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第一章 黄金の島から来た少年

  第一章……黄金の島からきた少年


 母が目を輝かせてきょろきょろしているのを珍しく思い、

「わしは腹が減りました。そこらの屋台で何か求めたいと思います。母上は先に行ってください、旅館へはマップもあるしひとりでも行けると思います」と、せがれは言った。

「ねえ、この通りなんか建物が増えてにぎやかになったけど道は昔と同じだわ、見覚えがある。あっ、あのお店、ちっとも変ってないわ。まだ日曜市の屋台は出てるのかしら……でも別の人ね、きっと……」

 母は気もそぞろ、あちらこちら目をやってフラフラとそれでも人をぬってジグザグに進む。杖をつくのも忘れるくらい手は留守になり、子供も置いていきそうなくらいだった。

 立ち止まっていた少年も、ぼーっと離れていく母にちょっと遅れて気付いて歩き出した。王都から距離があるとはいえ、名の通った港町だ。ごった返す人混みは、彼にはほとんど初めてに近い経験で、人をよけることに気を取られがちになる。しかし、母から聞いていたよりも都会で、母の学生時代からは時も経っているから、一層栄えたということなのか。ふらふらと落ち着かない様子なので目的地へ、女学校時代の母の同級生がやっているという宿へうながす。

 彼のほうも実のところにぎやかに並ぶ屋台が店先に提示しているあれこれに気持ちは引かれていたのだった。

 ひとめ見て利発そうである。まあるい顔、つぶらな瞳、鼻もちょこんと小さく収まり、これまた丸い頬が紅をさしたように血色がよい。黒髪で短く刈られ、広いおでこのその下で太い眉が跳ね上がり、小さな口は小さくへの字になって、そこは小粒でもピリリとした頑強さを示していた。身体も丸い、短身小太りというかふくよかな健康優良児だ。しかし脂肪はわずかで基本的には筋肉質であり彼の国の格闘技の選手・力士がそのような体型なのだという。小さかろうが子供だろうが、どこまでも戦闘的な民族ということらしい。姿勢、歩き方においても盛り場や物見遊山の浮ついたところがない。彼の国の戦士の象徴である二本の剣はその腰にはなく、いまは背中に斜めに一本。

 東の戦士の国の独特の衣服は、旅塵にまみれてはいたが着崩れていない。ボタンなどで留めない形式の上着は身体の前で合わせるだけで形で、腕にも収納によさそうな袋状の布の部分がたっぷりある。ズボンもやけに太くて幾筋もひだを折ってあって、膝下からはびったりと足の線に沿って細くなっていたが、これは旅行時の仕様で、通常は上部の太さでシルエットを形作るという。普段のそれも折り目はすべてきれいに通っていたろうと思わせるくらいに身なりは整っていた。少年が二つ携えているトランクケースの形は普通だが、一般には革製品であるのに植物を素材としているのが珍しかった。

 これも植物素材の靴底だけを足に結わい付けたような履物の痛み具合から、かなりの長旅だったことがわかる。少年が早く落ち着いた場所で母を休ませたいと考えるのは当然であった。久しぶりの土地をうろうろするのはそのあとでいい。それとは別に自分はまったく疲れてはいない。

 というのも、道中から彼は他国との文化の違いを感じていたからだ。石造りの建築は、地震が少ないんだろうなとしか思わなかった。が、それもこの大きな街まで来て浅薄な理解だったのを思い知らされた。建物の多さ、人の多さの、横の広がりではない。塔だ。見たこともない高さの人工の造物。まさに山よりも高い塔が街に近づくにつれ、まだ遥か遠くにあるはずなのに、ある迫力をもって睥睨しているようであった。話には聞いたことがあったし、学校で習いもした。が、木と紙で作った家が点在する山深い土地から来た子供には、それはリアルな衝撃なのだった。しかし、母は何の感慨もないようで、いや、懐かしさでキョロキョロしてるが、その視界に入るあの塔は圧倒的でもなんでもなくて、目に留まるわけでもなく、何の説明もない。ならば、自分で歩き回ってみたい。

「りゐばうも一緒だし、母上は先に行ってください」名前を呼ばれたと思ったのか、母に引かれていた犬は少年のほうを見た。これも東の戦士の国の固有の品種で、キツネ色の毛並みが美しく、長い顔に黒目がちの大きな瞳には愛嬌がある。ほかの土地ではもしかすると大型犬と言われるかもしれないが、少年の腰までの体高で何よりおとなしいのが親しみやすくさせていた。道中も行き交うさまざま人にかわいがられた。おとなしく撫でられていた。二本のしっぽを旋回させて振るときは喜んでいるのだ。

