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カフェオレ

 観光地としても有名な表通りを1本入ると石畳の小路がある。運河沿いには桜並木。ずっと歩いて行くと、まるでパリのアパルトマンのような石造りの可愛いビルがあった。赤い庇にアーチ形の窓。外観は理想どおり。大事なのは窓から桜の木が見えるかどうかだけど、そこはばっちり。ビルの中、2階の窓を開けると、目の前に大ぶりの桜の枝がせり出していた。

 美都(みと)は目を閉じ、イメージする。ポットから立ち上る温かい湯気。深くて苦いコーヒーの香り。たっぷりと注がれた真っ白なミルク。そして笑顔。おしゃべり。隅の席を占領してずっと本を読んでいたって誰も文句を言わないの。いつもなら「お水を入れますね」って3回言われちゃったら「そろそろ帰るよね?」って無言の圧力だけど、私の店では過ごし方自由!コーヒー1杯で、あなたが陣取った席と座っている間の時間はあなたのものだから。

 「理想はね」

神流かんなの穏やかだが現実的な声が美都の妄想に割って入った。

「現実的にはそれじゃ儲けにならないでしょ?ミトちゃん、これは商売だから。」

「儲け・・・そうだけど~。そうなんだけど~。パリのカフェみたいなゆったりとした空間を作りたいのよ!レジ横で空き待ちの客が睨みきかしていて、お水3回注がれたら帰らなきゃいけない空気みたいなのがずっと嫌で。カンナもわかるって言ってたじゃん。」

口を尖らせる美都に神流は、

「ここはパリじゃないから。」

とばっさり言い切った。

「それにしても窓から見える桜がすごくいいね。よく見つけたじゃない。こんな物件。」

「それがホントに偶然なんだ。メインストリートはよく歩いているんだけど裏通りはあまり来ないから、空き物件が出ているのに気が付かなかったの。ちょっと前から出ていたらしいんだけどね。」

 美都瑛みとあきら。33歳にして突然、脱サラ起業。前職の広告会社ではクリエイティブな仕事をこなし、社内外の評価も高かった。

 だからこそ、何を考えているのかと耳にタコができるほど言われた。

 キャリアも安定した収入も投げうって、小さなカフェを開きたい?

 仕事は順調だったし、今まで誰かに起業の夢を語ってきたわけでもない。あまりに唐突で、冗談かと笑う者も多かった。

 でも職場の後輩の神流亜子(かんなあこ)だけは笑わなかった。

 美都がカフェ開店の話をしたのは、会社では唯一神流だけだった。

 どんな店にしたいの?どこで開くの?当座の資金はあるの?

 一つ一つの質問に、美都は丁寧に答えた。彼女らしい理路整然とした説明。神流は黙って話を聴いた。

神流の特技は「聴く」ことだ。

 美人で才能に恵まれ、加えて気が強い美都はやっかみも受けやすく、同期からは孤立していた。ひょんなことから仲良くなった4年後輩の神流は、公私ともに何でも相談できる貴重な存在だ。

 ぽっちゃりとした丸顔の神流は第一印象で人から好かれる上に、相手に「話させる」技術と才能を持っている。営業というと「喋れてなんぼ」のように思われがちだが、実は聴く方が重要だ。「話したがっている人」、「話すのが苦手だけど聞いてほしい人」、そんな「匂い」を感じ、相手の懐に入る。相槌のタイミングと言葉選びはセンスと経験。プラスして、足繁く通う努力と忍耐。ゆえに神流の営業成績は常にトップ3だった。

