第六章 クイズと迷走のダンジョン
第六章……クイズと迷走のダンジョン
またまたイシブミを素通りし、コモコモを先頭にこの日は山を登る。
ダンジョンは洞窟だ。地下の遺跡、古えの構造物だが、それ以外、モンスターが巣食う根城の多くは山の奥深くにある天然の洞窟だ。小さいものはほら穴、地図が必要になる広さで洞穴、そしていまだ攻略されていない、全貌が明らかになっていないものがダンジョンである。
草原には出ないで森の中のゆっくりと上っていく道をゆく。
森は深く、緑は濃くなっていくが、けもの道とも猟師が使うその都度草や枝を薙いだだけの細い道とも違う、明らかにもっとまっすぐに切り開かれたヒト族による痕跡のある道が通っていた。ジグザグに斜めに上り折り返しで勾配をゆるくする道になっていないのが、兵隊が力任せに通るのにふさわしいルートだった。道沿いにぼこぼこと大きな穴があるのは、魔法によって根こそぎに伐採した跡だろう。穴には落ち葉が溜まったり、水たまりになったりしていた。例えば、切り株が残っていると雑草が生えて道にまではみ出してきたり、苔むしてやがて木々に浸食される温床になったり、種が飛んで道の真ん中に若木がひょろっと育ったりする。人以外も通りやすいからけもの道になるのは、ある意味で管理の役に立つ。しかし、モンスターの縄張りになったら、何のための整備なのかという話になる。ずっと王国の兵団の攻略が続いているから、継続的に道の管理もされているようだ。
コモコモは、きょうも先頭で、あとのふたりも負けずに健脚なのであった。三人はやっぱりきょうも競うように足早に山を登って行った。
ほの暗い森の中は、高度を増すにつれ下のほうには枝がなくて太い幹に荒々しい表面をさらした樹木が立ち並び、その隙間から、まるで天女がいっぱい持ちすぎてる帯をお付きの人がうっかり手を滑らせて棚からひっくり返してしまったかのように、いくつもななめに白い陽光が差し込んで、幻想的な光景を見せていた。が、三人には景色など関係ないようでずんずん進んだ。
山の中腹まで登ってきて、開けた場所に出た。来た道とも違う土色の広場のそこここに建物が立ち並んでいる。軍の宿舎にしては規格や仕様とは無縁そうな丸太小屋。広場の回りにはなぎ倒された樹が折り重なって放置されたままだ。強大な物理攻撃の魔法を山肌に放ったに違いない。自然現象ではありえない限定的な範囲でごっそりとくり抜かれた跡が、他の部分には森をそのまま残し、爪痕のようになって等間隔で並んでいる。恐竜映画シリーズのロゴのナンバリングのように。そのえぐり取られた土で整地したのだろう、広場は平坦で、回りの地面より少し高くなっていた。
建物のうち、広場中央にある王国の旗を立て気休めのように丸太を並べた塀を巡らした小さな砦。その見張り台らしき場所にすら誰もいない。回りの兵舎なのか宿舎なのか、丸太小屋にも人の気配はない。
人っ子一人いない。戦士どころか、軍隊まわりの関係者さえ誰もいなかった。
「もしかして襲われたのか?」ゾリントンはおぞ気をふるって言った。
「いや、荒らされてはおらん。いないだけだ。出動中か」
けるベエの冷静さが頼もしいような恐ろしいような。コモコモが珍しく黙ったままだ。
「ん? いるぞ、ひとり」ゾリントンが見つけた。
「……」返事がない。ただのしかば……いや、人がひょっこり現れた。初老のじいさん、布の服の軽装だった。
「なんだ、この子ら」
小柄な老人は柔和な表情で、手には剣ではなくほうきを持っていた。
「誰もいないんですか?」
「ああ、毎日朝から出動するからね。それより君らはなんだってこんなところまで……」
「この地に父が赴任しており申すものにござります」
「その服装……そして年頃に似合わぬその口調、もしかして、じふざう殿のお身内かな?」
「はい、お察しの通りです」
「ふーん、顔は似てないね」
けるベエの父・じふざうは、精悍、頑強な体躯の上に一刀彫のような角ばった、雑な造作の顔を乗せたような、異国の戦士と聞いて思い浮かべるそのままの男であった。勇者を守る前衛の屈強な壁あるいは楯、絵に描いたようなそんな風貌だった。イメージ的にはより流布した眉目秀麗の美剣士タイプとも、丸顔の息子ともちがっていた。
「うーん、父上の話は私からよりも兵士に聞いたほうがいいと思うよ」
「何かありましたか」小さなけるベエの目がきらりと光った。
「うん、私は留守を守ってるわけでもないし、軍歴にはなるんだけど輜重部隊に採用されただけの本職はただの商人だし、わからないというのが実際のところでな」
なんだか煮え切らないが、何かを隠してるというわけでもなさそうだ。子供に配慮してるのかもしれないが、作戦などとは無関係に同情してるだけで、話せることがないのかもしれない。それにしても、掃除のじいさん一人残して前線の拠点がからっぽとは、情報も行きわたらず管理もされていないのだろう。規律の乱れ以前の問題の気がする。
全員が出ばるということは戦場には緊張感は残っていると考えるけるベエ。行ったほうが早い。
「ダンジョン攻略に出動してるんですね? その進捗はどうわかるんですか?」鼻息が荒くなっているけるベエに気付いて、ゾリントンが口を出す。
「ダンジョンのことはわしはわからんよ。知らされたりもせんよ」
「じゃあ行くしかないな、けるベエ」
「ふむ」と、心は決まっていたが、仲間も含めた具体的な考えをめぐらすけるベエ。あらためてコモコモがぼーっと広場の端に積まれた木材の山を見ていることにも気が付く。丸太には芋虫が食べられるような枝葉はほとんどなかった。
「君たち行くつもりかい? 君のお父さんに会うために来たんじゃないのか」
「ですから。父はいないし、父だけでなく誰もいないし、行くしかないでしょう」
「しかし、みんなが戻るのを待ったほうがいいんじゃないかね」
「待っててもしょうがないでしょう。父は戻らないでしょうし」
「そりゃまあ……」
同情はありがたいが、そういう次元ではない。そもそも、ときとして邪魔なものである。
「こちらの円形ダンジョンを見たことがあるものもいるので……」
「は? ダンジョンを見た? 行ったのかね? 門番がいるはずなんだが止められなかったのか? 子供がそんな危ないまねを……」
それは気になるだろうが、コモコモが興味を持つようなことを説明するのはむずかしいし、めんどうだ。よくわからない。
「では、門番に訊いてみます。行ってみます」
「そうなのか、気を付けてな」断固とした様子さえ感じさせぬ、当然のような態度に、戦闘に関係ないジジイには返す言葉がなかった。「父上の行方は軍が探してるというか、いや……」
「それも兵に直接訊ねてみます」とだけ言って、けるベエはコモコモに先を行くようをうながした。
張り切って先頭に立つコモコモ。あぜんとしてるじいさんを残して、無人の前線基地を三人は後にする。
整地された広い道路にはやはり誰もいない。森の静寂の中を進む。道路は広いまま洞窟の入り口まで続いていた。
「負けてる感じしないよな。道もきれいで新しい」
「おれはこっちの道は知らないぞ。でも、きれいな道だぞ」
「そうだよな、ダンジョン行くのにこんなに楽に通れていいのかな」
「なあ、街を広くするだけで発展して建物も人も増えていくイベントみたいな」「RPGならな。育成シミュレーションだと疫病とか飢饉とかいろいろあるよ」「うん、戦略要素があれば敵国があって、こっちが小麦畑作ってる段階で歩兵をたんまり生産して、兵を置いてない鉱山は簡単に占領されたりするよ」「そうそう、敵キャラだけ硬いんだよ。銃でもなかなか死なないし苦労して進化させたマシンガンでも引き付けて撃たないと効かない」「引き付けると接近されたってことで一発撃つと壊れたりするんだよな」
そんな無駄話ができるほど、ちゃんとした道なのだった。
ダンジョンの入り口はさすがに山肌をうがった荒々しい様相を呈していた。大きく口を開けた暗がりに点々と灯りがともり、遠近法で狭まりながら奥へと続いている。しかし、ここまで来てもまだ戦場という雰囲気はない。敵も味方もいない、傷ついた者も死体もなければ、戦闘のあとの環境へのダメージさえない。ここまでの山道にもあった整地のあとの廃棄物らしいものは、やはり両側の切り倒されていない木々の領域に積まれていた。さっきまでの道で取り払われた木材などには雑草やら名も知らぬその小さな花なども見えていた。が、それもない。殺伐としているが、緊急ゆえの粗雑な措置というより、何しろ適当に片付けただけの余裕はあるようだった。
洞窟の前では、二人の兵士が立ち話をしていた。凸凹の背に高いやせた男とチビの二人組で、青銅色のプレートメイルを身に着けている。剣は腰にあったが、ヘルメットは首の後ろにずり落ちていた。
目の細いのっぽの兵が三人に気付いたが、その場を動こうとしない。チビもだまって見ている。
「わたしは東の戦士の国から来ました。この地に来ているはずの……」
「ああ!! そうか、じふざう殿のせがれ」
「そうか、ほんとに来たのか」凸凹でも、一様におどろいている。
「それで、父は?」
二人は顔を見合わせ、
「来るかもしれんとは言っとったが、本当にこんな子供たちが、こんなとこまでなあ」
「冗談だと思ってたな。戦士はウソはつかないっていうがなあ」
またもはっきりしない。
「進んでもいいですか?」
「進むってどこへ行くのかね?」
「このダンジョンに入ってもいいですか。通っていいですか」
「はあ?」
本気か、という顔で子供たちを見下ろすのっぽの兵と、同じ表情のチビの兵。
「じふざう殿はこの中にはいないよ……」
「わかってます。いや、わかりません、前線の拠点、丸太小屋の基地には誰もいなくて、掃除のじいさんでは話にならなくてここに来たんですが、戦場は見ておきたいのです」
「いや、ここの様子でわかるように、戦場でもないんだよ」
「は?」今度はけるベエがおどろく番だった。
ここは戦場ではない。切迫していない代わりに進展もない。強い敵もまずいない。だから、東の国の戦士など、呼ぶ必要もない。
しかし、ほんのたまにモンスターにも強いやつが来る。でも、そいつが前線に出てきたことはない。出張ってこないのだから戦力ではない。秘密兵器などでもない、姿を見せている。つまりは見せ駒だ。ギャンブルでいうところの見せ金。囮か保証金か、賭けは続けられますよ、余力はありますよというアピールにはなる、それが本当に自分の金ではなくとも。
でも、それはお互い様で、例えばこの凸凹のふたりは、衛兵か用心棒かというと、どちらでもなくどちらの役にも立たないし、ここ以外の出番もないだろう。
戦争が、単純に力量で押して、戦闘力の差だけで決するなら、勝者は必ずモンスターになるか。否、そんな計算もあらかじめできないものが引き起こす災害としか思えないだろう。モンスターも人間も区別はないだろう。
戦争は戦闘力で遂行されるが、その先には戦後処理が待っている。侵略戦争なのか絶滅戦争なのか、終戦を決めるのは勝った側の方針であるが、勝った側内部の勢力争いをも起こりうる。誰が主流か、どの派閥が牛耳るのか、モンスターを相手にするよりもあるいは力押しにあるいは計略を張り巡らし、残酷な戦いが続くかもしれない。
王国はひとつ、王家はひとつ、それがこの世界であった。
しかし、兵はたくさん、軍団はいくつもあって、結集、再編成は現場に任されている。
見世物のような役割と知って、東の国の戦士はどうしたのか。
「我々が来る前からとにかく戦闘はずっと続いていて、惰性みたいになっていたんだ。モンスターなんてわいて出てくるからいなくなることはないし終わりもない。しかし、ダンジョンから出て攻めてくることもない。こちらから攻め滅ぼすのはゾンビみたいなのもいるしむずかしい。だからって撤退はできない。放っておいてもダンジョンから出てこないかもしれないが、そうじゃないかもしれない。兵隊が相手してる分には負けはしないが、かと言ってこの島にくる漁師やハンターにはやはりモンスターに変わりはないからな」
言いわけめいていると、ゾリントンにもわかった。
「父は行方不明と推察しています」けるベエは遠慮なく言った。
「うーん、言っていいのか。
「まあ名誉の……と言ってもいいんじゃないか、だから……」
名誉の戦死、名誉の負傷……文言とは裏腹に不吉でしかない。
「どういうことでしょうか?」けるベエが急いで尋ねる。
「いや、まあ、名誉ある単騎での突撃を敢行したのだよ」
「馬ですか?」
大将首を獲って一気に事態打開か。親父殿が考えそうなことだ。
「ああっと、御国の立派な馬とは全然違う、ここらにいる野性の小型で角が付いてる、たぶん馬の亜種だよ。じふざう殿は一頭捕まえて乗り慣らしていて、そいつを駆ってゾンビを蹴散らし、オウガに突進したのだ、たった一騎で。しかし次の瞬間、馬だけが残っていた」
「消滅ですか? 数字も出ないで? じゃあ罠ですか? 強力な魔法の……」
「さあな、見ていた者の中には一瞬でかき消えたと言う者もいれば、上空へ飛ばされたと言う者もいた。オウガが魔法を使ったなどと言う者までいたが、でも馬だけは無事に戻ってきたな」
あるいは目撃者の話をまとめることさえしていないのか。戦術の献策は受け入れられず、ここの司令官と揉めた挙句の単騎だったか。
「それは良かった」と、けるベエが言うのが、ゾリントンには不思議だった。
「ああ、でも馬は世話する者もなくて今は野性に戻ってるんだがな」
「いや、馬はいいんですが、父の行方は知れませんか」
「うむ、あったこと見たこと以上を知るのはここにいるものではなんとも……ここを離れるわけにもいかんしな」
探す気もなさそう、というよりも突撃自体からあまりよく思ってなさそう。
「父が欠けたことによる兵力ダウンはどうなんでしょう?」
「いやいや、そんなもったいない、ここはだいたい前線じゃないから。戦場はこの奥のさらに向こうで、ゾンビがわらわら出てくるぐらいで中ボス以外は問題ないんだよ」
問題はないとは、どういう言い方なのだろうか。戦争に問題がないことなどあるのだろうか。中ボスだけが問題だとしたら、その分析はどうなのだろう。勝利のためではない分析とは何なのだろうか。
コモコモも不機嫌になっていて、
「悪い知らせと良い知らせがあったら、良いほうから言うもんだぞ」と言った。一同は黙った。「ダンジョンに入れないなら馬を探すぞ、角の生えた馬」
けるベエがそれは無視して、凸凹の兵士を均等に見て、
「ここは戦場ではないということならば、先を急ぎたいと思うのですが」と言った。
「仇討ちか、さっそく? らしいっちゃらしいな」
そうではないことすらわからないようだ。どうも実戦の感覚というものがない、勘も冴えてないというか働いてない、見張りの役にすら立ってない?
