第四章 オウガの島のコモコモ
第四章……オウガの島のコモコモ
海の上から眺めても島の全容はうかがえないが、かなり大きい。砂浜から森になり、緑に覆われた高い山はいくつかの峰に分かれ、ダンジョンは言うまでもなく何が隠されていても不思議はない。まだ陽は高い。山のほうから白い鳥が五羽六羽と沖に集まる漁船のほうへ飛んで行く。身じろぎもせず滑空していくので、空が後ろに飛ばされていくようにも見えた。
けるベエたちが乗せられた船は、漁船団とはまるで違う方向、奴隷船が行く手に見えても素通りでオウガの島へ向かった。
島に近づくと、やはり港を避け建物もない砂浜へ船は廻されていく。遠浅の砂浜の途中で錨を下ろした船からけるベエたち、それにサグサスと他に二三人は海の中へ降ろされた。
子供たちはざぶざぶと岸へ、サグサスは風魔法のオフショアーの一種で水を弾き、残りの客も含め濡れずに上陸した。
「おい、おまえら」デブのオッサンも上陸していた。舟からの縄を持っている。せり出た腹でずり下がったズボンの裾は破れびしょ濡れだ。波が寄せては返して、重たいオッサンの足の下から大目に砂をさらっていくから、時おりバランスを崩して酔ってるみたいにふらふらしている。
「やっぱ二〇〇ゴールド出してくれや」へりくだったように笑って、しかし見下ろしながらゾリントンに向かって言った。顔は影になっていたが、ハゲ頭は陽光に光っていた。
「二〇〇ゴールド? なにゆえだ」けるベエは言下に問うた。ほとんど同時にゾリントンも、
「約束が違うだろ。一〇〇ゴールドだ、ちゃんとここにメモしてあるからな。」と帳面を出して突き付ける。
「聞き間違い、書き間違いだろ、子供の字は下手クソで読みにくいなあ」
「ほんのさっきだぜ、無理があるよオッサン、他の客には言わねえのか、今日は客も多かったし、もういいだろ」
「他の客も二〇〇ゴールドだったよ、世の中移り変わってるからなあ、子供料金ってわけには行かねえな」
他の客の相場は知らない。それは事実だった。
「オッサン、子供相手に何やってんだ。あんまりせこいと商売やって行けなくなるぜ」
サグサスだった。ふたりのすぐ後ろまで来ていて、顔をゾリントンの頭越しに突きだし、縦に二つ並んだ顔が一緒に船頭にすごむ。
「あちゃ~まだいたんですかい、オニイサン、きびしい世の中なんですよ、お願いしますよ」オッサンは顔の縦半分がずれたようないびつな笑いを浮かべ、広いデコの下の小さい両の目がくるくると忙しく動いている。
「裏ルートで余分の取り分あるんだろが。魚を取れない己の腕を恨めよ、デブのくせにマグロに引き負けてんじゃねえぞ」
漁師にとって一番の恥は海に引きずり込まれること。その噂が広まるのは、海の上の風よりも速い。
「それとももっと稼ぎたいか? ゾンビになって奴隷に落ちるのも奴隷船やるのも一緒だろ、やり方を教えてやろうか?」
「滅相もねえです、またまたきついなあ」
「ほら、ベイトの札。本業できっちり稼ぎな」サグサスは革の財布から紙の札を一枚取り出して渡した。
「ありがてえ、いつもすいません。ああ、おまえら、おれの勘違いだった、お代はもらったよ、行っていいぞ」
「いいぞはおれらのセリフだろ……」ゾリントンは詰め寄ろうとしたが前に出そうとしたその頭に、上にある顔の顎がトンと当たったので、立ち止まった。
その隙にオッサンはそそくさとロープを手繰りつつ海のほうへと行ってしまった。
「じゃあな、おまえら。仲良くしろよ」またもサグサスはプイッと行ってしまった。背広の中年の男が後ろから付いていった。
背負った荷物もデカくて小舟を窮屈にしていた傭兵のように兵装の揃ってない体格のいい男は、この島のモンスターを倒して仕官を狙うよくいる奴だろう。あるいは離島だから雑多な品揃えでも行けると踏んだ武器商人か。他の客たちも漁船に乗るのにはちぐはぐな年恰好ばかりだった。正規の港から上陸しない事情ゆえ船上から会話もなく、島につくと思い思いの方向に去った。
アニキが行ってしまって、ゾリントンは呆気にとられてしまって頭をかいている。かと言って他の客も事情がありそうだから道を聞くわけにもいかない。ゾリントンが動かないから、けるベエもなんとなく待っていた。
砂浜はきれいだった。高い木がぽつんぽつんと生えていて、てっぺんにだけ葉が茂りその下あたりにたわわに実がなっている。
けるベエがふと足元を見ると、砂にまぎれ何かが光っている。
「それ、おれのだぞ」いつのまにか小汚い子供がそこにいて目も合わせずすばやく拾うとジャリ銭だと確かめてズボンのポケットにしまい、また下を向いて砂浜をきょろきょろ見回してふらふら歩くように向こうへ行ってしまった。落とし物を探してるような態度がひろったものを持って行くのが当たり前のようで、しかしそうでもないと思い直したが、そいつがぼーっとした無心な顔で探しているので、とがめる気になれない。だいたい敵意を感じない。
そいつは髪を頭のてっぺんでひとつに結わえているが、それでもざんばらの前髪が顔にかかって、眠そうな目を隠している。小さな目はほんのたまに大きく見開かれ鋭い眼光に変わるのだが、それは地面に何かを見つけた時で、そんな思惑を隠しとおす役には立っていた。ジャリ銭だけでなく、小さな貝殻を見つけても目を輝かす。むしろ子供の好奇心そのままだった。上を向いた小さな鼻、横にだらしなく広がった口はいつも開いていて面白いこともないのに笑っているみたいだった。身長は少し低いが、年齢も二人と変わらないようだ。小太り、というか腹だけが出ている。ぶかぶかの服の上からでもそれはわかる。肩から斜めに掛けたずた袋は何も入ってないみたいにTシャツと一体になって出っ張った腹に沿って横腹の部分までもひん曲がっている。曲がっているからではなく、どこの文字かわからなくてTシャツに書いてあることは子供にはわからない。ズボンもやっぱり大きすぎるサイズで裾を地面に引きずるせいなのか左右不揃いな丈に擦り切れていた。木靴も大きすぎるようだが、これは動きには支障はないようだった。
「よお、おまえ島のもんかい?」ゾリントンが声をかけた。
「ちがう」下を向いたまま答えた。
「この島の兵士のキャンプはわからないかな」けるベエは訊いてみた。
「わかるぞ、おれならわかるぞ」
「どこだい」
「円形ダンジョンの攻略やってるぞ、ずっと」
「なあ、なんで落ちてる銭がおまえのものなんだ」下を向いてばかりで返事もそのまま、話をしてるこっちを見もしない相手にちょっとイラっとしてゾリントンは訊いた。「1ポイントだから大したはことないけどさ、見つけたのはこいつが先だよな」
「いいよ、小銭だし」けるベエはどうでもよかった。
「でも拾わなかったな遅かったな。見つけたんならなんでそのままにした、ジャリ銭だからか? もったいない話だぞ」説教のように言われても、けるベエは腹が立つわけでもなかった。下を向いたままのその態度と答えが合っていたからか。振り向くこともなくまた探しながら自然に離れて行こうとする。
「なあ、おまえ名前は?」
「おれ、コモコモ」初めて顔を上げた。真っすぐ見つめ返してくる。くたびれた恰好のわりに顔は汚くはない。表情も柔らかくて、にやけた印象もないし、やってることのさもしさが消える。
ゾリントンは歩み寄りながら顔は真っすぐに保ったまま、目だけで砂浜を探し、また別のジャリ銭を見つけて拾うと、ピンッと指ではじいてコモコモのほうに飛ばしてやった。
「おれはゾリントンだ。あいつはけるベエ。東の戦士の国の出だぜ」
「おっ? ブスコイン……。空っぽだぞ」ひょいと片手でコインをキャッチし、重みを確かめて不満を見せながらも「んっ?東の戦士の国……黄金の島の……」子供らしく話に喰い付いた。
話を振られたけるベエは、しかしペコリと頭を下げただけだった。話の接ぎ穂をするような社交性は子供全般にない。コモコモはちょっと待っていたようだが、同程度のあいさつのつもりか小さく頭を下げると、また下を向いてうろうろしながら行ってしまった。
「たぶんいい加減なこと言ってんだぜ。ダンジョンは山の中だと思うけど……」ゾリントンがけるベエに言うと、
「そうかもしれんが、だが、あいつ円形って言ったよ。円形のダンジョンとは見てないと言えないんじゃないか」まだすぐそこをうろうろしているコモコモの背中を見ながら、けるベエは言った。その目線のままで、けるベエはまた砂浜にコインを見つけていた。
ふいに振り向いたコモコモがササッとそばまで来て、そのコインを目ざとく拾い上げる。
「おまえすげえな」コモコモはけるベエに向かって言うと、にっこり笑った。
「おまえのほうがすげえよ」ゾリントンが横から言った。
「この辺には詳しいのか?」
「当たり前だぞ、何でも聞け」
「ダンジョンってどの辺にあるんだ? さっきの王国の兵士が攻略してるっていう……」
「おれ知ってるけどな円形のダンジョンな。でもイシブミの向こうだからイシブミについでに聞けばいいんだぞ」コモコモはそっけない。
イシブミは静かな郊外などでは国境を、街中では情報端末で、山の中という環境は同じでもここは戦場である。それを示す。いずれにしろ領域を区切り、結界となっている。
「イシブミなら向こうにあったぞ、森の中」あくまでコモコモは自信満々だ。
「おまえも一緒に行くのか?」ゾリントンが訊いた。
「案内してもらおうよ」都会の孤児の警戒感を吹き飛ばしてやるつもりで、けるベエはすぐに言った。
「よし、こっちだぞ。あ、おまえジャリ銭落ちてたら言えよな」
「まかしとけ」けるベエが平然と言ったので、ゾリントンも同意するほかなかった。
三人で砂浜を進む間、けるベエはちょいちょい小銭を見つけ、ゾリントンもそのたび促されたが放っておいたら、ぼーっとした非難めいた眼差しでコモコモが見てきて、それがけるベエが小銭を見つけるそのたびになので、何個かは見つけて渡してやった。その都度コモコモは笑顔を返してきた。
砂地に地面に這うように伸びている節ばった草が混じってきて、やがて草地になり、すぐ森になった。山裾から続く広い森だった。
森の中の暗がりにイシブミは建っていた。
形は同じ。てっぺんがコブ二つになった、フラットな操作パネルを持った大きな岩石。
けるベエはイシブミの後ろに回ってみて、裏面を指差し、うなづいている。ゾリントンに向かって、あれあれ、SATOR、と口だけが動いていた。
まっ先にコモコモが操作すべく手を伸ばす。
「おまえがやるのか」と、ゾリントン。イシブミがあっても無視して通れないこともない。だが、そうするとペナルティだ。一番大きいのは、キャンセラレーション|(徳政令)が適用されないブラックリスト入りだが、むしろ細かい罰則のほうがゾリントンなどの暮らし向きには痛かった。国境ではそうなるが、ここは戦場の入り口だった。まずこいつにやらせるのもいいかもと、
「当たり前だぞ、おれの庭だぞ」でも、どこからどこまでだよ、とゾリントンは思う。
「ここを通ろうとするもの、質問に応えよ。だってさ」エントリー|(入国、通過)の四角い枠のボタンを押したコモコモは振り返って言った。そうなると島に先にいたコモコモの出番かもしれないと思い、けるベエはうなずいた。
イシブミの平面スクリーンには「すべての男は戦士である。」と表示されていた。
だからどうした、とけるベエは思った。真ん中の操作するコモコモを、両脇のふたりが見つめる。
すると「……おまえは戦士であるか?。……」という次の文章がスクリーンに浮き出てきた。
「なんだ変なしゃべり方……」とコモコモは首をひねり「そうである」と言った。イシブミが反応して表示が変わる。
「……すべての戦士は戦場から逃げたりしない。……」 「……おまえは逃げるか?。……」
「逃げるかな、どうかな、でも戦場であるぞ、危ないだろ……」他のふたりはだまっている。
「戦士ならざるもの、立ち去れ。」イシブミの盤面は初期画面に戻り、タッチでも音声でもメニューを選べるようになった。つまり、コモコモの出番は終わった。
「なんだしょうがねえな、おれに任せろ」ゾリントンが真ん中に替わる。どれだ?入国? さっきおまえ何て言った? と言ってるうちに表示は先ほどの質問に戻った。
「……すべての男は戦士である。……」「……おまえは戦士であるか?。……」
「そうであるよ」平然とゾリントンは答えた。
「……すべての戦士は戦場から逃げたりしない。……」 「……おまえは逃げるか?。……」
「逃げないな、逃げたことない」
「……戦士ならざるもの、立ち去れ。……」
「いや、ちょっと待ってくれよ、逃げないって口では言っても逃げることもあるよそりゃ人間だからな、これからモンスターと戦うんだから心構えとして逃げないってことで逃げたことないってのも勢いというかほかの人のやる気をそがないようにだな、つまり士気を高めるために言ってるから仲間のためを思って言ってるわけで、それだけでもう行くぞって言ってるのと同じっていうか、もちろん自分にも言い聞かせてるようなもんで逃げたことがないという表明が事実か事実じゃないかというとそれは変わってくるけども。現にほら、武器だ、ナイフも持ってるぞ。護身用だから短いし、普段は食事のときに使ってるやつだけど、でも立派な武器だぜ、戦士だろ」
「もういいからどいておれ」次はけるベエだ。
初期画面に向かって「戦士けるベエである。まかり通る」と言う。
「……すべての男は戦士である。……」「……おまえは戦士であるか?。……」
「くどい。いかにも」三番目だから三回も聞いた質問であってくどいのとは違うが、とゾリントンは不満げだ。コモコモはずっと不満げだ。
「……すべての戦士は戦場から逃げたりしない。……」 「……おまえは逃げるか?……」
「一時の撤退も戦術である、それで戦いが終わりになるわけではない。選ぶべきである」おれも逃げるだったのにとつぶやくコモコモ。納得いかない顔のゾリントン。
「……すべての男はなにものからも逃げることはない。……」 「……いま一度たずねる、おまえは戦士か?。……」