 たまに相槌を打ちつつ聞き役に徹していた神流は、最後にこう言った。

「オッケー。じゃあ一緒にやる。」

「いいの?・・・って、どうして誘おうとしているのがわかったの?」

「だって相談事にしてはやけに具体的だし、やたらメニューにスイーツ入れたいって話をしてくるし。美都サンにはきっと・・・」

少し間を開けてから「私が必要でしょ?」と、神流はにっこりした。神流はお菓子作りが大好きで、その腕前はすでに趣味の域を超えていた。

「会社には美都サンが必要だろうけどね。」

「いやいや、それはないって。でもカンナが抜けたらヤバいよね。クライアント人気ナンバーワンの期待の若手だし。」

「じゃあ2人いっぺんに抜けたら、どうなるかな?」

神流がにやりとしながら言う。美都も笑う。でも美都も神流も本当はわかっている。どうにもならない。会社は自分がいなくたって何も変わらない。次が入るまで人手は足りなくなるだろうけど。そう、自分の代わりなんていくらでもいるから。

 「物件の契約、役所、電気・水道・ガス、電話、Wi-Fiは手配済みなの。あと・・・」

「早っ!なにそれ。今日は物件の下見かと思ってたら、もう引っ越し手続き関係済んでいるじゃない。」

「それがさ、大家さんが親切で、色々アドバイスしてくれたんだよね。」

 会社は辞めたものの、しばらく美都から連絡がなかった。ちょっと不安になりつつ、メニュー開発に思いを巡らしていたところ、昨日いきなり物件が見つかったから見に行こうとメールが来た。美都は仕事ができるし、せっかちだ。今までの付き合いでそれは知っている。でも、

(少しは私も頼ってほしい)

今までは会社の後輩で、美都の仕事に口を出すことはなかったが、これからは違う。神流はビジネスパートナーだ。区切りをつけるため、さりげなく呼び方も「美都サン」から「ミトちゃん」にしてみた。しかし呼び方を変えたところで、意識までは変わらない。

(きっと、頼られないんじゃなくて頼りないんだ。)

そこに思い当ってしまうと、劣等感から美都に嫉妬し、離れていった同僚たちと同じ沼に嵌る。

 頭に浮かんだもやもやを払しょくするべく、ぶるんと首を振ると、外しておいた腕時計が目に入った。

「そういえば、そろそろキララちゃんが帰ってくるんじゃない?」

内装のカタログと睨めっこしていた美都も自分の時計を確認した。

「わあ、もうそんな時間か。あ、でも雲母(きらら)とはここで待ち合わせだった。もう少し大丈夫。」

「キララちゃんに会えるの?嬉し~い!1年ぶりだよ。大きくなっただろうな。」

仮置きの机に広げた書類やノートパソコンを片付けながら「そんなに会ってなかったっけ?」と美都は応じた。

「最後に会ったの、確か会社のバーベキューの時だよね。大地さんと一緒に来ていたじゃない?」

 久しぶりに聞く別れた夫の名前だが、もう心が騒ぐこともない。離婚協議の時の約束どおり、親権を美都が持つ代わりに一人娘の雲母とは週1回必ず会わせている。が、美都自身は神流と同じくバーベキュー以来顔を合わせていない。バーベキューは呼ぶつもりなかったのだが、元々雲母との面会日だったことから、雲母が勝手に声をかけたのだった。その時は本当に久しぶりの対面だったが、気まずいというより、気恥ずかしかった。とはいえ雲母や、神流、他の同僚たちの気遣いもあって、わだかまりなく楽しく過ごした。それに会わなくても子育ての情報共有や悩み相談でしょっちゅう連絡を取り合っているので、離婚直前よりむしろいい関係を築けているかもしれない。

 階段をトントントンと上がる足音がして、開いたままの入り口から女の子がひょこっと顔をのぞかせた。ツインテールにピンクのリュック。目尻の下がったどんぐり眼は、美都ではなく父親譲りのようだ。

