨万の富が下賜金として臣下に配られ、臣下達は戦乱の反動で、下賜金を豪勢に使い始める。 その金が経済成長を更に加速させ、好循環を作るのです」
「予の治世も残り十年前後と言ったところ。 それを丞相、まだまだ溜め込もうとするとは。 奴は自身の富を墓場まで持って行くつもりだったのかな?」
シュン皇帝は、
『それは愚かなことだ』
と豪快に笑い飛ばす。
「残り少ない人生。 我が世の春を謳歌しようではありませんか?」
「フフフ。 まあ、そういう流れを作る為、先ずはレイオルの大甥に莫大な褒賞金を下賜したのだから......」
2人で相談して、事前に決めていたリオーヌへの恩賞には、優れた智者達の思惑が込められていたのだった。