10-3
「……付き合ってるってこと、言うの?」
月曜日の朝、しおりと灯は並んで駅へ向かう道を歩いていた。前日までの甘やかな時間が、まだ体温として残っている。けれど現実は、容赦なくふたりを引き戻してくる。
「言おうと思ってる。もう隠す必要、ないでしょ?」
しおりは真っすぐ前を見ていた。その横顔は、どこか強く、そして美しかった。
「でも……」
灯は小さく声を落とした。
「うちの職場、保守的だし……“そんなの、理解できない”って空気、まだある。しおりの学校はどう?」
「たぶん、同じ。でも、だからこそ変えていけるって思いたい。私たちの存在が、誰かの希望になるなら」
灯はしおりを見つめた。ほんの数ヶ月前まで、同じように不安に震えていた彼女が、こんなにも堂々としていることが、眩しかった。
――わたしも、変わりたい。
電車がホームに滑り込む音が聞こえる。
ふたりは自然に手を繋ぎかけて……けれど、その手は途中で止まった。
誰かの視線を、気にしてしまったから。
まだ、ほんの少しだけ。
「……じゃあ、今夜。私から、家で話す」
灯は小さく頷いた。
それは、\*\*「家族に打ち明ける」\*\*という宣言だった。
---
その夜。灯の実家では、静かな夕食の後に、父と母がテレビの前でくつろいでいた。灯は、膝の上で指を組みながら、何度も言葉を飲み込んだ。
「……ねぇ、ちょっと話したいことがあるの」
父が顔を上げ、母がテレビの音量を下げた。
「しおりさんのことだけど……私、彼女と付き合っています」
一瞬、時間が止まった。
沈黙が、部屋を支配する。
父は箸を置いたまま動かず、母は視線を伏せたまま、深く息を吸った。
「……本気なの?」
「本気です。しおりと、真剣に愛し合っています」
しばらくして、母がようやく顔を上げた。
「……あの子、とてもいい子ね。でも、灯……あなたの人生、ちゃんと考えてるの?」
「もちろん。私は、彼女と生きていくって決めたから」
父は眉間に皺を寄せたまま、まだ言葉を選んでいた。そして、重たく口を開いた。
「……反対はしない。ただ、世の中は甘くないぞ」
「知ってる。でも、恐れてばかりの人生にはしたくないの」
その言葉に、父の表情がわずかに緩んだ。母は小さく微笑み、灯の手をそっと握った。
「……なら、応援するわ。あなたが自分の幸せを信じられるなら」
灯はその場で、こぼれる涙を止められなかった。
翌日、しおりもまた、大きな決断をした。昼休み、信頼する同僚・岸本に打ち明けたのだ。
「柊木先生……そうだったんですね」
「うん。言うべきか迷ったけど、隠し続けるのも違うと思って」
岸本は少し黙ってから、真っすぐなしおりの目を見て言った。
「……ありがとうございます。私、偏見とか持ちたくなかったけど、実際に“近くの誰か”がそうだと知ると、考えること、いっぱいあります。でも、先生が先生である限り、それで充分です」
しおりは、胸が熱くなるのを感じていた。
小さな一歩。けれどその積み重ねが、世界を変えていくのだと信じた。
週末の朝。灯としおりは、まだ人の少ない海沿いの遊歩道を歩いていた。手を繋ぎ、言葉は少なくても、心が満ちていた。
「わたしたち、少しずつ変えていけてるかな」
灯がぽつりと呟く。
「うん。すぐには全部うまくいかない。でも、嘘をつかないって決めたから」
潮風がふたりの髪を撫でる。
「しおり。あなたといると、ちゃんと“私でいられる”んだよ」
「それは、私も」
そして、灯はしおりの手をぎゅっと握った。
「これから先、何があっても、あなたの隣にいる。……それが、私の答え」
しおりはそっと灯の額に口づけを落とした。
「愛してる。灯」
「私も……愛してるよ、しおり」
朝焼けのなかで、ふたりは肩を寄せ合いながら歩き出す。
未来へ向かって。
もう、隠さない心とともに。




