ロシア派閥
南米の激闘と歪んだ絆
南半球の灼熱の太陽が、オーストラリア軍の輸送船団を容赦なく照りつけていた。長く続く航海の末、ようやく南米大陸の輪郭が水平線の彼方に姿を現し始めた。兵士たちの間には、目的地への期待と、これから始まるであろう戦いへの緊張感が入り混じった、独特の静けさが漂っていた。
その艦隊の一隻、強襲揚陸艦「カンガルー・スピリット」の艦橋では、一人の兵士が双眼鏡を通して海岸線を凝視していた。彼の名は佐部佑。精悍な顔つきに、幾多の戦場を潜り抜けてきた歴戦の兵士特有の鋭い眼光が宿っている。今回の任務は、南米に潜伏する謎の武装勢力の拠点を叩き、彼らの活動を阻止すること。世界各地で頻発する紛争の火種となりつつあるこの勢力は、その規模も目的も未だ不明な点が多く、国際社会にとって大きな脅威となっていた。
「目標地点に接近。上陸準備を開始せよ」
艦長の厳かな声が艦橋に響き渡る。佐部は双眼鏡を置き、背嚢を手に取った。共に上陸する小隊の仲間たちと視線を交わし、無言の連携を確認する。彼らは幾度もの作戦を共にしてきた、いわば戦場の兄弟たちだ。互いの呼吸、癖、そして何よりもその強さを信頼している。
上陸艇が海面を滑り、砂浜へと乗り上げる。けたたましいエンジン音と波の音が、静寂を切り裂いた。佐部を先頭に、兵士たちは素早く展開し、周囲の警戒にあたる。鬱蒼とした熱帯雨林が背後に広がり、異様なまでの静けさが彼らを包み込んでいた。
「斥候を開始する。三手に分かれ、敵の拠点を捜索しろ」
小隊長の指示に従い、佐部は二名の兵士と共に右翼へと進んだ。じめじめとした空気、足元のぬかるみ、そしてどこからともなく聞こえる虫の音。南米特有の自然の息吹が、彼らの肌をじっとりと濡らす。
数時間後、佐部は開けた場所に出た。そこには、簡素ながらも強固な造りの複数の建物が立ち並んでいた。周囲には有刺鉄線が張り巡らされ、監視カメラが不気味な光を放っている。間違いなく、ここが敵の拠点だ。
「小隊長、こちら佐部。敵の拠点を発見しました。座標を送ります」
無線で報告を終えた佐部は、仲間の到着を待った。やがて、他の斥候チームも合流し、彼らは拠点の様子を慎重に観察し始めた。建物の配置、警備の状況、そして内部の動き。全てが彼らの目に焼き付けられていく。
その時だった。拠点の中心にある大きな建物から、数人の人影が現れた。彼らは迷彩服を身につけ、銃器を手にしている。佐部は息を潜め、彼らの様子を注視した。その中に、見覚えのある顔があった。信じられないことに、それはかつての戦友、達也だった。
「まさか…」
佐部の胸に衝撃が走った。達也は、数年前まで同じ部隊で苦楽を共にした仲間だったはずだ。一体なぜ、彼が敵の側にいるのか?
