第1話(仮面の貴公子)
アトラ大陸。
ここは、魔力の有る世界。
その世界にある一つの大きな大陸がこの話の舞台だ。
アトラ大陸の中央部には、東西五千キロ以上に渡り、標高一万メートルに及ぶ大山岳地帯が存在し、人々の通行を妨げており、大陸を東西に二分している。
また大陸の北方は、氷に閉ざされた冷たい海が広がっているので、東西を結ぶ海上航路は、南方のみに限られる。
中央部の大山岳地帯を挟んで大陸西方地域には、20余りの国家が存在するが、現在は3大王国を中心とした緩やかな国家連合が組まれ、大きな戦いの無い状態が200年以上続く。
アトラ大陸南方の海岸沿い地帯には、統治する王朝の変遷はあるものの、古から続く帝政国家の末裔『ラ・ダーム帝国』が存在。
この帝国は、多くの人口を抱える東西各国家群の中間地点にあることで、両地域間の交流や交易をほぼ独占しており、西方において国家連合が組まれることになった最大の理由は、一時は昇り龍の如き勢いのあったラ・ダーム帝国の国力に対抗する為であった。
そしてアトラ大陸東方地域には十数カ国が存在するものの、安定した大国が存在しないことで中規模国家が群雄割拠し、100年以上の長い戦乱の戦国時代となっている。
英雄が次々と登場し、新しい国が勃興するものの、その英雄が死んでしまえば長続きせず、ものの数年で滅んでゆくという、居住する人々にとっては戦いの終わりが見えない、悪夢のような厳しい時代が続いているのであった。
西方の諸国連合に加わっている国の一つに、3大王国に匹敵する面積を有するディアナ大公国がある。
この国は地理的に、西方諸国の中で最も北方かつ東寄りに存在。
面する海は、1年じゅう氷に閉ざされ、国土の四分の三が半年以上雪に覆われるという寒冷地。
国の南側には大きな湖『レイエン湖』があって、その周辺に肥沃な穀倉地帯が広がっているものの、これは国土全体の四分の一程度。
他にこれと言った産業が無いことから、面積のわりに人口が少なく、王国を名乗れるだけの国力が無いので、ディアナ大公が治める国という意味での『大公国』という国名なのだ。
その為、王国を自称する国々のような貴族制度が存在しない。
貴族は、君主である大公ただ一家のみ。
国が貧しいことで、貴族制度を導入出来ず、西方諸国連合の各王国からは格下と見下された存在であった。
ディアナ大公国は、天にまでそびえる大山岳地帯で東側の国境が完全な安全地帯となっている他国と異なり、普段雪に覆われている北方の海沿いの狭い平坦地を抜ければ、大陸東方の国々と陸地で行き来が可能な為、建国当初より東方の国々からの侵略を防ぐという大きな役割を担っており、国力に見合わぬ大きな兵力を抱えざるを得ないという苦しさを持ち合わせていた。
『諸国連合の番犬』という渾名が付く規模の軍事力を有していたが、それ故、乏しい国力が膨大な軍事費で圧迫され、他の諸国連合に住む人々と比べ、大公国の国民は総じてかなり貧しい状態にあった。
こうした長年の懸案に対処する必然に駆られた結果、西方諸国連合に加わっていないことから、東方国家群の一つに数えられるが、人種的には西方人と東方人が半々で、長い国境線を接する『シーラー王国』と同盟を結ぶことに尽力し、やがて攻守同盟が成立。
これにより漸く軍事費を一定程度抑えられただけでは無く、シーラー王国を通じて戦乱が相次ぐ東方国家群に、その余剰戦力を傭兵部隊として派兵することが可能になったことで、派遣した東方諸国より傭兵に支払われる高額な手当てが、国民の懐と国家の歳入の足しとなるようになって久しいのだ。
ただ近年シーラー王国は、英邁な国王『シーラー・シュン』指揮のもと、国力が急激に増大し、東方一帯の北半分を支配する大国へと変貌を遂げていた。
そして最直近では、東方一帯の南半分に割拠する各国の連合軍と、天下分け目の大決戦が行われたが、予想以上の大勝利で終わり、敵対する各国が総崩れ状態に陥るという運にも恵まれたことで、東方世界の覇者となりつつあった。
そういう情勢から、ディアナ大公国軍の傭兵としての軍事活動も、専らシーラー王国に加勢するだけとなっていた。
「仮面の貴公子殿。 麾下の勇士を率いての長年の加勢と大活躍、誠に感謝にたえぬぞ」
「皇帝陛下直々の御声掛け、臣は感激の極みです」
竣工して間もない新宮殿の広大な謁見の間『翠玉』で、豪奢な玉座に座る老皇帝。
それは、新国家『シ・タン帝国』を開闢したばかりの、元シーラー王シュンの年老いた現在の姿である。
その数メートル手前で、赤い絨毯上に跪いている、若年の男。
この男が、ディアナ大公国におけるたった一人の公子『リオーヌ・ディアナ』であり、東方一帯の戦場では『仮面の貴公子』と呼ばれ恐れられる凄腕の魔剣士であった。
