6-1
休日の午後、やわらかな光が差し込むキッチンで、灯はしおりのためにエプロン姿で料理をしていた。
コンロの火を見つめながら、野菜を刻む手の動きがどこかゆっくりで、丁寧だった。炒めていた玉ねぎの香ばしい香りが部屋に満ちる。
「ねえ、もうすぐできるよ」
背後からそっと抱きしめられる感覚。
しおりだった。灯の肩に顎をのせるようにして、彼女の背中に自分の体を預ける。
「ん……いい匂い。今日も頑張ってくれてありがと」
「……しおりに食べてもらえるの、嬉しいから」
小さな声でそう言った灯の耳に、唇がふれた。
軽く啄むようなキスが、首筋へ、頬へと落ちていく。灯は少しだけ身をよじったが、しおりの腕の中から逃げはしなかった。
「こうしてると、全部忘れられるね」
「……うん。ふたりでいれば、世界なんて関係ない、って」
それが、どれだけ尊いものなのか。
このとき、ふたりはまだ知らなかった。
――数日後。
灯としおりは、カフェのテラス席にいた。
肌寒い風にカーディガンを羽織りながら、灯はメニューを見つめる視線の先に、どこか緊張の色を浮かべていた。
「……大丈夫?」
「うん。うん、大丈夫」
だがその時、偶然にも大学時代の知人――梶と名乗る男性が声をかけてきた。
「えっ、灯? やだ、偶然だなぁ。久しぶり!」
一瞬にして顔がこわばる灯。
しおりはその空気を敏感に察知し、彼女の手を机の下でそっと握った。
「梶くん……ひさしぶり」
彼は昔と変わらない調子で、当時のサークルの話や恋バナを蒸し返し、何気ない様子で「灯も、もういい人見つけたの?」と訊ねた。
「……ええ、まあ」
灯はしおりの方を一瞬見て、視線をそらした。梶は気づかないふりをしたまま、「お、じゃあ彼氏?」と続ける。
その瞬間、灯の指先がしおりの手をぎゅっと握りしめた。
「うん……大事な人がいるの」
「へえ、そっかー! じゃあまた連絡しようよ、みんなで集まったりしたいし」
軽いノリで去っていった彼の背中を見送りながら、しおりはぽつりと呟いた。
「言い返してやればよかったのに」
「……でも、怖いの」
灯の声は震えていた。
「嫌われるのも、拒絶されるのも怖い。……あなたの隣にいる自分が、誰かに否定されるのも怖い」
しおりはそっと、灯の頭を撫でた。
「……私は、誰がなんと言おうと、灯を誇りに思ってる」
その夜。
ふたりはしおりの部屋で、静かに寄り添っていた。
灯がベッドの上でうつ伏せになる。
しおりはスカーフで灯の手首をやさしく縛りながら、囁いた。
「怖がらなくていい。私は……あなたの全部を愛してる」
軽くキスを落としながら、背中を指先でなぞる。
布越しの感触に、灯は息を詰める。
「しおり……ねえ、見ないで……」
「見るよ。だって、あなたが綺麗だから」
鏡の前に移されたふたりの姿。
灯は羞恥に震えながらも、しおりの言葉にとろけていく。
「ここも、好き。声も、熱も、全部……愛してる」
繰り返されるキス。
愛撫。
灯の全身が、快楽と愛で包まれていく。
――やがて夜が明け、ふたりはバスローブのまま、窓辺で朝の光を見ていた。
「私たちが愛してるって、誰に否定されても関係ないよ」
「ううん。むしろ、あなたに愛されてることが、誇りなの」
窓の外には、新しい一日が静かに始まろうとしていた。