9ー1
それは、触れ合うたびにほどけていくような、
長い長い、赦しの時間だった。
夜は、静かだった。
時計の音すら遠ざかり、ふたりの吐息だけが、部屋を満たしていた。
東京の街が窓の向こうに霞むなか、灯としおりは、互いの指先を確かめるように繋いでいた。
「…こんな夜が、いつか来るって思ってた?」
灯がふと呟く。横顔にはかすかな赤みが差し、まるで夢の中にいるようだった。
しおりは静かに微笑むと、頷いた。
「ううん。思いたかっただけ。……でも、今なら信じられる」
視線が合う。まっすぐに、優しく、深く。
そっと指先が、灯の頬をなぞる。肌がふれるたび、あたたかな電流が流れた。唇が近づき、目を閉じるその直前、しおりの囁きが灯の耳に触れた。
「……あなたがいるこの夜が、どれほど尊いものか、ちゃんと伝えたい」
キスは、深く。けれど激しさではなく、祈るような静けさを纏っていた。
そして、そこから始まったのは、決して“行為”ではなかった。
心が重なり合うことでほどけていく、痛みと、迷いと、渇き。
──灯の視点──
「痛くない?」
「うん、大丈夫……むしろ、しおりがこうしてくれると……安心するの」
背中に回された腕、くすぐるような吐息、甘く名前を呼ばれるたびに、心が溶けていくようだった。
あの頃、言えなかった言葉たち。
「あんた、ちょっと変だよね」と笑われた中学時代。
誰にも言えず、夜に枕を濡らした学生時代。
でも今、しおりは何もかも受け入れてくれる。
“灯”という存在の、隅々まで。
「もっと触れて。……あなたに、包まれていたいの」
手のひらが肩に触れ、背中をなぞる。くすぐったさと温かさと切なさが交錯し、灯は喉を鳴らした。
──しおりの視点──
灯の声が、肌が、呼吸が、愛おしい。
“恋”はたくさんしてきた。けれど“本気で、この人のすべてを守りたい”と願ったのは、灯だけだった。
結んだ指を、やさしく口づける。
バスローブの隙間から覗く白い肌に、髪を垂らす。
瞳が合うたび、灯は少し照れたように笑ってくれる。
「……キレイだよ」
その一言に、灯は肩を震わせた。
「ほんとに? こんな私でも、綺麗?」
「こんなあなたじゃないよ。…“あなた”だから、綺麗なんだ」
再び口づける。唇だけでなく、まぶたや手の甲や、呼吸の隙間さえも。
──
ベッドの上、時間は流れず、ただ感情だけが満ちていた。
熱いキスを交わしながら、灯の身体に触れていくしおりの指は、言葉以上に深く語る。
「大丈夫」「気持ちいい?」「ここ、好きだったよね」
そんな言葉の代わりに、まなざしと触れ合いで確かめ合う。
灯の声が震えるたび、しおりの心臓が跳ねた。
彼女のすべてを抱きしめるたび、自分の存在が、ようやく意味を持ち始める。
愛は、社会が定義するものじゃない。
自分たちが信じて、与えて、確かめ合うもの。
灯の手を取り、唇を寄せたそのとき。
どこか遠くで、朝の気配がそっと顔を覗かせた。
ふたりの夜は、まだ終わらない。
触れるたび、愛は深くなっていくのだから――




