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第三章 異世界旅館めいじ屋

  第三章……異世界旅館めいじ屋


 研ぎを繰り返し短くなった包丁で、骨付きのでかい肉塊を手際よくさばく。年季が入って手に馴染んでいるのはもちろんだが、そのような作業には刃渡りが短いほうがやりいいのかもしれない。亭主の顔にも深いしわ。四角い顔にしわのような細い目、風雪に耐えた皮膚にほとんど坊主のまばらな短髪、モンスターに間違える人はいなくても、モンスターは親近感を持つかもしれない。そんな冗談はめったに言わない年配の板前《コック》及び亭主が、汗をかいて取り掛かってるのは野生種の肉であった。筋肉が発達し、肉が骨に強くくっついている。モンスターの肉は当然、モンスターに近しい種でもそれなりなのだ。

 ジビエ、いわゆるゲームミートの中でも16ビット級と称されるメガトン級の獲物はめったに手に入らない。モンスター専門のハンターでないとなかなか狩れるものではないからだ。料理屋、旅館などは彼らの到来を待っているわけだが、しかし、猟師の中にも腕の立つのがまれにはいるわけで。

 めいじ屋の食堂は泊り客以外にも開放されていて、軒下のキッチンの窓から声をかけると、亭主のコックが食材の下処理までときには無料でやってくれる。その代わりに、その一部は店の料理の材料となり、テラス席やカウンターに居合わせたほかの客にも提供される。

 今宵、ここレストラン・なよ竹亭に持ち込まれたのは、ドラゴンの肉。

 と言っても、そういう名称で流通するまったく別物の大型の鳥類の肉であった。

 もとより古代モンスター・ドラゴンは幻であり、実在は知られてるが、その実態は王宮でさえ調べつくしてはいない。その肉を一般庶民がそうそう口にできるはずがない。

 世に言うドラゴンの肉とは、恐竜の子孫であるのは間違いない鳥類を、同時代から存在するドラゴンの亜種として扱うことを食肉業界が望み、王国からの取り締まりも市民のクレームも無かったので定着したものだった。皆がうすうす勘づいていても、団体の圧力にみんなが流されてて、それが外部の団体でなく自分も含むものだっだなんてことはよくある話で。個人は味の好みなど、趣味的な反論しかできないのに、そんなことまでただの感想と否定するのは、いったいどっちの誰の味方なのだろうか。

 しかしながらそんなドラゴンの肉は臭みが強い。野性が残ってると感じさせるほどのクセがある。よって香辛料やオイルに漬け込んで下処理するのが定番だった。

 筋肉が収斂して骨とつながっている部位はことに固く締まり繊維も多く、解体、肉磨きの過程で取り除かれ捨てられる部分である。あるいはペットの餌用に売られるか。

 そんな廃棄物のようなものでも、一部の料理人の腕にかかれば立派な一品に変身する。時間をかけてトロトロに煮込むと、串には刺さらないがそれ目当ての客を掴むほどの名物料理になる。

 ここの板前は、肉そのものを味わうときも、工夫をほどこしていた。

 歯ごたえを活かすよう、薄く切ってさっと湯にくぐらせ、味噌という粘度のある発酵調味料を添えて食す。湯引きと呼ぶその調理法自体はよく知られたものである。ふつうは、魚のやわらかい身の外側にだけ火を通し、膜の層を作る。それによって、身を崩さずに食べられる、食べる人が扱いやすくなるわけだった。

 肉料理それもドラゴンの肉を湯引きするのは、誰もやっていなかった。これは野生種の肉の硬さや匂いを少ない工程で消せるわけがないという常識の逆の発想であった。肉に付けて食べるタレにも工夫があった。ツノ族のツノである。粉砕して漢方薬にしたり、砕いて酒を温めるときに一緒に入れて風味を付ける、薬扱いのそれを、薬味、スパイスとして加えていた。匂いと匂いが打ち消し合いながらも絶妙のハーモニーを醸し出す一皿……という人は多いが、もちろん苦手な人もいる。アルコールもそう、なんでも同じで例外はある。

 今晩のこの肉の提供者の若い猟師がそうで、トロトロの柔らかい煮込みのほうをチョップスティック=箸で落とさないようにプルプルさせながらひと口ずつ慎重に食べているのだった。