「男というだけで戦士に生まれつくものなら苦労はない。こんな愚問、片腹痛いわ。モンスターから逃げることもありうる。されど人生からは逃げられない。一回目は偵察だから、二回目の人生はうまくやろうなんて漫画みたいなことはありえない。人生を賭けて戦士になるのだ、それが男だ」
「……おお、勇敢なる戦士よ、戦場へようこそ。神聖なる我が王国の戦いに寄与してくれたまえ。……」
また表示が初期画面に戻ったので、
「通れるのか? 三人?」ゾリントンが言った。
「おれもやるぞ」コモコモはもう一度やりたがったが、それは二人で止めて、
「いいんだよもう、次、地図だよ地図」とゾリントンが言い、コモコモを押さえてる間にけるベエに替わったが、らちが明かなくて、コモコモをけるベエに押し付けると、
「3Dであるじゃん。回せばさ……ほら、一本道だ、行こう」
「おれだってわかるぞ、この先は草原なんだぞ」
「うん、そうだな、よく知ってるな、で、どう行くと早いのかな」と、ゾリントンがうまくとりなして、道なりに三人は進んで行った。
森を抜けると、なるほど草原が広がっていた。一面の丈の低い草。風になびいて頭を下げると陽の当たる角度が変わって濃い緑に替わり、上下にそしてらせんのようにうねった色の帯が次々と渡っていく。足元までやってくるから緑の波のようだ。向かい風を押して三人は進む。
ところどころに木が密生してさっき抜けた森の名残のように、そこだけこんもりと小さな森を形作っていた。それがただのブッシュにしか見えないのは……いや、ブッシュと呼ぶには大きいが、茂みなのかもしれない。そう思ってしまうのは、とんでもないデカさのトンボが木にとまっていたからだ。縮尺がおかしい。
三人が歩くその足元から数羽の小鳥が飛び立った。しかし、森のほうへ逃げて行くわけでもなく、また数歩先の草っぱらに降りて身を隠した。範囲を攻撃する魔法なら一網打尽にできそう。そして、竹ひごの直方体の鳥籠に……餌は雑穀をふやかしてすりつぶして……けるベエははたと気づいた。トンボを餌にしてる小鳥がここでは食べられる側か。だからトンボのいる森のほうへは逃げなかった。鳥籠か……大人でも飼ってる人がいた……あんな雀の仲間じゃなくて綺麗な声で鳴く種類だった……家の軒下に籠を吊ってて子供が石を投げるとものすごい勢いで追っかけられた……逃してやってもここではもっと恐ろしい敵がいるな……しかし鳥籠にはトンボの頭しか入らないだろうな……鳥籠の短い辺の側の竹ひごの一部がスライドして入口になるがそこから入らないか、頭でっかちで。
「蜻蛉愛づる姫君が喜びそうだ」ゾリントンはけるベエに言ってみたが、ふたりはすでに目を輝かせている。
「虫取りなんかしてる場合か、兵隊の親父さんはいいのかよ」
「いや、しかしデカいトンボだな。わしの田舎にもデカい虫はいるのだ。蝶々だ。真っ黒や紫や……」そっちのほうが珍しいとゾリントンは思ったが「……白いのや、しかし蝶々じゃいくらデカくても洗濯ものが飛ばされたのかくらいにしか思わんのだ。トンボがデカくなると、あいつ、凶悪な顔しておるな」
「ん? 凶悪? どこが? トンボはトンボだろ」
「わかるぞ、デカいヘルメットで武装した強盗みたいだぞ。空中にふっと止まるのが狙われたって感じしてやだぞ」
「わかるかいコモコモ」なんか意気投合してるが、意味は逆だろと思うゾリントン。すでにけるベエは刀の柄に逆の手をやっている。やる気だ。
「いっちょ、行ってみる」と、コモコモに荷物をあずけた。コモコモは素直に受け取って、
「お?」と今度はゾリントンとコモコモが息を合わせたように言う。東の戦士の国の武技は噂に違わぬか、見たくなるのはしょうがない。子供だし。
蜻蛉は肉食である。その複眼は紫外線をも捕えうるが結ぶ像はあいまいだという。が、このちっこい珍客を捕食対象と捉えるのも無理はなかった。
小さな森のてっぺんから垂直に飛び立ち、巨大な羽を見えないほど激しく動かしているらしいのに音もなく近づいてくる。けるベエは動かない。そそくさと後のふたりはあとじさった。
確かにデッカイ頭の大部分を占めるデカい眼が、プロ野球選手が打席でかぶってるヘルメットのように独特に光っている。不思議な光り方は、子供はともかく、その塗料なのか塗布技術なのか、革新を感じさせるのに似ている。大人はだいたい新しいものに及び腰になってしまうものである。
蜻蛉は徐々に近くにまで飛んできた。改めて大きさにびっくりする。うごめく足がこれも大きくてまさにモンスターだ。トンボはときに空中で止まり、はたまた標的を注視したままで横方向に空中をスライドし、獲物を吟味するように自在に飛び回る。けるベエはまだ動かない。
蜻蛉が一気に高度を下げ、急降下。けるベエに襲いかかった。
が、次の一瞬には、けるベエの背後で音がした。蜻蛉は目と目の間から真っすぐ縦にシッポまで、両断されていた。その胴体は生き別れのように二つになってけるベエのすぐ後ろに墜落していた。
抜く手も見せない早業。ゾリントンは言葉も出なかった。
コモコモは「今のなに?今のなに?」と繰り返したが、誰も答えないのでトンボの死体のほうに近づいた。天に棲む人がうっかり落とした美しい羽衣が地面に偶然に飾り付けられたように、角度によって色を変える透明な羽根が四枚、てんでにおっ立っていた。
HPを上回るダメージを最後に魔法によって加えるとその存在は、つまり死体は獲得MPの数字だけを残して消える。コソ泥ねずみのときのように。
最期が物理攻撃だった場合、死すなわち物体と化す。このように、トンボの羽は残るわけだ。
つまり、初級魔法が大事である。即死というのはあまりないことだから。
瀕死で魔法を使えば数値以外は何も残さない。おかげで冒険の旅は身軽なまま続く。魔法で仕留めないことによって獲物自体が残り、肉、羽、ツノ、毛皮、トロフィーその他の資源となる。
蜻蛉愛づる姫君の異名の通り、トンボの羽根は特に珍重された。半透明、軽量な材質は強度も十分で、例えば蝶々の羽根のようにもろかったり鱗粉がなくなると水分でしおれてしまうということもない。王家のお墨付きもあって不規則な複雑系の入り組んだ筋目模様は、羽根そのものだけではなく、その意匠がTシャツの模様になるなど定番となっていた。装飾はもちろんだが、なんと言っても魔法動力の飛行機械での使用にも耐える強度と軽さを兼ね備えた天然素材として珍重された。
胴体から引きちぎっても、だから羽根はその美しい形を保ったままだった。コモコモはその羽根をまるで奇術師が蛇を出す壺よろしく自分のずた袋にちゃっかりいただいた。四枚ともだ。
ゾリントンは手ぶらだった。だが、くたびれたジャンパーはさもありなんと思わせる。ズボンだって洗わないことで風合いが増す生地のやつで「銭と小さな帳面さえあればどこでも生きていける」と、うそぶくのも似合う。ただの便利屋ではない、おつかいの作業要員ではない、多様な知識がそう思わせるのだ。何でも入るずた袋とは対照的なような、似ているような……。蜻蛉については何も言わない。
ふたりが何か言うより先にコモコモは、
「よし、アーマー鳥も行けるぞこりゃ。手伝え」
「何の話かえ?」けるベエは落ち着いたものだった。
「卵がうめえんだぞ。アーマー鳥の卵だぞ。巣にいないときにこっそり取るしかないんだけど鳥が二羽いて交代するんだぞ。ずるいんだぞやつら」
「……向こうの立場になってみろよ」ゾリントンは何が行けるのかと思っている。
「肉もうまいぞ。ドラゴンの肉って売られてるの、だいたいアーマー鳥の肉なんだぞ」
「知ってるよ。そうじゃなくて……」
「なに? あのドラゴンの肉が? ……偽物? 別物だったのか?」けるベエは愕然。
「なにおどろいてんだよ。あそっか、東の戦士の国までは流通もしてないし話も行ってないか、米とか麦とか、主に魚とかを食べる人たちだよな……」
ゾリントンの知識に今度はコモコモが、
「米はおれも喰うぞ、ていうか、米と卵で玉子ご飯が一番うめえんだぞ」
「なに? 玉子ご飯とな? わしも大好きだ。子供でも作れるご飯ナンバーワンである」
「おう、わかってんね~、東の戦士の国のちびっこ侍」
「おぬしこそ。変なカバン提げたチョンマゲ小僧」
「誰が小僧だぞ、おまえより背は高いぞ」
「同じくらいじゃないか」
「いや、おれのほうが高いぞ」
「ゾリントンよりは小さいな」
「おれは足も速いぞ」
「ゾリントンも速いよ。もちろんおれも」
「そいつはよかった、行けるぞ、アーマー鳥も行けるぞ」
「まあな」
なんだかんだで気が合っている。チョンマゲはあべこべな気もするが。
「しかし便利な袋だな、それ。そういう仕掛けならこの島でもひとりでやってけそうだよな」と、ゾリントン。
「でも入れたものしか出てこないんだぞ」コモコモは不満をもらした。
「そりゃそうだよ」とゾリントンは言ったが、けるベエは、
「いや、そうでもないな。入れたものしか出てこないんじゃただの倉庫だ。魔法ならもうちょっといいことがあってもよさそうなものだ」
「百人乗ってもまだ不満みたいなこと言ってんじゃないよ。虫が良すぎるだろ」
「トンボも入っておるからな」
にゃはははは、と変な声でコモコモが笑ったので言い返す気もなくなったゾリントンは、
「アーマー鳥って甲鳥だぞ」
「うん?」ふたりで首をひねっている。
「アーマー、鎧の材料にもなるんだよ」
「ドードー鳥の仲間じゃないの?」意外にもコモコモが質問した。
「それ絶滅してるやつだよ。アーマー鳥だってドラゴンの肉になり替われるくらいにめったにお目にかかれない。珍しいしなかなか狩られることもないよ。肉も簡単には手に入らない」
「その鎧とは、もしかしてドラゴンメイルなのか?」けるベエは興味深げだった。
「いやいやそこまでじゃない、伝説級はさすがに名乗れない」
「じゃあ市販のスケールアーマーか。仮にもドラゴンの名にし負うモンスターであり、恐竜の末裔と言われる巨大な鳥だ。戦ってみるのも前哨戦として悪くない。王国が長くてこずってるというこの島のモンスターどものお手並み拝見てとこかな」
こいつは修行の旅の途中だったのだ、すでに。
「大きさだけならオウガよりデカいぞ。なあ?」コモコモに同意を求める。卵は取れてないというコモコモが、せめて兵士たちがいるところまでまずは進む気になるように。
「デカいだけならさっきのトンボと同じだ」
「あのくらいのトンボをアーマー鳥が喰ったの見たことあるぞ。それくらいデカいぞ」
と、コモコモが言った。警告というより、話に入りたいだけのような意気込みだった。でもそれを受けてゾリントンは、
「いや、トンボは向かってきたけどさ、卵を守ってるんじゃ剣では届かないんじゃないか、もう一羽に追っ払われるだけでさ」
「やりようはあるさ」強気というわけでもないが、けるベエは聞かない。
「そんなにデカいんなら最後は魔法で倒そう」コモコモはもうそこまで算段していた。
「あの肉、ドラゴンではないと聞いたらそこまでうまくもなかったような……。それにデカいんだろ、荷物になるのではなあ……」
「荷物は気にすることないぞ、袋には入るぞ」
「卵を入れよう」
「なるほど、卵が入らないと大変だぞ」
「物が入りきれなくなったことあんのか?」
「ないぞ、一回もないぞ、ずっと使ってるんだぞ」
「なかったから次に起こるやも知れぬ」
銭には頓着しないし、馬鹿でかい蜻蛉には臆せず向かっていくし、それにしては変に心配性なのだった。いや、ドラゴンじゃなくなったらどうでもよくなったか。
「魔法で倒すのならここで三人の割り勘をやっておこう」けるベエはほんとに無頓着だ。
コモコモは一つうなずいてポケットからコインを出した。ゾリントンはびっくりした。
「なんだこれ見たことない、古い時代のコインか? 誰?1ゴールドだから王子王女ってことは前の王女?今の女王が王女のときの顔か? いや似てないし違う人だな、もっと前の、昔の祖先なのかな」
「魔法は使えるんだからいいんだぞ、割り勘もできるはずだぞ」
「このコインはここでひろったのかい?」けるベエががたずねた。ゾリントンからコインを渡された彼も初めて目にするものだったらしく、首をかしげている。
「覚えてないぞ、でもすぐ袋から出てきたから、たぶんこの島のどこかだぞ」
「古いのは間違いないが、そんな昔からここを攻略できていないということなのか……それか昔はここには違う国があったか……いずれであろうな」
コインはコモコモに返され、ゾリントンはどういう脈絡?という顔でけるベエの次の言葉を待つ。
「じゃあ割り勘な」けるベエは話を戻してしまった。自分の分のコインを出す。
できるのだろうか。自分もみなし児のゾリントンは心配になる。自分もコインを出して、二本の指でつまむ。
コモコモはハッダンの港街の区画のひとつと共に名をつぶやいた。イシブミがある以上、王国の領域ではあるのか。
コモコモのコインからは王女の声らしき、しかし聞き覚えのない音声がした。が、三人の割り勘はなった。
「向こうに巣があるんだぞ、行くぞ!!」元気いっぱいになるコモコモ。もうイシブミとの問答など忘れている。
「いや、もうちょっと考えようぜ」
「兵団のキャンプは山のほうにあろう、その途中だからいいんじゃないか、それに進軍していたらもっと先だ。急ぐこともあるまい。たぶん父は一番槍を勤めてるだろうしな」
向かい風はまだ強かった。
晴れた空に蜻蛉はいないがカラスは高く飛んでいた。あいつらはどこにでもいる。
草っぱらを進むと、足元からしきりに小鳥が飛び立つが、三人は目もくれない。バッタも飛ぶ、これは小さな虫のサイズ。カマキリがよたよたと飛ぶ。かなりデカい。しかし、美しい鎌が陽を反射してハッとする。いわゆる玉虫色に色を変えながら光っている。威嚇のつもりが興味を引いている。
ゆるい丘の傾斜を登り、その向こうを見晴らせるようになると、そこには先客がいた。
モンスターハンターだ。
まさに、子犬くらいの大きさのカマキリに白い網が地からわいたように絡みつき、長い棒の先のこれまた網を構え、捕まえようとしていた。ウエブの札と捕虫網のダブル使いとは、入念な仕掛けだった。子供から見ても小っさいオッサンで、その装備は厳重ではなくて、昆虫の狩りだけを想定してのレザーアーマーのようだ。しかし革は濃い茶に光って、年季は入っていた。頭にも革のヘルメットをかぶり、腰には太いソードを佩いて、傍らには四角い灰色の箱。おそらく魔法の虫籠だろう。道具立ての準備は万端でこの辺だけで仕事をすます気か。抜かりなく網から出ているカマキリの鎌をよけ、背後に回り込もうとしている。オッサンの顔は緊張もなく福々しい。カマキリって儲かるのか。