 「ママ・・・」

「キララちゃん!こんにちは。久しぶりだねー。」

神流が笑って手を振ると、「あーっ!カンナちゃん!!」と、たちまち雲母も笑顔になった。

「何年生だっけ?また背が伸びたんじゃない?リュックkankenじゃん。持ち手が水色の初めて見た。かわいー。」

雲母は背中で手を組んでもじもじしながら上目遣いに大人たちを見た。

「あら?私も初めて見たー。そのリュック。」

「・・・パパに買ってもらったの。」

「またー?先週もスカート買ってもらっていたよね?パパお金なくなっちゃうよ。」

あきれ顔の美都の前からするりと逃げて、雲母は神流の背中に隠れた。かわいらしい仕草に、思わず神流は顔をほころばせる。どうやらお人好しの大地は、娘のおねだりにかなり弱いらしい。

 「せっかく会えたし、ジュース飲みに行こうよ。」

親子をとりなすように神流が言う。

「うん!賛成~。パフェも!」

雲母は神流の背後から飛び出し、満面の笑みで両手を上げた。

「いいよー。パフェがおいしいお店に行こう。ね、ミトちゃん。」

「はいはい。私はビールがおいしい店がいいけどね。」

美都がやれやれといった感じで言うと、

「今日はアルコールなし!」

と、神流にビシッと返された。

「ええっ!しょうがないなあ。じゃあ、コーヒーがおいしい店。」

「それは大歓迎!」

神流は雲母の手を引いて歩きだした。

「オレンジジュースとパフェ忘れないでよ?」

雲母が心配そうに言うと、神流は親指を立てて「そこはぬかりなく」と笑いかけた。

 「パパ、車で送ってくれたの?」

3人は表通りの老舗カフェに移動し、注文した品を待っていた。雲母は先に来たオレンジジュースのストローをくわえたまま頷いた。のどが渇いていたのか、すごい勢いで飲んでいる。このペースではパフェが来る頃には空になっていることだろう。

 「ミトちゃんがカフェオレって珍しいね。」

「そう?」

美都は水をひと口飲む。透明な氷がグラスの中でカランと音をたてる。ほんのりレモンの香りがする水はおいしかったが、注文したものがくる前に水でお腹を満たしてしまったら本末転倒だ。

「ミトちゃんって、何となくコーヒーにミルクを入れないイメージ。」

「そんなことないよー。基本的には、苦くて重いタイプのコーヒーにミルクたっぷり入れて飲むのが好き。カフェオレでも、カフェラテでも。」

雲母が眉根を寄せて、

「カフェオレとカフェラテって同じじゃないの?」

と、聞く。注文していた飲み物とパフェが運ばれてきた。

「『カフェオレ』はフランス語、『カフェラテ』はイタリア語。ドリップコーヒーに温めた牛乳を入れるカフェオレに対して、カフェラテはエスプレッソに『スチームミルク』っていう温めてからスチームで泡状にした牛乳を入れているの。カフェオレは『コーヒー牛乳』といった感じだけど、カフェラテはスチームミルクがふわふわしていて口当たりがちょっと違う。」

雲母はストロベリーパフェの苺をほおばりながら「ふうん」と気のない返事をした。パフェに夢中で、質問したわりにはよく聞いていなかった様子だ。美都はやれやれと肩をすくめる。神流がパンパンと手を叩き、

「はいはい、よくできました!教科書みたいな解説だね。カフェオレきたよ。」

と言った。

鼻をくすぐるコーヒーの香り。口に含むと、コーヒーの苦みの中にミルクの優しい甘さが溶け合って広がった。

 「20歳の頃はコーヒー嫌いだったな。苦くて。」

美都は社会人1年目に大地とデートで訪れた鎌倉のカフェを思い出す。ツタの絡まる古いビルの2階。そこはカフェというより『喫茶店』だった。カウンターの中にある翼を広げたエスプレッソマシンに惹かれ、テーブル席が空いているにもかかわらずカウンターに並んで座った。横並びに肩を寄せ合って座ると、向かい合わせより距離が近くなった気がする。