 ほかにドラゴンの肉のご相伴に与かるのは、カウンターに陣取る常連客たち。

 その一人はモンスターブローカーのニウバ氏。職業柄、ドラゴンの肉にも何度も出会っている。彼は湯引きの肉と酒の組み合わせで楽しんでいた。

 モンスターブローカーは、ばくち打ちのように世間では思われているが、少し違う。彼らは誰かの代理ではないし、怪しいこともしない。欲しい人に渡す、狩りはしないが預かって保管し届けるまでの任務。つまり、運び屋だ。モンスターハンターの指名はあっても仲介であり、代わりではないし、転売ではないのである。

 今日はドラゴンの肉を食べているが、あしたはドラゴンの肉を運ぶかもしれない。だが、注文があれば何でもやる人が、凝った一皿を頼むだろうか。

 ドラゴンの肉を食べたい人、トンボの羽が欲しい人などがそれぞれいて、その伝手はこの旅館のような場所でつながる。

 あるいは代替肉、模造品や模写でもいい人もいて、それは別のルートになる。本物を知っていなければならないのは全員共通だ。

 例えば、スポーツ選手などは本人が行く必要がある。超高校級だのドラフト1位だの言っても、本人がやれるかどうか、模試の成績では決まらない。ここでも代理人も通訳も不要なのはもちろん、何をやりたい、どこでやりたいは本人が決めることである。

 フランチャイズとは、ひとつの王家のひとつの国家、一つの言葉が通じる世界では、住めば都といった意味しか持たない。そうなると、選手の何をしたいとファンの何をさせたいが乖離することはなくなる。オーナーが我儘だとか、ゼネラルマネージャーが守備型のチームしか作れないとか、現場と経営の考えの齟齬はあったとしても、それにしたってオーナーに嫌われてる選手を出さないのと広告効果のために出さざるを得ない選手がいるのはまるで違う。後者は、異世界のようなところでしか有り得ないだろう。

 広告して拡散して、そして、周知させていただきます。MPを使って呪文を発動することに喩えるなら、広告効果はHPに作用するような伝播をしているはず。だが、そんなことはデータにも数字にも表れない。本当にMPに見合う効果だったのか?ダメージを負うことはわかっても、その負の印象をHPに刺さっただの響いただの言っていいのか? そもそも刺さった風にゲテモノを出してスキャンダラスに作ってお終いにし続けていたのが、ネットCMのシミだらけのババアの顔面の画像やスマホの画面の上から下から移動して来てあっという間に消えたり浮き出たり押し間違いを誘発する意地悪なギミックで、やり口はバレてしまった。チクッと刺さる、いやな気持になる、ただそれだけ。

 ところで、けるベエたちが海で見た奴隷船は、F1カーのように広告まみれではなかった。奴隷船だけに、サラ金やらパチンコやら、とりわけ過払い金にうるさい弁護士の広告があってもよさそうなものだ。奴隷はゾンビではあるがロボットではないから「こんなに返ってきました」と当の広告にまぬけヅラで出たりしない。あくせくしないのは、ゾンビはいい意味でも悪い意味でもゆっくりとしか動けないからだ。

 しかし、この世界では内燃機関が使われているのだろうか。スポーツってハリポタのあれみたいなものなんだろうか。そういうの期待してるなら自分で言わないと。新競技を考え出すのが得意そうな人に話を持ち掛けないと。それもブローカーなのである。

 広告なんかなくても、知らされなくてもいいことはもちろん、知らなくていいこともたくさんある。例えば、読書を趣味にするのはむずかしい。その取っ掛かりが一番むずかしい。自分は何が好きなのかさえはっきりしない状態。ベストセラーをとりあえず当たるか、ガイドブックをまず読むのか、タイトルや表紙を見た直感でも手に取った本から読むのか、誰かが勧めてるから選ぶのか、方針を選ぶことから迷う。だが、これらはすべて正しいのである。詩なんか永久にわかりそうにない。それでいい、アブラカダブラって言ってるだけ、と思ってていい。勝手に読んで、勝手に考える。

 ただし、同じ呪文から同じものしか出ないなんてことは、この世界じゃなくてもありえない。工場から出荷するんじゃないんだから。

 紙で読みたいという人はどこの世界にもいて、本の運び屋は田舎では重宝されるのであった。

 であるからして、ファストフードではない半加工品などでもない、この旅館の食堂に人は集まる。

 そういう場所だから、山海の珍味ばかりが並ぶわけではない。もっとファミリー向けの気楽な食堂だった。そう言うと定食屋、街中華のように狭い汚いでも味は抜群、あるいは大人数用のテーブルにパイプ椅子やなんか簡易的なベンチと一緒に並んだ昭和のデパートを連想する人も多かろう。