「そこのガキ、そっちに行くな。踏むと危ないぞ」意外と口調は荒かった。
罠を張っているのだろう。子供たちの安全よりも仕掛けの心配なのだろうが。
想像の通り、札は銭の掛かる仕掛けである。脱獄は不可能、偽造も限りなく困難。ピンからキリまであるが、しかしレアカードなどはないのである。
必要でない人には、ただの紙きれだから。
当たり前だが、ポケモンカードをデュエルなんちゃらに混ぜることはできないし、MTGのチートのようなカードも他では出せないし関係ない。野球カードもJリーグカードも欲しい人は欲しくても子供以外の大半の人はポテチを食べたい。
一時的には品薄になり高値で取引されることもある。しかし高く売りさばこうにも使える人も必要な人も限られている。たとえ札が足りなくなっても、王国が刷りまくればいいだけの話。
MPをそのように供給すればかえって混乱を招くだろう。何にでも替えられる、どこででも使えるものでそんなことをすれば無責任に高騰を煽り、反動で暴落すら引き起こしてしまうだろう。どこでもPAYに喩えれば、囲い込みを無視して使える状態になるから。
割り勘できるのは、囲い込みがないゆえ。
記号は、バトルのあとどこでも回収もできる。
しかし札の場合、、物理的にも一〇〇〇ゴールドの札を二枚に破って、はい、五〇〇ゴールドずつです、とはならない。
ただし、商圏を囲い込みとは言わない。それは責任ではなく、強欲である。量をむさぼる、版図を追って拡張を止めないのとはまた違うが、秩序や支配で縛りたいサディストのそれである。
そういうわけでイシブミは記号的機能だけでなく、詩的機能も持っていた。結界であり、警告をするが、人は縄張りを素通りできた。罰則は無論ある。
この三人は子供とは言え、イシブミとの戦士の問答を一応はくぐり抜けてきていた。
「虫なんか関係ないぞ。アーマー鳥の卵とりたいだけだぞ」
「卵だ? アーマー鳥の肉じゃなくて卵だと? 生意気に美食家気取りか。獲れねえよ、見つけるのもむずかしいだろ」子供たちとさほど目線の高さは変わらないオッサンは、まんまとカマキリを捕まえた。長い首を後ろから押さえつけ地面に突っ伏したところにまた何かの札を貼る。生け捕りだ。
「アーマー鳥は見たかい?」と、ゾリントン。
「いや、今日はまだ見てないが、たまに虫を喰いに来るな」と動かなくなったカマキリを親指で差した。
「卵なんかやめとけ、カマキリでもバッタでもおれが買ってやるぞ。きれいな鎌か羽根を持ってる種類ならな。交換でもいいぞ、街に帰る札はなんぼあってもいいだろ、おれが持ってる札は風の三級魔法だからかなり遠くまで帰れるし、何人でも飛べる。ガキは見たことないだろ」
船で帰るからいいんだよ、とゾリントンが断ると、
「じゃあ瓶に貼ると荷物がたくさん入る札は? 小っちゃい入れ物にもでっかい卵が不思議と入るんだぞ」商売上手なのか下手なのか、いらないものばかり勧めてくる。
「卵取ったら喰うんだぞ」
「それもそうか。まあ気をつけな。それとな、魔法でとどめ刺すと数字しか残らないからな、なるべく死体は残してな、他の虫の餌にもなるんだから。それから火の魔法は使うな、危ないから」知ってることばかり言う。
三人はとっとと先に進んだ。だだっ広い草原に人影はなかった。漁船団は同じ漁場に集まるが、ハンターは違うのだ。
コモコモが何かに気付いて道を選ぶ。同じような景色が続く何も目印などないような草原をコモコモは迷いもなく進む。
ゾリントンは、ちょっと訊いてみた。
「何かあてがあってこっちのほうに進んでるのか?」
「いや、勘だぞ」
「なんだそりゃ、めくら滅法かよ」
「鳥は鳥目だから夜は動かないんだぞ、でも夜に動くモンスターもいるからもっと危ないんだぞ」
いや、何の言いわけだよ、とゾリントンは思ったが、
「ほら、いたぞ」コモコモは当然のように言った。
確かにいた。アーマー鳥、甲鳥だ。でかい、でか過ぎる。
全体は茶色、胴体の両側に折りたたまれた羽根の部分だけがメタリックに光る灰色で、まさにアーマー。長い足に鋭い爪、丸い胴、長い首。その上にのってる頭もデカいし、くちばしも鋭くとがってデカい。頭頂部には何枚か長い白い羽根がアホ毛のようにぴょんと出ていた。
フォルムはダチョウに似てるが、羽根は重そうでも広げると体高と同じくらい長さがあって、飛ぶのにも十分だろう。大きく翼を広げたその姿勢は、威嚇だった。
アホ毛のような頭の上の羽根だけが白い。白いほど強い、汚れてない、多く残ってるほど雄同士の争いを勝ち抜いたような意味はあるのだろうか。毛が三本生えたようになっていた。
「ようし、参るか」
「おう、頼むぞ」
ほんとにこいつらは。
「いや、けるベエさんよ、おまえの背じゃあいつの足の半分までしかないぞ」
「なあに、ガタイではないのだよ」
けるベエは振り向きもせず、よくわからないことを言っただけだった。
「いや無理だろ」
「猪は獲ったことある。あの鳥より背は低いがたぶんもっと重い」
「ひとりでじゃないだろ」
「確かに。村のみんなと巻狩りをしたのだ。りゐばうが大活躍だった」
「ほら、犬もいたんだろ、加勢も。やっぱ無理だろ」
「おまえたちがいるではないか」
「そりゃもっと無理があるぜ」
「うんにゃ、いけるぞ」
「なんでだよ」
「気をつけろ、来るぞ」
どっちがだ、と言ってるひまはなかった。大股であっという間に迫ってくるアーマー鳥は殺意を持っている相手が誰なのかわかるのか、けるベエに真っすぐ向かってきた。ドスンドスンと足音まで大きい。さっきの蜻蛉のときとは違い、低く構えたけるベエも走り出していた。アーマー鳥の正面から少しずれたラインですれ違いそうなコースを斜めに走る。
だが、すぐにアーマー鳥の長い首とデカいくちばしのリーチの範囲に入ったようだ。まるで岩が落ちてくるように、デカい頭が降ってきた。けるベエは足をさばき横に飛びさらにスピードを上げて、かわす。外側に逃げるのではなく巨鳥の真下へ、内ふところに飛び込んだ。
カキーンと高い音が鳴った。
足を斬ったはずだが、けるベエは鞘と同じ角度と同じ位置に刀は構えたまま、まるで使ってないような姿勢で、巨鳥の右足の外側から後ろへと走り抜けた。
アーマー鳥にダメージはないようだ。微動だにしていない。
硬過ぎる、そりゃそうだよ。コモコモとゾリントンが同時に言った。
巨鳥は何が起きたのかわからないようで、それでも足元は気になるのか、地面をつついたりしている。ミミズを見つけた。ミミズまでデカい。大蛇のようなそいつをくちばしで上に振り上げてパクついた。巨鳥にとってはやっぱりミミズに過ぎず、ひと飲みだった。
警戒は怠りなく、大きく回り込んでけるベエが戻ってきた。
「手首を返してたら刀が折れてたかもな……」
カクンカクンと、手首を返して刀身を前に出す動作を繰り返す。なるほど、刃は当たってはいたがそこから押し込んだりしないで斜め後方に流しただけ。そのまま走り抜けたのか。
「膝に当たってたら違ったかな? 関節なら斬れたかも……」
「踵より下で膝のわけないだろ」
「え? 曲がってるところだよ、足の中間あたり、だいぶ地面から上の部分。少し踏み込みを強くしてたら届いたかもな」
「だから逆に曲がってるだろ、膝なら前に曲がるが、後ろにくの字になってる」
「それは鳥の膝がそうなんじゃないのか」
「あそこは膝じゃなくて踵だろ、学校で習うだろ、鳥はつま先立ちしてる」
「羽毛でふっくらして見えるけど身体はすっごく細いのは知ってるぞ」
「膝なら前に曲がるだろ、カックンて。ケツのほうに曲がってるからおまえは斬れると思って前から向かってって斬ったんじゃなかったのか」
「いや、まあ、どれくらいのものか、近寄ってみて斬れそうなところを斬っただけだが」
こいつ任せとけって言ったよな。
「なるほど、恐竜の仲間なのは知ってたけど、膝の構造までは知らなかったな」
「仲間っていうか恐竜の子孫な、恐竜は恐竜でまたいるから」
「ドラゴンじゃなくてか? おい恐竜も生きてるのか?」コモコモが急に意気込んで訊いた。
「ああ、いるよ、北のほうや東のほう、いわゆる辺境の地な。ドラゴンは羽根なしもいるし、恐竜にも羽根があって飛ぶのがいる。草食でもっとデカいのとか、この辺の海のデカい烏賊だって恐竜時代の生き残りだぜ」メモ帳なしでもすらすらとゾリントンはしゃべる。
「イカはデカいだけでゴムみたいだしどうでもいいぞ。でも草食恐竜って弱っちいしうまそうだし、いいな」
「おまえみたいなやつがいるからドードー鳥は絶滅したんだぞ。人を見たことなくて警戒心の無い恐竜は、デカくても強くても簡単に罠にはまるし、すぐ狩られてしまう。肉がうまけりゃ尚更さ、船の長旅の保存食に捕りつくされる。きれいな羽飾りになる爪が宝石みたいに光るとなったらやっぱり狩られて、ハゲにされたり足だけ斬り落とされたり……」
物知りだけにいろいろ考えてるんだなあ、とけるベエは感心した。
「なに? それはダメだぞ。取ったらちゃんと全部食べるんだぞ」
「それはダメだな、まったく。ハゲにされるなんて可哀そうに」けるベエも同意した。
気が合ってる場合かよ。
「草食恐竜の一番デカいのなんて、あの山よりもデカいぜ。とても喰えねえよ」
そんなバカな、という表情のふたり。でも、コモコモはすぐにうれしそうな表情に変わった。肩から斜めに下げた袋を腹の辺りでポンポンと叩いた。
「東の地方でドラゴンと呼ばれているのは……」けるベエが話してる途中で、
「ボエ~~」
と、なんとも間の抜けた鳴き声がした。なんだか腹が立つ声だ。
「ボエ~~」灰色の羽根を広げて、威嚇なのか。また変な声で鳴いた。
「図に乗っておる。ジャイアンのリサイタルかい」誰も面と向かって言えないことを吐き棄てた。ゾリントンによると鳥は三歩進むとそれ以前のことを忘れてしまうらしい。
「よし、じゃあ次おまえ行け」と、けるベエ。
急に指名されたゾリントンは、
「いやだよ、無理って言ってんじゃん」
「どうやって斬るか考えるから、おまえ行っといて」
そうなのか。考える時間は必要だろう。
「うーん、じゃあ、ロープないか」
「あるぞ」と、コモコモ。
「あるんかい、じゃあ作戦だ」
デカくて足が長くて腰高でバランス悪そうな敵のとき……。
「わかったぞ、狙うのは足だ。ロープをぴーんてやって足を引っかけて倒すんだぞ、おれも行くぞ」
コモコモは、ささっとずた袋から太くて長いロープを出した。ちゃんと丸く束ねてあるのがゾリントンには意外だった。
「なるほど、囮はわしがやろう。あとは走りながら考える」
「そんなことできるのか?」
「歩行禅というのがある。歩くことすなわち瞑想である。走ってできないわけがない」
瞑想というのは、確か目をつぶって座りっぱなしになることだったような……。でも、歩行? 走って? コケさした後で、けるベエがとどめを刺してくれればよさそうな気もするが、何かの技のようなことかもしれない。さっきの蜻蛉のときも自分はまったく動かないでターゲットを寄ってこさせて斬ってたし。
とにかくそれで作戦決行。
ロープをほどき、その両端をゾリントン、コモコモそれぞれ握った。
三人、顔を見合わせてうなづく。
けるベエが走り出した。あとのふたりは互いに距離を取っていく。離れながら前に出る。ロープは地面に垂れたままにする。
けるベエは刀を抜いて顔の横に両手を持って行って、刀身を真っすぐ上に差し、それをきらめかせるように見せつけるようにして走る。今度は弧を描いて走って、巨鳥には一定の距離より近寄らない。
そのあとを追ってふたりも走る。けるベエとも距離を取り、ふたりの間もかなりの間隔をとって続いた。身を低くし、自分もロープも目立たなくする。
巨鳥がけるベエを追いかけだした。頭を地面に叩きつけるような攻撃。まるでけるベエが畑にまかれた種で地面を耕すかのように、連続でくちばしが振り下ろされる。種まく人とその後を追いかける関係に例えられないのは、巨鳥の攻撃が強烈で、強制されてる感が否めなかったから。
けるベエが方向を転じて戻ってくる。おびき寄せるのは成功だ。ふたりは移動をやめ、その場にうずくまってロープを握る手に力を込める。そのふたりの中間地点をけるベエが走り抜けた。ひらりと小さく飛んでロープをまたぎ越えた。
アーマー鳥もけるベエを追って走る。等距離に左右に間が空いているゾリントンとコモコモには目もくれない。けるベエが速度を上げたので、巨鳥は地面をつつくのもやめて走ってきた。
そして、ゾリントンとコモコモの間を巨鳥が通り過ぎる瞬間、ふたりは同時に立ち上がり、ロープをピンと張った。
巨鳥の足には確かに掛かった。長い足を引っかけることはできた。
だが、アーマー鳥は硬いだけでなく、重い身体に見合うだけ力が強かった。
「うわー!!」
「ギャー!!」
ピンと張ったロープは、張りが強かった分の反動でふたりもろとも吹っ飛ばされた。
空にアラビア文字のような複雑な弧の綴り文字を描くように、ローブは飛んでいた。あまりの勢いにロープから手を放してしまったゾリントンとコモコモは、それぞれの方向に高く飛ばされ、やがて草原に着地した。子供は体が柔らかい。地面の草もクッションになった。コモコモは空中で猫のように身体をくねらせ足から降り立った。ゾリントンは尻で降りた。
ゾリントンは立ち上がると、両腕をXの形にして頭上に組み合わせ、けるベエに向かって示した。エックスではなくバツ、作戦中止の意味だった。「SF映画ならうまく行くのにな、おかしいな」
けるベエが走って戻ってきていた。三人が振り向くと、
「なんだ?」という顔のロープをくわえたアーマー鳥。ロープがミミズだったとしても、食べ応えはなかったろうに。
すぐにコモコモがまた巨鳥に向かって走り出す。
「なんだ?」という顔で今度はけるベエとゾリントンが視線を合わせた。
何する気だ?