「ダンジョンの中も静かみたいですけど、一応街に帰る札も持ってますんで」ゾリントンが話を転じた。
「ああ、じゃあいざという時は脱出できるか」拠点移動はダンジョンでは効力がない場合もあるのだが、こんな見張りと話しててもしょうがないようだ。
「でも、やっぱりダンジョンだからな、責任は取れんよ」
「まあ大丈夫なんだろう、こんなにしつこく言うんだから」などと凸凹同士で話している。聞こえるのも構わずに。
「関門はあるし罠もあるし、そこであきらめるかもよ。まあ直接のバトルよりはいいだろ」
「まあ、いいんじゃないか」
かかずらうのがめんどくさいが、責任は取りたくないという逡巡のようなので、
「なに、これも修行です。行って参ります」と、けるベエは話を打ち切った。
「よし、頼んだぞ」と、すぐゾリントンが言って、
「おれが先に行くぞ」と、コモコモが先頭になって凸凹の前を通り過ぎた。
洞窟は暗闇に包まれているわけではなかった。壁面にうがたれた燭台の灯りが点々としかし確実に奥まで続いていた。
誰もいない。三人は固まって進む。
広い場所に出た。洞窟の天井も高くなってドーム状の丸い空間になっていた。灯りはぐるりと丸い壁にもしつらえられていて、全体もうすぼんやりとだが見渡せた。おかげで足元にあった弧になった亀裂にもはまらなくて済んだ。そこは、照明が届かない深い穴になっていた。だが、落盤跡にしても、きれいな弧を描いた平行線に沿ったように、列車のカーブする場所のレールを一部取り除いたように穴が開くのは、どういう事情だったのだろう。
その弧は、同心円状に広場を取り巻く通路が内から外に並んでいる一部で、穴もあちこちに開いていて、あみだくじ上の迷路になっていた。
バームクーヘンの好きなところだけ喰い散らかしたネズミが作ってしまった迷路? いや、盗み食いするなら、そんな喰い方はしないというか、持って帰って食べるだろうし、持って帰るなら弧になっている部分を外側からちょっと、その内側からもうちょっと、もっと内側からもちょいと、などとめんどくさいチョイスはしないだろう。まあ、皮をむくように食べるのよりはましだが。
「またイシブミあるぞ。いっぱい立ってるぞ」
けるベエと違ってゾリントンはダーツの的のようだと同心円状の地形を捉えていて、あちこちにイシブミがあるのもわかっていたが、中心のブルズアイの部分、その場所だけが異質なことに注目していた。
そこだけ、ドアが立っていた。それもドアだけ、一枚の板として唐突に立っていた。まるでモノリスのように。
だが、そこまで行くには、同心円の欠けた通路をたどってだんだんと近づかなければならないようだった。その途中には関門のようにイシブミがあった。と言うよりも、関門、結界のように並んでいるからイシブミと思っただけで、それらはあちこちに普段見るような頭に二つの山がある一律な形ではなく、様々な大きさや形で散在していた。
「どうする、ぐるっと一周回ってみる?」ゾリントンは慎重だった。
「壁沿いをか? いや、迷路ってほどじゃないし、あみだくじみたいに運試しがあるようにも思えないが」
ゾリントンは苦笑した。ダンジョンの謎解きがヒントのあるなしの有利不利でなく、運次第だったらイヤだな。
確かに道自体、通路のつながりは複雑じゃない。レンガのような色と材質。喰い散らかされたバームクーヘンのようにあちこちに穴が開いていても、道は皮一枚のような残り方はしてなくて、目でたどってみただけでも中央まで行ける経路はいくらでもありそうだった。
だが、目標は中心に立つあのドアでいいのだろうか。
ドアと言えば、鍵、そこに仕掛けられた罠。ドアの先は、謎の部屋への通路か、とんでもない場所へ飛ばされて転移?異世界へ? いや、今のところ転生無しのファンタジーでやってるからメタなギミックは邪魔になるだけじゃないか。
コモコモは何も考えてないみたいにあっさり歩き出す。まず一番近いイシブミに通じる経路を選んだ。もちろん先頭だ。
だが、四角く口を開けた穴のそばを通り、同心円の内側の通路へ渡ろうとして、コモコモは足を止めた。
「どうした?」
「おれ、どうなってる?」
「わしより背が低いな」
「やっぱり」
「やっぱりじゃないよ」
「沈んでるぞ」あまり動じないで報告するけるベエ。
「やっぱりな」二回言うコモコモ。地面に穴は開いてないのにズブズブと身体は沈んでいく。「落とし穴ならストンと、ひと思いにやってほしいぞ」
「いかにも」
「そうか、穴が広がるんだこれ。そばを通るやつを落として穴の範囲を広げて下に落ちるやつを増やすんだよ」
「つながるってこと? でもズブズブ沈んでるけど、あっちの穴のほうに泥みたいに流れて行かないぞ」
「そこは魔法の罠と、もう開いちゃってるただの穴は性格が違うんじゃね。あとからつながりそうだけど」
「じゃあ、わしらはこっちの穴に落ちれば、コモコモが落ちる先に行けるってことかな?」
「他にある?」ゾリントンもあわてない。穴の大きさ、さして穴が通路を阻んだり遠回りさせる仕掛けにはなっていないこと、そして灯りはともってるが放置されたようなシチュエーション。見張りの兵の頼りなさも考えあわせ、たいしたことは起きないと思っている。
「でものう、底なし沼みたいな沈み方なんだよなあ」
「底なし沼って……恐ろしい呼び名だぞ」
「でも、ダンジョンだし。古い遺跡みたいなところだし、長くバトルもやってるって言うし、出てくるのはゾンビかミイラってところらしいし、沼とか湖じゃない山の上だし。大丈夫なんじゃね」
腰まで埋まったような状態で、まだ不安そうなコモコモに「たったワンブロックだけだからたいした魔法じゃないって。そんなのが東の戦士の国にあるような罠のはずないだろ」
あらためて足元、というか腰のあたりにある地面を触ってみるコモコモ。すでに開いてる穴と隣り合って沈む範囲は二辺に弧のついた狭いブロックで、同心円の延長上に並んでいた。隣り合うその向こうの穴に手を突っ込んで空振りし、反対の手では確かめるように地面をなでる。
「こっちもズブズブだったのか? 今はただの落とし穴だけど、こっちはまだなのか? おれが沈んだあとにただの穴になるのか、そうなるとこのズブズブの泥はどこに行くんだぞ?」
「ふむ、穴が広がるのが同じ周回でただ伸びるだけ、頭とケツが延長されるだけなら、罠としてはぬるいな。つまり、囲碁で言う頭を出せば、また三方向に逃げる道ができるわけで、直径の向きで中心や外に向かって縦に穴を足して行ってもいいわけで……」そこまで言ってけるベエは黙った。底なし沼も聞いたことがないなら、囲碁のルールなど知るわけもない。それに、十字に落とし穴を広げていったら、隣り合う罠の兼ね合いでひと枡だけ残るブロックができて、飛び石で渡ってくださいと言わんばかりの配置になって、そんなダメな罠が……。いや、せっかく考えたドッスーンが出来損ないの亜流みたいになる……。だいたいヘックスなら斜めに逃げられるし……。
「コモコモ、足はついてる?」
「まだ二本ともあるぞ」
「いや、足の裏は何かに当たってるかってこと」
「うん? そういえばスースーするような……」
「木靴に泥は入らないのか?」
「これは魔法だぞ」
「やっぱり下の階に落ちるんだな」
「ふうん、じゃあ、わしらも行くか?」
「ああ、オフショアーでショックをやわらげてな」
「ドッスーンで降りる階段を作ってもいいのではないか」
「何発もいるだろ、でもそっちのほうがオフショアーよりかMPはいらないのか。どっちでもいいけど」
じわじわと沈んでいくコモコモは、
「おれはどうなるんだぞ? このスピードで最後まで行くのか?」
「だから先に下に行ってさ、ここの天井みたいに高かったら大変だからオフショアーを仕掛けて待ってるよ」
「ああ、それならいいぞ」コモコモはずた袋を頭の上に乗せて、大井川を越える人のようなスタイルになっていた。
「じゃあ、けるベエ、先に行けよ」
「いや、ゾリントンから行けよ」
「おまえのほうが強いし、下の階の状況がどんなでも臨機応変に対応できるだろ」
「でも、MPが多いのはおまえじゃ。魔法の罠ならおぬしのほうがうまく切り抜けそうじゃ」
「ここの階で落とし穴で落ちて、下でまた魔法のわな置いとく? なら、ここでやるんじゃね」
「と思わせておいてだな、またやってくるとか。古い遺跡みたいだからの、何が出るか……」
「おまえらいいかげんにするんだぞ」
ほとんど首まで沈んだコモコモが言った。
「うむ。わかった。わしから行こう」
「ならおれが行くよ」
「いや、やっぱりわしが行こう」
「おまえら、どうぞどうぞのくだりはいらないぞ」
「わかったわかった」
けるベエとゾリントンは、コモコモが頭だけになってるその隣の長くなってる穴に一緒に飛び降りた。
「あいつら、何も言わないで落ちてったぞ。落ちたのにうんともすんとも言わないぞ。あーっとか言いながら落ちないのか。しかし、このまま顔まで沈んだらどうなるんだろう。息はできるのか心配だぞ。沈んでいくスピードを考えると何分もかかるわけじゃないだろうけど、でも足は下の階に突き抜けて行ってるみたいでずっと泥のなかというわけでもないらしくて、しかも足に泥がまつわりついてる感じもしないぞ。ということはどういうことだぞ。息は止めといたほうがいいのか。水に溺れるのもいやだけど、泥沼にはまって死にそうになるなんて、まるでキモオタだぞ。3Kだぞ。くさい、きもい、きしょい……って、これじゃ二つのことしか伝わらないぞ。いつも汗だくで臭くてキモイのは何とかしろ風呂くらい入れで改善するが、ニッポンには四季があるからしか言えなくなっても帰属意識を捨てられない、冬は死を意味し春は再生の季節なのに子供みたいにアニメを見続けるのと子供向けみたいに一部の人だけが見ているものしか追わなくなったのは全然別のことなのにやめようとしないのは、沼というよりも墓穴を掘るようなもんだぞ。遺跡みたいな場所は誰かの墓なのかもしれないけども、副葬品がオタクグッズじゃお宝の新しいほうの意味だけど、普通の人には探すほどの意味もないぞ。臭いからすぐ見つかったりしてって、まったくうれしくないぞ。そろそろかな……」
コモコモは息を思いっきり吸い込み、目をつむり、息を止めた。
ほどなく、顔に風を感じた。すぐに床を通り抜け、身体は下の階に顔までも達したようだった。
目を開けると、やはり灯りはどこかにあるようでほの暗く、だだっ広いだけの何もない地下空間。天井は低かった。
コモコモの頭の毛が一本でも地中にある限りは上の階という解釈らしく、天井から宙ぶらりんになりながらおとなしく待つ。一本になるまでもなく抜け毛の心配をしてあわてるのは、ハゲだけだろう。
落ちゆくコモコモの足元には泥が溜まっていたりはしない。それでも上の空間から崩れ落ちたと思しき瓦礫はあちこちに小さな山になっていた。
コモコモは途中で気付いた。頭の毛ではなく、手を伸ばしてまだ地中ですよ、ということにしていれば、もっと地面近くまで降りられたかもしれない。でも鉄棒にぶら下がった状態で、そこから腕を上に伸ばした体勢から落ちるか、はたまた拳は腰のところにやって腕を下に伸ばし上体は鉄棒より上にあって腰の前側で鉄棒を押し勢いをつけて後方へ降りるか、そのくらいの違いで、砂場の近くの高鉄棒から落ちるわけではない。
コモコモは、髪の一本も抜けることなく、すとんと着地した。
もうふたりはすでに到着済みで、じっと見ていた。コモコモの足が目の前にぶら下がってもジタバタしないので、大丈夫と踏んでいたのだった。
「おまえら落ち着き過ぎだぞ」何事もなかったように喋り出すコモコモ。
「何にしてもさ、つまんないんだよな。ドラクエ2みたいにヒントも何もない落とし穴はダメってことよ。それとループな、右に行ったら左につながるみたいな、あれも迷路でも謎解きでもないよ、ダメだよね」
「よし、上にあがろう」
がれきが散乱するだけの何もない空間だが、地面にはほとんど埋まってはいるが下の階への通路のような傾斜が続いている窪みになっている箇所もいくつかあった。だが、ここは遺跡だ。探索はもうやってるはずで、三人は目をやることもない。まずは謎解き、そしてその先の王国の兵たちのバトルのフィールドを目指すのだった。
上の階よりも薄暗いなかで、突き当りの外壁……ずっと向こうの端っこに、上りの階段がぼんやりと浮かび上がっている。ただし外周は円形ではなく、ふつうの四角い部屋のように真っすぐで直角で、階段はその壁を斜めに登ってた。三人は一応固まって、周囲はかろうじて動ける程度の明るさでも何らかの罠に対する警戒は怠らず、階段のほうへと進んだ。
「火の魔法でたいまつ作るか?」先頭のコモコモが言った。
「いや、MP温存でゆこう。兵隊がいないということは探索済みであろうし、ガラクタばかりでカラの宝箱すら落ちていない。ここは上の階にある罠にかかって仕切り直しする場所なのだろう、ドラクエ2みたいに」
「よっぽど面白くなかったのか、それ」
「3以降よりはましだったけどな」
「そもそも宝箱を勝手に開けていいのがRPGとしてはおかしいんだぞ。そんなの全員シーフの役だぞ」
「まあ、そこはテレホビーマシン、家庭向けということでいいではないか」
「どっちなんだぞ」
「とにかく上へ戻るんじゃ」
地下空間の中央付近に行きかかると、
「あ、ドアあるぞ。あのドアのところだけ下からも見えるぞ」
丸く切り取られたようにそこだけが浮いているのか、あるいはブルズアイのような特別な場所ということなのか。黒い外周の穴が太い輪郭線のように丸い中心としてその地面を際立たせ、隙間からドアが立っているのが見える。
「ドアだけだな、裏側も普通のドア。ただの木のドア? でも枠がある意味は?」下の階で、天井の丸い穴の円周に沿って歩き回り目測するゾリントン。
「通るとどっかに行くんだろ、たぶん。落とし穴だって魔法だったんだから、ドアをまたいだら裏っかわに出るだけのはずがない」
「開けようとしたらドアにズブズブ入り込むのかもしれないぞ?」
「ドアを開ける意味ないよ」
「うん、ドアである意味がない」
「中心までの通路がないな。丸く穴が囲んで、でも浮いてるみたいに同じ水平面にある」
「水平というか平面な、地面を延長した同じ平面にあるが、浮いてる? やっぱりどっかでつながってる?」もう一周するゾリントン。
「どっちでもいいぞ、飛び越えりゃいいんだぞ。とにかく行ってみるぞ」落とし穴を体験したのは自分だけなので、問題にもしないコモコモなのだった。
だいぶ歩いて外周までたどりつくと、壁にはやはり灯りが点々。壁に斜め上方へと板を段々に埋めただけのような階段。初級の魔法使いでも設置できそうな簡単な造りで、その先の天井には階段の幅で穴が開いていて、上がって行くと円形ダンジョンの階の入り口付近に出た。
さっきコモコモが落ちた場所まで行ってみると、元あった穴が大きくなっていた。コモコモが落ちたブロックは穴が開いたままでくっついていた。
「これ全部誰かが落ちたってことか?」
「ふむ、穴が広がってその分通路は狭くなったけど、しかし罠としてより引っ掛かりやすくなったかというと……成立しないな。大人数でもない限り」
「大人数でも一列になって進めばいいさ」
「ああ、ドラクエ2からパーティーになったんだった」
「一応、気を付けて進もうぜコモコモ」
もう次の内周へ、今度は黒い帯状の穴の近くは避けて、その先のイシブミらしきものを目指して通路の真ん中を真っすぐに堂々と進もうとしているコモコモに声をかけるゾリントンだったが、
「うわー!!」
コモコモは飛んでいた。高いドーム状の空間のかなり上まで吹き飛ばされて行った。
「やばいぞ」たちまちゾリントンは「オフショアーを出す準備だ、そっち頼む」けるベエに声をかける。
が、飛んでったコモコモはいつまでたっても落ちてこない。
暗闇に目を凝らすと、両手を広げ片足でバランスをとって、空中のコモコモは狭い足場に立って耐えていた。
「そこは両足で立てる大きさの足場を出せよ」
「落とし穴が一人用だったからってそうじゃなきゃいけないわけじゃないよ」ふたりは安堵して声をかける。
「あっ」という声が聞こえて、次に上空からも安堵の溜息がもれた。
「ドッスーンを出しながら降りるか、こっちでオフショアーで待ち受けるか、どっちでもいいぞ」天に向かって叫ぶゾリントンはやさしい。
するすると音がして、ロープが降りてきた。そして、コモコモもすべり下りてきた。クイクイッとひねりながらコモコモがロープを引っ張ると、ずらずらっとロープは落ちてきた。コモコモはそれを丸く束ね回収した。
「なるほどね」
「今のはなんだぞ?」
「落とし穴の次だからジャンプの罠じゃな」
「これもドラクエつながりか?」
「アクションがないから大人でも操作できるのが特徴なのに、マーケティングもシステムや物語じゃなくワイドショー的な内輪ウケで、テーブルトークという異文化は伝わらず子供向けの新作でしかなくなって、RPG自体の普及は類似品の駄作が量産されただけで大失敗したから、安易な逆張りもするんじゃないか。落とし穴の次は……」
「でも子供が読むものというスタンスは守らないと。大きなお友達目当てになってしまうとせっかくの新しいメディア新しいジャンルが結局オタクだけの狭い分野に埋没してしまう」
「それでどこを踏んで飛んだ? コモコモ」
「どこだっけ?」三人は慎重に歩き出した。床か、それともイシブミらしき石に何か仕掛けが? 近頃のイシブミはHPの供給のみだがそれは王国の所有になるものだった。
「落とし穴のときは一回落ちたら広がったし、どっかに飛んだ跡はないか?」
と、言ってるそばからゾリントンが天高く舞い上がった。
かと思いきや、ゾリントンは握りしめていたロープで持ちこたえ、後ずさりするだけで済んだ。多少、コモコモも引きずられたが。
「また飛んだ。どこだ?」
「なんもない場所にギミックを配置するのは……」
「ずるいのはわかったから痕跡かトリガーを探そう。今おれは足から飛んだ、足に圧がかかって飛んだ」
「するとやっぱり地面に何かあるのか?」
床はレンガのような色で一様ではないがどこも赤茶けていて区別などつかない。がれき、小石、葉っぱ、雑多なものが転がっていて、かえって怪しいと思える場所がない。
「わしにもロープをくれ」
立ち止まって待つけるベエに、ゾリントンはロープの端を投げ渡した。
片手にロープをにぎり、平然とイシブミに歩みよるけるベエ。しかし、飛ばない。「ふむ?」少し残念そう。
続いてコモコモが向かうと、途端にジャンプ。コモコモのずた袋から勢いよく出て行くロープ。
ロープを引きしぼり、けるベエはすばやく手繰り寄せる。コモコモは握りそこなってずるずる出ていたロープをやっとつかんだ。だいぶ吹き飛ばされたが、穴にも落ちずにコモコモは着地した。ロープを均衡させるけるベエの力加減のおかげだったが、それよりも、
「なんでけるベエだけ?」三人そろって首をひねる。
背格好はコモコモと変らないし、三回も立て続けだから複雑な条件など無いと思われる。
あとのふたりとの違いは靴だ。木靴、革靴と、草履。足元で反応してるとしたらそれ以外にない。
「裸足の季節だからってこと?」
「そんなのわけわかんないよ。八〇年代か」
「ここは遺跡だ」湯水のように金を使ったバブルの時代を、魔法のように金が儲かったというつもりなのか。すべては遺跡になるほど遠い時代で、きらびやかであったとしても黴臭い昔にやがてはなるのか。それでも着飾るような人間はいつもいて、いつの時代でも同じような行為に陥るだろう。だから、吹っ飛ばされたのか。
「靴はくのは普通じゃん」
「そうだな、どっちかというとゾリントンだけ飛びそうだけどな」
「おれもオシャレだぞ。これいいやつなんだぞ」
「昔から木靴はあったろうしな、その違いだ」
「おまえの履物のほうがたぶん古いぞ」
「いや、草履は藁でできておる。つまり稲作が普及した後でないとできないものだ」
「木靴は確か古代エジプトにもあったんだよな。なら、足を解放するのが人間を解放することなのかな? そこから始まるってこと?」
「では何故わしの父は飛ばされたのだろう?」
三人は黙った。
父は馬を残して飛んだと聞いた。馬に乗ってたから、履き物の区別がつかなかったとは考えられないか。でも馬が蹄鉄をしてるのは……裸足じゃないが草履と同じようなものか。飛んだという話とかき消えたという話があったようだから、いずれも関係ないのかもしれない。あるいは、馬を引きずってでもやる戦争こそが人間を縛るものなのか。
「昔はわからないが、いまはここは戦場じゃないし」
「そうだな」
ぴくりと片方の眉を上げたコモコモは、しかしまだ黙っていた。