 異世界が横並びの設定になりがち、定番の基本設定をしつこく繰り返すのが多いからといって、それは短絡的というものである。洋風、ヨーロッパ風なら、呼び方は各国でカタカナでいろいろ。ビストロ、バル、トラットリア、それぞれ居酒屋、バー、小料理屋などを意味するとしても、スーパーマーケットで売ってる野菜のように同規格同サイズと見なすのは現代に毒され過ぎている。昭和はおおらかだったのだ。

 もちろんこのレストランでも、肉料理が出され、魚料理があり、その付け合わせにまたメインとしても野菜が供される。そこには、露地栽培の生産しやすく改良され規格化された品種もある。だが、その他の今となっては珍しくなってしまった蔬菜も、ドラゴンの肉とは違って、よく持ち込まれるのだった。

 今日は、山菜。それも巨大なトトロもといトロールが葉っぱの包みを持ってるのとは逆の手で差して傘代わりにしてる草。その握ってる茎の部分と傘の骨に当たる太い葉脈を板ずりしたあと茹でて皮をむき、さらに出汁だしで煮込む。素朴だが、出来立てはシャキシャキとした歯ごたえが味わえ、次の日からは出汁のしみた大根に似てそれよりも滋味深いうまさに変わる。

 あるいは、その辺にも生えてるワラビ、山の中まで行かないと取れないゼンマイ。似たようなもので、常備菜としてどっちも茶色い煮物になってカウンターの大鉢に盛られている。しかし必ず誰しもゼンマイのほうが味が良いとは言わないものだ。もちろん好みにもよるが。

 お目当てなのは、料理、酒、若女将のおしゃべりなどの店から提供されるものだけではない。

 目下の注目は、ドラゴンの肉をも仕留めることができる腕のいい若い猟師と野菜農家の娘の間のことであった。身近な人同士の恋の噂は、他人でしかない有名人のゴシップなどよりよっぽど興味深いものであり、不器用ならまたそれも微笑ましくて、巧妙な著名人のにおわせなどといったクセでは済まされないことと話は別なのだった。

 猟師の名は、サヒジョデ。まだ若く、身体に刻まれた狩りの歴戦の傷跡を隠そうともしない。特に額に斜めに入ったドラゴンの爪痕は目立つし、誇らしげにすら見える。あえてだろう、汗止めのための鉢巻きが妙に上のほうで結ばれていた。しかし、その傷が鳥のくちばしによるものなのは、みんなもちろん知っていた。料理も肉もドラゴンの名で呼びならわしてはいたが、鳥と同じやり方で唐揚げになって出された時でも、みんな知っていて黙っていた。彼にとってはその傷は雌の気を引くためのアクセサリーのようなものだったのかもしれない。たくましい筋肉と同じように。そして筋肉をむき出しにするような布の少ない恰好も雄としての能力の誇示らしかった。がっしりしたガタイの上に乗った、地味なひよこ饅頭みたいな顔でも、なんとなくその自信は発露してしていた。顔の例えがよくわからないとしても、それが問題にならないくらいの地味さであり、微弱なアピールポイントだったということだ。肝心の相手に通じているかどうかは本人以外は定かではないようだった。

 農家の娘はミイロームといい、住まいもこの近くにあった。その仕事はともかく、都会のセンスで暮らしていた。否、農作業をダサいものと思っているわけではなかった。むしろ天候、作柄、個体差などなど、不確定要素たっぷりながら苦労して育てた作物の収穫の喜びは、自然相手の仕事でやりがいがあった。それはややこしくはあったが、人間相手の駆け引きのようないやらしさはないし、機械の冷たさもない。モンスターの理不尽な強さと魔法の序列性や非現実性と縁が無いわけではなかったが、階級や格差のように動かせないものではなく、まだ身近な問題として引き受けることができた。

 彼女は猟師とここで知り合った。つまりはお上りさんとシティーガールとして出会った。

 ところで、我々の小さな主人公は剣の道に置き替えて考える。我々は彼の短い言葉からその筋道を通って到達するものを想像する。あるいは我々も到達する。

 ということで、異世界でも変わらぬ俗な話は一旦おいて。

 けるベエの母・あやめがこの旅館に到着したのは、まだ日も高い昼下がりだった。夕食時よりだいぶ前。

 かつての同級生の若女将のオルーカがさっそく出迎え、客室ではなく自室に通す。それから、学生時代のジャージを出してきて着替えを勧める、なつかしくてすぐに言うとおりにする、入るかな?と言うあやめにお風呂が先よ、それもまたその通り聞いて、温泉には二人でつかり、亭主は元気で留守なほうがいいのよ、などと二人で言い合う。そのときには旅館の前にりゐばうが座っていて、老亭主に呼ばれ、ジャージで玄関先に出る。荷物を改めて息子の決意を知る。男はそれでいいのよ。また二人で言い合う。

