第22話 アートギャラリーの罠(わな)と高額契約(こうがくけいやく)を結んだ先輩(せんぱい)
お読みいただきありがとうございます! 第22話です。
【ここまでのあらすじ】
「不動産営業マン」になった翔太先輩は、「気合と根性」の昭和スタイルで営業に挑むも、成果はゼロ。一方、湊はデータ分析と的確なターゲティングで内覧予約を獲得する。自分のやり方が通用しない現実を知り、翔太先輩は深く落ち込んでしまった。
【主な登場人物】
水無瀬 湊
本作の主人公。令和2年生まれの5歳児。中身は冷静な20代。先輩の旧式なスタイルに、もはや哀れみを感じている。
桜木 翔太
本作の先輩。平成29年生まれの小学二年生、8歳。営業成績ゼロ。市場の変化についていけず、心が折れている。
――営業の厳しさに心が折れてしまった翔太先輩。傷心の彼が街を歩いていると、キラキラした笑顔の「お姉さん」に声をかけられる。それは、甘く、そして危険な罠の始まりだった…。
不動産営業の仕事で、自分の旧式なスタイルに打ちのめされた翔太先輩。その日は、すっかり意気消沈して、僕と二人でパークを当てもなく歩いていた。
その時だった。
「あら、そこのお兄さん。とっても素敵な感性をお持ちですね。よろしければ、こちらの絵画をご覧になりませんか?」
ふと声をかけられて振り返ると、そこにはキラキラした笑顔の、美しいお姉さん(小学校高学年女子)が立っていた。彼女は、新しくオープンしたばかりの『モダンアートギャラリー』のスタッフらしかった。
翔太先輩は、年上の綺麗なお姉さんに声をかけられただけで、顔が真っ赤になっていた。
「え、あ、僕ですか…? か、感性だなんて、そんな…」
「ええ、分かります。その瞳の奥に、芸術を理解する深い知性を感じますもの」
お姉さんの巧みな褒め言葉に、翔太先輩はすっかり有頂天になっている。
(これは…まずいパターンだ…)
僕の嫌な予感は、的中する。
ギャラリーの中に誘い込まれると、そこには抽象的な絵画がずらりと並んでいた。
お姉さんは、翔太先輩にぴったりと寄り添い、ささやくように解説を始める。
「こちらの作品は、現代社会の孤独と希望を表現しておりまして…翔太さんのような、物事の本質を見抜ける方にしか、この価値は分かりませんの」
「ほ、ほう…なるほど、深いな…」
翔太先輩は、全く理解できていない顔で、知ったかぶりを繰り返す。
そして、ギャラリーの一番奥に飾られていた、一枚の絵の前で、お姉さんは足を止めた。
それは、シルクスクリーンの技法で刷られた、青い海をジャンプするイルカの絵だった。キラキラとしたラメが、無数に散りばめられている。
「この絵との出会いは、まさに運命ですわ、翔太さん。このイルカは、困難に立ち向かい、未来へ飛躍するあなたの姿そのもの…」
「お、俺の…姿…」
翔太先輩は、完全にその気になっていた。
お姉さんは、とどめを刺すように、彼の耳元で囁いた。
「この絵を飾れば、あなたの未来は、きっとこのイルカのように輝かしいものになりますわ。お値段は、あなたのような特別な方にだけ、3000キッゾでご提供します」
3000キッゾ。僕が欲しがっていたサイバーサングラスの3倍の値段だ。なんと22話にして、いまだに買えていないのだ。
しかし、今の翔太先輩には、正常な判断力は残っていなかった。
美しいお姉さん、心地よい賞賛、そして「運命」という甘い響き。その全てが、彼の理性を麻痺させていた。
「…買います! 俺は、このイルカと共に、未来へ羽ばたきます!」
彼は、差し出された契約書に、震える手でサインをした。
その瞬間、お姉さんの笑顔が、ほんの少しだけビジネスライクなものに変わったのを、僕は見逃さなかった。
僕が慌てて駆け寄った時には、もう手遅れだった。翔太先輩は、ゴールドカードで一括払いをしてしまった後だった。
「先輩、これは…! 典型的な絵画商法ですよ! 雰囲気に流されて、高額な商品を買わせる手口です!」
僕の言葉に、翔太先輩はハッと我に返り、レシートを見て顔面蒼白になった。
「さ、3000キッゾ…!?」
ATMで残高を確認し、彼はその場にへたり込んだ。
「俺の…俺の貯金が…! 1万2千キッゾあった俺の資産が、一瞬で9千キッゾに…! 俺の血と汗と涙の結晶が…! 4分の1も…!」
ローン地獄に陥ることはなかったが、彼が長年かけて築き上げてきた、唯一のプライドの源泉であった「キッゾ貯金」が、大きく目減りしてしまった。その精神的ダメージは、ローンよりもむしろ大きいかもしれない。
「俺の…俺の未来が…イルカと共に、資産の海に沈んでいく…」
彼は、3000キッゾのイルカの絵(思ったより小さい)を抱え、わなわなと震えていた。
その日、翔太先輩は、キッゾニアの甘さと、承認欲求につけこむ社会の本当の厳しさを、人生で最も高い授業料(3000キッゾ)を払って学ぶことになったのだった。