「落ちたら戻ればいいし、飛ぶのももうなんとかなるぞ。とにかく進むぞ」
コモコモを先頭に三人はイシブミとおぼしき石碑に近づく。今度はすんなりとそばまで行けた。
「一回落ちると穴がつながったみたいに、飛ぶのもリセットされたかな?」
「違う経路から真ん中までつながってる道もあるだろうし、そっちだとまた落ちたりするのかね」
「めんどくさいな。マッピングって無事に通れた点を結ぶようにするものだから、こっちの経路を使うのがいいんじゃね」
「でも、イシブミに出る問題も変わるかもしれない。あれ見ろよ」
目の前のこのダンジョンの石碑は、見た目からして形はさまざまだ。しかし、それぞれその表面にはイシブミと同じようなスクリーンを備えていた。ゾリントンはイシブミの裏側を見ようとしたが、横を通ろうとすると足元が揺れ出した。すわ、飛ばされる、と急いでステップバックした。
「結界だ。通れない。たぶんジャンプするよ」
「ふむ。まだちゃんと機能してるのか。ダンジョン自体は廃墟だけどな……」
イシブミのスクリーンにはやはり文章が表示されていたが、王国のイシブミで前に見たような短い質問ではなくて、
「……ここに十三枚の金貨がある。しかし、この中には偽物が一枚紛れ込んでいる。偽の金貨は本物と重さが違うが、軽いか重いかはわからない。天秤ばかりを三回だけ使って偽物を見つけ出せ。……」
「秤がどこにあるんだぞ」
「絵だよ、コインの絵もあるだろ。指で動かして問題を解くんだ」天秤やコインがイラストで表示されていた。指で触るとコインは自由に操作できて、天秤の片方の皿に乗せるとはかりは傾いた。
「ロボットではありませんの認証みたいだぞ。絵の一部を回転させて背景にはめ込むタイプのやつは、スライダーのつまみの感度が悪くて指をすべらしても回りきらなくてぴったり合わないんだぞ。よくあるぞ、めんどくさいぞ」
「大丈夫。パズルじゃなくてクイズだ、こんなの簡単だぜ。コインが十三枚だろ、まず三つに分けて、そのうち二つの組を天秤の皿に載せるんだよ。それで釣り合えば偽物は残った中にある」
「二つに分けないのか? 一回で全部乗せたほうが、計る回数にも制限があるんだし」
「偽物を探すってことは本物を確定して除外するってことだから、本物のグループがわかってることのほうが役に立つよ。較べられるから。正しいとわかってるから基準になるんだよ。それと重いか軽いかを組み合わせれば……」
「ふむ。その二つがどっちか傾いてたら、二つのうちのあるわけか」
「そう、三つに分けて、まず四枚ずつ乗せて釣り合った場合……」
「偽物は残りの五枚の中にあるから、今度は二枚ずつ乗せて比べるわけか。傾いたら……」
「いや、二枚乗せて、もう一方には三枚目とさっきの釣り合った正しいコインの一枚を乗せる」
「そうするとどうなる?」
「正しいコインがさらに確定される。正しいのが一枚乗ってるからここで釣り合えば、全部正しい」
「そうか、すると残りの五枚から三枚除いた残り二枚を乗せて、どっちかが偽物があると。ふむふむ」
「いや、やっぱり正しいのを片方に乗せる。そして、釣り合わなかったら」
「うん。正しいのが一枚あるから、どっちが偽物かわかるな」
「いまのは最初に釣りあった時の話で、四枚ずつが傾いたら、どっちかに偽物があって、二枚ずつでも……うん?」
「さっきは釣りあったから正しいのが確定されたけど、今度は傾いたから残り五枚が正しいコインになる」
「そっちか、じゃあまた正しいのから一枚取って乗せて、一つの皿を二つのグループを分けて……」
「いや、乗せ方がある。二つのうち一つから二枚と一枚に分ける。もう一つのグループからは一枚ずつ、そして正しいのを一枚足して、三対三にする」
「ん? 三対三になってるか? なってるか。でもなんでそんなややこしい分け方……」
「一回で計るためだよ。三回しか乗せられないからそうなる。それで傾いたとしたら、正しい一枚を足してないほうをまた二つに分けて皿に載せる。これで元の皿が同じだった二枚が釣り合えば、残りの正しいのと一緒にしたコインが偽物だ。ここでも傾けば、その二枚をまた分けて軽いか重いか、あるいは一枚乗せたほうがその逆になるかだよ。逆の傾きのときは、正しいのと一緒でも傾いたから、まず一枚で乗せたコインを重いと見ると……」
「まったくわかんないぞ」
「うーん、だいたい三回しか計れないってのが少ないというかセコイよな。本物の鑑定をしてもらおうってのによ、三つ目族を連れてくれば一回で済むんだよ」
「してもらおうって言うか、頼み事じゃなくて、資源の問題だよ」
「シゲン?」
「リソースだよ。世界は平等ではない。石油が採れる土地もあれば、MPが供給される温泉もある。しかし、不毛の荒れ地があり、四季があるからしか言えない小国もまた存在する」
「金貨はいらないんじゃないか、おれたち」唐突にけるベエは言った。
「いや、欲しいぞ」
「本物か偽物かなんて言ってるんだぞ、あやしいもんだよ」
「でも、昔のコインの金貨なんだぞ」
「それだってどうだか」
「いや、これ問題だから。偽物を探すという想定だから、コインでも羊でもいいんだよ」
「羊の群れの中に狼が隠れてる? そんなの無理だぞ」
「そうだよ、人間に群れの中に化けて紛れてるったって、わかるよそんなもん」
「いろんなゲームを否定するんじゃないよ。でも、ここでこの問題を解いておかないと、先に行っても進めないって事態もありうるよ」
「そうかもしれない、けどそうじゃないかもしれない、そうなるかもって心配?」
「そういう備えはゾリントンらしい心配だが、これはいいんじゃないかな」
「回り道は昨日もおとといもさんざんやったし、迷路だから、ダンジョンなんだから、回り込んで道を替えて、それに落とし穴の無かった道をたどり直して遠回りもやろうって言ったばかりだし」
「……。じゃあ、いいんだな」
「だいたい、見つけ出せ、って命令が腹立つな。偽物を混ぜちゃったのおまえだろって言いたいよ。また槍出せツノ出せか」
「これは問題文だから、だいたいは命令形だよ。解きなさいとも書くよ」
「クイズを出してる時点で答えは知ってるんだろ。答えがあって判定するんだから、もう出しとけって言うんだよ」
「おまえら、何言ってんだ」
「出題者が答えと決めたものが答えになるのがおかしい。結局は出題者のお気に入りではないか」
ゾリントンは、資源については語らず、そもそも論も語った。
「これが答えと言えるのは、確かに出題者だからでほかに理由はない。答えとなり得る理由もそこにしかない。でも、出題者といえどルールには縛られるだろ、自分で答えを決めることはその基準を選ばされることでもあって、特に知識クイズや論理クイズでは勝手にはならないよ」
「いや、決まってた答えを途中で変えることもあるぞ。この中にウソつきがいる。誰が、どこの国の人がウソつきか?という問題の答えが、この国にウソつきはいない。この国に女はいなかったから、みたいな、うまいこと言ってるようでそうでもないどうでもいい答えになることあるぞ」
「それと屁理屈もあるな。例えば、このイシブミみたいな問題が表示されてる物を戦士がでっかい金づちで叩き壊して……これでよし、進もう……なんてな」
なぜこのふたりが意気投合してるのかわからないが、どっちから話をすべきか。
「途中で解く気がなくなってるぞ。解答者が戦士に交代した時点で路線変更してる。力押しで進む展開に変わってるぞ」
「あるいは出題者が通したい人を通すためのヒントを出すとか。いっそのこと、その人のために答えはなんでも正解にするとか。女を通さないためにウソつきと言う。ギリシアで例えれば教養がある風でとにかく合格だったり、正解ではなく問題を無効化することでもクリアと認めたり」
立場が入れ替わってもまだ同様だった。
ゾリントンはきっぱりと、
「論理はルールだ。知識は積み重ねだ。クイズを解くかどうかとここを通れるかの話とごっちゃにすべきじゃないよ」
「知識も常識も時代で変わるし、科学は進歩するぞ」
「地域でも変わる。わしの常識がなかなか通用せんからの」
これにはゾリントンも苦笑いするしかなかった。
「近頃はマナー講師と称するやからが広告代理店やらと組んで妙ちきりんなことを言い出すからの。江戸時代はこうだったなどと無茶苦茶を言う。さもありそうなレベルでもない、ほんに屁のようで、片腹痛いわ」
ゾリントンもそこは同意だった。
「そういうのはさ、つまんない大喜利大会では物ボケコーナーが一番面白いってよくあるだろ。ギャグ芸人が強かったくらいあるあるだぜ。うまいこと言ったつもりがしょうもないディティールのこだわりになって、マナーだから話を繰り返してるとまるでギャグみたいになるから、笑われてお終いになるのさ」
コモコモが意を決したように、
「魔法は? 魔法も同じ呪文の繰り返しだぞ。あれもギャグなのか?」
それにはゾリントンではなく、けるベエが答えた。
「江戸時代が終わると西洋から近代文明が移入された。思想も何もなく技術だけを上からの革命のように持ち込んだから、大半の人は理屈抜きに使うだけになって、ボタンを押せば機械がやってくれるだけの、呪文を唱えれば何かが起こる魔法と変わりないものになった。政治の仕組みも考えもなしに制度だけがしかれた。だから、いまだに政治家を魔法使い扱いするやつがいる。代々の秘密の三種の神器があって、よそにはない資格によって政治家になるものと信じ込んでいる」
「それならこの国は大丈夫だぞ。誰だか知らないけど王様が一番上にいるぞ」
「それはともかくもうひとつ、とんちクイズってのもあるな。さっきのジャンプの罠だけどさ、あれってシンデレラの逆ってことじゃないか? 靴のせいで飛んで、靴を置いとくと何かあるんじゃないか?」
「一二時までに帰れってあれか。でもジャンプで追い出すのはちょっと違うんじゃ?」
「だから逆だよ、まあ、王様や姫様が出てくる物語なんだけどな」
「わしもシンデレラに出るのか? 一応訊くがガラスの草履ってなんだよ」
「グラスファイバー製ならなら丈夫そうだな」
「リセットされたでいいのではないか? 結界だから飛ばないだけかもしれないけど」
「金貨の問題は解いたけど?」
「金貨じゃなくて金メッキでしたで、もういいぞ」
「ウソつきの国だったんだな。含有量とか認証試験とか改竄して基準は満たしてるとか勝手に言って」
「それでいいのか? コモコモは金貨は好きだろ」と確かめるゾリントン。
「金貨は欲しいけど、偽物でも光ってるんならそれでいいぞ」
「そうなのか」
「だったら、もういいんじゃないか?」
「じゃあ、もういいか。落ちるか」とうとうゾリントンまで言い出した。
「もう続きはウエブでいいぞ。数学パズル、コインで検索だぞ。めんどくさいぞ。落ちてまた別のイシブミに行こう」
「正直、聞いてても途中からわけわかんなかったし。もう本物でも偽物でもどうでもいい。十三枚だろ、また拾えばいいよ」
「うん、落ちよう。ジャンプよりはましだ」
「よし、行くぞ」
「行こう」
「ええ?こっち? さっきの穴じゃないと位置が変わるしリセットされるのかわかんないだろ」と、しぶるゾリントンの手を引っ張って、三人は今度はまとめて近くの穴へとまた落ちて行った。
そしてまた上がってきた。
円形ダンジョンの階の壁際で、
「話聞いてたか? オンショアーの無駄遣いだし、イシブミにロープを巻いて結んでもよかった。あの裏に出れたかもしれないし」
「別のルートだからいいんだぞ」
コモコモは意に介さず、この端渡るべからず、といった調子で別の経路をずんずん進む。バームクーヘンの欠けてない残りの周回路はたっぷり残っていた。そうして、右手に天秤ばかりのクイズのイシブミを見送って、三人は直角よりも少しゆるい角度で左に曲がって別のイシブミへ近づいた。
今度のイシブミは横幅があってスクリーンも大きかった。それ自体で道をふさぐように立っていたが、その前まではすんなりと行けた。
「またクイズだよ……」
その横長のスクリーンは、文字だらけで、
「まただぞ……よし、ゾリントン、任せたぞ」
「そうだな、ゾリントン任せた」
「なんだよ」
「こういうの得意だろ、例のメモ帳にたくさん書いてあるんじゃないか」
表示は二列になって、たくさんの単語が並んでいた。その後ろに短い文章題。子供でもわかる仲間探しのクイズ。
「クイズだぞ、メモ帳とか見るのは反則だろう」
「その辺はいいんじゃないか、誰も見てないし」
「そういう問題じゃなくて、問題に書かれてる条件の中で答えを出せるようになってるんだから、答える側も問題の範囲内で考えなきゃいけないだろう」
「めんどくさいやつだぞ」
「八つ当たりはダメだぞ、コモコモ」
「じゃあ、おまえもやれよ」
「いや、任せる」
「なんだよ」
ぶつくさ言いながらも、ゾリントンはイシブミの正面でじっくりとスクリーンをながめると、
「規則性を見つけろって問題だ。でも、おまえらの出番かもよ」
画面には、上下の二列になって、たくさんの単語が並んでいた。上の段の先頭には「ある」とあり、下段は「なし」。その二段で、並んでいる単語はそれぞれ対になって仕切られている。横に長い配列だった。
ある:サンダル ・ ごま ・ いちご ・ ななめ ・ はちまき
なし:げた ・ もち ・ ぶどう ・ まっすぐ ・ たいこ
ヒント:文字の中に何かが隠れているよ・・・
「これこそ、とんちだ。どういうつながりでコンビになってるか、それぞれの列に共通するものは何か、おまえら探してみ」
「ゾリントンは?」
「一問目は解けた」
「速えな。いや、解けたんならいいよ、言って」
「おれだけが解いても進めないかもしれないだろ、さっきも……」
「それなんだけどな、さっきはあまりにも問題がめんどくさかったから結界を確かめなかったけど、一人が解いてもクリアだったかもしれんよ」
「なぜそう思う」
「ここまで、ジャンプも何も作動しないから。リセットされてるよ」
突然、コモコモが、
「わかったぞ。数字だぞ。あるのほうには数字が文字に入ってるぞ」
「正解」と、ゾリントン。
おまえが言うのかよ、と口に出そうとして引っ込めるけるベエは、腑に落ちない顔をしている。
「ん? おれにはクイズは解けないと思ってたのか? なめてもらっちゃこまるぞ」
「いやいや、そうではないんじゃ。さっきの話からすると解答者が代弁者になるのはおかしいような……」
「次、次だぞ」
「コモコモがやるのか」
「簡単だぞ。任せろ」
「なんだよ」
ある: 7 ・ 13 ・ 31 ・ 57 ・ 113
なし: 6 ・ 12 ・ 30 ・ 56 ・ 111
ヒント:あれ、割り切れない数字じゃないか・・・
「なんだこれ、数字がそのまま出てるぞ。あっけないな、全部1少ないぞ、うん?最後はちがうぞ。二倍して1引くと……最初だけだぞ。差は……差は……6だろ、一八だろ、二六だろ、ああ、いくつだ、ええと、百になるから五〇と6、下が五五、1少ないぞ、それは済んだか」
「これはちょっと無理かな。共通するとかそういうことじゃないな、どんな仲間か知らないと出ないよ」
「けるベエ、わかるか?」
「わしは数字と法隆寺には縁がないんじゃ。数字よりも果物よりも酒が好きじゃ」
けるベエはたもとを下から引きつるくらいに巻き込んで腕組みしていた。
コモコモはゾリントンに向かって、
「ということは、おまえはわかってるのか」
「一応」
「言ってくれ。答えは」
「上の段は素数だ」
「ソスウ?」ソースの間違いではないかという顔。
「それ自身でしか割れない数。2で割ったり、3で割ったりできない、割り切れない。その数か、1かしかない、そういう数だ」
「なんか、ふーんて感じ。なんでそんなもんがあるんだぞ」
「そうだな、素数はそれ自身でしか割れない数だけど、逆にランダムはむずかしいんだよ。ランダムに適当な数を決めようとしても、同じ数字になってしまう問題な。適当というのは出やすいのを許容することで、例えば暗号に使うのはまずいだろ。誕生日は個人によって違うって言っても、年度はちがっても月と日は同じことはあるし、そうなるとランダムでなく決まった数字が出てきてしまう。今日の日付は昨日とは違うとしても、あくまで十二までのランダム、三〇か三十一までのランダムで、パスワードにでもしてたら簡単に割り出されてしまう。そういうランダムの元になる数字を種って言うんだ。その種を素数にすると、絶対に他と同じにならない乱数を出力できるってことだ」
「けるベエ、わかったか?」
「種だろ、うん。果物はきらいだけど柿の種は食べるよ」
「なるほどな」
「なるほどじゃねえよ」
「とにかくクリアじゃ」
「まだ問題あるよ。次、けるベエ。おまえの国の文字じゃないか」
「ふむ?」
ある: 鮫 ・ 苺 ・ 税金 ・ 悌 ・ 同棲
なし: 鯖 ・ 林檎 ・ 滞納 ・ 悟 ・ 別居
ヒント:文字をばらばらにすると何かが見えてくるよ・・・
「はて? サメにサバ、イチゴにリンゴ、ゼイキンのタイノウ、オモカゲとサトリ、ドウセイとベッキョ。なんだかいやらしいな」
何が?とふたりは思ったが、まず字の読みを覚えようとしていた。
「ゾリントンはわかってるのか」
「いやいや、読み方すらわかんないよ」
「ふーん、コモコモは?」
「右に同じだぞ」
「上下の問題なんだがな……」
そういう些末なことにこだわるときは、たいてい的を射るような考えは浮かんでないもので……。
「これは表意文字というやつだな。ただの発音記号じゃない。意味のある部分で構成されてるんだろ、たぶん、最初の二文字は魚や海を表す形が含まれてると思う」
「さすがだな、その通り。文字の左側の四角にちょんちょんちょんが魚って字だ」
「へ~。左がサカナで、となりにあるものでサメとかサバとか言うのか」
「へ~、わかりやすいぞ。ずらっと並べてみたいもんだぞ、湯呑かなんかに」
「でも法則性はわからんな。上のグループで共通する部分? 音? 意味?」
けるベエの腕組みがますますきつくなって、着物が悲鳴をあげそうに突っ張らかっていた。
「もっと細かい部分はないのか、サメでもイタチザメとかホオジロザメとか、名前から戻ってみて当てはまることとかないか」
「うん? そんなレゴの歯車パーツや人形じゃないんだから、専用の部首とかないよ」
「そうなのか、でも共通するものを探すなら、他の言語にはない特徴の、その部品のような仕組みからだと思うけどな」
「部品として探してみろと言うのか、まあ、魚とは関係ないがそれ自体で読めるものもあるけどな、俗説だわな、おんな又チカラみたいな」
「女? ウソとかまたそういうのか?」
「……いや、違う。そうか、わかったぞ」
「答えは何だぞ」
「でも、みなし児に出す問題ではないな……誰が決めたんだよ、いつ決まったんだ、子供向けなんだろうけどよ、何時何分何十秒、あれと同じ言い草だ。筋が通ってないと子供でも不満が出そう。その前に飽きるか、ただの羅列だし、だいたい何回もやってられるものじゃないな」
「答えは何だい」ゾリントンが冷静に聞いた。
「答えは家族だ。家族に関する文字が入ってる。おまえが言ったように部品として、ただし魚偏みたいな意味としてではなく、元の文字とは関係ない読みをしてのことだ」
「ふーん、家族の仲間の文字も魚のグループみたいに共通してあるのか」
「いや、この場合はグループにはならない文字だが、隠された共通部分のクイズに使われて、それをまとめると家族に関連するという結果になってるだけだ」
「よくわかった」
「そうなのか? でも、解けたんならいいぞ。よし、次だぞ」
「……いや、次はないみたいよ、3問でクリアしたらしい」
「なぬ?」
少し不満そうなコモコモの尻を押して、三人は次に進んだ。
つまりはさらにバームクーヘンの内周へ、ダーツボードの内側へ。落とし穴の跡というかそうなってからくっつくらしい開いている穴にはもちろん近づかない、道は真ん中を通る……横に広がって歩くんならバカな高校生の部活帰りなんだろうが、邪魔にもならず序列などなくRPGらしく一列縦隊で進む。
今度のイシブミは、大きくも小さくもない。石の色が混じり合っていて一枚岩ではないようで、不純物なのか異物なのか粒状に汗疹のように表出してごつごつとした見た目となっていた。スクリーンはあった。まっ平らな部分にも石の材質としての模様があったが、邪魔になって文字が見えないわけではない。が、何も出ていない。何も表示されていなかったのだ。
三人はしばし観察した。後ろにも回ってみた。結界のようなバリアもなくあっさり後方にも行けた。ぐるっと回ってコモコモは正面に戻ってきた。しばらく考えていて、そして、イシブミを叩き出した。
故障中で素通りできるかも?