「そうね、りゐばう頼むわよ、ちゃんと見張っていてね。あとでわたくしの跡を追いかけるのですよ」

「ウホン」と返事のようにこもったような声でりゐばうは吠えた。

「ウフフ」と笑い「けるベエ殿、残高は見てますからね」母・アヤメは言い置いて、りゐばうの首につながる縄を渡し、代わりにけるベエから荷物をひとつ受け取ると、まだきょろきょろしながらも確信を持って細い横道に入り、すぐに姿が見えなくなった。

 犬は母の番犬として付けないのだろうか? 女性にこそ護衛は必要……か、なるほど。 

 実は、母が手にしている杖も仕込み杖というやつで中には……それはともかく、けるベエは丸い顔をちょっとしかめて「りゐばう、おまえの餌を優先しないぞ。都会だからな、高いかもしれんぞ、そうなるとおまえの分は無しじゃ」と言ってみた。わかったのかどうか「バウ」と勢いよく返事した。

 魔法コインで割り勘の約束をしたら、魔法は両者のMPを消費する。それを利用して、母が言ったような監視、あるいは見守りができる。一つの王家、一つの国、一人の神、一つの言語。コロンブス王家が統一する世界の恩恵が発行するコインにももたらされていた。コロンブスコインでMPを共用できたとしても、個人が使える術の制限はあるし、最大MPを超える多大な消費はEXPにまで手を付けなくてはならなくなる。家族での割り勘はその予防の意味もあった。

 屋台は、広い石畳の道の両側にたくさん出ていた。歩きながらでも食べられる各地の軽食の店が多い。街の中心の広場まで行くと、地場のレストランの店舗もあるから、業種はアクセサリーショップや本屋、衣料品の店が多くなる。そこでは楽士たちがチップ目当てにご当地の音楽を奏で、大道芸人は石化したように微動だにしない芸を見せていた。いや、見られていた。

 古来、関渡(かんと)津泊(しんぱく)十楽じゅうらくの津であった。定期船の着く港、海の難所を前に停泊できる集落、同じく天険あるいは国境の街、その関所や検問所、そのような場所は人の往来が多いゆえに発展し定住する者も増える。例えば、インバウンドでよその景気のいい人が来るのを待つ、それを相手に一時的に値を釣り上げて儲けるなどすれば、目先の銭は多少は余計に手に入るだろう。しかし、近視眼的な商売がそもそも下策で、それでは土地の発展はありえない。行き交う人の自由があれば彼らはまた訪れるだろう。当座の自由は認める、それがらくである。店を構える、居を定めるとなったら税金をいただく。これこそまさにゼニを目当てにするのではなく、人に期待する政策である。基本的に銭に執着する必要のない魔法体系があることも忘れてはならない。

 さらに定住した人でも座、組合、ギルドに入らないと商売をさせないといった縛りがないなら、これすなわち楽市楽座らくいちらくざ

 共同体の締め付け、圧力がなくてもできるという、やはり人間を信じた上での施策であった。そのため、ここいらは城下町よりもよほどにぎやかに発展し、ヒト族、ツノ族、シッポ族はもとより、都でもめったに見かけない砂漠の民・コブ族、天空人・ツバサ族の人たちも普通に歩いているのだった。様々な種族が闊歩する石畳の広場は、自主性ゆえに清潔に整えられていた。

 三つ目族の男の屋台は、アクセサリーショップ。彼らの三番目の眼は魔法アイテムの鑑定ができるそうな。

 衣料品の出店には東の戦士の国のキモノも売っていた。しかし、けるベエは着こなしと同じくメンテナンスも心得ているので不要である。そもそも彼の国ではオシャレとは物持ちのことでなく、こなれ具合のことであった。

 東の戦士の国の文化と言えば魚や肉を火を通さず食べるのが有名であるが、港町ならではか、そのような品を出す店もあった。

 食べ物を並べている台が高い位置にあって見づらい場合もあったが、自分の国の文化が珍しいとされているけるベエは、母から聞いたことがある料理よりももっと変わったものが食べたいと、珍しい種族の店員がいる屋台に当たりを付けた。

 ツノが四本は見たことない。髪を分けるようにニョッキリとてんでに生えていた。でっかい図体を縮めるように狭い屋台に収まっている。そのために小さく見えるが大きめのカップに赤や黄色の粘度のありそうなジュース。看板の文字にはフルーツの表音文字、ほかの表意文字は子供のけるベエには読めなかったが、看板の下にも支柱にもさまざまな果実を吊っている。大きな甕がいくつもあり、甘い匂いがする。