 ちなみに、なよ竹亭の跡取り娘を射止めた幸運な男・ガンネリは、その後、行方不明となっていた。由緒ある旅館の跡取りとなるべき求婚者たちに課せられた条件とは、あるアイテムをそれぞれ探し出してくること。それを手に入れ、最も早く戻った者が婿となる。婿候補のライバルたちも競ってアイテム探しの旅に出たのだが、物が物だけに手に入れることは至難の業で、インチキ、偽物、模造品などでごまかそうとして脱落した。しかし、あくまで物探しで、モンスターも絡まない条件だったので全員生きて帰っては来れたのだった。ガンネリはただひとり課題の燕の子安貝を探し当て戻ってきた。そして結婚を許され、ライバルたちも街の人たちも揃っての祝福のなか盛大な式も挙行された。が、その翌日、忽然と姿を消したのだった。

 果たして彼の行方は……。時が来れば、その婚姻譚および冒険譚は詳らかにされるだろう。なにしろこれは世界最古の長編小説において物語の祖先と言われるものだから、日常パートであったとしても書き順、並び順は考えねばならないのだった。

 まあ悩んでてもしかたない。ふたり共通のコインは残高が増えもしないが、減っていくこともない。自然減がないということは、本人は数字だけの存在になって消えてはいないはず……。

 その次の日から、オルーカは若女将として旅館を切り盛りしている。

 カウンターに座ったジャージ姿のあやめに、グラスの果実酒を勧め、おっとこれまたこの店独自のメニュー・ドラゴンの肉のタルタルを合わせた。東の戦士の国の人は生食を好む。細かく叩いた生肉の上に、これまた生で食べるのはこの辺でも珍しい卵の黄身。甘口の酒では少ししつこいかと思われるかもしれませんが、肉には生の玉ねぎや酢漬けのピクルスも入っていますし、塩とオイルだけのシンプルな味付け。特に女性が好む一品となっております。さらにさらに、ポン酢のジュレでさっぱりと楽しむこともできるあては、抜群のコンビネーションでついつい呑み過ごしてしまう。

 グラスのお替りのタイミングで今度はドラゴンの煮込み。温かい料理に変わった。酒は辛口の透明な清酒で、こちらは冷やだった。ほろほろと口の中でほどけていくようなかたまり肉に、またまたつい酒が進む。さっきまで温泉につかっていたので、酔いがよく回る。

「これ以上呑むと手伝えなくなる」

「いいのいいの、忙しくもないし。ゆっくりしてて」

 往年の女学生ふたりのつもる話とは……さきほどの若い生産者二人を差し置いてまで書くことなのか。もちろん無いわけではないんですよ。

 学園ものはそれで一つのジャンルを形成するほど、豊富で多様な作品群を抱えている。

 スポーツ漫画でも、学校パートが大事、試合だけじゃダメと言われる。学校という閉鎖空間は、子供だから視野が狭くてそこ以外の居場所を想像できなくて、追いつめられたようにドツボに嵌まっていくような感情に支配され、事態は悪くなるばかり。そんな作劇になってしまい、なろうの悪口のようになってしまう。いわく「作者より賢いキャラは造形できない」から異世界で無双する現代人の知識は浅く、異世界の人たちはアホすぎると。あるいは生徒もそして教師も実社会を知らないから、学校という特殊な社会でしかありえないような話を書いてしまっていると。

 魔法に向いてないくらいで、居場所じゃない、適性が違うと悩む。他の授業も取らないでか?