巨鳥はすかさず、首を振り下ろして攻撃してくる。もうロープは振り捨てていた。
「アアッ!!」と叫んでコモコモが飛ぶ。攻撃はヒットしていない。その前に魔法を唱えた。
「オンショアー!!」の魔法を足元に打つと急にザリガニのように後ろに飛んで攻撃は回避した。コモコモの腹が出てるからくの字には曲がりきれないために息がつまって出た声があとの「アアッ!!」だった。
「おろ?」
コモコモは着地はうまかった。戻ってきた。
「何してるんだ?」と、けるベエ。「囮はおれ、ロープ無しで追い打ちする意味は?」
「早くこっち来いよ」おどろいたゾリントンも安全確保を企る。
「コイン見つけた」しれッと言うコモコモであった。
「いや、そんなことよりおまえの魔法だよ。ルートスペルを言うやつ初めて見た。出せるのか?」
「うん? 今のはただの風の初級魔法だぞ」
「そうだけど、基礎魔法だろ。合体魔法の元じゃんか」
「うん。そうだぞ、魔法がすぐ混じるぞ、すぐ発動するんだぞ」
「そうだよ。おれはオフショアーを知ってるが、コインや札をつむじ風に取り込んであらかじめ用意することはできる。でも、それでコインから火の魔法を出しても風は残ったままで、敵に向かうだけでなく火が風に巻かれるんだよ。だから威力は落ちる。それがルートスペルなら分散しないで発動するんだろ。風と火で連鎖して火柱とか、もっと強烈なやつが……」
「火柱なんて出たことないぞ。風と火の魔法は乾燥させるんだぞ。洗濯するときいいんだぞ」
「……まあ、初級魔法だし、そうなるか。でも、初めて見たぜ」
「オフショアーはルートスペルじゃないのか? 似てるけども」けるベエがゾリントンに尋ねた。
「たぶん違う。ヨッシャーやウッシャーみたいに方言だよ。そっちの唱えた人から出る系じゃなくて発生させる系統だけどこれも初級だし」サグサスのアニキに教えてもらったときには何も言われなかった。
「それじゃあ、コモコモの今のは手から出すんじゃなくて、落ちてるコインのMPで二発目が出て飛んでよけた?」けるベエは脈絡を推し量った。
「そうだな……使えるだろ、あれ」
また地面をほじり始めた巨鳥をよそに話し合いは続いた。
「でも、どっちに飛ぶかわかんないんだぞ。すぐ出るし連鎖はするけど、連鎖も二発で止まるんだぞ、すぐ出るから」
「ふ~ん……敵から逃げるときに足元に打つからズボンがそんなに擦り切れてるのかね、すっ飛んで転げまわるから……」ゾリントンは聞いてなかった。
「よし、いいかコモコモ。ルートスペルをけるベエに撃ってくれ。そんで二段ジャンプだ。胴体に届けば、けるベエ、あいつを斬れるんじゃないか」
「ふむ。胴体を狙うのはいいと思う。で、どうやるんだ?」
「おれのオフショアーで一歩目、ジャンプして踏める位置にコインを置いとく。おまえが二歩目でコインを踏んだ瞬間にコモコモがルートスペルを撃つ。風の魔法二発分でおまえは高く飛べる。そして胴体を斬る。コモコモ、コインくれ」
「いや、まずオフショアーをおれに教えてくれ。二歩目の位置もおれが走りながら決めたい」
「悪ぃ、おれもアニキに教えてもらっただけでまだ自分のものにできてない。おれが仕掛けるしかないんだ」
「それは残念。ならば高めに置いて大丈夫だぞ。ジャンプ力は踏み込みの強さだからな、思ってるより高めにな」
「よしわかった。コモコモ、コイン」
「コインはいいけども、けるベエが撃てばいいんだぞ」
「? だから、ルートスペルはおまえしか知らないから、念のためコインもおまえのやつを使って……」
「誰でも使えるから基本の魔法なんだぞ。子供のおれだって使えるし」
誰に教えてもらったかよりも、じゃあ、コモコモとの割り勘でトリガーをすでに得ている? あとは自分の消費量のMPでオンショアーを出すだけなのか。
けるベエも同じことを考えたようで、
「わしは消費MPが多い。ゾリントンが2のところ、わしは5らしいのだ。すまんな」
「こまけえこたあいいんだぞ、また拾えばいいんだぞ」コモコモはからからと笑った。
せこいのか太っ腹なのかわかんねえな。しかし、ルートスペルって言うくらいだから、そういう意味にちがいない。金額の問題でなく使い方なんだ。
「やっぱりコインくれコモコモ、一応、保険だよ」
「古いコインはたまに発動しないこともあるぞ、でもおれのかどうかは関係ないと思うぞ。だいたい行けるぞ」
巨鳥は地面をつついて餌取りに夢中になっていた。こっちにケツを向けている。
「行こうぜ、ゾリントン」けるベエは決行を促した。
「二枚仕掛けよう。おれのとコモコモのも一緒に」右手にポケットから出したコイン一枚、左手でコモコモが投げた一枚をゾリントンは受け取った。二枚を右の手に収めるとチャリンと鳴った。
それが合図だったように、
「コモコモも構えていてくれよ、いつでもルートスペル出せるようにな。では参る!!」
「おうよ!!」「行くぞ!!」ゾリントンとコモコモは勢いよく、しかし小声で返事した。
まずはこっちにケツを向けたままのアーマー鳥に接近する。
走り出すけるベエ。また左右に分かれ散開するあとのふたり。魔法を撃つときの射線を考えての移動は息が合っていた。
コインを投げるゾリントン。すかさずオフショアーを唱える。
けるベエの前方で風が巻いて、気絶した人の頭から出る白い線の渦巻きのようになって、その場にとどまっている。コインをうまく取り込んだ。チョココロネの一番半径が大きくて一番おいしいところのような、つむじ風の上部で二枚のコインが踊るように転がり続けている。
けるベエが飛んだ。高い。言うだけのことはある跳躍力。
「オンショアー!!」
出た!! コモコモが言ったとおり、けるベエは自分で発動させた。一枚のコインがはじけたように消し飛んだ。もう一枚はコインのまま、どっかへ飛んで行った。お金というのは飛ぶように無くなってしまうものである。つむじ風が末端の小さなグルグルまでを巻き終わるようにして消えた。
けるベエは高く飛んでいた。
念のため二本の指を前方に出していたコモコモが構えを解く。ニヤリと笑った彼にゾリントンは親指を立て笑い返した。
けるベエは空中にいる。十分に巨鳥の胴体にまで達する高さ。そのときには異変を察したアーマー鳥は振り返っていた。それがけるベエには好都合だった。刀を逆手に持って胴に突き刺すより、ジャンプの勢いのまま長い首をちょんぎってやる。
刀を水平に構え、首を狙う。
カキーン!!
またも金属音。
メタリックな色の羽根だけ、いかにも盾にしそうなツバサの表側の部分だけと見せかけて、全身が硬質の鎧なのか。アーマー鳥の名にし負う特性だった。
けるベエはまたも斬るのをあきらめざるを得なかった。
ゾリントンは、逃げるけるベエが空中で方向転換できるようにもう一枚コインを出して握りしめていた。コモコモはロープをひろいに行った。
巨鳥は空中を飛び去るけるベエをくちばしで追ってきたが、わずかに届かなかった。けるベエは首をすくめる。よける動作はいらなかったし、攻撃失敗の自嘲のようにも見えた。
けるベエは走りながら着地した。走り抜けたそのあとの地面をアーマー鳥が二三回、追い打ちのようにくちばしを振るって打ちつけた。
からくも逃れたけるベエはひとしきり走ると振り返った。油断なく刀は抜身のまま、しかし警戒しつつも刃を確かめている。
アーマー鳥の余裕の「ボエ~~」が聞こえた。
腹立つ。三人同時に思った。また集合。
「もうドラゴンでいいよ、あいつ」ゾリントンは力なく言った。
「ほめてどうするよ、今のは首じゃなくてやっぱり胴体、心臓を狙って突きを見舞えばよかったかもな。鎧武者にはプレートの隙間を狙う突き技が有効だからな」
「いや、そうなのかもしれないけど、そういう問題じゃないっていうか、おまえはよくやったよ」けるベエはほめられて悪い気はしなかった。
「二段ジャンプ、おれもやりたいぞ」
「おまえもナイスアシスト。惜しかった、いや、惜しくはなかったが……」ゾリントンはそれ以上言えなかった。
コモコモもほめられたくて言葉を待っていたが、出ないのでちょっと拍子抜けしていたが、
「巣を狙おう」と、ゾリントンが言い、
「そうだよ、卵だったろ」と、けるベエが続け、
「そうだぞ。巣があるんだぞ」コモコモが張り切って言った。
そして、さっそく点在する小さな森のひとつを指差し、
「あれだぞ、あの森の陰にあったんだぞ」
どういう判別なのか、どういう記憶で言ってるのか分からず、ふたりが戸惑っていると、
「ロープも回収したし、行くぞ」と、少し向こうにたたずんでいる巨鳥は放っぽって歩き出した。
ゾリントンが振り返ると、アーマー鳥は何もなかったように、今は飛び交う昆虫を狙っていた。
草原の起伏はなだらかでいくらか進んでも丘の影に隠れて森は見えなくなったりはしない。目印にはなりにくいと思うのだが、コモコモはずんずん進む。
「あれだぞ」と着いたところで、さっき言ってたあれなのかもよくわからない。ふたりが黙ってるので、
「真ん中に山が見えて、森が両側に二つある、その右側。漢字の山みたいで最後の一画と覚えたんだぞ」
なるほど、理にかなっている。けるベエは目を瞠った。
歩を進めると森の影、いや、陽の当たるほうの森の向こうに、丸太や船のものらしい弧が付いた木材や破れた帆や羽毛やら、はたまた生い茂った木の枝を何本も重ね、粘土で固めたような巣がある。巣というより、残骸の森といった風情だが、そんなゴミの山のようなものではなく、海風をよけて日当たりのいい場所にしつらえられていた。
巨大な巣から、巨大な身体の半分を上にはみ出させ、アーマー鳥がうずくまっていた。
「巣を守ってるぞ、卵あるぞ」三人は森の端っこの太い幹の後ろに隠れて話し合う。「雌かな? 雌のほうが弱いとかある?」
コモコモの質問にゾリントンは答えず、
「とにかく卵だろ、卵を獲れりゃいいんだからさ、まず何個あるかが問題だな」
「頭のぴょんてなった羽根も同じだな。でも本数は違うか、こいつのほうが多いぞ。こいつが雄で、雌が今ご飯食べに行ってるとかある?」
「まあ婚姻色とか派手なのは雄が多いが、そこにこだわってもしょうがないよ。雌なら何とかなるってもんでもないし」
「うむ。そんな甘いものではないと思う」けるベエの言葉は重かった。
「重い言葉だな」
「卵も重いぞ」
「そっちじゃないよ」
「いいから、で、どうする?」けるベエがゾリントンに話を振る。
「卵に風の魔法を当てよう。そんで巣から飛び出させる」
風魔法の二段ジャンプは走る人がホップステップしたが、コインを投げ込んで巣の中で風の魔法を起こし、卵に当てることで巣からはじき飛ばそうという算段だった。
「直接卵に魔法をくらわすのか? 割れるかもしれないぞ」
「アーマー鳥の卵がそんな簡単に割れるかよ」
「ダチョウに引っ張られすぎだな。卵はまた別かもしれん。そのときになって聞いてないよなんて言うなよ」
「直接撃つと言ってもオフショアーで浮かすんだよ。それでうまく巣から飛び出たらもう一発オフショアーで地面に落とさないようにする。そんときはルートスペルなしなら風の魔法は消えないし、コインを浮かせたみたいに卵も浮いてるだろ。いいタイミングでコインを投げて同時に撃てば変なほうに飛んで行って樹に当たって割れるなんてこともないだろ」
単に力押しのように魔法を使うのではない。
「でも、草の上に落ちても割れるかもしれないぞ。あんなデカい巣で卵を守ってるんだぞ」
まあ、ありうることだった。
「そりゃ親だしな……」ゾリントンはただの習性のごとく言った。
「卵と一緒に飛ぶのは?」
「ん?」けるベエもコモコモも怪訝な顔。
「巣にコインを投げ込んでおいて、そんで巣に潜り込んで、卵持ったらコインを魔法で撃って自分が飛んで逃げる」
「それいいな」「うん」やる気になった二人。
鳥の身体は見た目よりもずっと細い。羽毛でふっくら丸く見えるだけなのはその通りで、硬い羽毛でも同じだろう。十分な空間があるはずだ。空気の層がないと卵は温まらないから。
潜り込んで盗むのは得意だ。できないことじゃない。慣れたもんさとは言わなかったが、ゾリントンは具体的に、
「でもコインは何個いるんだ? おれそんなにコインないよ」
「そんな何個も取らないし、何回もやらないよ」と、手はずを想像してるけるベエ。
「コインはたくさん持ってるぞ。おれのを出すぞ。でもデカい卵だぞ、一個で十分だぞ」欲張らないコモコモは目方でなく卵の価値をわかっているのか。
「うむ、一個でよかろう」
「三人で卵一個かい?」と、ゾリントンが確認した。
「いくらでも入る袋を持ってるコモコモがそう言うんだから、一個でいいのでは」
「じゃあ、コインはおれのを使おう」ポケットからなけなしのコインを取り出すゾリントン。二枚あった。
「おれのをやるぞ」
「うん、わかってるよ、いつも拾ってるし袋にはいくらでも入るしな。でも、まだおれルートスペルやってない。おれも使えるのか試したいんだ」
「疑ってるのか?」これはすでに撃ってるけるベエ。
「いや、基本なのはわかってる。おれにとって珍しいってだけさ」アノニマスとは実効性だが、貨幣とは信用だから小銭かどうかではないのだった。
そして経験値だ。レベルを上げれば、アニキとは関係なくオフショアーも割り勘できるようになるかもしれない、と思ってるのは内緒だ。
「また囮はわしか?」
「お願いしまーす」
「いや、コモコモも囮を頼むよ」と言って、ゾリントンは自分のコインを渡した。
「わかったぞ、じゃあこれ」
「いやいいよ、あと一枚くらいは残してる」
「遠慮なんかするもんじゃないんだぞ」などと親戚のおじさんみたいな会話もありつつ、
「やっぱり心配だぞ、おれも巣に飛び込んで二個目は保険でどうなんだぞ?」と最初にもどったりして、
「巣の中で鉢合わせするとややこしいぜ。事故になる。卵は一個でよかったんだろ」
今回は気を引くだけでいい。おびき出すのは無理だろう。きっと乗ってこない。だから、ヒットアンドアウェイでいけるはず。こっちから攻撃したり倒す必要はない。とにかく巣の中に飛び込む隙を作ってくれればいい。相談はまとまった。
森の中からけるベエとコモコモがまず歩み出た。巣の中のアーマー鳥はすぐにそのふたりに注意を向ける。
ゾリントンはふたりとは別方向に遅れて進んだ。まだ森の中に身を隠したままでタイミングを見図ろうとする。
けるベエが巣に近づいた。
すかさず長い首が上方から攻撃してくる。
けるベエは足元に「ウッシャー」で、あらぬ方向に飛んでよける。吹き飛んで、地面を転がりながら受け身を取りダメージを軽減する。ここは撹乱だからランダムに飛んで逃げていい。コモコモとも息は合わなくていいが、大丈夫なんだろうか。
一方、コモコモもまた別の角度から巣に近づいた。まだ巨鳥はけるベエに気を取られている。コインを巣の中に投げ入れた。巣は太い木材や枝が積み上げられているので、人から見るともぐりこめるだけの隙間は空いているし、巣の中をのぞき見ることもできた。
コモコモは巨鳥に気付かれる前に後ろに下がる。ゾリントンのほうへ手のひらを広げて見せる。
卵は5個もあるのか。ゾリントンも行動開始だ。だが、まだ巣には近づかない。まだ森からは出ないでその端っこで位置を変えるだけだ。
ゴロゴロと転がった勢いを殺さないですっくと立ちあがったけるベエは、次にもっと大胆に接近した。
狙い澄ますためか、射程を計っているのか、巨鳥は今度はじっと見つめるだけ。首を直立させ燃えるような目で小さな剣士を凝視している。
動かない巨鳥に対し、大胆さを増すようにさらに前に出るけるベエ。
巨鳥は首をまったく動かさないまま、つまり後ろに一旦引いて勢いをつける予備動作なしで、くちばしを振り下ろしてきた。
だが、けるベエはコインを落とし、同時に風の魔法で宙に飛んでいた。巨鳥は一撃目を途中で止め、すばやく首を引き、空中のけるベエを狙って第二撃。
けるベエは進行方向へコインを投げ、土の初級魔法「ドッスーン」をすかさず唱える。ほとんど同時にさらにルートスペル「オンショアー」
空中に土の壁が現れた。空中に浮かぶ板のようなそれを蹴って空中ターン。ピンボールの玉のようにけるベエは一八〇度方向を転じた。
巨鳥の攻撃は、けるベエの一発目のジャンプを見越して狙いつけていたので土壁の向こうで空振りした。巨鳥はぱらぱらと落ちていく小さな土のかたまりをチラッと見たが、急ブレーキをかけたように頭を構えなおし、そこからまたけるベエを追おうとする。
そのときにはけるベエはまたコインを前方に投げ、それを踏むようにして今度は「ウッシャー」で加速する。追いすがるようにくちばしが襲ってきたが、まさに飛ぶように逃げてけるベエは追撃をも置き去りにした。
もう応用してるな……ゾリントンは感心した。ルートスペルは風の魔法に限らず発動するようだが、一回ずつコイン投げるのがめんどくさいな。さっきの二段ジャンプのとき二枚のコイン使って発動したのは一発だけだったから、レベルが足りないのかな、連鎖しないってのは。あのとき飛んでっただけだったもう一枚はコモコモはひろってたっけ?