 酒かもしれないが、それでもいいとけるベエは思った。祝い事の折には子供にも許されるような、アルコールに寛容なのが彼の国であった。

 しかし、りゐばうが縄を持つ手をグイッと引っ張った。

「わかったよ、ちゃんと腹がふくれるものだな」もとより子供は酒に未練などない。

 広場のさらに奥のほうへ、りゐばうは進む。いろんな種族、いろんなグループの間をぬって歩く。りゐばうに声をかけてくる人もいる。犬を連れている人が立ち止まり話しかけてくると犬同士もあいさつをする。シッポが二本だと勝手が違うようで向こうの顔に当たったりしている。先方の飼い主にもりゐばうはおとなしく撫でられている。多様な犬種にも人種にも慣れている土地なのだった。そんなこんなで、けるベエは社交的な適応を示す犬が進むに任せて歩く。そして、止まった店は、

「めずらしい匂いでも探してるのかと思ったら、本屋? 何の用があるんだ?」けるベエは呆れて言った。

「おいおい、犬が本を読むなんてあるのか? 賢いモンスターもいるって聞くが、しかし異国の犬だって、いくら何でもよ……」そばで立ち読みをしていた、サングラスをした革ジャンの若い男が独り言にしては大きな声で言った。

「オッホン」と返事のようにこもった声で吠えると、

「マジかよ、なめんなって言ってんのか……」

「いえ、こいつは本は読みません」飼い主としてまっさきに言って、

「ただ、そこもとに何か感じたようで……、何か食べ物を持ってますか?あるいは何か食べました?」

「そこもとと来たか、いや、持ってりゃこいつにあげたいとこだが何もないし何も喰っちゃいねえな」

「……そうですか」

「腹減ってるだけじゃないのか? 東の国の坊ちゃん、そっちもどうなんだい?」

「坊ちゃんはよしてください。けるベエと申します。こいつはりゐばうです」

「それじゃあ、けるベエ殿。おれはサグサスってもんだ、町の厄介もんさ、この辺りには詳しいぜ。飯屋を探してて本屋で止まるとは、りゐばうは賢くても役には立たねえタイプなのかい?」読んでいた本を店の台に丁寧に戻すと、リーゼントを撫でつけながら開けっ広げに言う。髪を上げているので額の三つ目が露わだったが、まぶたを閉じている。高く細い三角の鼻にちょんとサングラスを乗せて残り二つの目もうかがえないが、足もひょろひょろと細い背の高い男はただの猫背ではなく会話のために身をかがめるようにしているようだった。

「ワン、ワン」と、りゐばうはまた良い声で吠えた。

「実は旅をしていまして……」

「うん、わかるよ」

「母も一緒でして、ここには母の学生時代の友人がいまして……」

「へえ、思い出の地を一緒に再訪ってわけか、そいつは親孝行だね、君」

「母は先に行かせてその人が営む旅館で休ませて、わしはわしでりゐばうとちょっと歩いてみようと思って……」

「孝行にかてていい心がけだよ、やっぱお国柄かね。それじゃあ知らない土地ってわけでもないのかい?」サグサスはしゃがみ込み、りゐばうを撫でながら、けるベエと同じ高さの目線で感心したようにうなづく。

「わしはハッダンの街は初めてですが、母からよく聞いとりまして、街の名物も知ってはいて確かイカの……」

 話が弾むのは、合いの手の良さと調子の良さ。りゐばうの警戒心の無さが間接的に安心させる。それに若者のサングラスの二つのレンズの奥の目であった。三つ目を隠さず頼らないのもそうだが、おぼろげにわかる小さな目は、たぶんサングラスを外すと小さすぎて笑ってしまうだろう。子供でもわかるし、それがリーゼントの下にあるのもおかしいし、本屋に似合わないのがまたおかしい。

「ああ、テンタクルス、人喰い烏賊いかな。でも、そんなのはただの噂で人間を喰ったりはしないんだよ。あいつらのサイズからすると人間なんて小物なんだよ。何十人も喰わなきゃ腹の足しにもならない、あいつら鯨を襲って喰うんだからな。だから船が襲われたって追い払うのが先決で、ぶっとい足一本でも切り落としたらイカも逃げるし船も逃げられる。そんなふうだから生き残る奴は多いんだが、一大事みたいにみんな言うんだよ。それがまた尾ひれをつけた噂になって広まっただけさ、そんなもんだよ実際は」