「何してんだ。昭和のTVセットじゃないんだから」
「なんかあるぞ、ほら、なんか石に混じってるぞ」
言われれば、イシブミの表面にはキラキラと光る部分があるようだ。ガラス質ではなく、薄暗いなかでも目を引く金色の輝きだった。
「そうだったな、金貨が好きなんだっけか、コモコモ」
「でもちょびっとじゃん。それに金かどうかもわかんないよ、金色に光って見える金属は他にもあるよ」ゾリントンには耳も貸さず、コモコモはずた袋から小さなナイフを取り出し、その光るものを削り取ろうとする。
「そんなちょびっとを?」イシブミの全体に分布して光の粒は光っていた。キラリと光れば目は引かれるが、小さな粒だ。量は知れたものだ。だが、めざとく一枚のブスコインをひろっていたのがコモコモだった。ちょびっとの光る粒をとうとう一個掘り出した。親指と人差し指でつまめるような欠片だっら。コモコモはそれをちょっと眺めてそして満足げにポケットにしまうと、さらにちょびっとを集めようとまたイシブミにとりついた。
手伝うよ、とも言わず、小柄を手にけるベエもイシブミに刃を立てて同じく彫る。
「え? おまえも?」ちょっと意外だった。
削り取った鉱物は、ゴールドかもしれないし違うかもしれない。ゴールドとは別のものである可能性が高いと思う。そういえばけるベエは黄金の島の伝説も誤解なのだと言ってた。
「コモコモ、ちょっと無理じゃな、集めきれんよ。効率が悪い」
効率とは、投入した元手と結果の利益の均衡。
この世界では金貨を誰も使わない。古銭にはあってもそれでクイズになっても、王国は金貨を作っていない。
そして、金を欲しがる人がいない。コモコモほど欲しいと誰も思わない。よって金に似てるものであっても貨幣の偽造すらできず、金を集めても意味がない。
コモコモはそれでも欲しそうだった。イシブミにまばらに埋まる光の粒を掘り続ける。
「下見てさ、コイン一枚ひろったほうが早いよ。わしがまた見つけるよ」
けるベエは価値の話をしている。
しかし、この世界の価値観に合致しないゆえコモコモに話が通じるかというとそんなわけはなくて、コモコモの手は止まらないのだった。
切りがないと思って、ゾリントンはふと地面を見た。
「何かあるぜ」ふたりに声をかけた。コモコモも振り向いた。
ゾリントンは地面を示す。
「さっきシンデレラがどうとか言ってたの、なんだったっけ……」
「わしだけ罠にかからなかったんじゃ。落とし穴もジャンプも……」
「そうだった。そういう仕掛けかもよ」
三人はゾリントンのもとに集合した。あごで示した地面には足型があった。足の裏の跡のような模様がふたつ、地面に彫られたように描かれていた。
「今度は何かのスイッチか?まんま出ちゃってるのかね? それともこれでイシブミを作動させるとか」
「そっちもあるか」
ゾリントンはイシブミを振り返り、コモコモも同じくそうした。
「この足型にぴったり合えば……ってことかな?」
「シンデレラでは落とした靴に合う人を探してた。たぶん足型は関係ない」ゾリントンはおとぎ話を分析した。
「これでサイズを確かめるとか?」
「けるベエの靴を作るならわかるが、誰が来るかなんてわかるわけないし、それもこれもけるベエが裸足だったから罠が作動しなかったって前提でだけど」
「靴職人がこんな洞窟にいるってことはないよな? いくら昔の話でも」
「シンデレラは一意の持ち主を探す。片方の靴を落として行ったから、かかとを揃えた二つの足型がまず違う。それに足型だけならサイズが合えば当てはまってしまう。この足型が靴の図形じゃなくて足裏の輪郭なのは、やっぱり靴職人も裸足も関係ないと思う」
「シンデレラってサイズが合ったあと、もう片方も出してきて、ほらあたしの靴ですって話だった?」
「いや、どうだったかな?」
「とにかく、ここまで違うルートを選んでれば罠にも出くわさなかったかもしれないし、罠は除外して考えてもいいんじゃろう」
「そうだな。新しい罠ということもありえるが、だったらこんなむき出しなのがおかしいしな」
「ということはイシブミの真ん前にあるし、やっぱり……」
二人は振り返り、イシブミを見つめてずっと黙っているコモコモを見ると、
「じゃあ、とりあえず踏んでみるぞ」
「待て待て。これまでからの予測はむずかしいっていうのは結論じゃないぜ。話はまだ終わってない。注意してよく考えて」
「クイズだったら頼むぞ」
「いや、待てって、イシブミに混じってるわずかな金に引かれてるおまえがやる気になってるのがおかしいんだから。ちょっと待て」
「踏み絵かもしれんな」
「それも試練だけど、あれは許可だから。違反してないことを証明するための苦肉の策だから、かわしてもいい罠とは違うよ」
「じゃあ視力検査みたいなことかな? 片目ずつ上とか右とか言うやつ、足型があったような」
「検査だから一定の距離を取るってだけで、線を引けば足型はいらないだろ」
「ここからイシブミに何かするにしても、わざわざ視力を計るか?」
「おまえが言ったから答えただけ」
「足型って横断歩道にもあるぞ」
「そうだった。じゃあ、止まれ、やめろってことなんじゃ?」
「メッセージならイシブミに出せばいい。何も出てない」
「何の謎もないってことはないはずだよな」
「まあ誰もいないし、遺跡だし、やり尽くしたあとって可能性も否定できないけど」
「そこに立って踏めば問題が出るってことじゃ?」
「でも踏むと足型は見えなくなるし」
「それはいいんじゃないか、足に問題を解かせるわけじゃない」
「もっかい基本から考えてみようぜ。これ足の大きさはどうよ? 子供用か?」
「どっちともとれるな。靴の形じゃなくて指まで描かれてる素足だと小さい気もするし」
「やっぱり素足はおかしくないか? なんでこんなところで裸足になるんだ?」
「いや、記号だからだろ。止まれ、行くな、飛び出すな、それを足型によって注意喚起してる」
「ここで止まれ? これ以上進むな、あるいはイシブミに近づくな?」
「イシブミはもう誰かさんが彫っちゃったけどな」
「ゾリントンはデバッガーみたいに細かいぞ。そんなの二週目でやれってことまでいちいち確認するなんて因果な商売だぞ」
「ん? 商売ではないよ。そういう性分なのは認めざるをえないけど」クイズでは引っかけに気を付けて細心に問題を聞く、それでも最速で早押ししなければならない。そこに機械の手助けなどない。
「進むな、にしちゃあ途中も途中、入り口で止めてくれって話だが。まだ通路は続いてるし別のルートだってあるしな」
「こっちの道はハズレってことか?」
「いや、それなら落とし穴でいいじゃん」
「とにかくやってみるぞ」
コモコモは言ったときはもう足型に飛び乗っていた。
「ええ?」
しばし、だまる三人。ふたりの顔を交互に見るコモコモ。
「……何も起きないか」
「ちゃんと合ってないんじゃないか? 足が型からずれてない?」
と、急にコモコモが身をよじり、うめきだした。
「おお~おォォォ、おれのからだがぁぁ~、きんいろォォォォ、きんいろにィィィ~」金色の光を放ち始めた両腕で頭をかきむしるので、コモコモの髪を結わえていたひもが解けて、ざんばらの髪が顔にかかり、その表情はわからない。うめきながら歩き回るコモコモの身体のあちこちから黄金の光が差し始め、目を射るので、ある種の神々しささえ感じる。煩悶とそれに見合う栄光。苦しみに咆哮し、人々のそれを引き受けながら、誰もが欲しがる貴重なものに来世ではなく今ここで変容する。
「お~おォォォォォ」やがてコモコモの全身が黄金色に輝きだした。
「どうした? 身体が金属みたいになったのか? 動けないのか?関節が固まってるのか?」ゾリントンも叫ぶように訊ねた。
「きんいろにィィィ~、、きんいろォォォォ」コモコモは頭を抱え、二歩三歩とゆっくり歩きつつ、途切れ途切れに叫ぶ。
「なんだよ、どうなんだ、大丈夫なのか」
「うん、大丈夫だぞ」
コモコモは落ちていたひもを拾うと、小さな袋角を包むように髪をまとめ、てっぺんで結び直す。
「なんだよ、大丈夫なの?」
「うん、動きもほら」
「いや、ロボットダンスしたらわかんないだろ」
「そうだったぞ。ほら、動く」
腕をグルグル回すと、回転につれて金色の輝きが周期的にきらめいて、金色のメンバーが好きなアイドルオタクばりに目立つ。いや金色担当って。
とにかく腕と言わず足と言わず、髪の一本一本も服も靴も例のずた袋までも、すべてが黄金の輝きを放っているのだった。
「こんなにィィィ、こんなにィィィ~」
「なんだよ、やっぱりおかしいのか?」
「こんなにィィィ、金色にィィィ」
「それはわかっとるわい。見ればわかるんじゃ。何か異変はないのか?大丈夫なんじゃな」
「大丈夫だぞ」
けろっと声の調子を変えて言うコモコモ。だが、すぐにまた、
「おォォォォ、おれのからだがぁぁ~」
「もういいよ。体は大丈夫なんだな、金だからって金属にもなってないし、光ってるからって自分の目が見えないわけでもないんだな」
「うん、大丈夫だぞ」
「しかし、見事に光っておるのう。なにやら見覚えがあると思うたら、まるで千手観音像じゃ。そうか、あの千本の手は四方八方に広がる輝きを表現してたのかもしれんの」
「おまえもおまえで見覚えあんのかよ。もう心配するのやめよ」
「いや、心配はしてほしいぞ」
「でも大丈夫なんだろ」
「大丈夫だぞ」
「それで、どうするよ?」
ゾリントンはイシブミをちらっと見たが、異常なし。続いて視線を落として、地面の足型は消えていなかった。ゾリントンは、だが踏んでみようとは思わない。
「コモコモ、袋から何か出してみろ」けるベエは思い付いて言ってみた。
「リンゴを出すぞ」
一瞬だけ、袋から出したときは赤いリンゴだった。が、コモコモが手にしているのは黄金のリンゴだった。
「これはもしかすると幻のファンタ、ゴールデンアップル味ではないか?」
「わけわかんないこと言ってないで、もっと出してみ」
今度はコモコモはズボンのポケットからコインを出した。1ゴールドの単位のブスコイン。つまみだした時には銅貨の青銅色だったが、形はそのまま金貨に変わっていた。
「ちょっと見せてくれ。金になって重くなったりは……」と言う間もなく、ゾリントンに手渡すと金色の輝きは消え、また銅貨に戻った。ゾリントンはそれをコモコモに返した。すると、また金色に戻る。
「また離すと戻るか」
「出すまで普通で触ると金に変わるぞ。おもしろいぞ」
ずた袋もまた外観は金だが、中のものは変わっていないようだ。が、その底なしの許容量のせいではなく、原因はコモコモだろう。袋から取り出すまでというわけではなく、触れると変わるのだ。
笑うコモコモ。
「チョコボールも入れとけばよかったぞ」
「金のエンジェルじゃな、いや、それは反則じゃ」
「にょほほほ」
コモコモは変な笑い方をした。
「笑ってる場合か?」
「うれしいのか?」小馬鹿にするような調子ではなく、けるベエは素直な疑問で言った。ニヤッと笑ったコモコモの口の中まで全部金。全部が金歯でちょっといやらしいやつにも見えたが、さっきまでちょびっとの金色の何かに執着していた彼だったからだ。
「おまえも黄金にしてやるぞ。黄金の刀とか欲しくね?」
「いや、そんなもん欲しいわけないぞね」
「なんでだぞ」
「金ぴかなんて装飾用でも悪趣味だよ。サルじゃないんだから」
「猿ってモンキーの猿? へ~、猿って金色が好きなのか?」
「そうだよ、金と花見のお茶会が大好きだよ」
「自民党の議員みたいだぞ」
「あっちは花見も選挙も裏金でこそこそやってる雑魚。サルは見せびらかして力を誇示する大物だったよ。大物と言っても晩年は……いや、もういい。ただ派手好きでも全身キンキラキンとは違うな」
「もうそろそろいいんじゃないか、もう十分楽しんだろ」ゾリントンは話には乗ってこず「イシブミを試してみたらどうだ? 石の中の粒々は反応してないみたいだけど」
「ふん。あんなちょびっと」
「おいおい」
けるベエはそれとは別に、
「おれは鉄にならなってみたかったかな。刀にはなりたいな」
「何それ」
「相棒だからな、気持ちをわかりたい、そして限界まで使いこなしたい」
「またわけのわからんことを……。でも、東の戦士の国が黄金の国って言われるので思い当たることとかないのか?」
「うむ、そもそもこの世界では錬金術師の噂を聞かないからな。黄金の島と言っても宝島ではなく、今のコモコモみたいなキンキラキンの変なところとしか思われてなかったんじゃないかって今、思ったんじゃ。それなら別に誤解されてもいいや」
「なんか変な納得してるけど……。コモコモもうなずいてるけど、おまえを褒めてるわけじゃないぜ、たぶん」
「そうなのか? でも、けるベエを鉄にしてあげたいぞ」
けるベエも弱々しくだが、ほほ笑んだ。
「鉄になったら楽しいぞ。おれが金、けるベエが鉄、ゾリントンは何になるんだぞ?」
「そういう話なのか?」
「いや、何かの金属にへんげするとなったらの例え話で、実際に鉄になりたくはないな」
「おまえ、泳げなかったしな。ゾリントンはシルバーにしてやるぞ?」
「なんでおまえが人を金属に変える話をしてんだ。おまえは変えられたほうだろうが。それになんでシルバーだ?」
「好きそうだぞ、シルバーアクセサリー」
「いやいや、サルじゃないけどヤンキーも趣味悪いよ」
「意外だな」けるベエもコモコモも同時に言った。「おまえ、マニアックだから、もっと小ぶりのフィギュアのことを言うかと思った」
「フィギュア? アニメキャラやロボットでなくRPGで使う銀色のミニチュアのやつ? テレビゲームじゃなくてテーブルトークかよ、渋すぎるだろ、おれをなんだと思ってるんだよ」
そこで、けるベエは少し固い表情になって、
「銀も通貨に使われてたんだがな、昔の東の国でな、ところが海外との価格の内外差で貿易で安く銀が流出してな。それで銀の含有量を減らして鋳造するようになってな。内容が減れば数は増やせるわけで、貨幣の流通が増えてそれまでの現物経済から貨幣経済へ発展したんだが、それは競争によってではなく、専売の強化でされてな。許可されて独占的に商売に参加できる座組のものは、技術も発展させて商品開発も盛ん、生産も流通も拡大したが、すべての権利は時の政権が握っていて、要するに下請けだな、どこまで行っても。もちろん独占的に儲けた連中にはキンキラキンになった者も多かったが、その金を貸したサムライが行き詰ると逆に処分された者もいた。金を貸したほうが殺されるのはおかしいと思うだろうが、それが権利であり身分だし、当然と言うか他の金の流れもできてたんだ。つまり、賄賂だ。それを貰うのも罰するのも法と権利を持ってる側ってわけだ。そこまで貨幣経済が行き渡ると、物があっても貨幣がないと買えないという事態に陥る。独占的に上から取り上げられるから目の前の商品は自分の物じゃないし、商品は貨幣と交換だから金がないと買えない、戻ってこない、買い戻す権利はない。それが恐慌や飢饉に拍車をかけた。食べる物がないから飢えるのではない、金がないから喰いもんを買えない時代になってしまっていた。その取っ掛かりの象徴が銀貨なんじゃ……」
コモコモも神妙な顔になって、
「そろそろ戻ってもいいぞ……」と、言った。
「いやいや、気にするなコモコモ。うれしいなら素直に喜んでいいんじゃ」
「もうそんな気になれないぞ」
キンキラキンの曇りない目で言うから、どうにも沈んでるようには見えなかった。
ゾリントンが、
「商売だけじゃないだろ金は。絵師も使うだろ、クリムトだっけ? 黄金を装飾に使う画家だ」
「絵の材料に金を使う? なんじゃ、錦絵みたいじゃのう」
「それだよ、東の戦士の国の影響なんだよ。おれが言うのは変だが、戦いや温泉だけじゃないんだぜ」
「ふーん、しかし、絵画まではわしにはわからんわ」
「おれも見たことあるぞ、なんか気持ち悪い絵だったぞ」
「いや、それは……、まあ、感じ方は人それぞれか」ゾリントンは逡巡して話を切って、
「これが罠だったとしたら、昔の人は、これでおびき寄せられてモンスターに喰われたりしたってことか?」
「モンスターの前に、金になったことで人生が狂ったんじゃないか、宝くじに当たったみたいなことじゃろう」
「うん、でもそんな大金みたいに金が価値を持ったことがないと思うんだ」
「ということは、宝くじという比喩は何を差してるの?」
「貴重なものはいつの時代にもあるさ。射幸心をともなうのかは、確率が稀少さを担保するから、形態があれば煽られるだろう」
「時代によってもありそうじゃな。昭和の台所用品だったら、金ぴかじゃなくて大ぶりな花柄になってただろうな」
「誰が森英恵なんだぞ」
「いや、男性のデザイナーだったらしいよ。昭和だし女の出番はなかなかなかったらしい」
「ふーん、あんな花柄を男が? 意外って意味では北欧のマリモッコリみたいだぞ」
「またなんかいろいろ混じってるな。まあいいけど」
「だからさ、モンスターもピカピカ光るものとか好きそうだぞ」
「自分で言っちゃうの? そのままキンキラキンでいたいのかコモコモ?」厳しめな声のゾリントン。それにはコモコモもしゅんとなった。
すると突如、黄金の光は消えてしまった。
呆然と立ち尽くす、いつものというか、昨日までのコモコモ。
突然のことで、黙りこくるあとの二人。だが、目にまぶしい光が消えて、やっとちゃんとコモコモを見た。久しぶりという感覚がなぜかわいてくる。
「消えた? なんでだぞ?」残念そうなコモコモ。
「時間切れか? 無敵モード終了みたいな?」
「コイン切れ、クレジット無しで、パワーアップは持ち越されないとか」
コモコモは不満顔だが、すぐに足型のほうへ戻ったりはしなかった。
「一回座るぞ」コモコモの手には、赤いリンゴと小さなナイフが握られていた。