もちろん、卵について、巣の中について、自分のやるべきことについても考える。
あいつは座り込んでるし、ケツのほうなら自分の身体で死角を作ることになる。囮は二人でなかなかの暴れっぷりだ。たぶん気付かれずに近寄れるはず。
さっきの一羽めのとき、けるベエはホップステップの二段ジャンプまではうまく行って、二発目のジャンプのあとの攻撃、これがダメだった。効かなかった。
今は、ホップ、ターン《土の魔法》、アクセル《風の魔法で横にジャンプ》といったところか。
なるほどね。戦士や剣士は魔法が使えない設定も多いが、でも戦闘能力から魔法を除外してるのがそもそも変だし。分業というより差別だ。魔法を出すことができる剣や杖や、道具があって、しかもそれは銭でも買えるのに。
これから、卵をいただいてコインを出す間も惜しんで連鎖を一発、それで巣からおれは飛び出るんだが……そのあとにももう一発準備しとくか。巣の外だからってコインを出してその都度に魔法を撃ちながらよりも、オフショアーを出しておいて、コインの二発目を巣の外に設置しておく。巣は高さもデカさもあるし、ふわっと山なりに飛び出したら狙われやすそうだし、そこから用意しておいたコインで一気に加速して逃げる。
おれも土の魔法は知ってる。初級の五大魔法はだいたい学校で覚えるしアニキにもいろいろ教わった。でも、狭い巣の中では土の魔法のああいう使い方は無理そうだし。元々の効果の地面から生える盾は役に立つかな、用意しといてもいいかな。あとは火の魔法も知ってるが、これは役に立ちそうもない。
念のためコインも余分に握っとくか。さっきコモコモは気前よく分けてくれていた。
よし、行くか。
囮のふたりは連携してるのかしてないのか、武器を持ったほうもそうでないほうもまんべんなく狙われている。とにかくアーマー鳥の気を引くことには成功していた。
ゾリントンは姿勢を低くして森を出て、巣の後方へ遠回りに接近していった。
しかし、そこに二匹目のアーマー鳥が現れた。
カマキリをくわえている。デカいカマキリだったが餌としてのサイズ感は違和感なし、などとのんきに考えてるひまはなかった。
巨鳥は運んできたカマキリをかなぐり捨てて、迫ってくる。
さっきのあいつだ、たぶん。頭のアホ毛のような白い羽根が三本。こいつら、つがいだったのか。
巣から遠ざかるように逃げるゾリントンを、しかし毛が三本の巨鳥は追ってこない。巣のそばから離れない。卵を温めているアホ毛がふさふさのほうを見て、さらに巣の周りを走り回ってるけるベエとコモコモを見つけると、そちらへゆっくりと大股に歩いて行った。
ゾリントンはもう一度巣に近づこうとした。しかし、今度は巣の中のふさふさの巨鳥の攻撃が飛んでくる。また、後ろに下がる。攻撃をよけるのはできる、しかし、それは追い討ちがないからだ。
囮の二人にはアホ毛三本のほうが担当のようになって追い回していた。しかし、それもどちらかを深追いしたりはしない。
二羽とも巣から離れない。
ディフェンスに徹している。アホ毛三本は巣を守り、巣の中のアーマー鳥は……いや、そんな順繰りや分担じゃない。卵を二羽で守っているのだ。
けるベエとコモコモが巣に近寄ろうとするとアホ毛三本が寄ってくる。混乱させようと二手に分かれても、アホ毛三本は巣に近いほうだけを見て、巣を離れずに丸い軌道で移動した。届くとみると長い首を活かしての牽制の攻撃。そうして、ひとりに巣から距離を取らせると、もう一方へと丸い巣の弧の通りにまた移動。つまりパトロールだ。その間にも近寄ろうとすれば、巣の中の巨鳥がやはり長い首のリーチで襲ってくる。
警戒は厳重で、三人は巣の回りをうろうろするばかり。目的はひとりを除いてアーマー鳥ではなかったのに、自分たちが牽制され誘導されて、まるで遊園地の子供向けの車のアトラクションでハンドルを回したりできるのに乗ってるライドは実は決まったコースを回ってるだけみたいな……周回の途中で集まったところで、誰も何も言わなかったが小さな森まで揃って後退した。
それを見届けたように、巨鳥の一羽はさっきまでくわえていたカマキリをひろってきた。巣にうずくまるふさふさのほうに与えている。鎌の部分は硬いのも関係ないのか、もらったふさふさのほうはくちばしを上に向けて餌を頭から丸呑みした。長い首がぐびぐびって音を鳴らしそうに激しく動いていた。食べ終わると、
「ボエ~」と鳴いた。今は別に腹は立たない。
「とりあえず座ろうぜ」森の中で突っ立ったまま二羽のやり取りを見ていた三人だったが、ゾリントンがうながしてちょうどいいところに苔むした丸太が転がっていたので並んで腰かけた。
「なんかいいもんみせられちゃったなあ」ゾリントンがしみじみと言った。
「卵、卵」コモコモはまだ未練たっぷりで、
「うるせえよ、2個欲しかったんか」
「卵、卵、卵」
「まあ5個もあるの見たら無理もないけど、アーマー鳥も二羽になっておったぞ」と、落ち着いた声でけるベエが言った。
「アーマー、アーマー」
「おまえはダスティン・ホフマンか」
「いかにも。子供をイノセントに描きすぎだ。物語的には必須でも個としてはいてもいなくてもいいような存在にすぎん。そう欲しがるでない」
「だったらしょうがないぞ、これで我慢するんだぞ」
コモコモはなにやら白い大きな物体を自分のずた袋から取り出した。もぞもぞ動いている。
「なんだそりゃ」おどろくゾリントン。
「鳥の巣の材料には木の枝も使われててその葉っぱを食べる虫もいるんだぞ。これはチョウチョの幼虫だぞ」
「……それ、喰うの?」
「わしの土地でも昆虫食はあるぞ、こんなデカいのではなくてもっと小さい茶色い……」
「うえ~」
「なんだ、アーマー鳥の親戚みたいな声出して」
「アーマー鳥もこいつをエサにしてるんだぞ。たぶん飼ってるんだぞ」
ゾリントンにしてはその貴重な情報を聞き逃して、顔をゆがめたまま、
「これを喰うって、卵からずいぶんと格下げじゃねえか?」
「そんなことないぞ、芋虫はおいしいぞ」
「わしの田舎では佃煮にしてたな、しょうゆで煮込んで、でもちょっと硬いんだ。芋みたいな味はしないな」
「芋みたいな味はしないぞ、こいつは焼くんだぞ、ねっとりしてうまいんだぞ」
「芋みたいな味であってほしいよ」切実なゾリントンの声だった。
「焼くとねっとりするってことは、煮るとほくほくになるかもしれんな、それこそ芋みたいに」
そう言えばドラゴンの肉が実はドラゴンではないとわかった途端に興味を失ったみたいに、けるベエは味にうるさいやつのようで、しかし今話してるのは虫のことなんだが。ゾリントンはつらつら思っていた。
「うえ~」とまた言って、お尻をむずむずさせる。いや、むずむずする。
「そう気持ち悪がるな、わしまで虫を嫌がるほうにつかせようとするな、尻をつつくな」
「そうだぞ、尻にさわるな、そんなことしてもこいつはもって帰るぞ、だいじな食料だぞ」
「いや、ケツなんかさわってねえよ、持って帰るのは勝手だよ、ただ喰うのかと思ったら……」
「尻をさわってないとな?」
「じゃあ誰だぞ?」
「さっきから思っておったが、この丸太、色がおかしいの。ドラゴンもどきもいる変わった島だからそんなものかとも思ったが……」
「さっきまでおれたちはアーマー鳥の巣を見ながら話してたんだよな。巣に使われてる葉っぱを喰ってる幼虫だって説明されたよな、巣を見ながら。今、おれの目の前に木があって、巣は見えないんだよな……」」
「そうだぞ、虫の食べる種類の枝をわざと巣に使ってるんだぞ。エサになる虫がついてるだけじゃなくて集まるって仕掛けなんだぞ」
「ほう」とゾリントンはアゴをなでて「飼育とは違うか、でも飼ってるみたいなもんか」
「そうなんだぞ」コモコモは深くうなずいた。
「いやいや、虫だってそうなめたもんじゃないんだよ、例えば葉切り蟻ってのがいてな、その名の通り葉っぱを小さく切って巣に運ぶんだよ、小さくと言っても自分の身体よりは大きくて、行列になるとまるで緑の帆を立てた小さなヨットの一列縦隊みたいになってな。そんで巣の中で葉っぱを貯めてキノコを植え付ける。葉っぱを肥料にして育てるわけだ、キノコを。そのあとも葉っぱを運び続けて巣の中で自前で餌を供給し続けられるようにしている。こうなるともう立派な農業だね」
「ほうほう」と、目を輝かせるコモコモは、これだってすごいんだぞと言わんばかりに芋虫を両手でもって差し出す。
芋虫と顔とは十分に距離はあったのだがちょっとのけぞって片手を丸太についたゾリントンは、もう一方の手を顔の前に出して芋虫をさえぎるような突き放すような動きをした。が、急にゾリントンの顔色が変わった。
丸太についた手のその感触、その手触り……ごつごつしてるのはまあ当たり前だ、樹の表面だ、樹皮は硬いしところどころ枝が折れた跡や節もあるし割けたりもしている。つまり不規則な表面になっているはずだ。だが、この手触り……規則性のある小さな凹凸だ。
たとえて言うと、そう……まるでウロコのような並び方。
「蟻の話はともかくケツをさわるなって」けるベエが話を戻すように言った。
「どうやって?」と、ゾリントンに言われると、なるほどコモコモは両手で芋虫を持ってて、それをよけようとするゾリントンは片手はのけぞった上半身を支えるように丸太に付き、もう片方はいやいやをするような動きと共に芋虫の前にあった。
「では、誰じゃ? わしの尻を……」
「蛇だ!!」叫んだのはコモコモだった。三人とも急いで立ちあがる。左右を見る。子供が横断歩道をわたろうとしてるのではない。どっちが蛇の頭かわからなかったからだ。
三人の右手ですでに蛇は大きく鎌首をもたげ、チロチロと舌なめずりをしていた。胴が丸太のサイズだけあって、頭も平べったいがデカい。出たり入ったりする赤い舌がやはりデカくて、舌というよりもっとその下の内臓までが飛び出してくるようなキモイ迫力があった。大蛇だった。
「動くな!!」ゾリントンが鋭く言った。「爬虫類は動くものに反応して襲ってくる。じっとしてろ」
うなずいたコモコモはその首の動きで蛇ににらまれて、あっと思ったがそこは我慢してじっとしていた。
けるベエは「動くな」と言われた時には、刀の柄のすぐ前方まで右手を持って行っていて左手は鯉口を切っていた。その若干かがんだ姿勢のまま静止した。もう技を出す体勢に入っていて、いつでも繰り出す自信はあった。
ゾリントンはというと、巣の中へ飛び込むときの用意に両のこぶしに握っていたコインをことを思い出していた。
こいつで魔法を放つ。そして飛んで逃げる? 三人で? 両手のコインで? もう一枚ポケットから出すアクションがあることを考えれば、それより口頭で単に火の魔法を出すほうが、蛇には……しかし、火の魔法の消費MPは大きい。MPがどれだけ残ってるか。それをコイン二枚に、もしかすると三枚に……。逃げるだけなら自分とコモコモが使うことになるが、また囮はけるベエか……風の魔法から考えても、けるベエはおれより消費MPはデカいだろう。今日はもう何発も撃ってるし、残ってるのか、まだコインあるのか。けるベエには自力でなんとかしてもらうか。剣を構えているが、しかし、この蛇までアーマーのような体表だったら……。ウロコだし、手触りからは肉の柔らかさはあったと思ったが、弾力があってもまずいだろうし、いや蛇の胴体のどこを狙うんだろう? 蛇の弱点、急所? 手足がないのは長所か?
そのとき、けるベエが小さくつぶやいた。
「下を見ろ」
下? なんだろう、逃げるときに気をつけるべき……。
「腹がふくらんでる」
言われてみれば、蛇は首を縦に伸ばしておっ立てているが、そのちょっと下辺りはぽっこりと丸くふくらんでいた。そこを見てたら丸太に間違えようはなかったろう。
「何か喰っておるな。このまま下がれば、わしたちまで喰おうとはしないのではないか」
「腹いっぱいならもう喰わないぞ。でも丸くふくらんでるぞ」
「卵を喰ったと思うのか。もうあきらめろ」
「んにゃ~」コモコモは不満の声をもらしたが、
「いま猫は関係ないぞ。そもそも卵じゃないかもしれない。丸い太った動物かもしれない。それに今日はだいぶ働いたからな。この辺にしといてやろう」
「椅子の代わりにしてたおれたちが悪いんだし」と、ゾリントンが付け加えた。コモコモはしぶしぶ納得した。
コモコモは芋虫を前に出して、食べたいならどうぞという姿勢でそろそろと後退した。
どういう念押ししてんだよ?とゾリントンは思ったが、自分にやられるかもしれないから黙っていた。大蛇は舌をチロチロさせていたが、動かなかった。ふたりも続いてゆっくりと後ずさりした。三人は無事に森を出た。
それからコモコモを先頭に、砂浜まで戻った。イシブミがあった道筋とは別、森には入らずに草地に細くつづく踏み固められところどころ土が露わになったけもの道のような跡をたどり、海岸へ出た。けるベエたちの乗った船が着いた場所からはだいぶ離れた位置だった。さらに海岸に沿って進むとまただんだんと草が生えだして、さらに進むと小川が海へ流れて込んでいた。そばには二本の木の枝に布を斜めにかけただけのテントが張ってあった。たき火の跡もあって鍋やら何やら置いたままになっていた。
これを放っといて出掛けたのか?とゾリントンは思ったが、何でも入る袋があれば何でも補充できるし、どうでもいいのか?
