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灯は、しおりの胸の上に顔を埋めたまま、静かに息を整えていた。
しおりの指が、灯の髪をゆっくり梳いている。優しく、繰り返し。
まるで「ここにいていいんだよ」と、何度も伝えるように。
「しおり……」
やっと絞り出すように名前を呼んだ灯の声は、わずかに震えていた。
感情の波がまだ身体の奥で揺れているようで、彼女のまつげには小さな涙の粒が残っていた。
「ねぇ……しおりは、わたしのこと、本当に……変じゃないって思ってる?」
唐突な問いかけだった。けれど、それは灯の心の奥にずっと沈んでいた“問い”だったのだろう。
幾度となく、誰かに否定され、遠ざけられ、拒まれてきたその記憶。
しおりは、そっと灯の頬を両手で包み込む。
「……ううん。あなたは、誰よりも美しくて、誰よりもまっすぐな人。
わたしが心から、尊敬して、愛してる人……それが“灯”なんだよ」
その言葉に、灯はぽろりと涙を落とした。
嗚咽ではなく、確かな安堵の中で滲む涙。
「ありがとう……ほんとうに……わたし、ずっと怖かった。
好きになることも、触れることも、何か間違ってる気がして……」
「ううん、間違ってなんてないよ。灯が、私を愛してくれること。
それを“正しい”って言ってあげられるのは……この世界で、私しかいないと思ってる」
しおりの言葉は、灯の胸に灯る小さな希望の火を、そっと大きくしてくれた。
不安に震える心の隙間を、ぬくもりで満たしてくれる。
「だから……灯。私だけに、許して? あなたのすべてを、感じさせて」
そう囁いて、しおりは再び灯の唇にキスを落とす。
今度は、ただの愛撫ではない。
“名を呼びたくなるほど”に、愛しているという証のキスだった。
唇から、首筋へ。
首から、胸元へ。
そしてそっと、彼女の名を口にする。
「灯……」
名前を呼ぶ声は、彼女の存在を祝福する音楽のように、甘く、優しく響いた。
「呼ばれると……なんだか、苦しいくらい、嬉しくなるの……」
灯がそう呟くと、しおりは微笑む。
「わたしも。あなたの声で、何度だって呼ばれたい」
互いの名前を、何度も呼び合う。
触れながら、抱きながら、まるで心の輪郭をたしかめるように。
その夜、ふたりはずっと、互いの名を呼び合っていた。
キスを重ねながら、肌を重ねながら、どこまでも深く、愛し合いながら。
そして、ふたりの声が重なるたび、孤独だった過去が少しずつ癒えていく。
愛する誰かに“名前”を呼んでもらえることの意味を、灯も、しおりも、初めて知った。
それは、身体を重ねるだけでは届かない場所に、ふたりの愛が確かに届いた証だった。