 なるほどと思う海の街の逸話、ゴシップだった。じゃあ十回で漁は終わりかと聞こうと思ったが、残り二三本でもう泳げなくなってそうだから聞くのはやめて「ふうん」と感心したようにうなずいたけるベエであった。

「わしの故郷も黄金の島と言われますが、陸とつながってます。島ではありません。黄金も昔は知りませんが王国のほうがたぶん採れる…」

「え? 東の戦士の国? 極東の最果ての島じゃなかったの? それはちょっとロマンがないって言うか、知らなかったな……」本当にがっかりしている。

「じゃあ、鬼の国っていうのは? なんかデカイ強いモンスターで、ツノ族ともちょっと違うって……」

「鬼と呼ばれるツノ族のような化け物はいます。でも、ツノは一本か二本です」

「え? 普通じゃん。虎の皮の鎧を着てるってのは?」

「虎の模様に似た毛皮のパンツをはいてるようです」

「パンツ? マントみたい羽織って虎に見えるとか、虎の頭を飾り付けた鎧とか……」

「パンツです。虎の模様に似たもう少し小さい動物もいるんで、その皮のこともあるから小さいパンツ」

「はあー、パンツ……。じゃああれは? 鬼門と言って不吉な方角があるんだろ、呪いみたいに戦士の力を削いでモンスターに有利になる……」

「鬼門はありますけど、そっちから出ないとモンスターにとっても効果がないんで、ある意味、縛りと言うか、一つの地形効果と言うか、縄張りはあっても誘い込むような罠を仕掛けたりもしないし、どっちにしろ関係ないような……」

「ええ?」納得はしてるがそれが悔しいといった表情で「なんか、もっと強くあって欲しかったような……」

 モンスターが強くあってほしいとは、けるベエにはよくわからない気持ちだったが、サグサスの落胆ぶりに悪いことを言ってしまったような気にもなる。

「戦士の国なのは本当ですよ、普通は二本の剣を腰に帯びるのですが道中なので……」けるベエは荷物を両足の間に置くと、背中の剣の下のほうを左手で押し上げ右手は肩越しにさやの上部を掴んで身体から外そうとした。

「いやいや、いいよいいよ。戦士の魂なんだろ、つるぎは」サグサスはあわてて両手を振った。

「いいえ、ただの道具ですよカタナは。よく言われる精神性も伝説みたいなもので普通に兵士として王宮に仕えている人も多いし、わしの父もそうなんです」

「ふうん、意外」改めてサグサスに上から下まで見られたが、織物のテクノロジーを認識して比較するより、着物の小紋の柄を装飾として捉えるような、そんな濁りのない見方なのは子供にもわかった。

「俺ばっかり訊いてるな。なんか喰いたいもんはないかい、おう、ワン公もだ」軽口を叩く大人は、得てして子供が知らないことを言っておいてそれをわからないものとしてからかう。このひょろっとしたあんちゃんはちゃんと話を聞いてくれている。でも、王宮の兵団のようなお堅い話とは無縁そうで、訊いてもしかたないような気もする。それでけるベエは当面の空腹をまずどうにかしようと思った。

 りゐばうはわしわしと頭を洗われてるように撫でられて、ぶんぶんしっぽを振って、顎もやれとサグサスに向かって何度も顔を上げる。

「こいつの餌は普段ご飯ばっかりなので、たまには珍しい肉でも食べさせたいかな。わしも知らない土地の知らない料理を試してみたいです」りゐばうの様子を見てけるベエも素直に言った。

「じゃあ、ドラゴンの肉で決まりだな。ついて来な」

 おどろいているけるベエに「フフッまあびっくりだわな、でもただの鳥肉だよ種類で言ったら。文化の違いはおもしろいな、あー、味は保証するぜ」

 ドラゴンを扱うからと言ってその店に何の特別なところもなく、構えも他と変わらぬ屋台だった。長い串に四つ五つ小ぶりな肉が何本かは見本のために瓶に立っている。肉片は茶色くいのは火を通してるからだろうが、それでもどちらかというと牛肉っぽい。照り焼きらしくてツヤツヤ光っている。串は作り置きがすぐ買えるように皿に横にして積まれているのもあった。まったくいわゆる焼き鳥に見える。ちょっとおどろいているけるベエにその一本を渡すと、

「いいよ、おごらせてくれ」と言うと支払いを済ませ、ついッと駆け出して行ってしまった。

 けるベエは「割り勘で……」背中に声をかけたが、振り向きもせずサグサスはひょいと片手を上げて屋台と屋台の間の通りへ曲がり消えた。店のオッサンは勘定は終わってるし、子供の相手はしてられないのか無言でドラゴン焼きに戻っている。

