8-2
街は春の装いを始めていた。柔らかな陽射しがビルの谷間を抜け、舗道にちらつく花びらが踊る。灯はその景色を見つめながら、どこか遠くを見ているような目をしていた。
――もう、戻れない。
彼女の中で、何かが確かに変わりつつあった。
しおりと出会ってからの日々は、柔らかく、優しく、時に熱くて甘い。けれど、灯の中に巣食っていた「罪悪感」のようなものは、完全には消えていない。
母からの電話。親戚の結婚式の招待状。
「そろそろ、あなたも“普通”を考えたら?」
その一言が、まるで棘のように胸に刺さっていた。
しおりは、すべてを知っていた。灯の家庭環境も、母との距離感も、そして、自分を好きになってしまった「こと自体」が、時に灯を苦しめるということも。
けれど、彼女はただ、そっと隣にいてくれる。
「誰に何を言われても、私は灯の味方よ」
その言葉に、どれほど救われただろう。
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一方、しおりもまた、別の形で葛藤を抱えていた。
職場の先輩からの言葉。
「最近、プライベートが充実してるみたいね。誰かいるの?」
答えられない自分がいた。嘘をつきたくない。でも、すべてを話してもいいのか、わからなかった。
灯の存在は、しおりにとって「愛」そのものだった。
過去に何人かの女性と短い関係を持ったことはあった。
けれど、こんなにも心と身体の奥から、誰かを必要としたことはなかった。
灯の笑顔。灯の涙。灯の、恥じらいながら快楽に身を任せる姿。
そのすべてが、しおりの心と欲望を支配していた。
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ある晩。灯の部屋で。
小さなランプの灯りだけが、部屋の片隅で揺れていた。
ベッドの上で、灯は白いワイシャツだけを身にまとい、手を後ろでゆるく縛られていた。
「ねえ、どこまで焦らされたら、灯は泣きたくなるの?」
しおりの指が、ゆっくりと肌をなぞる。耳元で囁く声に、灯は体を震わせる。
「……そんなこと、言わないで」
「でも、教えてくれるでしょ。灯のすべて、私に預けてくれるんでしょ?」
舌先が鎖骨をなぞり、しおりの指先は脚の間へ。
灯は小さく声を漏らしながら、言葉ではなく全身で応えた。
愛されている。確かに、深く。
痛みも、恥じらいも、快楽も、すべてを受け止めてくれるこの人となら――
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プレイのあと、2人はバスローブを羽織って、窓辺に並んで立った。
街の灯が滲む夜景の中、しおりが言った。
「私たちが愛してるって、誰に否定されても関係ないよ」
灯は、しおりの肩にそっともたれながら、静かに頷いた。
「ううん。むしろ、あなたに愛されてることが……誇りなの」
しおりの腕が、そっと灯の肩を抱く。
この人となら、未来を歩いていける。
それが、いま灯が生きている理由だった。




