ショートショート:紙
「君ィ」
ふと、天井から声が聞こえた。
トイレの紙がない、そんな使いまわされすぎてもはや笑えないそんな状況の最中にいた僕は、まるで聞いたことのない野太い声に脳をつんざかれる。
「紙がなくて困っているのかぁい?」
気持ち悪い声だ。野太いわりに微妙な色気を含んでいるのがえもいえぬ生々しさを醸し出している。
「えーと…誰ですか」
とりあえず僕は聞いてみる。姿はまだみえない。普通に考えたら、まったく知らない声に対して、ここまでテンパらずに冷静な反応をしている自分が怖い。トイレの紙がないという非常事態、そこに飛んできた声が「動くな」だとか「呪ってやる」でもなく「紙がないんですか」なんだから、トイレの神様的なのに遭遇した、と考えるのも無理はないだろう。
「トイレの紙じゃあない。私は紙の神だ」
どうやら神違いだったようだ。心を読まれたらしい。紙の神とは、狙ってるにしてもくだらない名前である。
「えー……その神様が僕に何か用ですか」
トイレに入ってからおよそ2時間。もはや体力が限界に達していた僕は、力なく聞く。
「貴様、トイレの紙がなくて困っているのだろう?」
「はい、そうですが…ひょっとして紙を恵んでくれたり?」
「そんな都合のいい話があってたまるか」
おやおや?予想していたパターンと違うぞ?
「じゃあ、あなた何しに来たんですか」
「しかしだ…もしお前が私の質問に答えられたら、恵んでやらんこともないぞ」
「マジっすか!初めからそう言ってくださいよ」
現状、いまだに頓珍漢な展開だが、突如として現れたトイレ脱出のチャンスに、僕の胸が躍る。
「では、ゆくぞ」
「はい!」
天の声は、すぅ~っと一呼吸おき、こういった。
「貴様は、紙が今、世界でどのくらい浪費されているか、知っているか」
「…へ?」
「2013年は約3,93億トン、2017年には4.11億トン、世界で紙が消費された。いま、木の神は死んでしまうと泣いている。私は、自身が膨れ上がりながら友が縮み泣くのを見るのはどうにもつらいのだ。この気持ちがわかるか人間」
「えと…」
思わぬ質問に何も言えなくなってしまった。
「人間は身勝手すぎるのだ。おぬしらに仲間がいるように、私たち神にも仲間はいるのだ。それに、紙は主に何でできているか知っているか。それは木だ。言うまでもなく木だ。私は、貴様らのいうところの母に値する程の者を、失いかけているのだ」
「…」
…そんなこと言われったって。そんなの僕にどうしろっていうんだよ。僕なんかにできることなんて…
「それだ」
「え?」
「その意識がいかんのだ。じぶんひとりがやっても何も意味ない、何も変わらない…そんなことを皆、同じように言う。もう聞き飽きた。」
「…」
「あの人もやってない、なら別にいいや…これからもそうして生きていくのか?」
「…」
「もうよい」
あ!ちょっと待ってくれ!まだ紙が
「紙はくれてやる。これからは、もう少し紙に敬意を払うとよい」
それ以降、声が続くことはなかった。気が付けば、ちょうどいい程の長さのトイレットペーパーが、僕の手に握られていた。なんの変哲もないトイレットペーパー。しかし僕は、そのトイレットペーパーにほんの少し、儚さを感じた。