「へっへっへっ」と、りゐばうが息を荒くしだした。

 広場の中央には大きな噴水があって、そのへりに腰かけ、若い男女がひとつ皿から何かを食べている。水をたたえた縁は円になって、ほかにもたくさん座っているがカップルばかりだった。なぜか綺麗に等間隔で座っているので、けるベエはなんとなく遠慮して、店の前から広場の端へ向かい、石造りのベンチにひとり座った。ベンチの前にトランクを置いて低い台にして、ドラゴン串の皿を置く。りゐばうは後ろ脚を畳んでおとなしく待っている。

 串には肉片が五つ刺さっていた。鳥肉と色が違うが、元の色なのか何かに漬け込んだせいなのかわからない。とにかくいい照り具合で、いい匂いだった。

 二人分とすると三つのほうを……というよりも五つでも軽く食べられると思う。でも、まあ、一個目はりゐばうにやろう。手で串の先に近い一個をずらす。手にタレとあぶらがしたたる。手まで食べそうな勢いでかぶりつかれたが、りゐばうはそんなヘマはしない。けるベエも左手で持った串に喰いつく。人が一口で食べるには大きすぎるから、食いちぎった。肉はちょっと硬い。親鳥という安いやつに似てるか、そう言えば恐竜は鳥の祖先だというし、などと考えながら噛みしめると、香辛料の後ろからやってくる獣臭さが、懐かしい故郷の味を思わせる。ジビエなどというしゃれた言い方ではないが、その類いの料理だ。りゐばうも狩りをする。この年でも猪よりも強いと言えるのが自慢だった。ひとつ目を食べ終わったりゐばうはまだ差し出されたままのけるベエの右手をベロベロなめていた。

 もう一個やろうと、肉片を串から外した、その瞬間、けるベエの背後からネズミが走り寄ってきて、肉を奪い、跳んで逃げた。コソ泥ねずみか。都会に似合う、すばしっこい奴。と思う間もなく二匹目のネズミがりゐばうの首の辺りに取り付いた。首のペンダントを奪おうとする。紐をかみ切ろうとするが、りゐばうはすばやく押さえて防いだ。次の瞬間には、人が傍らを走り抜けた。りゐばうの服の袖が切られ、中の財布を盗まれていた。

 走り去る影は小さい、ローブのような服を頭からかぶって全身を隠しているが子供だ、浮浪児の類いか、掏摸スリか。コソ泥ねずみと連携するとは小癪な。モンスターも手なずけられる都会の厳しさよ。

 吠えるりゐばうを、

「待て!!」と制止した。

 もう一度、

「守れ」と荷物の番をさせて、けるベエは駆け出した。

 泥棒は路地へ走り込むと、次々に角を曲がり、あっちの路地に曲がるかと思わせてこっちの階段を飛び降り、くねくねとすばしっこく方向を変えてまこうとする。

 すると横丁から少年が走り出してきた。二人に追いすがり、けるベエに並びかけると、

「何をやられた?」

「え?」走るけるベエの切られた着物の袂が、ひらひらと風になびいていた。

「盗られたの何だよ?」

「財布だ」自分の速度に並走できるのが意外で、けるベエはありのままを言った。

 彼の名はゾリントン。孤児だった。そんな連中はしかし、ある程度の大きな街ではよく見かける。彼らの自己防衛が街の外でうろつくゾンビ除けにもなるからだったが、基本的に命を粗末にしない空気はこの国のどこでもある。命を守ることができるかは、やはり都市の規模に影響もされた。まず文明の余裕というべし。

 彼らは都市になじむためだけではなく、なるだけ身ぎれいにしていた。おとなははぐれ者であると社会的にマークされる前に、それとわかるある種のファッションを好んで身に着ける。まかり通るという意思表示なのか、はびこらせないという目にあらかじめ反発するためか、その辺に食い違いがあってもやるということは、自意識の問題でしかなかった。が、孤児の生きざまとしても舐められないのは大事だった。例えば困っている人がいたら知らない奴でも手助けはするし、それがまぬけな奴だったら、だまくらかして少々儲けさせてもらうこともある。逆に誰かのカモにされてたら、だます小悪党のほうをライバルとして追い落とす。助けるのではなく分け前を分捕るわけだ。ゾリントンの場合は几帳面な性格もあいまって街をうろうろしては悪事よりも小事でも何かあれば首を突っ込みひと働きする、そうして都市を生き抜いてきた。目端が利かないと、モンスターの餌になる前に都会に食い物にされる。闇の社会というわけでなく、まともなところから借金しても、それがかさめばゾンビに人は転落する。