「そうだな、びっくりしたし」
「ああ、ゲーム的に言えばキャンプか」ふたりも地べたにあぐらをかいて、三人で対面で座った。
コモコモは器用につながったままでリンゴの皮をむき、四つに割って芯の部分もV字に削って、白い実をそれぞれに手渡した。
シャクッ、シャクッと食べる。蜜はないがおいしいリンゴだった。
リンゴは知恵の実だというが、金色の価値は、現物のゴールドにあるわけではないということなのだろうか。金を欲しがる人が金になり、欲しくない人に心配されている関係が逆にならなければならない。ダンジョンなのに、罠として成立していなかったのはそういうことなのか。そうなって初めて禁忌、すなわち禁断の実というものになるのだろうか。
「もうちょっとくれ」けるベエが言った。
「ゾリントンは?」
「おれはいいよ」
コモコモは残った一切れをナイフで二つに割って、一つをけるベエに渡した。
「一回だけなのかな」ゾリントンは金色に変化した話のつもりで言った。
「チャンスの女神は前髪しかないって言うからな」
「そんなロナウドみたいな女神いやだぞ」
「サッカーって黄金の世代がいくつもあるよな」
「SF小説の黄金時代だって、たくさんある。だいたいの人に当てはまるのは、10代って答えだよ。年代じゃなく」
「もういいぞ、降りるぞ」リンゴを食べ終わったコモコモは、通路に空いた穴へまた飛び降りた。
飛び降りる必要ある?という間もなかった。
「まあ、リセットじゃな。行こう」
なんで?という間もなく、けるベエも同じ穴から下の階へと落ちて行った。
「なんで?」と言いながら、ゾリントンも同じく落ちて行った。
そして、また円形ダンジョンの階に戻ってきて、階段の上り口の壁際からあみだくじほども迷わずに内周へと金色混じりのイシブミまで来て、足型はまだちゃんとあったが無視して通り抜け、さらにそのまた内周へと進んで行った。
今度はやけに低いイシブミだった。低くて四角い小さなテーブルのような形。その上面にスクリーンは付いている。その平面のスクリーンの端っこまでは見えた。何かが映し出されているのもわかった。
しかし、誰かいる。
誰かというか、モンスターだった。
とうとう出現した。
後ろ姿だが、ずいぶんデカい。あきらかにモンスターだ。低いイシブミに覆いかぶさるようにして夢中で何かをやってるようだ。
まったくこちらに気付く様子もないので、少しずつ近づくと、これもさらに低い円柱の岩をイスにして座り、低いテーブルのイシブミに付いているボタンなどで何かを操作しているようだ。テーブルの上には、山積みになった金貨もあった。
モンスターの巨大な背中は緑色で、その皮膚は乾いて硬そうだ。
座ってても、丈は子供たちのほぼ二倍、ということは立ち上がるとほとんど三倍、もしくはそれ以上。体積は……とにかく数倍では利かぬ巨大な体躯であった。
オウガだった。中ボス級のモンスターだ。
が、猫背だった。いや猫ではなく猪に似てるが、椅子に座って背を丸めイシブミに向かい何か一心に作業している。手先だけでやってるようで、肩を揺するような動作しかしてなくて、デカい図体からするとやたらせせこましく見える。
あまりにも熱心で、やはりまだこちらに気付いた様子もない。他に視線を向けるということがない。
子供たちは恐る恐る近寄って、正面へ回り込む。顔は見たい。モンスターの反応はまだない。
横顔が見えてきて、口から大きな黄色い牙が二本、上方向へむき出しに突き出ていた。長髪というか後ろに長いたてがみと、顔もほっぺたにもアゴからも長い毛がおびただしく伸びている。銀髪、だが汚らしいくすんだ色だ。顔をほとんど覆うような毛もその色だ。毛量でさらにデカく見える頭を載せて、身体全体もデカくてゴツイ。
その巨大な身体を丸めて、イシブミのテーブルをのぞき込んでいる。テーブルの上面、手前のほうには丸い球が上端に付いた一本の短いバー、そして数個のスイッチ。オウガは片方の手のひらを上にして人差し指と中指でそのレバーを挟み、丸い球をストッパーにして微妙な操作をしているようだ。もう片方の手は、ボタンをせわしなく押していた。だが、四つあるボタンのうち二つしか使ってない。金貨の山は、テーブルの画面外の周囲にいくつもあった。
先頭のコモコモは、そのままさらに進んで、テーブルをのぞき込もうとした。
不用意な接近をゾリントンが袖を引っ張って制止する。かまわずコモコモはテーブルの真ん前まで行こうとする。けるベエも止めようとしたが、半袖のシャツを捕まえ損なった。あっと声を出しそうになって口をつぐむ。ゾリントンがつかんだ袖もかなり伸びて、コモコモは生地が傷むのも頓着しないで進もうとするので、手がすべって離してしまった。
コモコモは、テーブルの真向かい、モンスターの正面の位置に立った。残された二人は、勇気があるのか物好きなのかわからない彼とそう距離のない場所まで来てしまっていたので、身構える。
オウガはコモコモをチラッと見た。座ってるオウガは見下ろすようにして正面に立つ子供に大きな顔を向けた。
しかし、すぐにテーブルの上の画面に視線を戻し、また操作を始めた。
無視? ではコモコモ何をするのか……。
だが、お互い反応なし。コモコモもだまってつっ立っている。
ゾリントンたちからもイシブミのスクリーンが見えて、それは非常にシンプルなCGだった。上から下へスクロールするゲーム画面だった。しかし、今どきにはない緑だの青だの単純な色分けの背景が流れていた。それに、グリコのおまけみたいに小さくて図形的でこれも色数の少ないメカ。三角形になってるのが翼で、たぶん飛行機。どうやら古いシューティングゲームのようだ。
それを夢中でやるオウガ。だまって見ているコモコモ。一人称視点だったら反対側から画面を見ているコモコモは、ある種の野球ゲームよりも状況の認識に迷うだろうが、3Dでもないしそれはないようだ。いな2Dでも、もっとキャラが多くてエフェクトが派手で敵の陣地などのメカももぞもぞ動いてごちゃごちゃしてるほうが見づらいかもしれない。ひとことで言えば弾幕だが。
それにしても大きなお友達と野生児みたいな組み合わせだけでも変なのに、何も起きないとは。
すると、コモコモは手を伸ばし画面を指差した。スクリーンぎりぎりに指を近づけたのは、場所をピンポイントに示したいらしかった。邪魔に思うでもなく、オウガは操作を続けた。指定された座標に画面上でボムを落とした。
爆破の跡に何かのマークのようなものが出現した。けるベエとゾリントンには知るよしもなかったが、立ったのはフラグで、自機が一機増えたのだった。
オウガは片方の銀色の眉を上げて、コモコモに驚きの目を向けた。非常に控えめな表現だった。
当然だと言わんばかりにコモコモは腕組みをした。そして、また画面を指差した。
同様にその場所をボムで狙った。すると、先ほどとは違って地面の色が変わり、さきほどとはまた別の何かが四つも出た。
オウガはちょっと画面全体を見て、表示を確かめて首を横に振った。コモコモは首をかしげた。あとのふたりにはわからなかったが、スコアだけのボーナスだったからだ。
じゃあ、何周も回りたいのか。
しかし、オウガはあっさりミスをして、画面上の自機が爆発した。コモコモにはその行為がわざとに見えたが言わなかった。巨体を揺らして立ち上がると、膝がテーブルに当たってコインの山がいくつか崩れ、何枚かは下に転げ落ちた。自分たちのほうにも転がってきて、けるベエとゾリントンは瞬間的に身体を固くした。が、コモコモは落ちたぶんを律儀にすべて拾って行った。オウガはコインを受け取ろうともせず、ただアゴで空いた席を示した。今まで自分が座っていたイスをコインを持ったままのコモコモに譲ったのだ。オウガがけるベエたちを居ないものとして扱ってるのではないのは、三人で順番待ちしてるのかというように見やって、固まっている二人はそのままに、テーブルの向こうに回って行ったのでわかった。
また、猫背になって画面を上からのぞき込むオウガ。
コモコモが勝手知ったる様子でコインをイシブミの操作ボタンの横にあるスリットに落とし込んで投入し、プレイを開始した。モンスターが積んでたらしいコインを使うのか、と子供二人は訝しむ。落ちたものを拾ったから、という3秒ルールより軽い理由で通るのか? が、ふたりは、さっきの1UPを教えてやった事情を知らないからそれはしかたない。
オウガは立つとさらにデカかった。猫背で腕組みをするので、いかり肩で身をちぢめるようなおかしな姿勢になって、じっと画面を見ていた。
一方、コモコモのプレイ。画面は上から下へ順調にスクロールしてゲームは進行していた。ボタンを押すと弾を撃つ。二つあるのは、空中を飛ぶ敵と地面にいる敵の区別、撃ち分けとコリジョンの違いだった。敵機は画面の上つまり前方から列をなして飛来して、撃っては離脱。地上兵器は簡素な背景でもわかるシロヌキの道なりに移動しては弾を撃つ。地面にいるから移動は遅い。敵弾は当たるが地上の機体と座標が重なってもノーダメージ、上空を通過はできる。それらをほとんど撃ちもらさず、コモコモが操作する小さな自機はあまり無駄な動きもなく、敵機が現れるX座標を知っているかのように待ち伏せては掃射し、飛行を続ける。
蚊帳の外のような状態のゾリントンは「クリアか」などとのんびり考えていた。しかし、となりに立っているけるベエを見てあわてた。
けるベエは血気にはやっていた。
刀の柄に手をかけ、丸い頬はますます紅潮し、今にも飛びかからんばかりといった様子。
ゾリントンは、長い袖を引っ張って、
「どういうことだよ」と、小声でけるベエに訊いた。
「熊よりデケエんだ、戦ってみたくなるのは普通だろ」
「いやいや、無謀すぎるだろ。それに」
「いーや、ずっとクイズばっかりでウンザリしてたんじゃ、ここは挑戦すべきときぞ」
「そっちかよ、戦士にからっぽのダンジョンがお気に召さないのはわかるけど、ここは一旦コモコモに任せようぜ」
「あいつらゲームしてるだけじゃねえか」
「それでクリアなり勝ったってことになれば御の字だろ」
「いいや、そうはいかん」
「そうはいかんて、行かなくしてるのおまえだけだろ」
「いや、モンスターだぞ。戦って退けるべし」
「でも、向こうには戦う気なさそうだぞ、ゲームの対戦はともかく。むしろいきり立ってるおまえのほうがモンスターっぽいぜ」
はたと気付いたといった感じで、刀から手を離すけるベエ。
何かが戦士の誇りにさわったのか。
「今度はしゅんとしすぎだろ。まったくどうなってんだよ、コモコモはゲームがうまいし、けるベエはバーサーカーみたいになるし、オウガは猫背だし」
それに対してもけるベエは何も言わず笑いもせずで、ゾリントンは拍子抜けしてしまった。
コモコモのほうを見ると、さっきまでの次に画面のどこへ移動すべきかわかっているような余裕のある操作とは打って変わって、意地になったようにボタンを連打していた。しかし、画面をさえぎるように手を振ってオウガがそれを止めた。あとの二人にはやはりわからなかったが、コモコモは撃っても壊せないオブジェクトを必死に撃ち続けていたのだった。二五六発で壊れる、そういう噂を子供は信じがちであった。
さきほどはコモコモのほうが指摘した隠れキャラ。それはプログラムされた秘密であった。プログラムは一般の人にはわからない秘密の呪文のように言われるが、この場合は何かが隠されているというゲーム上の仕掛けである。それは隠されているだけにもっとある、他にもあると思わせた。もっと秘密があるにちがいない、それは少年とモンスターに同じ知識をもたらし、違った推理を抱かせた。
コモコモはやりたかったことがデマにすぎなかったと知って、死なないだけで目的のない惰性の操作になってミスしてしまった。
立ち上がると入れ替わりにオウガがイスに戻る。そして、コイン投入。
「ほら、オウガが順番守ってるじゃん。それを後ろから襲撃するのか?」
「どういうことなんだろうな、コモコモもコインはもらったのを使って、落ちたのをくすねてない。おれが先に見つけたコインは横から拾ってとっとと自分のものにしてたのに」
「気にしてたのかよ。あ、なんか二人でやり出したぞ」
「どうなってるんだろうな」
オウガが四つのボタンのうちの使ってなかったやつを押して、別のゲームに変更したのだった。ボタンの後はスクリーンを直接触って操作を始めた。
画面いっぱいに色とりどりの駒が整然と並んだ。タッチ操作で駒を動かして同じ色を三個揃えると消える。消えたあとは物理演算で上から駒が落ちてきて詰められる。そしてそこでまた色が揃ったら、三つ消える。よくあるパズルだった。
またパズルか、とも言わないでコモコモも手を出して操作を確かめる。と、筐体から少し離れ、コモコモが二人を手招きした。何事かと急いで駆けよる二人と一緒に座れそうな適当な岩を転がしてきて、イシブミの筐体の前に据え「ありがとう」。自分のイスにした。そして、画面のタッチ操作に加勢し始めた。
「これ、ふたりプレイか?」ゾリントンとけるベエはまた数歩離れた位置まで戻った。
「モンスターと? なんだこれ」
「うるさいぞ、集中してるんだぞ」コモコモに一喝された。
あまりのことに顔を見合わせるゾリントンとけるベエ。確かにタッチ操作は忙しいようで、筐体のテーブルの上を滑らすように一本指を画面に微妙に触っているくらいの距離に保ち接地面が大きくなって指がひっついてつんのめったりするのを防ぎ、さらにオウガの手にはぶつからないように、縦横無尽に動かし続けている。単に三つ揃えるのではなく、遠回りに指を動かして揃える位置を調整してるのは、意図的に連鎖を狙ってるからだ。広い視野と次の展開の予想に、流れるように操作し続ける集中力が必要なのだった。
「ルートスペルも知ってたし、古いゲームにも強いのかもな」
「古いのは知らんが、しかしこの状況は……」
「コインはたくさん積んであるしな。向こうからしたら使わせてやっても別にかまわないのかも。金貨が欲しいやつなんてそうそういないし」
「金貨で意気投合したのか。どんな守銭奴なんじゃ」
「いや、山積みになってるコインはまだこれだけゲームができるってことだから、金じゃなくてゲームだよ、二人に共通してるのは。コインの積算でプレイ時間を買ってるってことだからさ」
「でも、プレイ時間が長くなるのはゲームの腕次第じゃないか。ということは、ゲームの回数、機会を買ってるんであって時間ではないだろう」
「ゲームの回数って死ぬ回数じゃん。だから時間を買ってるでいいんじゃないか」
「死ぬことは積算できないだろ、一回ずつ別のゲームと言っていい。いや、同じゲームでもだけど」
「おまえら、うるさいんだぞ」
何周もテーブルのあっちとこっちを回る途中のコモコモに、また注意された。
あの図々しいと言ってもいいくらい遠慮のないコモコモが、おとなしく順番を守っている。合間にコインがまた落ちたりすると、拾ってテーブルに戻してやっている。
「借金は時間が経つと利子が増える。おとなしく順番を待ってるのが、利子がつくのは自然なこと、回ってくるのは当然だと考えてるみたいじゃないか」
子供だからうまく言えないが、ゾリントンは積算という目に見えるものに誤魔化されまいとしている。見えていることがすべてではないし、事実だから正しいわけではないと。
けるベエはそれよりも、おれのときとはずいぶん違うなと感じている。もしかするとゲームにしか使えないクレジットの金貨と自分が道に落ちてるのを先に見つけて横からひょいと持って行かれたコインが違うのはわかるが、この二匹のなかでルールとして決まったことが自分に適用されないのは不自然だと、損した気分になっている。それにはおれにもゲームをやらせろ以上のことで争えないストレスも加味されていたが。
コモコモが立ってオウガが座ったある周回のときには、先ほどのシューティングゲームのように簡素なCGながら、固定画面の仕様になった。敵機であった地上の砲台になって撃つ。自機は自分側、画面の一番下にいて、敵はコモコモが立っている側にあらかじめ縦横に多数で整列し布陣している。敵機はその全体が列をなして徐々に迫り襲ってくる。こちらは一門だけの砲台で迎え撃つ。敵集団を殲滅しなければ、砲台は左右に移動する以外に逃げ場はなく、激突、爆発、ENDとなる。敵の緩慢な集団突撃は、横方向に行き切ったところで一段階迫って、そこで逆にターン、やっぱりまた横に端まで移動して行く、タイプライターのような動きで、プレイヤーが横に掃射しやすい暇を与えてくれる。が、そんな陣形にも戦法にも疑問を持たない一匹と一人なのだった。
オウガのプレイ時間は長くなったが、コモコモはやはりおとなしく待つ。
そして交代、また別のゲームにコモコモが変えたが、通信機能は無し、スクリーンは一面、操作スティックとボタンは筐体に一組、物理的に対戦は不可能で、これもグラフィックが簡素なのは変わらず、今度は野球ゲームになった。早速プレイしたコモコモだが、ゲームのテンポがいいにもかかわらず、初球から早打ちしてあっさりチェンジ。投げる番でも、何の気なしにストレートを続けて打ち込まれ、すぐにリードされてゲームオーバー。
ゲームの種類をチェンジしただけのようになった。
そんなプレイぶりをオウガは順番を待っておとなしく見ていたが、自分の番になるとクレジットを増やしそのまま野球ゲームを続けた。オウガはというとまず遅い変化球は捨てて速球に狙いを絞り、長打はない代わりにヒットを連ね1点を先取、それによってビハインドか4回以降だと引き分けでもゲームオーバーの条件を脱し、守備の番になると、打球を捕って一塁に投げるのに打者がベースを走り抜けるギリギリまで待ってから送球するような無駄な時間は使わず、テンポよく進める。アウトから次の打者が出てくるまででも、球場全体の画からメインの内野の範囲の投手と打者が縦になっている対決の画面へと、ボタンを押してすぐに遷移させてサクサク進む。