 冒険者が普通にいる世界なのに、ほかに行く当てもなく、ここでどうにかするしかないと思い込んで詰んでしまう。

 まだ出てきてませんがこの世界では錬金術は無意味で、職工や絵師の技術と同じです。つまり、金箔はゴールドだから価値があるのではなく、美術的な意味しか持たない。クリムトは俗物的だとアカデミーに糾弾されないし、金箔はモザイクかジャポニズムからの影響か論争になっても値段には影響しない。あるいは、ゴッホにはツノが生えてても生えてなくてもどっちでもいいし、耳が一個でも構わない。芸術とは関係ない。

 特筆すべきことと言えば、王女派の始まり、かつてのこの国の詩風の刷新にここの若女将が関わっていたことだろうか。

 流派の始原となったその歌は、作者自らの手で小さな短冊に書かれ、旅館の目立たぬ場所に飾られていた。見る人が見れば……やはり、わからないだろう。王女は同世代だったが、その頃は王都に住まわっていた。アカデミーに通い、この港街とはまったく無縁であった。しかし、生活の喜びを歌う新しい空気は、王家の暮らしの贅沢さよって、その退屈さに目をつぶっていたことを思い知らされた。いやいやながら書かれた詩ばかりのように思わせた。また、そんな贅沢とは関係ない人々には、親しみを持って歓迎された。イシブミの投稿も増えた。

 とりわけ身近な題材のうちでも、例えば虫。都会よりももっと日常的に自然に触れ合っている人々の間で、アールヌーボーが純粋にモチーフとして取り上げた以上のお馴染みさんがしきりに詠まれた。

 それまで絵や詩の題材どころではなく、駆除されるべきだった小さな存在が観察の対象になり、歌になった。

 いなくてもいい、むしろ排除されるべきだったものが、春を迎える喜びを託す代弁者になった。

「かにかくに 魔法は憎し 言の葉の及ばぬ果てで 威力あるらし」これが、オルーカ十七歳の歌だった。なに? 虫はどこか? いるでしょうが、額と壁の間に巣を張っている蜘蛛が。あ、掃除が行き届かないわけではありません、蜘蛛は害虫を食べてくれるからそのままにしているのです。

 そうじゃなくて、上級とか高貴な身分のたしなみのようなものだった従来の詩が批判されているでしょうが。詩ではないところでの権威が。

 魔法は心のトゲではない。でも、言葉にはトゲがあって、意図しなくても相手を傷つける。あるいは明確に狙って誹謗中傷で死に追いやるやからすらいる。それらと攻撃魔法や死の魔法との違いは何だろうか。それは、言葉が借り物であること、本心を言葉にしたのではなく、在り物の呪文でまじないでしかないこと。これまでの話の展開に即して言えば、方言をそのまま言ってるだけということ。幼稚なのはたとえネットだけで顔は見えなくとも隠しようもない。

 あるいはやってる本人は、誹謗中傷だったとしても相手に嫌がられるくらいにはリアクションやインパクトを引き出したので、少なくとも相手の本心ではあるというつもりになっているやもしれない。しかし、1のMPすら消費しないような定型なありきたりの、レベル1の悪口であることもまた隠せない。ルートスペルとも違う、基本ではないから誰かと力を合わせる合成もできず、合成の結果でもないからとても普通で、とにかく陳腐になる。だから、誹謗中傷とひとくくり。

 魔法は心に喰い込む蛇ではない。心に何かをすることではなく、心そのものなのである。

 オルーカの詩句はそんなことは言ってないだろう……確かにそうなんだが、彼女は自分が生まれる前に姿を消した父親は魔法にかかってそんなことをしてしまったと、これを書いたそのときには思っていたのである。十七歳、男と女の仲は魔法で簡単にくっついて、別れもそんなことで決まってしまう程度しか考えられなかったのだ。そう、我が身にもまた、そんなことが起こるとはつゆ知らず。

 プルルルルと、オーソドックスな呼び出し音が鳴った。

 誰なのか? おのおのがフミをポケットから取り出して着信を確かめる。

 イシブミは連絡ツールのほか、結界を張り、HPの回復、MPの代銭納の機能を持つが、そのうち伝書、対話に特化した小型版がフミである。いわば民生用のケータイ型のイシブミだ。ただし、素材は石でも、こちらは可塑性のある