『仮面の貴公子』と呼称のリオーヌは、両国間に結ばれた攻守同盟の象徴としてシーラー王国の旧王都に、半ば人質のような形態で送られ、僅か10歳という年齢時からずっと滞在していた。
リオーヌは大公家の一族の中から稀に輩出される『魔剣士』(魔術を使い熟せる剣士、若しくは魔力を帯びた特別な魔剣を扱う剣士。 リオーヌの場合は両方に該当)という特別な能力を有している。
12歳で能力が全覚醒して以後は、自国の傭兵の一部を率いて、シーラー王国の王族達と共に戦いの最前線へ立つようになったのだ。
そして、新皇帝シュンの孫で次期皇帝の地位が確定している若き皇太子シーラー・キョウの最側近として、敵対する各国が次々と送り込んで来た王族の暗殺を狙う刺客達の攻撃から皇太子を護り続けてきたことで特別な信任を受け、局地戦における大活躍も併せて、ちょうど謁見の間で褒賞を受ける場面であったのだ。
「仮面の貴公子殿。 今まで数々の危機に陥った私を護り続けてくれて有り難う。 いよいよ帰国だね」
謁見の間から下がり、控え室に戻って来たリオーヌを一つ歳上の皇太子キョウが迎えていた。
「臣の為にわざわざお越し頂き、恐悦至極に存じ上げます」
丁寧な挨拶を返すリオーヌ。
これから開かれる、皇帝臨席の戦勝の宴前ということもあって、皇太子の周囲には側近達や取り巻きの貴族達もおり、
『不敬だ』
と後ろ指を指されないよう、言葉にも気を遣わなければならない。
「そんな堅苦しい挨拶は止してくれよ。 私達の仲じゃないか?」
そんな微妙な雰囲気を完全に無視し、皇太子は親しみを込めて話し掛けるが、
「東方一帯の民達が待ち望んでいた強力な政体である新帝国が建国され、殿下が次期皇帝に即位される見込みである以上、西方の一諸侯、大公の陪臣である我が身ですので、かつてのような御学友としての立場での玉音を最早賜ることなど出来ません。 どうぞご理解下さい」
リオーヌは年齢に比して、かなり堅い人となりであるようだ。
「では、大公国への帰還の途に着く前に、かつて貴公が私を護った際、顔面に大きな傷を負わせてしまったことに対する償いをさせてくれないか? ずっと気になって仕方がないのだ」
凄腕の魔剣士であって、数々の敵将を一撃で、しかも当人が絶命したことに気付いていないだろうと言われる程の鋭い斬れ味の魔剣を振るう姿が、あまりにも華麗で優美な姿に見えることから、
『貴公子』
と称されているが、平時の人となりも渾名に相応しい雰囲気を纏っているようだ。
そもそもリオーヌが仮面を着けている理由だが、5年前に発生した敵味方相交える大乱戦の最中、起死回生を図る敵国の刺客達多数が、当時大将軍の肩書きであったキョウの命だけを直接狙ってきたことが有った。
その際、リオーヌが身を挺しつつ、華麗に余裕を持って庇った筈だったが、敵の術師が放った執念の一撃が、リオーヌの眉間から鼻筋の下部までを斬り裂いたのだ。
リオーヌは魔剣を振るって、直ぐに返り討ちにしたものの、亡国の術師の怨みを込めた渾身の斬撃術により、傷跡が繰り返し酷く膿むようになってしまう。
このことに責任を痛感したキョウ皇太子が、あらゆる手段を使って招かれた東方の術師達が、種々の回復術を掛けても消えることは無かった。
長い時を経て、死者の術が弱まったことで腫れが治まって以後は、目と鼻を覆う仮面を装着するようになって久しい。
それで今では、
『仮面の貴公子』
と敵味方双方の者達から称賛を込めて呼ばれている。
「何度もお話ししていますが、この傷は臣の油断から生じた隙により負ったものです。 殿下が気に病む必要はありません」
深々と頭を下げて答えると、その後、
『お気持ちだけ』
と謝意は受け取ったリオーヌ。
皇太子のキョウは、式典に出席する時間が迫ってきたので、一旦リオーヌの前から退いたのであった。
その日の夜。
長い戦乱もあらかた片が付き、リオーヌはディアナ大公国からシーラー王国側として参戦していた一万人以上の傭兵を率いて故国に帰還する準備を終え、新帝国で過ごす最後の夜空を、充てがわれた宮殿内の部屋の窓から眺めていた。
「リオ、まだ起きていたね、良かった〜」
皇太子がざっくばらんの様子で、部屋に入って来たのだ。
「キョウと共に戦い、共に勉学や鍛錬に励んだ7年。 それが今夜で終わると思うと、何だか感傷的になってしまってさ〜」
仮面を外しているリオーヌ。
皇帝の前でも外さない(特権で認められている)ので、本当に滅多にないことなのだ。
「素顔を見るのは、1年ぶりぐらいだよね?」
「......」
キョウの問い掛けに、無言で頷いたリオ。