オッサンが好きなのが野球で、オウガはデカいしむさ苦しいし毛だらけだし、オッサンの要素を多分に持っていた。
そうだからなのか、野球ゲームもまた長く続けた。死にもせず、いや、三人死んでチェンジになってもその前に得点はして、つまり選手はプレイの結果死ぬがゲームの継続は生きていて、回は進んでいくのだった。
飽きもせず、コモコモは真向かいからその様子を見ている。
応援は、自分でやってることでもないのに意味がないと巷間かまびすしいという。特殊技能を持ち、金の獲れるプレイヤーというのが人気選手とはまた別で賞賛される例えば野球選手の応援でもそのような誹りを受けるのだから、野球ゲームをやってるオッサンを応援してるような状況など問題外か。まあ子供のやることに目くじら立てるのはどうなのかという問題はおいといて。
自分が選手だったらという仮想は、子供のあこがれより、ゲームもルールも、あるいはその歴史に残る特別なシーンもわかるようになった、また子供の頃のそれを思い出すことのできる大人のほうが豊かに考えられるだろう。
ところで、ホームランの数字は積算だが、打率は変動する。打率の成績は、つまりその時点では不確定である。ということは、シーズンが終わるまで自分はその数字を持っているとは言えない仮想的な実績なのか。
ならば例えば、貨幣とは、物を仮装しただけのものなのだろうか。
ただの記号で、取引が成立し終わってやっと意味を成す。だとすれば、利子とは何なのか。なぜ当たり前に増えた状態で未来に得られることが決まったのだろうか。借金の応援のために生まれたものなら、自分は何もしてないのに増えるのはおかしいとか、そんなものに意味はないとか誰も言わなかったのだろうか。
オウガの操作するレバーの持ち方が違っていた。今度は棒の先の球体を手のひらに包むように上から握っている。野球ゲームではそれぞれのベースの位置が上下左右となり、ゲームパッドの十字キーのほうが押しやすくて、それに慣れていたら微妙な操作感が逆に邪魔なのかもしれなかった。あるいは、野球盤のように模型のバットが回転するギミックが筐体に付いているのなら、また違ったかもしれない。とにかく、これもプレイ時間は長くなっている。応援してるような様子はないが、それでもコモコモは平気な顔で待っていた。
オウガのプレイはとうとう最終回までやって来た。もちろん9回表までリードしているゲーム展開。その裏を抑えれば勝ちである。
オウガは投手交代も使い切って、打者3人を0点に切って取った。ゲームオーバーでなく、次の試合へ、画面は遷移した。
それを確かめると共にオウガは席を蹴って地面に空いている穴へ自ら飛び降りた。突然のことに三人の子供たちはおどろいたが、蹴られたイスすなわち巨大な丸い岩がゴロゴロと転がって来て、よけるのに精一杯だった。丸っこい大きな岩の座ってた部分の平らな面がこっちを向いて、穴でも開いてれば原始人がゴロゴロ転がして運ぶ岩でできたお金にも見えて、それがやがて紙になり電子化することと、ダンプカーから外れた形は同じような巨大なタイヤが向かってくるのと、どれが本当に危険なのか考えるひまもなかった。やっと勢いが衰えて地面に伏せるように岩は動きを止めた。安堵して三人で集まる。思い出したようにゾリントンが、
「どうなってんだよ、コモコモ」
「どうって何がだぞ」
「おまえ勝ったの? クリアってこと?」
「うんにゃ、オウガは野球は勝ってたぞ」
「うん、ゲームはそうだろうけど、ダンジョンとしてだよ。おまえがクリアしたでいいの?」
「クリアはないぞ、古いシューティングゲームだから中ボス的なのはいてもラスボスはいないぞ、エンディングもないし何周もできるぞ」
「できるぞったって、おまえ、その中ボスだか何だかが自分から穴へ落ちてったぞ」けるベエも思わず早口になる。
「ゲームの話だぞ、あのオウガがダンジョンの敵なのかどうかはおれにもわかんないぞ。野球ゲームの結果のせいだとしたら、もしかするとペナントモードを終わるのが嫌だったのかも」
「次におまえに交代してゲームを変えられたら、せっかく勝ったのに続けられないって? それで穴に落っこちて、もう全部終わりにするってのか? いや、わけわからんぞ」
「プロ野球ファンにはそういう変わったのもいるんだぞ。優勝したのに道頓堀に飛び込んだりするぞ」
「まあ、ともかく、クリアでいいのか? 進んでみるか?」ゾリントンはもう次のイシブミを探して、円形ダンジョンの内周のほうをきょろきょろ見ている。
「コモコモ、金貨が残ってるぞ?」けるベエにはまだいろいろと疑問のままだった。
「たぶん金貨はオウガの持ち物でもないんだぞ。次の人がプレイできるように置いとくぞ」
「そうなのか」
「雑すぎたぞ。積み方も扱いも昔の不良の溜まり場だったゲーセンなら盗んでくれって言ってるようなもんだぞ」
「その割には、落ちたら拾ってやるし、一枚しか使わなかったし」
「当然だぞ、使う分だけあればいいぞ。金貨だけあっても他のゲームもないししかたないんだぞ」
「いいのか」
と、けるベエは一応は了承したようだが、ゾリントンは、
「遊べるのはレトロゲームだけ?」
「わかんないけど、16in1 みたいな表示があって、サムネは全部古いタイプに見えたぞ」
「おまえが古いゲームを知ってるのは、まあ持ち物は無限だろうしマニアになるのもわかるとしても、なんでモンスターがなあ」
「そりゃいろいろいるんじゃないか。一つの王国、一人の神、一つの言葉の世界の、いわば異物じゃ」
「異物って言うか、動物でいいと思うぞ」
なんて異端な考え方なんだ、とは子供は考えない。だが、さすがに心が広すぎると、あとのふたりもあきれてしまう。
「じゃあ、なんでやってたわけ? 動物とゲームすんの?」ゾリントンがしぼり出すように、あまり批判にはならないように訊いた。
「なんでって、やりたいから、ゲーム」コモコモの答えは単純だった。
そりゃそうだ、と子供たちはその話はそこで終わりにして、
「じゃあ、どうする? 次いくか?」けるベエがうながした。
「行くのはいいが、オウガが下から上がってきたらどうすんだ?」ゾリントンが今度は外周、階段のあるほうを見て言う。
「たぶん、あいつはまたここに戻ってゲームの続きをやるぞ。16のうち、まだやってないのもあったから。1プレイでもRPGは選んでなかったぞ」
「五〇円で三十分遊ばせてくれる駄菓子屋のババアじゃないんだから、恐ろしいこと言うなよ」
「そういえばテレホビー機を最初に出したわけじゃないけど、一番売れたハードは東の戦士の国のやつだったな。子供相手のそんな商売まであったのか」と、またゾリントンの知識が増えた。
「でも、あれだけコインがあれば……」
「無理無理、あれは遊ぶ子に時間を売ってるようで、見てる子たちにお菓子を売るのが目的なんじゃ。いくらコインがあっても人数と時間を掛け合わせれば足りなくなる。実況動画に課金されるのは回りまわって投げ銭はしない人の金だったりするのと一緒だ」
「そうだったのか、うっかりおれもRPGをやるところだったぞ」
「気を付けろよ」
「わかったぞ。じゃあ、次いくぞ」
「でも、イシブミが見当たらないんだよな。だいぶ遠いところにぽつぽつあるが、どれが近いのか判断つかないくらいみんな遠い。それよりもなんか地面が光ってるところがあるんだが……」
言われて見回すふたりは、暗く光る一画を見つけて、
「なんだろう、丸く区切られたような照り返しがあるな」
「水が光ってるんじゃないか。丸い池かな?」
「水はだいじだぞ、どんなときも水の確保はまず考えるべきだぞ。行ってみるぞ」
「いくらなんでも怪しいぜ、ダンジョンの中にある池って……」
「絶対なんか出るな」
「それでいいぞ、楽しみだぞ」
「楽しむなよ、危ないって話だろ」
「それを確かめるぞ」
先頭に立ち、勇んで進むコモコモ。それでも違う径の円周の弧を持った落とし穴にはあまり近づかない。オウガも簡単に飛び降りたし、ふたりも簡単に寄り道したりしないで一列で続いた。
それは水面が鈍く光っているのだったが、池というよりは大きな水たまりだった。そのちょっと横にも空いている細長く曲がっているリレーのカーブのところのテークオーバーゾーンのような下の階への穴と比べても、しょぼい罠で、コモコモが楽しみにしていたようなものは出て来そうもなかった。
「ちぇっ」コモコモはその辺の地面の小石を蹴って水に落とした。
「待てよ、変なことするな」ゾリントンが慎重さを求めた。
「でも、イシブミの結界もないし、モンスターなんか出そうもないし、おたまじゃくしくらいはいるかもしれないけど、雨が降れば学校帰りの道にもできるみたいなただの水たまりでダンジョンじゃないから干上がらないだけで……」
ぶつぶつ言うコモコモの声に重なるように、池の水も何やらこぽこぽ音を立て始めた。気泡が沸き上がっている。そこから何かが現れる、登場の予兆のような現象は、スリルと恐怖をかきたてる。
三人は集まって身構えた。
古代の女神のような、たっぷりとドレープのある白い布を体に巻き付けただけの若い女の人が、しずしずと水中から浮き上がってきた。髪は金色でゆるめのウェーブ、素足、化粧はばっちりウオータープルーフ、それで水の上に立っている。そのような容姿を保てているのは、まったく水に濡れていないからだった。
「あなたが落としたのは、この金の小石ですか? それとも銀の小石ですか?」
「金です」コモコモは即答した。
「あら、珍しい。子供たちがこんなところまで……でもウソはいけません」
女神のような人は、また水の中に徐々に沈んで行って消えた。
「潜って行ってる? でも影も見えないな、あの女の人の。水の中に降りてるんじゃなくて別のところに行ってるのかも」
「あれだよ、落とし穴のコモコモがズブズブ沈んでった感じに似てないか?」と、コモコモを見るゾリントン。
「わかんないぞ。おれもあのときは泥だらけにはならなかったけど、下の階には着いたぞ」
「そうだったな。なんだろう、魔法の罠だとしても系統が違うのかな?」腕を組んで池を見つめるゾリントンには、灯りが少ないから水が澄んで見えないのでもないし、何かが棲んでいそうとも思えなかった。
「罠って言うか、あの女神さまがかけてる魔法だぞ、たぶん」
だが、ゾリントンはそれには答えず、
「コモコモ、袋の中に斧はないか?」
「そうか、そうだな」けるベエも思い当たる。
「手斧だったらあるかな。でも、使ったことはないぞ。ほら、これだぞ」ちょっとごそごそするコモコモ。
「うん、ちゃんと斧だな。小さいけど十分だろ、な、けるベエ」
「だが、薪割りは鉈なんじゃ。そんな大げさな刃物は漫画やテレビドラマで使われるものでしかなくて、そういうことはわかってるんじゃないのか。女神さまだから」
「でも、さっきは石ころだったぞ、石ころでも金か銀かみたいなこと言ってたぞ」
「石ころはそうでも、斧みたいなものとなったら元の話と違うってなるかもな」と、やはり知識で判断するゾリントン。
「わかんないけど、金と銀の粒はしっかり見ただろ。いけるはずだぞ」
「じゃあ、やってみるか」
「でも、斧が金になっても、おれはあんまりいらないんだぞ……」歯切れの悪いコモコモはめずらしい。
「そうなの? でも向こうのほうの前の前のイシブミじゃ石に混じってる金の粒までほじくり出そうとしてたじゃん」
「あれはだって、でっかい岩の中に一緒に混じってただけで石ころから変わったわけじゃなかったぞ」
「え? ちょっと待ってくれ。あの女神さまはコモコモが蹴って水の中に落ちた石を金に変えたのか? なら二個あるのおかしくないか?」
「そこは魔法だぞ。あの一個の石から、あれかこれかになったんだぞ」
「便利な魔法だな。そんな食パンを落としたらあんパンとクリームパンを持ってくるみたいな話、都合が良すぎるだろ」
「ぞれいいな。やってみるぞ」
と、ずた袋の中から4枚切りの四角いパンを出すと池へと放り投げるコモコモ。二人が口をはさむ隙も無かった。
だが、パンは水面にぷかぷかと浮いていた。
ちょっと考えてコモコモは、池に近づくと手斧でパンを押し始めた。
「無理無理。そんなことしたら水分を吸ってパンだか何だかわかんなくなるよ。コーヒーのカップにひたすとずるずるになるだろ」
「そんな乱暴にやるなって。もう金魚の餌みたいになってしまうぞコモコモ」
「金魚が出てきたらどうすんだ、金の金魚か銀の金魚かって、もう何が何だか」
「ああ、もううるさいぞ!!」
と、言った拍子に、コモコモは手をすべらせて手斧を池に落としてしまった。
ぶくぶくぶく……とまでは音はしない。女神さま再浮上。
「あなたが落としたのは、この金の斧ですか? それともこちらの銀の斧ですか?」
女神のような恰好で両手に斧を携えた姿は、バトルモードというか、なんなら強力なモンスターに見えるのだった。そのせいかはわからないが、
「ちがいます」コモコモはぽつりと言った。
「え? あなたは斧を落としたでしょう。この二つのもっと立派な斧から選ぶことができるのですよ」
「いらないかな」またポツリ。
戸惑う女神さまは、斧を振るわけにもいかず、やさしく、
「いいんですよ、遠慮せずに。さあ、選んでください」
「ウソはよくないんだぞ。欲しくないものはいらないぞ」
「もらっとけよコモコモ」と、ゾリントンが助け舟を出したが、
「でもな、水の中にいたのにおれが落としたってなんでわかるんだぞ? 落としたの見てないでしょ、上から見てもいるかいないかもわかんないんだから。そっちこそウソつきなんだぞ」
あまりのことに女神さまは言葉を失って、二本の斧を重ねて持ち替え、胸に抱いた。
「そういうこと言うもんじゃないよ。やるって言ってるんだから、おとなしくもらっとけばいいんだよ。とりあえずさ」
「誰にでもチャンスはあるのはわかるぞ。でも、誰かが持ってるものはもう欲しくないぞ」
ゾリントンはそこで黙ったので、今度はけるベエが、
「パンは? 次はパンかもしれんぞ。リンゴでもよかろう。ここは一旦もらっといてだな……」
「パンはダメっておまえらが言ったんだぞ」
「それはそうなんじゃがな。このお姉さんもわしたちの前に出てきてるってことは、女神さまではなく巫女さんだと思うのだ」
「ミコサン?」コモコモもゾリントンも首をかしげる。
「だからの、神様が降臨したら、金か銀かなんて悠長なこと無しでババーンて奇跡が起こって、人間はオロオロするしかないと思うんじゃ。でも、この女神さまは人間の次元に立っておる。このお姉さんは見える話せる。だから、あれじゃ、巫女さんは年末なんか忙しいときに増やす女子高生のバイトが多いじゃろ。お姉さんもアルバイトみたいに人間の世界に来てるから、業務はすんなり進めさせてやれってことじゃ」
今度は女神さまが、
「あのですね……」
「いやいや、みなまで言わなくてもバイトって大変ですからね。特に接客はコミュ力ともまた別のことですから」
と、けるベエに諭されて、話の糸口をつかめない。
「だからコモコモ。わかるだろ。次はパンだ、きっと」
「わかんないぞ、ていうか、パンでもリンゴでもめずらしいものに変わっても、女神さまの手を借りるとやっぱり自分だけのものって感じがしないんだ」
女神さまにとっては、そのような返答は正直者からは出て来ない意外なものだった。しかし、三人のうちで正直者に思えるのは、自分の申し出を断る子なのだった。
「なんかちょっとわかる」
「ゾリントン、おまえまで」
「稀少なだけで、数がないってだけで欲しくはならないだろ。絶滅しそうでも、かわいくない動物は見向きもされないし忘れ去られるようなもんさ」
「そんないてもいなくてもいい命などないのですよ」女神さまは子供たちに告げる。
「そうじゃ、バイトだっていてもいなくてもいい、無くてもいい仕事ではないぞ」
「でもそれで済ますのか、可哀そうじゃないか? 価値がない、可哀そうと思ってもらえるまで行かない。そんな仕事や生き物」
ゾリントンは、神という永遠の相は、人間には認識すらできないことを言おうとしている。アルバイトが可哀そうとは、比較の結果で捉えていない。だが、いてもいなくていいという切り分け方もまたその次元では適当ではないと言えないのだ。
一方けるベエは、この場をうまくさばいたり、ダンジョンのクリアのためにコモコモに取引をするよう言っているのではなかった。役目を果たさせようというつもりが、その役が神という存在なのだった。
「バイトだからって正規の神様じゃないってことじゃないぜ。可哀そうな神様ってのが一神教のものなんだよ、むしろ可哀そうと思わせようとしてる。ここは古代のダンジョンらしい。だからコモコモの素直な感覚もズレるんだよ、だって金貨は欲しがったのに金の斧はいらないっておかしいだろ」
貨幣は永遠と思いそうになるのは、資本主義にそなわる決済を先延ばし三本できる仕組みのせいで、ほとんど当然のようになっていた。
「だってそう思うんだからしょうがないぞ」しょんぼりするコモコモ。
「責めてるんじゃないぜコモコモ。ただ、コピーだからいらないってのは、複製が完璧になるときには通用しないんだよ」
「でも、いやなもんはいやだぞ」
「そういうわけなので、お姉さんのせいじゃないんでここはお引き取り願えますか?」
いつの間にか一番前に出たけるベエが丁重に申し出た。
「ええ? でも、この二本が違うというのなら、落としたものを返して、それにこれも全部をプレゼントしようと……」
「本人もそれあんまり使ってなかったって言うんで、三本あっても困ってしまうんですよ」
「この二本は金と銀でできていて……」