「テントに柱を増やして四本にするぞ。そしたらみんな入るぞ」
と、キャンプに着いていきなりコモコモの的確な対応。
「まずメシにしよう。みんな頑張ったからのう。ドラゴンは強かったなあ……」
と、けるベエはたぶんほっとして、冗談を言っているのだろう。
「じゃあ火をおこして今日の獲物を焼く準備と、あとは野菜のスープも作るぞ」
「獲物? なんだいそれ。野菜? スープ? ありがたいが、今日獲れたのはトンボの羽根とあとは……」あまり大きくない声でゾリントンが言った。
「スープの分はこの中だぞ」自分のずた袋をぽんぽんと叩くコモコモ。
「ふうん」野菜のスープがあるのはありがたい。ゾリントンは「じゃあおれは薪拾いでもするか」と自分から言った。
「火をおこすのと、野菜を切るのと、テントに分かれてやってくぞ」
「火は魔法を使うのか?」
「マッチあるぞ」
ルートスペルのことはメシを喰いながらでも聞こうとゾリントンは思った。
「ならすぐできるな。じゃあ、野菜切るのはけるベエで、おれがテントをやるか」
「いやいや、テントをわしがやろう、ゾリントンは料理をやってくれい」
「いや、刃物はおまえの得意分野だろう、やっててくれよ。テントは力仕事ったっておれにもできらあ」
「そういうことではなくてな、やっとうはやるが他はからきしだ。料理なんぞしたことない」
「そう言えば東の戦士の国って、男は完全な戦士で戦い以外なんもしないんだよな、なんだっけ武士は食わねど法隆寺だっけ?」
「いろいろ間違ってるが、わしが苦手なのだ」
「ええ? だって戦いではルートスペルの応用も自在だったし、やってみりゃいいじゃん、なんでもさ」ゾリントンは料理をしないわけではなかった。アニキが放っておくと何にも食べないような人だったからだ。それでも、ゾリントンが何なりと作ると文句を言いながらでも何でもサグサスは食べるので、うまいかまずいかはともかく料理はしていた。孤児のわりに、と同等には言いがたかったが。本当にやりたいのは、食材の運び屋、アニキと一緒の仕事のほうだった。
「テントの枝と薪と、あとでっかい葉っぱも頼むぞ。青い、水分のあるやつだぞ」虫もデカいし、葉っぱもあるだろう。
鍋も、五徳……五大魔法とは微妙にかぶってないが魔法にも比肩する便利さ……も小川に持って行って洗ってきた。ずた袋から出したフライパンも。コモコモはてきぱきと仕事を進めていた。
「ボーボ!!」コモコモの火の魔法。両手の間に小さな火種が灯り、それを薪に移した。マッチは出てこなかったらしい。だが、あの鼻毛が燃えそうな呪文はルートスペルじゃなさそうだとけるベエも思った。
火の上を渡した金属の五徳に深めのフライパンをのせて温め、となりに鍋も空のまま置いた。
コの字の金属の道具はそういうものか。鍋を吊って湯を沸かすには低すぎると思っていたけるベエだったが、そもそも、あのコの字の縦棒の部分、火の当たるところが鉄板になってたら上で肉が焼けるのに。いわゆるバーベキュー。子供でもできるし、子供はそっちが好きだ。わざわざ鍋や釜を使うのだな。
「まずこれ。干し肉を小さく切って鍋に入れるんだぞ。それ炒めてから水を入れれば出汁が出るから。そのあとこっちな。野菜は適当に切っていいぞ」
出汁の文化は、温泉と同様、東の戦士の国から持ち込まれ普及したものだった。
もうゾリントンは森のほうへ行ってしまっていた。
「包丁あるぞ」
コモコモが取り出した四角い刃の包丁は大きすぎる、扱いづらそうと思ったけるベエはそれを断った。テントの下の自分の荷物に傾けておいた刀の鞘の、差すと身体側にくる部分に仕込まれた小柄を取り出した。それは細い小刀で、武器にもなるがさまざまな雑用に使う。
「こっちでやってみる」
「まあ専門家だろうけども、大きいほうがやりやすいんだぞ」
そう言われても理屈に合わないし、自分なりにやってみることにしたけるベエは野菜を手に取る。でっかいざるの上に並ぶ妙に形の揃った根菜。いびつで不揃いな物しか知らないけるベエが訝しむのも無理はない。そもそも、もったいないの精神とは正味の話だったはずだ。それが見栄えだけの規格品を並べさらに本数を揃えるために大きさはチンバになっても同じ袋に詰め込む。そんなことするような国はどこにあって、いつから始めたのか、和魂洋才の鹿鳴館か、名誉白人になりたかった敗戦後か、はたまた黒船からか。
……などとは考えないで、けるベエも作業にいそしむ。ざるに小柄ものせて小川へ持って行く。川には大きな岩も転がっていて、その中には一部が不自然にスパッと切れて、きれいな平面になっているものもあった。戦場での魔法のとばっちり、副次的な効果だろう。上流の戦場から流されてきたのだろう。都合よく、ここではまな板代わりになった。
ニンニクはわかる。これは刻むんだな。ニンジン、ジャガイモ……に、芋虫。どーんとデカい白い楕円の物体が野菜の真ん中に主役のように鎮座していた。その表面には間隔を置いて凹みになった筋目がある。ここから切れと言ってるみたいな。
「芋虫は焼いてから切るんだぞ、そのままだと中身が出て大変だぞ」遠くから呼びかけるようにコモコモが言う。
いやなことを聞いてしまった。そんな表情を見て、
「ねっとりしてうまいぞ。スープでは肉みたいになるけど、蒸し焼きにするとオムレツみたいトロッとするんだぞ」
「あんまりうまそうに思えん。オムレツってモヤシとか入ってる卵焼きであろう」
「何にも入ってないぞ。トロッと卵が半熟になるだけだぞ」
「半熟とな。これはしたり。知らなかったぞ」
「玉子ご飯が一番だぞ。でも、うまくできたオムレツもあなどれないぞ」ふんふんと、うなづくけるベエ。
火を付け終えたコモコモは、袋から次々に芋虫を出して並べている。
いつの間にそんなに獲ってたのか。アーマー鳥も悔しかろう。蒸し焼きをそっちの芋虫でやるのか、ゾリントンがいないうちに?
「切ったぞ、では炒めよう」
「ほんとに適当に切ってるぞ。硬いものは小さめに、やわらかいものは大きく切ってもいいんだぞ、火が通りやすいから」
なるほど、それはわかりやすい。ということで、やわらかい材料は時間をおいて遅れて投入することにして、まず干し肉から炒める。
鍋を示すので、
「鍋でスープ? 鍋で米は炊かないのか?」
「卵がないんだぞ。卵ご飯できないぞ」コモコモはおごそかに言った。
「それは確かに残念だが、しかしご飯なしでは主食がないことになる」
「スープに野菜たっぷり入ってるぞ。それでいいだろ。主菜は芋虫だぞ」
「米も野菜というならそれでいいが、スープに味が付いておろう。汁もたっぷりだしなあ」と、白飯にふりかけをかけたがる年齢にしては意外なことを言う。
「そんなに言うならスープは水を少なくして炊いていいぞ。あっさりさせたいなら、酒だけにするぞ」
この場合のスープにたっぷり入れて煮汁にするのではなく食材の臭みを取り味をまとめるためのアルコールとは、すなわち清酒であった。その発祥は東の……。
「酒まであるのか。それは祝着。呑みたいけども、今日はやめとくかな」アルコール度数が高いゆえ、料理に用いるとそれが蒸発するときに臭いも一緒に飛ばしてくれるのである。そもそも東の戦士の国でも、新年の祝いなどでないと子供には飲ませない。
「うん。ほかにも果実酒だって蒸留酒だってなんだってあるぞ。札があるから炭酸水も作れるし割れるぞ」
「なに? 祝着至極じゃ」
アル中ではなく、子供のコレクション癖で集まった結果だろう。こんなに揃ったのは。
炭酸と聞いて喜ぶのはいかにもの年ごろ。果実のリキュールを炭酸水で割ると、強くもなくて甘くて、子供でものどが痛いなんてこともなくて飲みやすくなる。ハレの日、つまり家族みんなで飲める祝い事に相応しいものとなる。
さらに、炭酸を吹き込む魔法であるが、この風と水の合体魔法だけは札になって広く王国じゅう普及していた。そして、妙に高値で安定していた。割り材で作るのは庶民で、あるいは子供なので値動きなど顧みられないのか。醸造酒でまでやるのは、発酵によって泡が生じる種類を飲んでいる人たちには論外だったからだろうか。それぞれの初級魔法で実現できるので、札の扱いは粉のジュースの類いに近かった。それこそ子供でもできると思われていたが、実際にはむずかしかったので、値崩れはしないのだった。コモコモがどこで手に入れたのか? それはのちのちの話として……。
子供のコモコモは、お楽しみだぞ、という顔でずた袋から大きな陶器の瓶を取り出す。袖や腰の辺りからいろいろなものを出現させる奇術師さながらだ。顔に注意を向けさせるのも。さらに木の椀も三つ取り出した。一個取り出すたびに、つぶらな瞳がつややかな小さな果実のように光った。そして、例の炭酸の札もよれよれだが、数枚。
……光の魔法が浄化なら、水の魔法と合わせて、ここで真水にする効果を語るべきかもしれない。そうなると聖水になる。聖水ではゾンビの息の根を止めそうである。そのような死にぞこないではなく、生きるために必要とされる数字のマイナスを記号や抽象ではなく実体化した存在として、異世界ではない他の世界ではマイナス=死の選択もありうるが、そうではない生き方を描こうとしている。この時点では、まだ詳しく言及されていませんが。例えば、爛柯の伝説。いわゆるウラシマ効果であるが、見舞われた者にはある種の絶望であろう。時間がインフレしている異世界から帰ったあとの悲劇。これをバトル物の敵のインフレになぞらえることで、時間も金銭もどちらもリアルタイムに定め直そうとする目論見。よって、ここではきれいな水が流れる小川のそばの話で済まして続きます。
コモコモは酒瓶の木の栓をキュッと外すと、まず二つの茶碗にとくとくとくと注ぐ。甘い匂い。ぶどう酒にも思えるが、炭酸で割るなら違うか。梅酒ならもっと甘ったるくて、色も琥珀を深くしたみたいになる。
「シュワワワ~」札が一枚、泡のようにかき消えた。
「そんな呪文かえ。でも感じは出てるな」
とりあえず、乾杯だ。が、ごちゃごちゃ言ってた割に、けるベエはひと口ずつ、少しずつしか飲めない。
「そんなんでよく酒あってうれしいなんて言ったもんだぞ」
「いや、うれしいぞ。自分のペースでやりたいだけで、酒は好きである」
「炭酸も苦手なんだぞ」
「のどを通るとき、いろんなやつが一緒にお邪魔するみたいだろ。そいつらが居座るみたいにあとを引くから時間かかるだけで好きなんだぞ」言いわけなのか何なのか、そんな言い草だった。
「子供かよ」言いながらコモコモは酒を少なめにしてゾリントンの分も作ってやる。「シュワワワ~ン」炭酸はけるベエがかって出て吹き込んだ。
おりよくそこへ、ゾリントンが木の枝を脇に抱え、大きな緑の葉っぱを肩にかついで戻ってきた。どさりと荷物を置いて、
「おいおい、もうやってるのかよ」茶碗が三つあるのを見て、それ以上の言葉は飲み込む。
「スープを煮込んでるからしばらく時間かかるぞ。あとは……」そこで言葉を区切ってコモコモは、
「テントをやってしまうぞ、おまえら頼むぞ」勢いよく立ち上がった。
「でも、だいぶ日も暮れたけど暖かいし、その辺で雑魚寝でもいいような気がするが」杯をなめるように呑みながら、けるベエが言う。
「夜は冷えるぞ。その分、スープも酒がうまくなるけども」
なるほど、たき火はそっちの意味もあったか。けるベエも茶碗を置いて作業にかかった。
ふたりにテントの設営は任せて、コモコモは、ゾリントンが取ってきた大きな葉っぱに芋虫を一匹ずつ乗せ、ニンニクやハーブを散らし酒を振ると一個ずつくるんで、それらをフライパンいっぱいに並べて、さらに全体を葉っぱで覆って上からふたをする。火にかける。ついでにスープの味見をする。先にいれた干し肉の味がよく出ていた。いびつで不揃いな野菜が、早々に崩れ始めたりもしてたがとろみを加えてくれたりいろんな歯ごたえになっていいだろう。
太い四本の枝をぐりぐり砂地に刺して柱にして、斜めになってた布の石をどけて天幕として張って、テントの拡張はすぐに完成した。ちょっとフラフラしてるけるベエは、倒れそうになる柱にその辺の石を集めてきて根元を固めて補強する役目を果たした。ゾリントンは、あの大きな葉っぱは並べて布団の代わりにすると思っていた。そのくらいデカいのを探して持ってきた。でもまあ、自分はジャンバーを敷けばそれでいいし。けるベエはだいぶご機嫌だし。この天井の布がもう一枚あれば、三人でも余るし。
「できたぞ!!」コモコモが大きな声で呼ぶ。
三人はたき火の回りに集まった。適当な岩を転がしてきてめいめい座る。
コモコモが、木の皿にスープをよそって配る。ずた袋が砂の上にあって、スプーンやら箸やらこれも木の皿に置いてあった。
「やれやれ」ため息まじりのそれではなく、喰え喰え、皿を持ったやつから、の意のコモコモの推奨であった。
「味噌汁ならもっとよかったなあ」もういい気持ちのけるベエはそんな軽口を叩く。
「なんだそれ? 知らないぞ」
「わしの国の料理じゃ。発酵させた調味料での、麦や豆から作るのだがうまみがとても強い。米からも作る、あと、しょっぱい」
「ふうん、でも、今日のメインは芋虫だぞ、うまいぞ。頭は取って、胴を喰うんだぞ」
「ドラゴンから横取りした獲物だ。ゾリントンも喰え、飲め」けるベエはカトラリーの中から肥後守のような小さなナイフを渡してやる。
「いやいいよ、おれはこのシチューで十分だよ。脂身みたいな白いのも入ってるし野菜もいっぱいだし、一皿で十分さ」
「その白いのが芋虫だぞ。うまいだろ」
「……うまいよ、うまかったよ。聞くまではな……」
「じゃあ、酒を飲め」
「ああ確かに呑みたい気分だが、おれはいいや」
「なんだ呑めないのか、シロップと炭酸で気分だけでも付き合え」ちびちび飲んでるけるベエの台詞ではなかったので当然、
「酒は飲めるさ、いつも晩飯は果実酒さ、ライトボディばっかだけど。でも今日はいいんだよ」その言いわけはけるベエの頭には入って来ないようで、
「子供だしなあ」
「おまえ出来上がるの早すぎ。スープの野菜はばらばらに切り過ぎ。大きく切ったのは硬すぎで小さいのは溶けてるぞ」ゾリントンはでっかいかけらのニンジンをスプーンにのせて口を尖らせた。そして、けるベエの茶碗に自分の分の酒を移すと、ただの水が入った瓶を取り茶碗に注いだ。それが透明で清潔な冷たい水なのは前述の理由による。