 その小さなスクリーンにオウガの島から連絡が入って、丸いテーブル席から立って外に向かったのは、これも常連客のノギュウ氏。徴税人だ。

 レストランの石造りの門を抜け、ちらほらと客が座るテラス席を通り過ぎ、歩道まで出た。涼しい風が通り抜ける。

 フミに出たのはサグサスを追いかけている部下だった。借金を取りっぱぐれないように付いて回る、いわゆる付け馬である。

「どうした」

「すいやせん、逃げられました」プラドッコがフミの向こうでも頭を下げているのがわかる。

「またか……。まったくしょうがねえな、あいつはいつまでも……」

「どうしやしょう」

「札はどうだ? 新しいのは」

「いえ。めぼしいのは何も」

「そこは渋いんだな、出しやがらねえか。じゃあもういいや、帰っていいぞ」

「へい。まだ割り勘にはなってるんで入金はされると思います」

「ああ、ご苦労さん」

 通話は短かった。

 長身を包む仕立てのいいスーツの内ポケットにゴツゴツした機械を入れるとシルエットがくずれる。フミはズボンの尻ポケットに仕舞った。白髪、だがそれは老齢を示すわけではない。白いアホ毛の鳥をドラゴンとも呼ぶように。さりながら老舗の旅館の常連になるほどにはたびたび訪れ仕事をし信用も得ていた事実は貫録といってもよいのであろう。白皙、単に色白の肌を示す……上に同じ。広い額は知性を表すと言うが、それもサムライ時代、その髪型しかなかった頃に無理矢理に階級と風体とをくっつけた価値観にすぎないのではないか。それをそのまま移入するかは別問題であるが。

 ノギュウ氏はシガレットケースから取り出したタバコを一服つけた。苦み走った顔で溜息と共に白い煙を吐く。

「まったくあの野郎は……」それは「近頃の若いもんは……」よりもさらに軽い口調で洩れて、なので煙を吐き直すようにまた一服した。その言葉には嫌悪感はなかった。説教じみた台詞よりも親身な感情があった。くちびるの端から少し勢いをつけて煙を吐くから、口笛の失敗のようでもあった。

 取り立てはまた失敗した。だが、あの若造に請負った額は大したものではないし、何人もいる取り立て対象の一人にすぎない。よくある、いつものことだった。

 失敗が残念というより、何度も繰り返すのはなぜなのか。その疑問のほうが大きかった。

 何が気に入らないのか、とノギュウ氏のほうが気になっている。

 続かない奴だ。

 若いときにはよくあること。それで済むような気もするが、奴には何か思うところがあるようにも見える。

 派遣業の中抜き、口入屋の天引き、通販でよくある代引き、徳政令で棒引き。

 悪評を浴びがちな職業? どこの世界の話だろう? 慈善事業じゃねえぞという返事を悪態と取られるからか。

 代銭納のそのまた代理、つまり徴税人は次善の策を講じる役回りであった。

 やりたいことがないやつは、とりあえず引っ張って行って最低限度の仕事をさせる。すなわち「人がいやがることをやれ」である。これが反語も諧謔もなく警句でもなくなって、その文面のままでまかり通る世界とは、まさに魑魅魍魎。モンスターと思いきや人がそうなってしまっている。気づかないままゾンビとなって、ゆっくりとしか動けなくなって、それでもまだ時間を無駄に消費し続けている。ゲーム感覚と簡単に言うが、空虚な消費だったら空虚な行為で埋められても惜しくないとしても、誰にいやがられても痛くも痒くもないことと、自分では攻撃性の自覚もないままに誰かにとって嫌なことをするのとは別のことだろう。

 自分のことしか考えないような傾向の最たるものが、最近とみにかまびすしい承認欲求とやらか。しかし、そんなことの相手ならイシブミがしてくれる。フミが互いに会話するためのツールなのだから、イシブミにも発話機能が備わっている。詩だけでなく、個人の投稿は自由にできるようになっている。詩に勅撰があるように、投稿も市民の意見として官選があり、市民同士で評価もできる。「いいね」

 イシブミはそのような機能も上下も水平も兼ね備えた市民の対話ツールであった。

 そんなことより、王国はどこへ向かうべきなのか。誰も行きたがらない、誰もついてこない場所を目指しても国にはならないわけで。国家とは、領土、国民、主権のことで、どれか一つはなくても成立すると言われたら、国家のリーダーと称するものが除外するのは、果たしていずれか……。アブラカダブラと全員で復唱するような国になったらどうしよう。憂うのは誰になるのだろう。

 だが、サグサスはそういうのとは違う気がする。「いいね」に過剰な意味付けをしたり、いいね以上の価値を想定しないようだ。もっとあっさりした男だ。

 お遊びで済まされなくなるような現場を、徴税人はいつも探している。しかし、単に命に危険が及ぶような案件だったら、それは命を粗末にすることと同じになる。荒れ地に放り出して回収さえ済めばあとは知ったこっちゃない、それで終わりではないのだ。戦闘に向いてない人は力仕事に向いてない人と同じく、デスクワークに。例えば、情報を確認する作業につかせる。しかし、イシブミが刻印だったら……と考えると、情報を操作する仕事も、消すことだけを考えても大変な作業である。さらに、情報の正確さ、正常さを検証するとなったら、戦争の当事者になったほうがましとも言われる。正常さを確かめることが、誹謗中傷に外形的に似てくるのは、いじめはどこにでもある幼稚な所業にすぎないが、それが国家規模になるとどうなるかを考えれば、デジタルタトゥーなどには縁が無いと思っている人でも身に染みてわかるのではないか。もし王国が一つでなかったら、あるいはヒト族が一種類しかなかったらと考えるだけで、その恐ろしさは理解できるだろう。