傷を負った当初は、顔面が腫れ上がって、それはもう、誰もが目を背ける酷い状態であったが、術師達の治療の効果が少しは有ったのか、それともリオーヌの魔術と魔力が大きく成長した影響によるものなのか、それはよく分からないが、だいぶ目立たなくなっていた。
「もう、仮面を着けなくても、良さそうだけど......」
皇太子はそのような感想を述べたが、
「キョウ。 これは僕自身への戒めなんだ。 少し腕が立つからって、慢心してはダメだという、ね」
そう答えると、魔力で仮面を装着する。
その瞬間、リオーヌは凄腕の魔剣士『仮面の貴公子』に戻ってしまう。
その仕草を見詰めていた皇太子。
「そうだ。 昼話した僕からの謝礼の件だけど、姉のセリスをリオに嫁がせる約束でどうかな?」
突然の申し出に、魔力でガッチリはめた筈の仮面が外れてしまう程、動揺するリオーヌ。
セリスはキョウの双子の姉で、その美貌は東方一帯に響き渡っている程の麗しき女性なのだ。
祖父である現皇帝も非常に可愛がっており、帝国建国後は、おいそれと会うことも出来ない深窓のご令嬢の如き扱いとなっている。
「いやいや。 俺みたいな醜男のところになんて、セリス様が可哀想ではないか?」
焦って、ひとまず断りを入れるリオ。
シーラー・セリスを嫁にと願う重臣や将軍は枚挙に暇がない程の数と言われている。
そういう噂が流れている理由だが、論功行賞の場において、それこそ領地も爵位も要らないので、セリス様を降嫁させて欲しいと皇帝陛下に申し出ている功臣がかなり居るらしいからだ。
それ程にまで人気のある皇女様を、自分のような若輩の、しかも帝国外の余所者に下賜された場合、相当な恨みを買ってしまい、故国に帰りつけるかも危うい。
「そっか〜。 リオは姉様がオッサン達に嫁がされても平気なんだ〜。 ちょっと興醒めだな~」
わざとらしい失意丸出しで嘆くキョウ。
チラりとリオーヌの方に視線をやるが、既に仮面を装着し直していたので、その表情を読み取ることは出来ない。
「せっかく姉様の承諾も得ているのにな〜」
初めて聞く話に、内心ドキドキしてしまうリオ。
この7年間、勉学や武芸の稽古の際には、キョウだけでは無くセリスを含めた3人揃って王族専用の教師から教わっていた間柄なのだから、当然リオーヌにとってセリスは憧れの存在なのだ。
「皇帝陛下の許諾は得ていないのだろ?」
少しはぐらかそうとする質問に、
「そこなんだよな〜。 御祖父様は姉様をどうするつもりなのかな......」
キョウにとって、同じ母から生まれた姉弟は、セリスただ一人。
長い戦乱で、実父や叔父等、多くの旧王族は皇族となる前に大半が戦場で亡くなっているので、人一倍姉の行く末を心配している。
皇族や王族に連なる女性は、政治的な理由で当人の意に沿わぬ相手に嫁がなければならない場合が多いというのが、この世界の原理原則だ。
しかも、次期皇帝の実姉ともなれば、その夫の地位を狙う野心家は無数に居る。
セリスを手に入れれば、外戚として権力に最も近しい人物の一人という立場へ容易になれるのだから......
「リオ。 ひとまずこの話は保留にしておくけど、僕達姉弟の希望は君だということを、覚えておいて欲しいんだ。 もちろん御祖父様の意向次第だし、実現は難しいかもしれないけど」
その言葉に頷いたリオーヌ。
「僕からキョウに特別なお願いが出来るということならば、新帝国と大公国が敵対関係にならないよう、配慮して貰えればってことかな...... 同盟を結んだ当初の国力比は2対1ぐらいだったのが、今や20対1ぐらいの大差だからさ」
肩を竦めて、
『ディアナ大公国がシ・タン帝国と敵対するのは最早完全に無理だ』
とジェスチャーでも示したリオ。
その後も当面最後となる談笑を続ける2人であった。
翌日。
新宮殿内の大演舞場に、勢揃いしたディアナ大公国軍から派遣されていた傭兵達、その数約一万人。
それを率いるのは、7年ぶりに故国へ帰還する公子のリオーヌだ。
「長い間、貴国の盟友として肩を並べて戦い、生き抜いて現在、共に栄誉を得られたことを誇りに思う」
仮面の貴公子が代表して挨拶をすると、その合図で帰国し始めたディアナ大公国からの傭兵達。
中には十数年もの間、戦場に立っていた者も居るという。
西方人と東方人は人種が少し異なり、大公国軍の者達は、東方一帯の兵士より一回り体格が良い者が多く、旧シーラー王国軍としては、頼りに感じられる傭兵達であった。
ただし、西方人であるリオーヌはそれ程背が高くなく、東方人で身長174センチの皇太子キョウと似たりよったりの体格でしかなかった。
大勢の人々の見送りを受けながら、新帝都の大通りを北西方向へと闊歩する傭兵達。
その見送りの中には、昨晩話題となった皇太子の姉セリスの姿も見られたのであった......