そんなふたりをよそに、コモコモはメインに取り掛かっていた。フライパンから葉っぱにくるまれたそれのひとつをまっ平らな石の台に移した。葉っぱを外すと中から湯気が上がる。芋虫は白い大きなままで、いい香りをまとって寝転がっていた。包丁で、胴の筋目に沿って切り分けていく。また湯気が上がって、また違った草の香りがただよう。中身も白くて半分固まって、しかし弾力もあって、ちょうどよい火の通り加減。一切れを皿にのせると、白くて丸いクリームたっぷりのケーキのようで見た目はかわいらしいのだった。
「うまい。なぜだ」さっそく口に運んだけるベエは、ため息のように言った。なんだかんだ箸が進んでいた。
ゾリントンも思い切って丸い外周にナイフを入れた。手ごたえは肉だ。スープに入ってたのも肉と思ったんだった。小さく切ってひと口。
じっと見ている二人に、
「うん、味はいいんだよ。スープもうまかったし。でも肉だな、そのままの形のほうが別もんって感じするのが変だが、でも、そうなると肉でいいな、うん」
「強かったな、あいつ」けるベエはドラゴンの話がしたい。コモコモは黙々と喰っていた。
「よく向かっていけるよな、初めて見たんだろ」
「その前に食べてたしな、ひと口だけど」
「ドラゴンの肉だと思ってたんだろ」
「まあそうだが、でも鳥だし」
「そうだぞ、鳥だぞ卵だぞ。あしたはおれもやるぞ。今日は転がってばっかりだったぞ」
「いや、それでルートスペルのことを知れたし、わしも使えたしな。わしもやるぞ」
「おれだぞ、やるのは」
「まあまあ。コモコモは料理担当としても十分やってくれてるぜ」
「そうだろ、おまえも呑め」
「いや、酒はいいって、今日はおれもほとんど転がってるだけだったし」
「うふふふ」コモコモは酒を水のように飲んでいたが、酔ってる様子はない。変な笑い方はしてても。
「二羽になるとさすがに難しくなるから、巣じゃなくて原っぱで一匹は倒したいな」
けるベエはやっぱりその気らしい。
「なんか作戦あるのか?」
「おれはあるぞ」コモコモが張り切って言った。だが、みんな無視して、
「落とし穴が掘れれば簡単だがなあ。あの鳥がはまる穴となると初級魔法では手で掘るのと手間は変わらぬな。レベルが上の札はないし、はてさて……」
「おまえはないんかい」と、ゾリントンはスープを吹き出しそうになって、
「おれはあるんだぞ」ふふんと笑いながら、コモコモ。
「どんな作戦なのか聞かせてくれい」けるベエは笑っていなかった。
「まだ秘密だぞ。あしたのお楽しみだぞ」
「そいつは楽しみだ」
酔ってるな。少なくともけるベエは。
「そう言えば、さっきコモコモ火の魔法使ったよな。あれは訛ってたろ、ルートスペルじゃなかったよな」
「おまえらの風の魔法が訛ってるんだぞ。おれのがバリエーションの元だぞ」
「言い方だろ」
「言い方じゃ」
「おまえらいくつだ? 学校で習っただけの魔法で文句言うんじゃないぞ」
「おれは一〇才だ……おまえこそ何才なんだ?」
「……おれは、十一才だ……」おずおずとコモコモは言った。
「……何年生?」間をおかずゾリントンが訊いた。
「学校行ってない、行ってもしょうがないぞ、いろんな人と会って話をするほうが勉強になるんだぞ」
「出身は?」
「わからないぞ、孤児院を出てからずっとひとりだぞ」
「その孤児院はこの港街にあったのかえ?」
「いや、それはない。おれがこの街の孤児院にいたから、だいたいのやつは知ってる」
「おれも知らないぞ。おれは王都のデッカイ教会のとなりの孤児院にいたんだぞ。そこが最初の記憶だから知らないぞ」
「まあ、おれもそんなもんだ。物心ついたらこの街を走り回ってた」
「転げまわるのも得意であろうし」
「今いる場所を言えば割り勘もできたから、魔法も覚えられたし、教えてもらったんだぞ」
「誰からだ? ルートスペルを使えるって王宮の魔導士か、かなり高レベルの魔法使いだろ」
みなし児だったのを無視して魔法の話ばかりしてることに違和感を覚えたとしたら、それは異世界に毒されている。
戦士の国ことゆえ、戦いに倒れ、残された者が身寄りがなくなるのもしばしばであった。だから、けるベエも見慣れている、孤児がいるのは常識なのではなく、そもそもこの世界は命を粗末にしない。そんなもったいないことはしない。銭に換算しても、それに縛られない数字による供給システムがあるのは、イシブミで見たとおりである。孤児院よりも念の入った救済である。王国による縦のシステムがあり、福祉であり、助け合いという横の連係もあり、銭がマイナスになったとしても代わりに補完する組み合わせは張り巡らされているということである。
社会は分業で成り立っている。そして、世界は五大元素の組み合わせでできている。
戦士は戦いに果敢に挑む。危険をものともしないというより、自分の裁量で命を使っているからできる。
王家は、辺境の兵士を長いキャンペーンに派遣する。使う場所を提供する。
戦いに限らない。が、命を懸ける戦いがもっとも実感することであろう。
子供でも知っている。命を命以外の物差しで計ることは、罪の軽重を罪によって決めるようなものである。正義でも善でもなく。
「知らないぞ、知らない爺さんだったぞ」
「なんで教えてくれたんだ?」
「生きるのに必要だから教えてくれたんだぞ。それは魔法だ、それも基本の魔法だ」
「誰だろう?」
「だから知らないぞ」
「いや、そんな爺さん、噂ですら聞いたことないぜ」
「わしの国では魔法よりもまず剣術だからな。無論、知らぬ」
「風だけ教わったってのは? 風の専門家かな?」
「風だけにいろんなところ飛び回ってるってことか? ならば火のないところに煙は立たずで……」やはり酔ってるらしいけるベエ。
「五大で五つか、そんなジジイが5人もいたら、ひとりぐらい伝説になってそうだよな」
「ふむ、ルートスペルで基本だから、教えたやっても基礎であって、他のレベルアップとは関係ないってことかな?」
「いや、レベルアップや強化も大事だけど、知りたいぞ普通に、基礎魔法。おまえのほうが使うのうまかったじゃん。もっと前に知りたかったろ」
「戦闘でなら使いでがあるが、さっきコモコモの火の魔法は訛ってたし……」
ふたりで侃々諤々。コモコモは黙って見ていた。
すると急にゾリントンが、
「ところでおまえは何才なんだ?」
「一〇才だぞ」
「やっぱりか」
「やはりな」
「今のなしだぞ、やっぱり十一才だぞ」
「ウソじゃウソじゃ、でもよいのだ、わしも一〇才じゃ」
「なんだ、ふたりともか。なら一〇才でいいぞ、おれも」
「なんじゃそれ」けるベエは自分で言わせておきながら、自分がずっこけた。
「人のこと言えないだろ、おまえだって地図はダメ、料理はダメ、酒はダメでへべれけじゃん」
「わしは酔ってはおらん」
「みんな言うんだよ、酔ってるやつは誰でも。アニキもよく言ってる。そう言えば島のどこに行ったんだろな……」
「本当に酔ってはおらんのだ。身体はフラフラするが、頭の芯は醒めておる」
「……それほんとか? アニキも言うんだよ。酔ってないだけじゃなくて体の余計な力が抜けて考えに集中できるって、だから頭は醒めてるんだって。でも普段からフラフラどっかに行っちゃう人だし、どうにも信じられねえ」
「頭の中で考えてることは普段と何も変わりないんじゃ。頭の芯ははっきりしておる。誇大妄想もないしウルトラ右翼に豹変したりしない」
「戦士の国の人はナショナリストに思われがちっていう世間の評価をちゃんと認識してる、忘れてないってことか、酔ってても」
「あしたはどうやってアーマー鳥を倒すかも考えておる」
アニキはいつも詩のことを考えていたな。酔って何かぶつぶつ言ってたのも、うわ言なんかじゃなく……。
「サグサスの気持ちがわかるわ。ちょっと酒でフラフラしただけで……足がもつれると頭までおかしくなるなどと……」
「そっちのフラフラだけじゃないんだよ。すぐどっか行っちまうんだ」
「でもおまえも人のこと言えんぞ、おまえもフラフラこんなところまで来ておるぞ」
「おまえがフラフラ迷子になりそうだったからだろ。それにまずコモコモに言えよ」
「喰ったし、呑んだし、風呂にするぞ」
「え? 風呂まであんのか? どこ? ドラム缶風呂?」
「水で身体を洗うぞ」
「なんだ、そうか」
「わしは海に入ってみようかな」
「海水はベタベタするぞ、真水がいいぞ」
「そうなのか」
というわけで、気分のいい二人とスープで温まったひとりは川へ向かった。
子供たちは裸になって川に入って行った。水は冷たかった。だが子供にはあんまり関係なかった。
夕焼けがさえぎるものの無い空の半分以上を染めて、上体そらしでのけぞって見ないとグラデーションは後方にしかないほどに強烈な赤が広がっていた。でも、子供はそんなことに圧倒はされず、コモコモの浅黒い顔やゾリントンの白い肌がどっちも赤茶色に染まってるくらいのことでしかなかった。
水深は足首までしかない。寝転がって身体のどっちかの面を水に浸した。上流に頭を向けても顔しか濡れないので、両手でじゃぶじゃぶ水をやって頭からかぶった。卵を産む海亀さながら……と、けるベエは比喩を間違う。
コモコモはあぐらをかいている。たっぷり長い黒髪が濡れてぺったんこになって肩にかかって、顔にもかかってすっかり隠れてしまっている。けるベエは言い伝えの妖怪、しかし川にいるのとは違う種類の妖怪を思い浮かべていた。
そのけるベエは、丸っこく見えていた体形が実は筋骨隆々。
一番背が高い、それでも数センチの差だったが、それも目立たなくなるくらいゾリントンはガリガリだった。
「ゾリントン細すぎだろ」
「おまえが鍛えすぎだろ、服の上からはなんかデブってたのにな。そんな筋肉つけたら身長伸びないぞ」
「なに? 鍛えると背伸びないのか?」髪をかき分けてコモコモが訊いた。
「俗説じゃ、非科学的なな。皮膚は鞠みたいな身体に太ってもそれにつれて伸びるし、痩せれば余る。子供の身体は柔らかいが、成長期でも伸びない人はいる。大人になると背は止まるし身体も固くなって柔らかくなるなんて考えられなくなるらしい、やっても見ないくせにな。つまり成長の限界と鍛錬の最低限を混同しておるのだ。毎日やっておれば腕立て伏せも月に三回ずつくらいやれる回数は増えるんじゃ。子供でも一年で四五十回はできるようになる、六年も経つと……」
「ふうん、おまえらチンコは一本?」コモコモが尋ねた。
「同じだよ、一本だ。シッポはある?」と、ゾリントン。
「尾てい骨だけだ」と、けるベエ。
「おれもだ。でも、あとから伸びることもあるんだよな」
「金玉は二個?」コモコモが尋ねた。
「そうだよ、チンコの横に二個」と、けるベエ。
「同じさ」と、ゾリントン。
「サグサスは三つ目があったな」
「三つも?」
「目だよ、三つ目族の話」
「ああ、そうだ、アニキは三つ目族だ。でも、身体は同じだな、目以外」
「チンコも?」
「そうだよ」
アニキはともかく、三人はかわいいし、つるつるだ。それでも子供なりの個体差はあるが、それが実用に際して問題があるのかは、科学よりも俗説が支配していた。変な世界。
三人は小川の中であぐらをかいて座っていた。尻の下の砂を体重がかかっている部分から川の流れが持って行って、海だと波が行ったり来たりして足の裏全体で下の砂を掘っていくようになるが、流れが一定な川では寄せたり返したりがなくて減っていくところだけがどんどん減って、身体がすぐに傾きそうになる。けるベエ以外も、酔ってもいないのに座りながらでもたびたび倒れそうになるのが面白かった。
「コブは? コモコモ……」
コモコモが出っ張ったおなかをポンと叩いた。
「ただ太ってるだけであろう。内臓脂肪はわしにもある。わしもタイプで言えばコブ族になると思うが、脂肪はいらんのだよなあ、長いツノでも生えてくれれば我が流派には二刀流があるからさらに加えて……」
「こいつは饒舌になるタイプの酔っぱらいだぞ」
「それ以上鍛えなくていいんじゃね」ゾリントンは「アニキの鑑定によると、おれはツノがあとから生えてくるかもしれないってさ」アニキの真似を今だけでもしたいのか、濡らした髪を全部後ろに流して、ゾリントンはおでこ全開だった。しげしげと見つめる他の二人には、そこにツノ族の兆候は見つけられなかった。
「いや、コモコモだ。もう生えてきておるぞ」
長い髪が垂れて、はっきりと真ん中に出た分け目の途中、生え際とつむじの中間あたりに、丸みを帯びた小さな突起があった。
「袋角だな。皮をかぶってる。若い鹿の生え始めのツノがそんなふうになるが……」けるベエが両手を頭の横に持っていって指を広げた。枝分かれしたツノ二本を例えながら言った。
「袋に入ってる? これから出てくるのか、袋を破って? それとももう出てるっていうか、このまま長くなって皮が引っ張られて薄くなってピタッとなって、硬いツノになるのかな?」ゾリントンは座ったままずりずりと寄って行ってツノに触ろうとした。ペコリという感じで素直に頭を下げてやるコモコモ。
「ぷにぷにだな。ツノっていうかコブじゃね?」
「コブはぶら下がるものだって、昔話にもあるんだが」けるベエが補足した。
「でもコブ族は誰でも当てはまるらしいからな、アニキに言われたことある」
「さっきからアニキって誰だ? おまえは生えるかもってだけだろ、おれはもうツノ生えてんだぞ。ツノ族とコブ族のハーフってどうやってわかるんだぞ」
「まだ子供だしな」
「だったらツバサが生えてもいいぞ、そっちのほうがいいぞ」
「生まれつきなんてもう決まってるんだからそんな思い通りに行かねえよ。まあ、あのアニキだから調子いいこと言うんだよ。ツノ族は女にモテるって、長いツノからフェロモンてのが出るんだって」
「フェロモンよりドラえもんがいいぞ」
「四次元ポケットと同じようなものを持ってるおるしな。わかるぞ」
「わかってどうするよ。アニキは、まあ、いい人だよ。でも口から生まれてきたって感じだから、三つ目族の鑑定というより思ってること全部言ってしまうってとこかな。その袋角を見ても古いコブ族とか、もしかすると有袋類なんて言うかもしれない」
「ちがいない、ありそうだ」けるベエとゾリントンは顔を見合わせ笑った。
「ツノ族なら土の魔法だな。コモコモの土の初級魔法は?」
ツノから出るわけではないが、ゾリントンは少し尻でずり下がってコモコモの前に空間……川の中にまだ座ったままだが……を開けた。
「出せるぞ、バッスーン!!」
川底から砂の壁が立ち上がる。下敷きくらいの大きさだった。崩れる前から下のほうから砂が水に流されていく。
「ちょっと違うな、おれのはドッスーン!!」これはゾリントン。「バッスーン!!」ルートスペルかどうか、コモコモも知りたくて連発した。二枚の砂の壁ができて、すぐに崩れた。