 サグサスが戦場に行きたがるのはまた別の理由のようで、また帰ってきても、また散財して借金を背負うを繰り返している。

 そういうやつは少なくはなくて、その行ったり来たりの挙句、ゾンビになり果てるやつも結構いるが、どうもあいつだけはそんなことにはならない気がする。

 携帯灰皿にタバコを消し入れたノギュウ氏はレストランにもどり、席に着くと、もう料理は冷えていた。ただ、ここの料理には冷えていく過程で食材にスープの味が移っていくということもあるらしい。そして、木の樽で長く寝かせた大陸産の果実酒は、たいていの料理と問題なくマリアージュするのだった。ノギュウ氏は食事の続きを楽しんだ。

 そこにひょっこり顔を出したのが、大男のライキだった。サグサスの仲間というか子分というか、そういう連れだ。連中は年齢はそう変わらない、同世代だろう。が、年季というのは単に時間の量的長さではなく、力関係を決めるのは、例えば物理的なダンベルの重さなどではないのだ。

 その辺の嗅覚をキモに仕事をしているノギュウ氏は、一度見た顔は忘れない。サグサスとよくつるんでる三人の若造のうちのひとり。だが、あいつ以外と会話を交わしたことはないし、もちろん仕事を斡旋あっせんしたこともない。

 ライキは脇に抱えていた紙袋のうちの大きなほうを一つ、若女将オルーカに渡した。

「ご苦労様でした。今日はあなたなのね」

「メロニーちゃんは……?」ライキはボソッと言った。

 店中の男性客の耳がピクリと動いた。

「まだ来てないわね。今日はもうお店に出てるんじゃない?」

 ノギュウ氏を見て、あっマズイ奴がいた、という顔をされてノギュウ氏は不満であった。持ち込んだ袋はサグサスのものか。いや、もちろん、物納でもいいんだが、いつでもどこでも取り立てをやるわけではない。節度ってものはある。ここで出てくるはずの料理を止めさせてまで、まだ出来上がってもいないそのサグサスのらしき材料だけ取り上げるなんて……。MPで立て替えて材料を持ち帰って自分の家の台所で自分で調理しろってのと同じことではないか。そんなもの、買ってくれる当てもないのに目も利かない絵画を買うようなものではないか。いや、この場合は名画を盗んで裏の取引でも引き受ける買い手を後から探すようなものか……いや、誰が泥棒なんだ? サグサスとこいつともう一人、いつも三人組でいて、それともう少し小さい子供がまとわりついてたのを見たことがあった。そのときも放っといた。子供はいなかったが、今日もノギュウ氏は知らんぷりをする。

「じゃあ、おいらはこれで……」ライキはちょっと迷っていたが帰ろうとした。が、若女将は、

「座りなよ。今日はドラゴンの肉が入ったのよ。ドラゴンの煮込みのスープにこれを浸してさ、汁を吸わせたらさ……」などと、紙袋をちょっと持ち上げ、よだれの出そうなことを言う。デカい図体ながら、肉のほうではなく、うまみのしみ出た汁のほうに反応するライキなのだった。

「サグサスも来てないんすか?」若いやつの言葉が耳に入ってしまうノギュウ氏……。

「今日は顔見せてないね。もうひとつの荷物?」紙袋の形から見ても、それはたぶん本だ。旅館の売り物ではないだろうし、グラサンの彼に渡したいだけか、あいつが読むのか。変わった子たちだ……と、そこまで考えてしまう。ノギュウ氏は他のテーブルの誰かのタバコの煙を目で追って、あいまいな視線のままに他を気を取られるのをやめようとした。そのために自分もゆっくりともう一服つけた。

