第14話 変わらぬ天井の空(そら)と“こんばんは”の謎(なぞ)
お読みいただきありがとうございます! 第14話です。
【ここまでのあらすじ】
世界の壁に打ちのめされた翔太先輩は、出版社パビリオンで名門私立小学校に通うエリート少年「ジョージアくん」に遭遇。彼の前ではヘコヘコし、裏では悪態をつくという、あまりにも人間臭い小物っぷりを披露してしまった。
【主な登場人物】
水無瀬 湊
本作の主人公。令和2年生まれの5歳児。中身は冷静な20代。先輩の小物感に、もはや親近感すら覚え始めている。
桜木 翔太
本作の先輩。平成29年生まれの小学二年生、8歳。強い者には巻かれるタイプ。そのプライドは、すでに風前の灯火。
――エリートへの嫉妬と自己嫌悪で、もはや何が本物で何が偽物か分からなくなってきた翔太先輩。そんな彼が、ついにこのキッゾニア世界の「根源的な謎」に気づいてしまう…!
いつものようにキッゾニアで仕事に励んでいた、ある日のことだった。
ふと、翔太先輩が立ち止まり、じっと天井を見上げていることに、僕は気づいた。
「先輩、どうしたんですか?」
「なあ、湊くん…。一つ、気になっていることがあるんだが…」
彼の表情は、いつになく真剣だった。まるで、世界の根源に関わるような、哲学的な問いを前にした賢者のようだ。
「このキッゾニアの空は、なぜいつも同じなんだろうか…?」
彼が指さす天井には、青空と白い雲が描かれた壁紙が貼られている。それは、僕らが朝に来ようが、昼に来ようが、閉園間際になろうが、常に寸分違わぬ姿でそこにある。雨も降らなければ、風も吹かない。
「俺は今まで、気にも留めていなかった…。だが、一度気づいてしまうと、もうダメだ…。この空は、作り物なんじゃないか…? 俺たちは、大きな箱の中で、空の絵を見せられているだけなんじゃないか…?」
(今さら、そこに気づいたのか…)
僕は、彼のあまりにも純粋な疑問に、かける言葉が見つからなかった。
さらに、翔太先輩の悩みは加速する。
「それに、だ! なぜここのスタッフ(SV)は、朝の10時に会っても『こんばんは』って言うんだ!? まだ日は高いのに! なぜなんだ!?」
キッゾニアでは、夜の街で働くというコンセプトのため、挨拶は常に「こんばんは」に統一されている。それは、この世界における「ルール」であり「お約束」だ。しかし、世界の真理に目覚め始めた翔太先輩にとって、それはもはや看過できない「矛盾」となっていた。
彼は、近くにいたSVのお姉さんを捕まえ、真剣な顔で詰め寄った。
「SVさん! 教えてください! なぜ空は変わらないんですか!? なぜ外は夜じゃないのに『こんばんは』なんですか!? 俺たちは、一体どこにいるんですか!?」
SVのお姉さんは、彼のあまりの剣幕に少し戸惑いながらも、完璧な笑顔で答えた。
「ふふふ、それはね、キッゾニアが『子供たちが主役の、夜の街』だからだよ。いつでも、素敵な夜の気分でお仕事できるようにね」
マニュアル通りの、完璧な答えだ。
しかし、今の翔太先輩には、その答えは響かなかった。
「違う! そういうことじゃないんだ! もっと、こう…存在論的な意味でだ!」
「そんざいろんてき…?」
SVのお姉さんを困らせる翔太先輩を見て、僕はそっと割って入った。
「先輩。それは、映画を見ている時に『これは作り物だ』って考えるのと同じですよ。楽しむためには、ある程度の“お約束”を受け入れることも必要なんです」
「だが湊くん! 真実から目を背けて、偽りの平和を享受することが、果たして本当に『楽しむ』ということなのだろうか!?」
(面倒くさい哲学者みたいになってる…)
その日一日、翔太先輩は上の空だった。
ピザ職人の仕事中も、天井の空を見上げて「このペパロニは本物なのに…」と呟き、銀行員の仕事中も、「このキッゾは本物なのに、挨拶は偽物だ…」と頭を抱えていた。
閉園時間になり、「上からコール」がかかってきても、彼はまだ悩んでいた。
「なあ、湊くん。俺たちは、明日もまた、同じ空の下で『こんばんは』って言うのか…?」
その目は、まるで出口のないループものに囚われた主人公のように、切実だった。
僕は、そんな先輩の肩を叩き、言った。
「大丈夫ですよ、先輩。明日になれば、きっと今日の悩みなんて忘れて、また『昔はもっと凄かった!』って言ってますよ」
「…それもそうだな!」
僕の言葉に、翔太先輩はなぜかあっさりと元気を取り戻した。
彼の悩みは、海よりも深いようでいて、金魚すくいのポイよりも脆いのかもしれない。
そんな先輩の単純さに、僕は少しだけ安心し、そしてやっぱり、少しだけ呆れてしまうのだった。
キッゾニアの偽物の空の下で、僕らのリアルな一日は、こうしてまた終わっていく。