 「紅茶も種類が豊富だね。何にする?」

と聞く大地の広い肩に少しドキドキしながら、

「コーヒー、飲んでみようかな。」

と答えると、大地は目を丸くしたっけ。

「どういう心境の変化?いつもコーヒーは苦くて嫌いだって言っているのに。」

それは自分でもわからなかった。

「せっかく飲んでみる気になったのに、ますます嫌いになるといけないから、まずはカフェオレから試したら?牛乳が半分入っているから飲みやすいよ。」

「カフェラテもミルクが入っているみたいだけど、カフェオレの方がいいかな?」

「ラテだとエスプレッソを使うから、コーヒーが濃くて味が強いかも。」

「じゃあ、カフェオレで。」

 ほどなくしてカフェオレが運ばれてきた。恐る恐る口をつける。香りはコーヒーだが、口に広がる味は牛乳の風味だった。素直においしいと思った。そんな自分が意外だった。大地は一瞬優しい眼差しを向けると、すぐに視線を自分のカップに落とし、ブラックのコーヒーをすすった。カフェオレをおいしく感じた自分を大人になったと思ったが、ミルクも砂糖も入れないコーヒーを飲んでいる大地は更に大人びて見えて、ちょっぴり悔しかった。


 急に頭をもたげた古い記憶に苦笑する。パフェを平らげ、ジュースも空になった雲母は、神流に学校の話をしていた。神流はお得意の絶妙な相槌を打ちながら聴いている。どうやら雲母にとって学校は「つまらない場所」らしい。

 「ママはいいよね。いつも楽しそうで。」

口を尖らせた表情は美都に似ていた。

「え?楽しそうに見える?」

雲母はストローを加えたまま頷いた。

「いつもワクワクしている感じ。」

そうかもしれない。

開店準備は、学生の頃みんなで文化祭の準備をしていた時の感じに似た高揚感がある。元来、美都はチームで一つのものを作り上げるのが好きだった。

「今が1番楽しいのかもね。」

神流が言う。神流も同じワクワクを共有してくれているのなら嬉しい。

「好き」を仕事にするには勇気がいる。

ただカフェめぐりを楽しんでいただけの美都と、お菓子作りが大好きな神流。今が「1番」で、楽しいだけでは済まされない日が来るのだろうか。

広告の仕事だって、やりたかった職業に就き、クライアントや同僚と1つのものを作りあげていく喜びに満たされていたはずだった。 

でも、ある時ふと、今まで作りあげてきた全てを投げだし、新たなものを0から作りたい欲求が湧いてきた。それがなぜカフェを開くことだったのかは、自分でもよくわからない。だから人に聞かれてもうまく説明できなかったのだと思う。

経営のノウハウなんてない。起業のハウツー本を数冊読んだだけのにわか勉強だ。うまくいく保証はない。なのに家族と友だちを巻き込んでいる。初期費用は神流も出資している。美都を信じて会社だって辞めてきた。後戻りはできない。今度は投げだすことも許されない。

「ねえ、カンナちゃん。」

急に黙った母親に気を遣ったのか、雲母は神流の袖をひいて小声で話しかけた。

「ん?」

幸せそうにケーキをほおばっていた神流は、雲母の方へ頭を傾けた。美都は昔から急に黙ることがあるので、いちいち気にしなくなっていた。

「お店に苺パフェもおいてね。」

 神流は目を細めて、親指をグッと立てた。

 雲母はクリームが付いた口元をほころばせて神流の腕に抱きついた。

 「よし!」

 考えていても仕方がない、と、美都はカップのカフェオレをぐいっと飲み干した。最初に混ぜなかったので、冷めたミルクの味が口の中に残った。

 「忙しくなるぞ~。気合い入れていこう!」

 神流はにっこり笑って頷いた。雲母は「おーっ」と答えた。

 この先何が起こるかわからない。

でも、ひとつ確かなことは、桜の枝が見えるお気に入りのあの空間で、毎日コーヒーの香りを嗅げるということだ。

それはなかなか悪くないと美都は思った。


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