「ええ、まあ……」若いやつのあいまいな返事は、返答に困っているのを匂わせてしまう。

「アニキも今日は来てないね」ちょっと笑いながらオルーカが言った。

 ノギュウ氏はもう澄ましてグラスを傾けるだけだ。

「そうですか。それじゃまたお願いします」言い終わるやライキは図体に似合わずさっと出て行った。

 外に目をやったあやめが「あたしばっかり呑んでてもしょうがない。りゐばうにもご飯あげないと」と、かなり酔ったあいまいな滑舌で言う。

「じゃあ、何か骨をあげようか」

「鳥の骨はダメですよ、犬にあげちゃ」と、サヒジョデが猟師の豆知識で注意する。

「鯨ならいい?」若い猟師に尋ねる。

「魚の骨は大丈夫です」鯨という魚は、例のテンタクルスに負けない巨大な種で、その肉質は牛に近い。一匹で七つの浦が潤うというくらい質も量も上質な獲物だった。そのクジラ肉はこの店では牛肉のようにではなく使われ、鶏料理の一種、竜田揚げになって出てくる。生姜の効いた下味をつけ粉をはたいて油で揚げる。ドラゴンも実際は鳥なのだが、これは実は合わないので竜田揚げにはしない。

 鯨はドラゴンの肉がポピュラーになる前のこの街の名物だった。年配の人は特に、食べるときはいつも「久しぶりだ」と言い、絶滅危惧種のように扱っていた。それは主にマスコミが広めた科学的な根拠は薄い言説で、今でもドラゴンの肉などよりよっぽど入手しやすいのだ。しかし、薄い論議ゆえに、鯨は少なくなってる貴重だと言ってるさなかに調査船の肉の横流し事件が起こったり、擁護派が奇矯な反対論者と不毛な水掛け論にのめり込んだり、世論ともずれてしまった。鯨自体が注目されなくなって、鯨にまつわるあらゆることが久しぶりになるような有様だった。ちなみに鯨は烏賊の捕食者である。つまりテンタクルスが生き残っている、喰い尽くされていないということは、それを食べる種もまだいるということである。もっとも烏賊料理はオッサンだけに人気で、女子供には好まれないのだった。

「竜田揚げ、久しぶりに食べたいな」のんきに言ってしまうあやめ。

「ごめん、あちらで最後なのよ」

 ニウバ氏は急に指差されたのだったが、

「どうぞどうぞ」と、手つかずの一皿をゆずろうとした。

 荒くれ者のモンスターハンターと渡り合っているブローカーは諸事如才ない。目立たず、荒立てず、穏便に。あくまで交渉の主導権はものを持っているほうだから、終始気を遣う。

 物を並んででも手に入れる、取るものもとりあえず朝っぱらからおかしな風体でおとなしく行列に並ぶ、などという種類のおとなしさとは違う。

 その服装だけでも、転売屋と違うのは一目瞭然。仕立てのいい背広なのだが、ネクタイはオッサンによくある宝石からひもが二本垂れているようなあれであった。ブローカーだから、もちろん宝石は本物だ。王都の一流ホテルでもそれを知ってか知らずか、この旅館同様に歓迎された。運び屋を雇う客は都会に多かった。

 あやめは申し出は丁重に断って、りゐばうの餌のどんぶりをもらって外に出る。

 足さばきを時おり乱しながら、露天風呂のほうへ。岩で囲まれた外湯のそばに小さな東屋が廃線になったバス停留所のように建っていて、その柱にくるッと一周巻いただけ、首の縄を縛られなくてもりゐばうはおとなしく伏せていた。 

 りゐばうは気配で何かを感じ取っているらしい。餌を持ってきてやったのに、いつものように飛びかかって来ない。

 座り直してエサを食べる体勢にはなったが、下がり眉のような表情……眉毛はないのだが……困ったような眼差しであやめのほうを見ない。いつもとあまりに変わった様子に、あやめの酔いもさめてしまった。

「なに? けるベエなら大丈夫よ」と、ぶっとい鯨の骨がのったどんぶりをりゐばうの足元へとちょっと押した。

 見たことのないご飯を出され首をかしげているというより、やはりそれとは関係なくあやめの顔をうかがってるようだった。鯨の骨の下には汁のかかったメシがあって、それから食べ始めてもいいはずだった。へっへっへっという口からよだれが出てない。別の何かを気にしている。

 りゐばうは何かを決意したかのように、鯨の骨を1本くわえると、食べないまま座っている。首をしきりに振る。リードが邪魔そうだったので、あやめは外してやった。りゐばうは骨をくわえたまま、温泉を廻って道へ出て行ってしまった。

 公園にでも埋めるのかな?

 そうではないことは、ニウバ氏にならわかっただろう。




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