さらに目を凝らすと、もう一人の見覚えのある人物がいた。オルガ。屈強な体格と、決して揺るがない強い眼差しが特徴だったオルガも、信じられないことに敵の武装集団の中にいた。
そして、最後に佐部の目に飛び込んできたのは、霧都の姿だった。冷静沈着で、常に的確な判断を下す霧都は、佐部にとって最も信頼できる仲間の一人だった。その霧都が、今、冷酷な表情で銃を構えている。
佐部は愕然とした。かつて固い絆で結ばれていたはずの仲間たちが、なぜ敵として、それも南米の地で相対しているのか。理解が追いつかなかった。
その混乱の中、佐部は思わず叫んだ。「俺たち南米のビックスリー!」
それは、かつて彼らが訓練中に冗談めかして使っていた言葉だった。南米の過酷な環境での訓練を乗り越えた自分たちを、自嘲気味にそう呼んでいたのだ。まさか、こんな状況でその言葉を発するとは、佐部自身も思っていなかった。それは、彼らに届くはずのない、悲痛な問いかけだったのかもしれない。
警戒していた敵の一人が、佐部の声に気づき、鋭い視線を向けた。「だ、誰だ!」
その声は、聞き覚えのあるものだった。それは、紛れもなく達也の声だった。しかし、その声にはかつての温かさはなく、冷酷さと敵意が宿っていた。
佐部は動揺を隠せないまま、言葉を続けた。「達也ッ!、オルガッ!、霧都ッ!お前らどうしちまったんだッ!」
かつての仲間たちの変貌ぶりに、佐部の心は激しく揺さぶられていた。彼らは一体何に巻き込まれ、なぜこのような道を選んでしまったのか。
達也は冷笑を浮かべ、佐部を嘲弄するように言った。「うるせええ!設定では負けねえんだよ!」
その言葉の意味は、佐部には全く理解できなかった。「設定」とは何のことなのか?まるで、彼らが何らかの物語やゲームの中にいるかのような、現実離れした言葉だった。
その時、オルガがゆっくりと口を開いた。その表情は苦悶に歪んでいた。「俺は、俺は、キリスト教に入った、もう戦いたくないッ!」
オルガの変化に、佐部はさらに混乱した。屈強な戦士だったオルガが、なぜ宗教に救いを求めるようになったのか。そして、それがなぜ敵対する道へと繋がったのか。
霧都が冷たい声で問いかけた。「どこのキリスト教徒だッ!」
オルガは震える声で答えた。「ロシア正教改め、ロシア教郷だ!」
その言葉に、佐部は言葉を失った。「ロシア教郷」などという宗派、聞いたこともなかった。一体何が彼らを এমনにも変えてしまったのか。
(なんでえ、みんな仲間だったのに俺だけッ!)
佐部の心の中で、深い孤独感が広がっていく。共に笑い、共に汗を流し、共に困難を乗り越えてきたはずの仲間たちが、今は敵として、全く別の世界に生きているように感じられた。
「一般人なんだよッ!」
佐部は、この異常な状況から逃れたいという衝動に駆られ、思わず叫んだ。自分はただの兵士だ。こんな奇妙な争いに巻き込まれるべきではない。
しかし、達也と霧都は同時に、冷酷な声で言い放った。「「それを言うなッ!」」
その言葉には、佐部の逃げ場のない現実を突きつけるような、強い拒絶の響きがあった。彼らにとって、佐部はもはや「一般人」などではない。敵として、あるいは何らかの「設定」の一部として、この戦場に存在しているのだ。
霧都は冷たい視線を佐部に向け、静かに言った。「おとなしくしろ」
その瞬間、周囲の空気が一変した。まるで重力が強まったかのような、強烈な圧力が佐部たちを押し潰す。そして、「トーンッ!」という、耳をつんざくような、しかしどこか異質な音が響き渡った。
次の瞬間、佐部の目の前の景色は一変していた。鬱蒼とした熱帯雨林は消え、代わりに見たこともない奇妙な植物が生い茂る、紫色の空が広がる世界が広がっていた。足元には、ぬかるんだ土ではなく、奇妙な光を放つ鉱石が転がっている。
困惑する佐部たちを見下ろすように、達也は手を広げ、不気味な笑みを浮かべた。「第3の惑星だなッ!」
直後、周囲にけたたましい轟音が広がった。それは、何かが爆発する音でも、兵器が発射される音でもなかった。まるで、この惑星そのものが唸りを上げているかのような、根源的な力強い音だった。
佐部は、一体何が起こったのか理解できなかった。敵の拠点、かつての仲間たち、そしてこの異質な世界。全てが現実離れしていて、まるで悪夢を見ているようだった。
しかし、達也、オルガ、そして霧都の目は、明らかに敵意に満ちていた。彼らは、この奇妙な惑星で、新たな戦いを始めようとしている。そして、佐部はその戦いに否応なく巻き込まれていくのだ。
ゴーッという音が、さらに大きく、そして長く響き渡る。それは、終わりなき戦いの始まりを告げる、不吉な序曲だった。佐部は、この見知らぬ惑星で、一体何と戦わなければならないのか。そして、かつての仲間たちは、なぜこのような姿になってしまったのか。数々の疑問が渦巻く中、佐部はただ、目の前の敵に銃口を向けるしかなかった。戦いは、始まったばかりなのだ。この歪んだ世界で、彼らの絆は、一体どのような結末を迎えるのだろうか。それは、まだ誰にも分からない。