 空気を読んで、態度に気を付けて、そうしてないと人間で居続けることはできないのか? 確かにMPは才能だ。だが、王国が管理している限り、万人に開かれていた。誰でも使える手段はあり、少なくともHPはいつでも回復できた。そして、それ以上の救いを望むこともできた。魔法だからだ。魔法とは通常ではない事態を引きおこすものだった。

 ゾリントンは走りながら、とりあえず気になったことを尋ねる。

「東の国の坊ちゃん、MPはあるのかい? ちょっとでもあるんならよこしな、おれの魔法を出してやってもいいぜ」

「坊ちゃんはやめろよ漱石かよ。わしの名はけるベエだ。MPもあるし魔法も使える。都会の蓮っ葉な餓鬼んちょめがいっぱしに。わしが術を出す、だが、あいにく旅の途中でな、HP全振りのところで財布を盗られて出せない。ジャリ銭でいいから貸してくれい」

 前方を走る泥棒は相変わらず道をどんどん変えて行く。行き交う人にぶつかりそうになりながらもすり抜けていく。が、大きな通りに出たりもして、どうもやみくもに街外れに向かっているらしい。

「けるベエくんか、銭を出すのは別にいいけどよ、ジャリ銭で出せる威力はたかが知れてるだろ、いいからおれに任せなよ」こいつは魔法とも術とも言ったが、普通に魔法と変わらないのかな? 東の戦士の国は有名だ。独特の文化を持った剣士の国。服装も独特と聞くが今初めて見た。ちっちゃい体でこの生意気な言い回しも似合ってるような、とにかく意外な反応が返ってくるので何か言い返したくなる。

「なに、足を止めることができればあとは何とでもなる」

「何持ってるかわかんねえぜ」

「わしの得物のほうが上じゃ」

「獲物? 財布だけじゃないのか盗られたの?」

「財布だけじゃ。ほかは守った」

「ふうん、ほいブスコイン、こまかいやつ」ゾリントンがポケットから取り出して少年の前方に放ってやると、走りながら素早くキャッチした。ゾリントンのほうも自分と互角のスピードのおかしな格好の少年に興味津々だ。背中の剣に手を添えて、おかしな履物でよくすべらずにこんなに走れるもんだ。

 ブスコインと総称されるのは各地域で流通する古銭を含む少額の硬貨で、けるベエが受け取ったそれは端が欠けていた。

「かたじけない、そなた名は?」「おれはゾリントン」けるベエは手の内のコインに「ケルベエ・ダ・ロマール」とつぶやく。ゾリントンは「ゾリントン・デル・ハッダン」とささやく。そのあと、お互いの名を呼び合うようにまたつぶやく。ひとつの王家によるひとつの国家、ひとつの苗字だから、名前のあとには出身地あるいは生活の場を告げる。これで二人の割り勘は成立し、MPを共有する。

「ウッシャー!!」けるベエは風の魔法を唱えた。なんか違う、とゾリントンは思った。語句が違うし、叫ぶだけで発動の時に指差しもしない。

 けるベエの口の辺りから一陣の風が前方に飛ぶ。風の初級魔法だと、頭にヒットするか足をすくうか。背中にぶつけても「おっとっと」で終わりそうだが。

 案の定というか、攻撃は外れた。風はついと行き過ぎて二人が走り抜けるときにはかき消える。そうとも知らず泥棒はまた角を曲がる。もう石畳は途切れ、土の道になる。山道に入って、木々も高く太く緑が深くなってきた。森に潜り込まれると追跡は難しくなるだろう。まだ、道を走ってるうちに、

「ヨッシャー!!」ゾリントンの風の初級魔法。走りながら二本の指で照準した。泥棒の足元に砂煙が立った。狙われないようにまだちゃんと左右にぶれながら走ってやがる。外した。

「なんだ方言か、呪文が違うぞ」

「こっちのセリフだよ」

 言ってるうちに小さな影が二つ三つ茂みの中から飛び出し泥棒に追いすがった。コソ泥ねずみが合流した。

「まずいぞ」ゾリントンは言った。ネズミは盗んだものを持ってきたのか、それともネズミに持たして別方向に逃がすのか。三匹だと四方向だ、とても手が足りない。

「ネズミだ!!」察したのか、けるベエが狙いを指示してきた。

「ヨッシャー」返事する間もなくゾリントンは魔法を放った。今度は泥棒の背中にしがみついているネズミの一匹に命中し、ダメージはHP以上だったのだろう、ネズミはいくつかの数字だけを空中に残して消失する。