「そういうの関係ないんで」と横からだが、コモコモは自分できっぱりと言った。
「いやいや、こいつの言い方がまずいと言うか、女子高生みたいにぴちぴちの若くてきれいなお姉さんとうまく話せなくて変な会話になってしまってるだけなんですよ」ペラペラと調子のいいゾリントンだった。
「あら、そうなの」
コモコモは魔法を喰らったときよりも落とし穴にはまったときよりも、もっとびっくりして、おまけに苦虫をかみつぶしたような顔になっていた。手のひらを下に向け横にし、その真ん中あたりにもう一方のまっすぐ伸ばして揃えた指の先端を小指側を前にして下からタッチした。両手で作ったTの字、タイムの意味だ。コモコモはそれを見て、待った。
「そういうことなら失礼いたしますわ。あ、これ返すわね」
形態は落とし穴と同じように足から池の中へ、しかし、しずしずとおしとやかに女の人は沈んで行った。そして水面の波紋も消える。
そこでやっとコモコモが、
「なんでおれが変なおじさんみたいになってんだぞ」
「まあまあ、我慢はだいじってことよ。女神さまが渡してくるものはいらないなんてわがまま言うからその見返りはこういうことになるんだよ」ゾリントンは自分でうなずきながら言っている。
「でも、お姉さん若いからきれいだからは、ちょっとな。問題があるな」と、けるベエが代わって言う。
「それはわかってる。だからまた下の階にに落ちるよ、おれ」
「おまえだけ行かせないよ。わしだって落ちるぞ」
「おれだって行くぞ。下の階から池がある辺りを見てみたいぞ」
「そうか、じゃあみんなで行くか」
三人は落とし穴へ。
もう何度目なのか。ということで、風の魔法・オフショアーで、ふんわりと着地する。ひとりの呪文で三人が降りてくる効率の良さだった。
「たぶんもうちょっと右、こっちのほうに池はあったはずだけど……。降りてくるときに右だか左だかわかんなくなったぞ」
「どっちにしろ小さい池だったじゃん。下から見ても、たぶんわかんないよ。ずっと同じ天井だし、やっぱりあの女神さまは別のとこに行ったんじゃないか」
「そういえば、オウガは? ゲームやってたやつじゃ」
「いないぞ。あんだけデカけりゃすぐわかるぞ」
あたりを緊張感もなく見回す。もう何度目か、ペナルティとしての落とし穴は最初だけで、あとは通過点だったし、三人ともそうなるのもしかたない。うろうろと警戒心もなくルーティーンのように壁のほうへ向かおうとしていたコモコモが、急に叫んだ。
「いるぞ」
「え?」
「あっ、今度はスライムいるな」地面を這う球体に近いそれをゾリントンも認識した。
「うわっ、こりゃまた玉ねぎみたいな雑魚の形そのものの……」と、早くもステータスを推し量るけるベエ。
「待て。ちょっと光ってない? 暗いけど青じゃないよ、赤黒くもない、光ってるよ」
「光ってるぞ、銀色だぞ」
「ということは、おい、EXPめっちゃ高いあれじゃん」
「銀色だけど、なんか鈍い光だぞ」
「暗いからだよ。あれだよ、絶対あれだろ。人がいないから出現率の低いやつが巣食うようになったとかじゃね」
名前を言うと逃げられる、そんな気を使うほどの得がたい獲物。
「鈍い銀色ってオウガの毛がそうだったぞ。もしかするとオウガの頭にたかってたシラミかもしれないぞ」
「なんだ、毛ジラミは金玉で銀のシラミはオウガの頭なの? あいつ、そんなの同時にもってるやつだったの?」
「ゲームオタクかもしれないけど、カードゲームやるやつみたいに臭くはなかったぞ。強いから雑魚モンスターを住まわせてやってて、上から落ちたときにこいつら振り落とされたのかもしれないぞ」
「ゲームは強かったみたいだが……。いやたぶんオウガは強敵だと思うが」けるベエにはどんなスライムなのかはどうでもいいようだった。
「オウガはいいよ。もしスライムがたかってて、ここに落として行ったんならそれでもいいからさ、メタルスライムだぜ、これ一〇〇〇ぐらいゲットでしょ」
「仕留められればな」けるベエは実戦的だった。
「斧ものこぎりもあるぞ」なぜか自慢げに胸を張って言うコモコモ。
「まあ、あるのかもしれないけど……」意図を計りかねるふたり。
「あと大工道具ではキリもあるぞ」
「おお、毒針の代わりじゃな。よし、逃げられないように散開!!」
「任せろ!!」コモコモはずた袋の中からすぐに大工道具を三本取り出して、ふたりそれぞれに投げてよこす。針を頭に細長い柄のついた道具が投げられ、それが目の前を通り過ぎて行ってひと呼吸おいてから、けるベエは追いかけるように後ろから手を出して柄の部分をつかんだ。そのまま、逆手に構えて武器とした。ゾリントンは、高く投げ上げられたキリが頂点から落ちてきた途中で横からさらうようにつかみ取った。けるベエにならって針の向きを変えて握り直す。
逃げないな、という言葉を飲み込んで、ゾリントンは他のふたりの出方を待った。
コモコモは自分のキリの柄の下のほうを持って長めのリーチにしていた。じりじりとスライムに近づく。
銀色の玉ねぎに似たスライムは、身体の三分の一になるほどの二つの大きな目で、しかし長さが三分の一なので二つ合わせて目玉の面積が体表の七〇パーセントになるかというとそんなわけでもなくて、手足が生えてるのならばそんなどこかの小さいお父さんと比較するのも意味があるかもしれないが、とにかく大きな目で子供たちを見ていながら逃げない。
けるベエがコモコモに並びかける。武器のキリは逆手、槍投げのような構えであった。
ふたりに迫られても、丸っこい形も維持したまま、3パターンほどの動きを繰り返すだけのスライム。
「ぷすっ」
先制攻撃は、コモコモで、しかし音が途切れた屁のようなSEのダメージ。
けるベエはちょっと笑ってしまった。ゾリントンはEXP一〇〇〇がやるリアクションじゃないなと早くも疑っている。つまり笑えない。
その打撃音のとおりというか、結果というか、
「普通にダメージ1だな」スライムはその場で滞りなく例のパターンの動きを続けるのだった。
「だな」けるベエは武器をふるうまでもなく短く言った。
「一〇〇〇のわけないな」
「まあ、それはいいんじゃ、レベルは数字じゃなくて実感だから。武器を変えただけでもこのスライムはあっさり倒せるだろうし」
「じゃあ、あの色はなんだろ?」
「光のないダンジョンに適応してるとか?」
「暗いところに適応するならさ、おのれが光るより光を取得する能力を伸ばすと思うんだけど」
「そうじゃな。いや、わからん」興味なしが、露骨に出るけるベエ。
「オウガもいないし、なんもないし、こんなとこで生きていけるって水だけでも生きられるのかもな」
「エサくらいはあるのではないか、草食動物かもしれんし。虫ぐらいは入ってくるだろう、わしらも来てるしな」
「おじゃま虫だぞ。でも、三匹よりまだまだいるぞ」コモコモがなぜか笑っていた。
「ほんとだ、結構いるな」うじゃうじゃとまではいかないが、石ころみたいに転がってるのだった。
「ほれ」と、スライム一匹を蹴るコモコモ。攻撃のキックではなく、足の甲で地面からすくい上げるように蹴られたスライムがそのままゾリントンのほうに飛んできた。
「うわっ」
「そんなびっくりしなくてもいいぞ」
「急なのはやめろ!!」
「銀色だけど固くないぞ。スライムだぞ」
「急なのがダメなの!!」
「ほれ」しかし二匹目のスライムを、ゾリントンは素手で打ち返した。
「うわっ」打ち返されたコモコモ。
「ほら、急にやられると……」
「ほいっ」
「なんの」
「ほいさ」
「こっちか」
「どっこいしょ」
「まだまだ」
「いい加減にしろ。スライムも困ってるだろうが」
ダメージを受けてるのだろうが、スライムはまだ形を保っていた。物理ダメージの連続なので、このままでは死体が残る形で死ぬだろう。それには、けるベエが忍びないのだった。
「そうか、戦いでふざけたのは悪かったよ。でも、倒すのはいいんだろ」
しかし、けるベエはかぶりを振って、
「メタルスライムじゃなかった恨みがこもってるようで、わしは気に入らんな」
「ふーん、むずかしいもんだぞ」
「いやクイズじゃないからの、わしが正解とも限らんよ。ただ、死を消費したら、自分の命にも返ってくることを忘れてはいかん。命をもてあそぶやつと割り勘はできんじゃろ。それは銭の契約や神との契約よりも切実で身近なことのはずで、まず普段は銭のことでしか考えてない、だからMPを忘れる、EXP1のスライムを軽く扱う。どうかするとスライムにこっちがやられてしまう、スライムにも毒持ちや合体してでっかくなっちゃったてやつもいるんじゃ」
「そして色が似てるだけでEXP一〇〇〇だと早合点すると。まったく面目ない」ゾリントンは自嘲した。
「わかればいいんじゃ。わしはただ戦うんならオウガがいいってだけじゃ」
「まだそんなこと言ってるのか」それもそれで命を軽んじているようにゾリントンには思えるが、
「スライムよりいいだろ、一〇〇〇以上も持ってるだろうし」
「まだ芋虫のほうがいいぞ。芋虫は喰えるし」
「素直なやつじゃ」と、まぜっかえされても嫌がらないけるベエに、食欲は命だからかと思い直すゾリントンだった。そして、
「よし、スライムはほっといて上がろう、行くぞ」すばやくゾリントンは言って芋虫の話題を打ち切り、歩き出した。
またまた戻ってきた円形ダンジョンの階層。
また中心部へと、落とし穴がないとわかってるルートのイシブミをたどりつつ、オウガの他にモンスターはいないか、さきほどまでとの変化にも気を付けつつというのはゾリントンの役目、中心のドアだけが立ってる区画にもだいぶ近づいたので、先頭のコモコモの足取りも軽かった。
が、中心付近で円形もだんだん狭まって全周も把握できるようになったその手前に、巨大な像が建っていた。
動物の像だ。高い台の上に四肢を伸べて地面に伏している大型の獣、デパートの正面にあるような彫像が見下ろしている。しかし、顔は人間、頭はおかっぱ。これまでのイシブミをはるかに超える巨大な像で、子供たちの背はその台にも届いていないから、展示が工夫されるようになったあとの時代の動物園のようで、慣れない。ちょっと離れたほうがいいのか、近づいて腹側などを細かく観察するものなのか、どう見ていいかわからない。スクリーンを探すとしたら前者のようなことになるのだろうか。
すると、その動物の首から上が動いて、三人のほうを向いた。突然のことで、また材質は岩だから意外すぎて驚く。
「ここを通ろうとするものよ、わが問いに答えよ」
久しぶりのクイズだったので、ゾリントンを前に出して一歩下がるふたり。
「朝は4本足、昼は2本足、夜になると3本足になるものとは何か」
ゾリントンはちょっと考えて、
「ところで君は猫かね? ライオンかね?」
「ライオンを知っているとは、子供にしては物知りである。わたしのことはいいから質問に答えよ」
ゾリントンはため口だった。さっきは女神さまは女子高生扱い。今度は猫?
しかし、けるベエにも陳腐な謎解きに思えたので口出しはしない。コモコモは、像の大きさからゲーム性はないのか探したりしていた。
「しかしね、たぶん答えはわかったんだけどさ、でもこの答えって誰にでも当てはまることかね? こんな大げさな番人が出す問題に例外があっちゃいかんのじゃないか?」
「どういうことなのだろう。こちらとしても不本意だが……」
「本来の意味をこっちがくみ取ってたら正解? それクイズかな?謎解きかな? それってただの道徳ですよね?」
「……人の道に関することだから、まあ……」
「なるほど、道ね、足が何本って問題だけにって、まあいいんだけどさ、ところで君はシッポは何本なのかな? 一本だけ? じゃあ猫でもライオンでもないな」
「待て待て、猫もライオンもシッポは一本であろう」
「うん。だから、シッポ1本でそんな顔してるから総合的にありえない、むしろ2本であってほしいという話だよ」
「どんな要望だね。わたしはスフィンクスであるぞ」
「スフィンクス? それは自称かね? それが名前ならそう呼ぶが、君の種族はそう呼んでほしいのかな? シッポ2本は絶対にいないのかな? 自己に否定的な者が、種族を隠して個人名だけで生きることで心も身体も生活もうまく行ってるとしたら、特徴を別に見せかけるために2本目のシッポを付けることもあるだろうし。歴史が蔑称にすることもあれば、経緯が見直されて変わることもある。道徳とは、みんなが正しいと思う条件のことだけど、その適応も移り変わる。その混乱の中ではコンプライアンスが異常に厳しくなることもあるだろう。そうすると、朝だの昼だのいい加減な言い草は咎められて然るべきだな」
子供の理屈ではないし、正解と言い張るための屁理屈でもない。問題の不備と時代の変遷を重ねて、さらに深い問いに導こうとしているような反論だ。
「耳がとがってるだけで、仲間外れにあう子もいるそうだよ。でも見た目で判断する幼稚さが子供の残酷さだなんて言われたら、子供みんなとしては困るんだけど。同年代が集まってる動機が薄いところで、語彙の少ないなか微妙な差異を言い当てるのは子供には無理で、大人が言ったワードを繰り返してるだけか真似してるだけだと思うな。例えばビンボーとか、序列や階級の悪口を言うのはまだ大きな集団を前提にしてるし、しかも親次第だからな。親が大切にしてるブランド物が本国じゃB級品、バッタモンて意味じゃなくダサいものだってこともよくあるし。向こうで仲間外れって感じの。残酷というからには、負の価値を押し付けたり、無として扱うくらいでないと。命を粗末にしない世界でも、そんなレッテルを張るのはなかなかない。特に子供に対するときはちゃんと気を付けないと」
自らが助長している時によっては不確定になるあいまいな善行を、押し付けようとして押し返された。そんなプレッシャーのようなものを出題者のほうが受けてしまって、ヒントどころではない。
「君はさきほど答えはわかってると言ったな。ちなみに聞かせてもらえんかね」
「そう言っただけで正しい答えかどうかの根拠はないと思ってるんですか。じゃあ聞かなくてもいいじゃないですか」
そうなると、否定するためだけにレスバするだけみたいで、丁寧な口調で子供に言われると追及ははばかれる。
正しいのかどうかの次元は道徳に下支えされていると思いがちだが、それも「子供は社会の反映」の比喩の妥当性に言及されている今となっては……。
ゾリントンが孤児の意地を見せているときに、残りのふたりは一歩引いたところで、顔以外ライオンを気の毒がっていた。
「おまえもあんなふうに思うのか? いじめとかは、まあ関係なさそうだけど」
「ここまでの道でクイズに苦労したからな。苦労というか、物知りのゾリントンにはイラっとするクイズが多かったと思うぞ。ゲームもやらせてやればよかったぞ」
「いや、やりたそうには見えなかったぞ。古いゲームだなあとは言ってた」
「あいつならグラフィックに誤魔化されずに純粋なゲーム性を評価すると思うぞ。単に3Dになってもキャラは画面の中央でただイベントに応じたモーションを繰り返すだけで、座標データによって上下左右に動くのは背景だけみたいな、プレイヤーに没入感じゃなくて浮いてる感を持たれるゲームも多いぞ」
「ふーん、でもオウガにはビビってたからな」
「そりゃ当たり前だぞ。おれだって内心びくびくだったぞ。おまえがおかしいんだぞ」
「おかしかないさ、それが戦士さ」
「サムライさ、でもういいと思うぞ」
「それはシリーズのもっと先の楽しみに取っておこうよ」
「なるほど、世渡り上手だぞ」
「おまえほどじゃないよ」
「おれら孤児は処世術がないと生きていけないんだぞ。助けてくれる人はいるけど、そうでない人がどれほど多いか、あるいはどれほど簡単にそうでなくなってしまうか」
「家柄という意味では、今でもわしの国では重きをなしておる。ゾリントンには悪いが、それが道徳的な規範になってると思う」
「まあ、いろいろあらあな、それでこそ人間だぞ」
「ふむ、確かに。今でもバカ殿もバカ息子もちゃんとおる」
「たまに狼に育てられた少女やモンスターに育てられた子供が話題になることあるぞ。ああいうのは魔法では元通りにはならないぞ、病いでもない呪いでもないから。というか、元々の人間の生活がなかったんだから、人に戻ろうにも人間との境界を定めようがないぞ。だから、そいつらは人間の道徳は知らない、彼らには通じない。でも、狼として大切にすることはあるだろうから仲間の群れに入れるし、モンスターの習性によって人を襲っても強弱の判断でやるので、その耳がとがってるとかビンボーとかに囚われないし、少なくともいじめはしないぞ」
「もしや、おまえのその髪型もツノを隠してるのか?」
「ツノもシッポもみんな普通に出してるもんだぞ。それ以前の問題だぞ」
「いや、すまんすまん。あの像が2本とか3本とか言うから」チョンマゲの本場だけにちょっと言いわけっぽかった。
「順番はだいじだぞ。資本主義社会ではニワトリが先で、卵は後だぞ。仕組みでなく、生き残った結果がそうだっただけで、ほんとはもっと誰もがメリットを得られる、もっと効率の良い、貸し倒れもないし取りっぱぐれもない、デフォルトにならないやり方もあるはずだぞ。でも、しない。適者生存ではないが愚者の群れでもないから自壊もしない、次を思いつけないんじゃなくて、その方法でしかやれないとみんなが思ってる社会が出来上がってるんだぞ。いつまでもサラリーマンが天引きで損してても平気なのと同じことなのさ」
「卵はあとでいいのか」
「ダメだぞ。卵はもっとだいじだぞ」
けるベエにとっては堂々巡りの話になって、しかし、子供心を忘れていない大人と大人になりきれないことは別々であってまた両立もするのは、けるベエとコモコモを比べてみれば……あんまりわからないでしょうか、今の段階では。しかし、このふたりがどんな大人になっていくのか、楽しみにしてもらいたい、長い付き合いをお願いしたいとふたりも申しております。