「合体はしなかったな。わしのもドッスーン!!」「バッスーン!!」
以下同文。
「やっぱりか、同じ結果だ、残念」
「さっきの炭酸は札だったけど、あれは水と風の合体魔法だよな。とりあえず水もやってみようぜ、ザブーン!!」一瞬間を置いて「ザバーン!!」と、コモコモ。
水しぶきが二度上がって、けるベエに二回降りそそいだ。
「……じゃあ、次はわしだ。ドンブラコ!!」「ザバーン!!」
ふたたび上がる水しぶき。今度はゾリントンが頭からかぶった。二回。
「なにそれ、変な呪文」コモコモがめずらしく含み笑い。
「おまえたちの水の術は似てたな、でもルートスペルではなかったか」
「おれとけるベエの土は同じで、おれとコモコモの水は似てて……」
「音が似てるのは共通してるのではないか。オンショアーと、なんとかシャーだから……」
「水の魔法だと、ザバーンにザブーンに……ジャパーンとか?」
「そんな都合よくはいかないんだぞ」
「それもそうか」
「炭酸は札があるからいいんだぞ、水は水が出ればそれだけでいいんだぞ」現実的なのだがよく考えるとわけのわからないことを言うコモコモ。
「土と風の合体魔法とはなんであったか……」
「なんだっけ、砂嵐? どっちも大地の属性で似てるから出やすいかも……ドッスーン!!」「オンショアー!!」
川底の砂が小さな塊りになっていくつも飛んで行く。けるベエのほうへ飛ぶ、つぶて。
けるベエは水の中に倒れながらよけた。
「危ないって」
「土は合成できるのか。じゃあ、火と風は……」
「いや、火は危ないって」
「水の中だからやってみようぜ」
「危ないって!! ドンブラコ!!」「オンショアー!!」
水しぶきは一発だけ上がった。が、まるで北斎のグレートウェーブのように、かぎ爪を持った透明なひと固まりになってゾリントン目がけて襲いかかった。逃げるゾリントンの背中に覆いかぶさるようにぶつかった。ゾリントンはちょっとよろけただけだったが、
「まだ出してねえよ、ドッスーン!!」「オンショアー!!」
つぶて!! よけられない分はけるベエは手ではたき落とした。砂だから痛くはないが、
「火じゃないのかよ!! ドンブラコ!!」「オンショアー!!」
またもグレートウェーブ!! さすがに火の魔法は出さなかった。裸だったし。
「タイミング良すぎだろ!! コモコモ!!」
「ザブーン!!」「ドンブラコ!!」
二方向から水しぶきが上がり、同時にコモコモに降りそそいだ。
「なんか寒くなってきたぞ」もうだいぶ日も暮れていた。海洋性の温暖な島の気候とは言え……
「水の魔法の系列には氷の呪文もあるからな、ルートスペル覚えたからなんか新たな効果が出てるのかも……」
「おれはもうMP空っぽだぞ。戻るぞ」
というわけで、三人は服を着て、たき火の元に戻った。
アルコールで身体を温める人と、スープでそうする人、たき火にあたる人。
ゾリントンはメモ帳を持ってきて、たき火のそばで何やら書き込んでいた。
「そう言えば、父親はいいのか?」ゾリントンがこんなところまで付いてきたのは、父親というものへの興味からでもあった。
「便りのないのは良い便りと言うであろう」
「なんだそれ」
「忙しくしてるから、余計なこと考えてるひまもないってこと」
「戦いだろ、便りがなくなったらヤバいんじゃないの」
「そうなったら連絡はくるだろ、たぶん大丈夫」けるベエはお茶に代わっていた。フライパンは下ろされて、鍋の横にはケトル。平らな岩の上にはポット。けるベエはゆっくりと茶碗からすすっていた。その落ち着きは父というものへの信頼から来るものなのか何なのか、ゾリントンにはわからない。
「でもおまえもよく向かっていけるな」
「ふむ?」
「さっきも言ってたぞ」
「コモコモもそう思うだろ、あんなデカいモンスター初めて見てさ、すぐ走り出すんだもんな、倒そうってよりまず観察するとかさ、あると思うんだけど」
「おれだってすぐ向かって行ったぞ、怖くないぞ」
「鳥だし。鳥が恐竜なんて知らなかったし。それにもう食べてたからな」ゆっくりお茶を飲むけるベエ。
「死ぬの怖くないのか?」
「そんなこと考えてたらサムライなんぞやってられない」
「そういう訓練の結果ってこと?」
「どうせいつか死ぬんだし」
「そうだぞ、死ぬなんて考えたことないぞ」
たぶんアニキがそうで、死ぬなんてまだまだ遠いことというより、起こりそうもないと思ってると思う。いつもフラフラいなくなって、いつの間にか戻ってきてる。でも、消えてそのままいなくなってしまう感じでもない。このふたりとは違うというか、ふたりの間でもだいぶ違うような気がする。
「風邪ひきそうなときとかは? ブルブルってふるえて身体がガクガクってなって歩けない、布団に入っても震えが止まらんってときとか、ああこのまま死ぬんじゃないかって思わないか?」
「大げさじゃのう。風邪をひきそうと自分で言っておるぞ」
「……」コモコモはちょっと首をひねっている。「海で泳いでると潮目の変わる場所があるぞ、急に水が冷たくなるんだぞ、死にそうとは思わないけど、なんか別の世界に行ってしまう気はするぞ」
「そもそも泳げないものにはわからんな、そんな気持ち」
「……おまえ、犬と一緒に泳いで島に渡るとか言ってなかったか?」
「まあ、犬でも泳げるんだから、やればできるであろう」
「どっからそんな自信が出てくるんだろうな? どうせ死ぬからって言ったって、現実に目の前で相手にする段階であのデカイ鳥見たらちょっと考えるだろ。そこまで行けないよ、殺されるかもしれない強そうな相手に。まず泳げないのに海に入ってみようってならないだろう」
「しかし、行かないと始まらないからな。始まらないというより全てが修行と考えるのだ」
「修行をやってるとしてもだよ、一か八かでやるのか?」
「賭けではない。賭けるものは命なんだが、それも軽いものではあるんだが、うん? わしは何を言っとるんだ?」
「復活の呪文は長すぎてダメらしいぞ、昔から言われてるぞ、なにが復活だ、呪文が間違ってた時のダメージのほうが大きいって」
「うむ、でも死ぬときには成仏する呪文をとなえる暇はあるらしいのだ、いくら即死でもそのくらいの間はあるらしい。ゾンビがゆっくりしか動けないのは、その暇と関係あるらしいな」
「成仏ってのもただの御託じゃないのか、それも大昔の」ゾリントンが口をはさんだ。
「死んだことがある人はいない。今も昔もわからんよ」
「そんなの当たり前だぞ、往生しまっせって感じだぞ」
「極楽往生ね、まあいいけど。最近聞かないし、詩の世界だけのテーマになってるけど」
「命懸けで、強さを求めるなら、やるしかない、ということかな」けるベエはまたお茶をすすった。
「そんな強くなれないって、そんなゆったり言ってられないって」
「そんな勇ましいことでもないんだが。まあ、わしの国がそういうところだったというだけで、でも、そんな人ばかりではないしな。逆にやらないことは強くないってことではないし、弱者でもないぞ」
「そんなわけないだろ」
「でもそうだよ、力の強さじゃなくて、求める強さだ。ナイフでもあれば違うんだよ、子供であっても。ほかにも魔法でもなんでも、とにかく何か……」
コモコモがふふんと笑って、
「小さいナイフくらいの小さい根性って感じ? でも包丁は小さいほうを使っちゃうんだぞ、それで行けるぞって?」
「全然違う。おまえの持ってる肥後守は雑用や工作に使われるだけで、子供用じゃなくてちゃんとした刃物なんだぞ。研ぎを入れれば、刀と変わらんぞ」
「なに? いいこと聞いたぞ。おれも強くなるぞ」
「武器は関係ない、あくまで心構えのことじゃ、そのよりどころにはなるが……」
「強い武器を持ったら強くなれるってほうがわかりやすくていいけどな」
「その武器をなくしたら弱くなるぞえ」
確かにそうだった。
「おまえの持ってる巾着って入れ物いいな、不思議だぞ、袋をすぼめなくてもなんでひもを引っ張ると袋の口が閉まるんだぞ?」コモコモは唐突にけるベエに向かって言った。
「ただ入り口に紐を通しただけじゃない、一周まわして二週目で余分の紐を伸ばして持つところにしておる。その端を引っ張ると一周目の輪が締まるんじゃ」
「なるほど……」とコモコモは言ったが、はたから見てもこいつわかってねえなとわかる白々しい返事だった。
「まだあるから、あとでやるよ。でも魔法でもなんでもないから財布くらいにしかならないぞ」
「魔法の袋でもただ広いだけじゃだめだぞ、袋の中にまた小さい袋を入れて使うのはいいと思ったんだぞ」
「引き出しに間仕切りをすると便利みたいな当たり前のことだ」ゾリントンが言った。
「え?」
「本棚の途中に小さい引き出しを作りつけると何かと便利だなと思うくらい当たり前のことだろ」
「なるほど、そうだな」と、けるベエが言った。
「いつまでもくだらないこと言ってないで、さっさとクソして寝るんだぞ」と言い捨てて、コモコモはテントのほうへ行ってしまった。さっきから眠かったらしい。
「あしたもあるし、寝るか」
「うーん」話の途中だし、ゾリントンも酒でも飲みたい気分だった。
「きょうの戦いを踏まえるのはおまえが一番得意だろう。あしたも作戦、頼むぞ」けるベエが励ますように言った。
そう言われると、悪い気はしないが。
「死ぬ気で頑張るってのが、なんか矛盾してるっていうか、頑張ってなくて開き直ってないか」
「よいのではないか、その辺はどうでも。死の観念がいやいやながらやってると思わせているのではないか」
「そうかもな、死ぬってことがわかんないんだし」
「いや、死ぬのは決まっておる」
「でも、どん詰まりじゃん。どうなるかもどういうことかも誰も教えられないじゃん」
「武士道とは死ぬことと見つけたり」静かにけるベエは言った。
「聞いたことある。おまえの国の戦士の心構えなんだろ」
「しかし誤解なのだ。巷に流布しているのは死をも恐れぬ勇敢な戦士像であろう。が、死ぬこと自体はどうでもいいのだ。心構えというか、覚悟だ。そこを乗り越えたところなのだ。と言っても死んだあとのことなど微塵も関係ないが」
「サムライ、ハラキリか、おれもそういうもんだと思ってたな……」
「それも時代によって違う。いまどきはサムライがスポーツ選手のあだ名になってるのもなんとも言えん。オウンゴールかい。だいたい馬に乗るのがサムライで、地を駆けるのは足軽なんじゃ」
「そうなのか」サムライは知ってた。でもそれ以外は知らなかった。ウイザードとかソーサリアンとかプリーストとかクリニックとか……。
「むしろ広まってほしいのは、例えばこんな遺訓なんじゃ……。命もいらず名もいらず官位も金もいらぬ人は、仕末に困るものなり。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり……」
「……長いな」
「ふむ? 三行でまとめないと飲み込めないようなおちょぼ口か?」
「いや、漢字も微妙に違うし」
「漢字というのは輸入した記号だからすべて当て字なのだ。それこそどうでもいい。話が通じれば」
「うん、なんとなくはわかるよ。命もいらず、だろ。そんなおかしなやつこそ一緒に戦う意味があるとかそういうことだろ」
「こんなところまで付いてきてくれるんだから、おまえも十分変な奴じゃ」
「褒められてるのか?」
「それにまったく弱くはないな、おまえの好奇心は」
アニキがフラフラしたくなる気持ちがわからなくもないなと、ちょっと思えるようになったところだった。
この気楽なやつら。旅の身空。冒険と呼ぶほど大げさでなく、こいつらは旅を生活してる。
みなし児だから感じる、思い知らされるある種の自由さとはまったく別のものをゾリントンは感じていた。自分とは近い立場のコモコモにさえ、自分に引き比べても、むしろけるベエのほうに似てるとすら感じていた。
あくまでアニキが戦いの詩を書くのも、今やっとわかったような……。勇ましさのためとか、自分を鼓舞するためとか、そういうことではないらしいとは前から思ってた。詩華集に選ばれても喜ぶわけでもないし。それより、日常の詩を書かないのは、戦いがないことだけに執着するのを避けたかったんじゃないか。戦いを忘れているわけではない。最強伝説の国から来た少年が、救いを待つより自ら戦えという通説をさらに通り越して、死ぬと決まってるから何なんだと言わんばかりの戦いをしている。それに自分も混じってみた感想から、そう思えた。アニキはこの島にもう何度も来てる。
父親というものへの興味は、その存在自体よりも、窮地の父を救おうとしている子供のほう、救いに行くことよりこんなとこをうろうろしてるほうを面白いと思ってしまっている。地図が読めないことまでけるベエには似合ってるような……。
いや、それでは冗談にもなってないのか。そこまでは勘づいても、肝心なことをゾリントンは見落としていた。要するに同い年の友達ができたのがうれしいってことである。自分のほうが年上だと言い張ってたやつもいたが。
サグサスのアニキにはいつも言われていた。付き合いはだいじ。それは、都市の無名性を踏まえたことだと考えていた。隣を何をする人ぞ、であるから、こちらから接触して何者なのか安全なのかを示すべきだ。そうやって知り合うべきだ。だが、それだけでもなかったようだ。
ちょっと変なやつこそ旅は道連れ。付き合いののいいやつは貴重だ。旅を棲みかとするとは非日常を普通とすることで、けるベエには悪いが、死ぬことと見つけたりにちょっと似てる。旅することと見つけたりと言いたくなるのを伝えたくて、でも言ってしまったらそういう感じではなくなるのもゾリントンにはわかっていた。
あしたもアーマー鳥とやるのか。目的は玉子ご飯のはずなんだが、巨鳥のほうをどうにかしたいという気にゾリントンもいつの間にかなっていた。
「ルートスペルは自分で撃てるってわかったの大きいし、呪文のあとに連発しなくても発動しそうだよな」
「魔法は任せるよ」
「いや、おまえのほうが工夫するの速かったぜ」
「なんの、馬を操るよりも簡単なだけじゃ」
「そうなのか……まあ、寝るか。あしたも大変そうだし休まないとな」
「うむ、休息はだいじである」
それでふたりはたき火のそばでゴロンと横になった。夜空には満天の星。まるで子供好きの天のケーキ屋さんがサービスで仕上げの粉糖を振り過ぎたように、さんざめく星空だった。でも、見慣れてないものに思い入れを持つほど子供は経験も想像力もない。夜の暗闇を必要以上に怖がるのと行って来いだ。頭の下に腕を組んで、静かに目を閉じた。
テントで寝てるコモコモは盛大にいびきをかいていた。