「的中!!」と言って、けるベエが数字が浮いている辺りでスピードをゆるめる。コインで数字をひろうとMPは補充される。

「何やってんだ、追えよ」

「しかしMPが……」ゾリントンから借りているから回収したのだったが、

「いいって、それっぽっち。あーあ」

 泥棒は振り向きもせず、道をそれて森の中へ飛び込んだ。もう町外れのイシブミがすぐそこに見えていた。結界を越えるとモンスターが跋扈する領域となる。たかがコソ泥ねずみとはいえ、どんな変貌を見せるか。あるいは、泥棒がもっと別の何者に通じて、何が待っているかわからない。

 悔しそうな顔を見せ、立ち尽くすゾリントンにけるベエが数字を回収し終えたコインを見せると、

「いや、おまえにやったんだし」と、まだ泥棒の消えたほうを見やりながらそっけない。「それより脱獄されるぞ」ポケットから自分のコインを取り出すと「ほら、おまえは一発おれは二発打ったのに10MPの消費だ。おれの初級の風魔法は2か3で二発でも5だ。おまえが使った分がだいぶ多いぜ。持ってるMPもその分多いんだろ、脱獄でごっそりやられるんじゃないか」と数字を読み上げた。

 言われてけるベエはさっさと盗まれた財布の銭との紐づけを切ることにした。

 王国は一人の神、一つの言葉、ひとつの王家のひとつの国家であり、あらゆる通貨が通用する。王国の税は賦役が基本で、その他は代銭納と呼ばれ魔法は数値としての銭でもあるゆえ、MPによる方法を採るのはなかでも下層民に多かった。貧乏ひま無し、通例の恩赦や喜捨、またイシブミでのHPの回復を当てにしてMPを貯め、収めるのである。

 よって他者のコインのMPを盗み取るいわゆる脱獄も簡単だったし横行していた。ただし最大MP量の限界はあるので、これも下っ端のコソ泥がやることだった。エナジードレインなどとは規模も効率も桁違いに悪いのであった。

 けるベエは、コインに浮き彫りにされた横顔の王女に話しかけた。肖像の王女の目だけがチラッとこっちを見た。名を名乗ると王女は目をつむった。そしてまた平静な横顔に戻った。王女の声らしき柔らかな音声と、ダメージのときとは違うフォント、違うポイントで、空中に更新された旨が浮かび出て消えた。

 盗られた向こうのコインのアカウントは削除され、手元にあるのがメインとなった。母や実家との紐づけも切れたが、それは国境のイシブミに入出国が記録されているから、そこから再登録すればよい。

 ゾリントンは今も消費が不均衡だと言ったばかりだが、割り勘のままでいることには言及しない。

 彼からは不満顔も消えて、けるベエの迂闊さにも触れず「足速いね」「剣を振るチャンスはなかったかな」などと分析めいた反省と共になんだか褒めているようだ。

 見たことある形のジャンバー、細いズボン、つま先のとんがった革の靴。ちょっと身長は向こうが高いが自分と同じ年頃で、助けてもらったし、いやな印象はない。むしろ、この街の人に好意を持った気持ちは続いていた。が、さっきまでのポンポン言いたいことを言うような様子から、はぐらかすような言い方になってるのが気になった。

「どういうやつなんだろう?」つい口をついて出た。

「おれもあんまり人のことは言えないけど、まあコソ泥かな。よそ者で流れ者ってとこか、あんま見ない奴だし。ネズミを使うなんてこの辺のグループじゃないな、ただのみなし児かな……」

「なんじゃ? おまえも胡麻ごまはいのたぐいか?仲間なのか?」

「だからあいつはよそ者だって。おれは盗みなんかしないぜ、ただ正規でない品物も扱う。脱獄もやるし、生きるためにはいろいろあるってことだ」

「いろいろできるのならその腕をまともな稼業に活かすべきであろう」

「だからやってるって。効率ってもんがある。逆にしがらみもある、いろいろあんだよ、坊ちゃん。財布は戻らなかったけどよ、ここで会ったのだって何かの縁だろ」説教臭い物言いより、ズバッと言ってくるからゾリントンもはっきり反論したい。

伝手つてにしたいのならそれは縁じゃない、つながり目的だ、コネクションだ。なんじゃわしで儲けたいのか? 珍しいな、やっぱり都会なんだな」

「それだけじゃないさ」変な言い草だと思った。どんなタマかもわかんないのに儲けようとしてる? 銭は取り戻せなかったが、現に銭もMPも少しだが足しにしてやったところだが。それにあんな掏摸みたいな、隙があれば田舎者でも何でも狙うような奴と一緒にされたくはない。「おまえの懐なんか狙わないよ。ていうか、先にやられてんじゃん」