「おまえより今はゾリントン優先でよかろう。もう答えは知ってるしもうクイズはたくさんだ」
「それはそうだぞ」
ということで、ふたりは口をはさもうと、ゾリントンに並んで像に向かい合った。
「……それにシッポ族はつっかえ棒みたいにしてシッポに寄っかかって長い時間立ち続けられるけど、あれはもう足が3本と言ってもいいだろ。それから赤ちゃんだよ。人間の赤ちゃんは手が短くて自分の頭には届かない、蚊に刺されてもかけない。でも、シッポ族の赤ちゃんで君みたいな長くて先っちょに筆みたいなふさふさが付いてるシッポを持ってると、届くんだよ。髪は生えてないのに頭にチョビ髭みたいになりながらも届くんだよ。これはもう手が3本だろ。でも赤ちゃんだ、始めが2本じゃないことになってしまうな」
「赤ちゃんの手が短いのはわかるが、頭に届かないというのは意外だった」
「しょうがないぞ、岩でできてるから。頭を柔軟にするのがだいじだぞ」なぜかコモコモも石像をイジるようなことを言いだした。
「初めは2本それから3本なんて言ってないで、今がだいじってことでいいんじゃないか。それなら種族の話も赤ちゃんの話にまで細分化されて、個人の事情にもすぐにつながる。足の話ばっかりしてなくてもいいんだよ」
「足なんか飾りだぞ。偉い人にはそれがわからんのだぞ」またも軽口を叩くコモコモ。そうさせる何かがあるのはけるベエも感じているのか、自分は喋ることを思いつかなくて口出ししないのかもしれないが、とりあえずでもそんなコモコモを止めようとはしない。
「まあ、クイズなんてそんなもんさ。一般論ぽくいうのはマナー講師のやり口と同じでだまされる人はいるだろうよ。そういうのは詐欺でコロッと行って、でも金が滞るようになったとか騙されたという人が出てきたらすぐに去ってく。だが、真理についての問題と捉えたら考えた末に同調するから、改心……というと結果論になるが、心変わりはしないだろう。が、一旦おかしいと思ったときには問題設定からおかしいと考えるから、はっきり目が覚めたみたいに相手にされなくなるよ。金を取られた人が恨みを抱いてしつこく付きまとうみたいなことも起きない。きっぱり縁を切る」チョキン、というジェスチャーも皮肉だった。「ここまで来るのに、数学パズルとかテレビゲームとか罰ゲームみたいな罠まであったけど、謎解きはやっぱり個人が周到に張り巡らしたトリック、個人のアリバイを崩すミステリみたいなのがいいな。まあそれはまた次回だな。関門を守る門番だといろいろ制約もあるだろうし」
「わたしは門番でも番人ではないし、罰ゲームで石になってしまったわけでもない。謎を解いた人に石から戻してもらう必要もない。それほど世をはかなんでもいない。ここは静かに思考に沈んでいるのには良い環境なのだ」
「ま、アポリアってあるからな」わけ知り顔のゾリントン。
「なんだぞ、その全日チックなワード?」わからなくなると急に素直になるコモコモ。
「なあに、次回への引きがまた増えたってことさ」
「ミステリは読者が一番多いからやるべきだぞ」
「そうじゃないよ、なろうで言ってる場合かよ。とにかくここは進もう。この像は考えに沈むらしいから」
何か返事しようとしたがコモコモはうまいことを言えなくてタイミングを逃すまいと口だけが用意されて何も出て来なくて丸い顔をちょっと上に向けただけに終わり、
「石の上にも三年じゃ、がんばることじゃ」
けるベエの皮肉は珍しかった。その顔を見ようとちょっと振り返るゾリントン。そうでなくてもコモコモなどは寓意を感じていなかった。どうも石像は子供たちにとってはいじめたくなるような存在らしかったが、それでもこれだけの差があるのだった。
それで三人はまた一列になって像の脇から先へ進んだ。
とうとう円形の中心、ドア一枚が地面から生えているような、それだけの中央区画までたどりついた。
丸い円の中心部の地面は直径1メートルくらい、そのぐるりは落とし穴。暗い領域が帯状に囲んでいた。でも、子供でも一跨ぎの幅しかない。
ドアはその区画の真ん中に立っていた。飾りも最小限のモールドがあるだけ、丸いドアノブが左辺の中央やや内よりに付いている普通のドアだ。ただ、板面の真ん中には変な楕円形のへこみがあって、それだけが仕掛けっぽかった。
しかし、それよりも三人の注意を引いたのはドアのそばの人影だった。
「よお、来たか」
先頭の次にいたゾリントンが頭半分出てたのを傾けて列から外し、見えるように顔を出し、
「アニキ、なにしてんだよ?」
「おう、足元ちゃんと見ろよ、ひょいて跳べ」鷹揚に答えたのはサグサスだった。ダンジョンの中なのにやっぱりサングラスをしている。
「いや、どうやって来たんだいここまで」細身の身体にぴったりとしたズボンで動きやすそうだが、いつもののらりくらりの調子でここまでのイシブミをクリアできたのだろうか。何より、銭の工面に来てるはずなのにこんな何もないところに何しに来たのか。
「それはいいんだよ、おれは近道したいんだよ。早く片付けたいからなショートカットよ」
いや、何のことやら。
「鉱山掘り三日コースとかで銭を作ってんじゃないの? 借金ツアーなんだろ」
「どこに鉱山があるってんだよ、黄金の島は別のところだろ」うそぶくサグサス。
「だって借金取りの付け馬がいたじゃん。ここならすぐ銭になるからマークされてんだろ」付け馬とは、借金返済の用立てに回る債務者に同行するお目付け役である。
「そうだけど追手はまいたよ。てかダンジョンまでは来ないさ」
「ダンジョンよりは炭鉱掘りとかのほうがましなんじゃねえの?」
「だからどこから石炭が出るんだよ」
「だって借金を返すんだろ、そのためにオウガの島まで来て強制労働するんだろ、なら炭鉱なんかで……」
「誰が何のために今さら石炭なんかを使うんだよ。火力発電所とかジガワットとか、タイムスリップでもしない限り用はないぜ。現におれはもうここまで来てんだろうが。そこで折り入ってそこの小さなおサムライさんに頼みがあるのさ」
と、握りこぶしの親指だけをクイッと上げて、列の一番後ろのけるベエに向けた。
ゾリントンは一歩引いてけるベエを前に出す。が、狭い円形のエリアは四人も乗るとぎゅうぎゅうで、ラフティングだとたぶん断られるくらいで、この島に渡ったときよりひとり増えて、もっとも漁船とゴムボートの違いはあるだろうが、その先頭のひとりがドアの前でじっとして動かないのでなおさら移動に支障を来すのだった。ちょっとだけ眉をひそめたサグサスはそれでも声音は同じく、
「このドア、デカい鍵穴があるだろ。鍵というより大ぶりのオブジェをはめ込むための穴みたいに形もいびつで目立ってる。目立っても変に手出しはできない、この形に合うものは簡単には手に入らない開けられないってことかもしれないけど……」ドアの前に三人横並びになるまで待って「でも、この形、どっかで見たような気がするよな」
心当たりのない人は黙ってて当然。だが、呼びかけたのに誰も何も返事をしない。サグサスは両手でリーゼントをなで上げて間をおいたが、
「なあ、けるベエ殿」
意外といった表情で、
「いや、古いだけのフミなんだが」と、服の上から胸を押さえる。首から提げている勾玉の飾りを、ひもを手繰ってふところから取り出した。そして、いや、ただのガジェットだと言うけるベエ。
「それでいいんだよ。形だよ、中身じゃなく形相ってやつ。こんな形はなかなかないだろ」
「しかし、形が同じならドアは開いてしまうって、それで鍵と言えるのですか」けるベエにとっては、だいじなものというよりも機械というよりも、手遊びのための小道具のようで、なんとなくもてあそんでいる。
「だからさ、エレベーターのボタンみたいなもんさ、ただし直通のな」
木と紙の家が多いけるベエの故郷でも、家庭用にエレベーターを備える家ももちろんあってそんなところに遊びに行くと、デパートなどでは階を指定する二列縦隊のボタンは高い位置に付いてて、子供は届かなくて狭くて四角い室内で大人のお尻から足への曲線に自分の肩辺りから納まっていなければならなかったりする不自由はない代わり、ボタンが少なくて遊びに来た友達みんなが押すからエレベーターの箱がなかなか移動を始めなくて、家の人に注意されたりする。
それにしても、いつの間にこの勾玉のことを知ったのか。
「ひとにおごってもらうときに自分の分は銭を払おうと財布を出すなんてのは殊勝な心掛けだよ」察しのいいサグサスなのだった。「だからさ、そいつを譲ってもらえないかな。ちょっと貸してほしいんだ」
褒められたあとだからといって、そうですね、となるはずもなく、
「形だけでいいなら、何でもいいのでは?」と、けるベエ。「ただの古い型のフミです。いびつな形なのもスクリーンは小さいのにそれを動かすバッテリーは小型化できなくてこんな出っ張ってるんですよ。MPで充電もできないから数時間しか使えないし、ミウラ折りのソーラーパネルは入ってるけど、もちろん雨じゃ充電できない」
「そんな古い時代のをなぜ携帯してるんだい?」
「丈夫で軽いからです」
「いまどきはもっと軽いよ。なあ、ゾリントン」
あいまいにしかゾリントンは首を縦に振らない。それはフミの型番に関してのためらいではない。
「なんなら交換でもいいんだよ、街に帰ったら代わりのフミをゾリントンからもらってくれ。だから、とりあえず今はちょっと貸してくれないかな」
「そうだな。渡せよ」と、ゾリントンが同調したのが、けるベエには意外だった。
「なんで? みんな一緒でいいだろ、こいつで通れるんならみんなでドアをくぐればいい」
サグサスは人差し指でメトロノームのような動きをして、
「戦場だよ、このドアの先は。子供は危ないよ」
「常在戦場はサムライの心得にござる」とても古い語尾だった。古い型のガジェットの持ち主らしさを感じたのか、サグサスはうすく微笑んだ。
「いや、渡すんだ。けるベエ」
なんだろう、切迫感はないが、なぜこんなにあっさり言いなりになってるのか?
「おんなじようなやつおれも持ってるぞ、おれのを売ってやるぞ」コモコモがやっとしゃべったが、
「そうか、そうだろうな。古い世代まで揃えて持ってそうだな、でも売るとかじゃないから。けるベエのを借りれば十分だ」
なぜか交渉役をゾリントンがやってる。前段でちょっと褒められたことで満足したコモコモはそれ以上は言い返さなかった。
「子供は内地で苦労してるくらいでいいんだよ。代わりもあるんだからよ、そいつちょっと貸しなよ」
RPGでは、鍵一個あれば同じような扉は全部開けられるのがシステムの常識だ。このドアだけで突っ立ってるのを開けられたら、たぶんサグサスは鍵を返さないだろう。貸して、とは言ったが、そのまま持って行かれるだろう。ゾリントンもわかってるはずだ。
けるベエに近づこうとするサグサス。
けるベエが刀の柄に手を伸ばしかけると、
「おっと、おかしな真似はよしてもらおうかな、おサムライさん」
と言いながら、ゾリントンを楯にする。両肩に手を置いて、一見は親密そうな雰囲気。前に出されたゾリントンは、しかしそれでも笑顔は変わらずだった。
眉を上げたけるベエは微動だにしない。が、ピリッとした空気を……殺気は……どうしようもなく漂った。すると、
「いいから大丈夫だから」ゾリントンは笑っている。これでアニキに見えないように片目でもつぶってくれたならいいのだが、そんなこともなくまだ笑っている。そして、勾玉を指差す。アニキの話に乗れと言うのか。
けるベエは、ゾリントンのためなら渡してもいいと思い直した。
首から外しゾリントンに渡す。受け取った勾玉から麻ひもを外す途中、一回落っことしたゾリントンは「悪い悪い」と頭をかいて拾う。ひもはけるベエに返して振り返り、サグサスに勾玉だけ投げ渡した。
「三つ目はごまかせねえや」それはけるベエの捨て台詞だった。
サグサスもまた終始笑顔なのだった。どんな神経で強請り取った相手に笑いかけるのか? しかもその笑顔に影がない。けるベエにはこのふたりともが不思議であった。
「ちなみにただのでっぱりと言ってたこの辺りを……」一応は殺気を抑えたけるベエの前からさっさと退散するでもなく、ゾリントンはフミを目の前でいじり出す。「スライドするとソーラーパネルが収納されてるが、両側から押すようにしてカバーを持ち上げると、ほら、ソーラーパネルごと外れて下からバッテリーが現れる。こいつをMP対応のやつに交換すれば電池もちは劇的に改善するぜ」
「お、おう……」けるベエは知らなかった。そんなSSDで復活みたいなことができるなんて、確かに持ち主に知らせるべき話だった。サグサスはそれだけ言い置いて行ってしまった。
ますますわからない。最後の親切心まで腑に落ちない。
サグサスはドアに近づく。あとに続こうとするゾリントンには片手の手のひらを見せて、制した。
バツの悪い顔になったゾリントンは、
「バッテリー交換より新型を買ったほうが早いよ」と言ってみる。サグサスは「わかってねえなあ」とばかりにくちびるの片方の端だけで笑った。
ドアに手を当てて、サグサスは勾玉をドアのへこみにあてがう。小さな機械音がして、勾玉が収まる。ドアノブを回してみる。鍵は解かれた。サグサスはドアをの向こうへ何も言わず行ってしまった。そしてパタンとドアは閉じた。
「あ、閉めやがった」ドアに駆け寄りノブが回るか試してみたが「開かないぞ、やっぱり」いまいましそうにけるベエはこぼした。
「閉まったんだろ自動で。あ、魔法でか」平然とした様子に戻ったゾリントン。
「どうするんだ、コモコモも同じようなの持ってるって言ってたけど?」
「おれもあるよ」とゾリントン。
「え? おまえもって何?」おどろいて聞き返すけるベエに、
「ていうか、こっちがおまえのものなんだけどな」ゾリントンはズボンのポケットから勾玉を取り出した。
「え? さっきおまえに渡したやつ? まだ持ってるってこと?」
「アニキに渡したのは粘土で作ったフェイクだよ。きのう作っといた。アーマー鳥の巣に使われてた粘土で」
「いつの間にそんなことしてたんだぞ」卵を狙う以外になんでそんなことやってんだ、という不満がにじみ出ている。
「ひまだったから。料理はおまえらでやってたし」
「なら、アニキに渡す前にわしに言え。心配するだろ」
「おまえだとバレるよフェイクだって。そうなるとアニキも黙ってはいられなくなる」
「ん? アニキが共犯なのか? フェイクとバレないための? わけわからんぞ」
「おまえだと掏摸にやられるくらいだから、すり替えなんて無理じゃん。途中で落っことしてバレるのが関の山だぜ」
思い当たることが多くて、けるベエはぐうの音も出ない。
「アニキからあっさり掏られてたかもしれないし。アニキも手癖は……つまりそのくらいの技術はあるからな」
では、そこまではやられてなかった、と……ありがたいのか、ありがた迷惑なのか。
「どういうことだぞ?」自分も持ってる古いフミを使うつもりだったコモコモはやっぱり不満そうだった。
「アニキは偽物と知ってておれから受け取ったのさ」
コモコモには理解の外のことのようで、しきりにうなずいているが、表情と合っていないのだった。
「いや、ちょっと待て、偽物でドアが開いたのか?」
「言ってたじゃん、形が同じならいいって。だからさ、あんな本気で怒らなくてもよかったんだぜ」
「しかしなあ……」全体的にはまだだまされたままのような気が、けるベエはしていて、
「鍵が別の形だったらどうしてたんじゃ? 例えば、刀なら」
「それこそどういうことだよ」
「だから例えばじゃ、形じゃなくて、刀の鍔の文様が鍵になってるとしたら」
「そんな仮定が意味あるかは別として、答えはそれでも貸してくれって言ったと思うよアニキは」
「だが刀は貸せんぞ」
「そんときは腕の見せどころだったろうよ。さっきだって渡された偽物をさらにすり替えることだってできたからな。おれの後ろに回ってたろ、本物が入ってるポケットにアプローチはしてたんだよ。でも、刀となると、やっぱり無理かな、ドアはあきらめて来た道を戻ったかもな」
「それは危険性ゆえか」
「いや、刀はサムライの魂なんだろ、そういうの気にする人だから」
「そうか」
「わかんないけど、とにかく子供を戦場から遠ざけたかったんだと思うよ」
「しかし、わしは……」
「仮定の話を続けるなら、自分がドアを通れないとなったら、そのときはおれたちも通れないように、アニキはドアのほうに何か仕掛けたかもな」
「はえ~。そんなこともできるのか」
「いや、自分が進むためなら何か企むだろうってこと。たぶんおれにも考えつかないようなことだよ。たぶんおれもだまされるな」
「ふ~ん」あらためてドアを眺めるけるベエ。刀が背中にあるときは、すり替えチャンスだったのか。
「余計なことまで心配しなくていいんだよ。とにかく、昨日はコモコモは芋虫を採ってて、おれは粘土を細工して、けるベエは……酔っ払っただけだったな」
「ふーん、やっぱりおまえいいやつなんだな」
「なんだ急に。いや、銭は掏られて勾玉まで盗られそうになって、そんなこと言ってちゃ世話ないぜ」
「いい授業料だったよ。なかなか」
「まったく思ってなさそうなんだが……」けるベエの仏頂面に、ゾリントンは思いっきり笑った。
「ふふん、じゃあ行くぞ」コモコモもちょっとだけ笑って、そして、なぜか話を打ち切った。
「よし、行こう」ゾリントンから受け取った勾玉をペンダントにし直して、けるベエは首から提げた。そのヘッドの部分を持ったけるベエを真ん中に、三人はドアの前に整列した。そして、サグサスのやり方にならってドアを開き、けるベエから枠をくぐり進んで行った。