「それには言い返せない。残念じゃ」

「一応縄張りってのがあるんだよ、一家てほどのものじゃないしボスもメンバーも決まってはないけど、顔役みたいなことをしたがる奴がいる、変な大人だけどな。その一味ということになってる。若いうちはしょうがないんだよ。でも、大人の言いなりじゃないし、あんなコソ泥とは違う」

 若いうちって子供が何を言ってるのかと思うが、それを言われるのはイヤだろうとは態度からもわかるし、けるベエ自身も子供扱いはいやなのだった。

 ツノ出せ、槍出せ、頭出せ。童謡には命令形の歌が多い。いっつも子供は命令されてるから、歌ぐらいは自分がそうしたいのだ。

「そのコインは持ってっていいから、それでどうするよ」話を切るようにゾリントンはちょっとイシブミを見て言った。

 財布は惜しくはない。だが食事の最中とはいえ、隙を見せた自分が悔しい。それでも八つ当たりはよくないと思い直す。

「街に戻るよ、広場に犬がいて荷物の番をしている」

「へ~」半信半疑な返事だった。

 山道だった。峠はもっと上だが、だいぶ登ってきたようだ。街並みは眼下にあるが、建物にさえぎられ噴水の広場は見えない。

「ああ、じゃあ知ったものがいる場所にさつで戻れるのか、犬のところでも行けるのかは知らないけど」帰還の札は子供に持たせるものだった。

「いや、札はもってない」

「靴下の中とかに一枚は入れとくもんだろ普通」と言いながら、相手の履物を見て「ああ、そうか」ゾリントンは小声になっていた。「おれもねえや」

「広場って、あの塔の辺りだったかな」海岸沿いに広がる街並みを見晴るかす。

「何言ってんだ、全然違うよ、もっと海のほうだろ」けるベエの顔の向きとはだいぶ違う方向を指差した。

「だいぶ走ったけどなあ」適当に顔の向きを変えるけるベエ。

「田舎の距離感で言ってないか、そりゃ……」掏摸に狙われるわけだの言葉をゾリントンは呑み込んで「のんきな坊ちゃんだぜ」

「坊ちゃんはやめてくれい。地図があればわかるのだから」

ということで、イシブミまでやってきて地理のページを出して確かめると、今度は、

「なんだこれ、立体だ」とおどろいている。「立体とか画像を動かせるのより、紙がいいんだけどな。上が北で、道だけみたいな」

「3Dのほうがわかりやすくね? 今どきそんな古いの出ないって」ゾリントンはあきれた。

「うちの田舎じゃこんなふうにはなってなかったから慣れてないだけだ」

 だが、何をどう操作するのか迷っているみたいで、やがて懐から紙片をおもむろに取り出して「こういうの」と地図を広げる手の、袖の長さが左右で違っているのとなにやら共通するおかしさを、その線だけのマップにゾリントンは感じた。

「なつかしいな、学校で配られるのはこれだったよな。ん?これ焼き付けてる? 火の魔法で転写してんのか。紙を焦がすくらいならMPもいらないか、便利なのか手間なのか、古いのか新しいのか……」

「イシブミは国境にあるものだろ。いちいち見に行かなくていいように……」

「どこにでもあるよ、街中にもあったろ、無いといろいろ手続きとか面倒くさいだろ」

「別に用はないしな、わしの国は入るのは自由、出て行けるかは腕次第だから、チェックといってもそれなりだし……」

「ああ、噂で聞くよ、東の戦士の国に入るにはテストがあって、入ったはいいが戻って来られるかはわかんないんだろ。そのテストもまたひどいんだろ」

「はて? よそ者を見かけたらとりあえず腕試ししてもよいというだけのことだが」

「物騒なことをサラッと言いやがるぜ」

「物騒ではないよ、ここは港町だから出るのは自由、入るときは誰何すいかされるだろう。たいして変わらん」

 いやいや、と反論しようにもそもそもの前提が違うようなので、地図に話を戻して、

「今立ってるのがここ、噴水はこっちだ、走ってきたのが、こう、こんな感じ。距離感な、覚えろよ。おれもちょっと調べたいことあるからいいか」

 けるベエは振り返って街を見下ろしたりしているが、たぶん地図との比較ではなく漠然と眺めているだけだ。紙の地図はもう畳んで締まってるし。

 ゾリントンはそんな少年を脇を通り、イシブミに向かい合った。




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