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逢魔が時

作者: ならのしん

①古希祝い


「お爺ちゃん、いつまでも元気でね」


古希祝いの席。

二人で一緒に描いたお爺ちゃんの似顔絵を渡しながら、妹のサユリが言った。


「マコトくん、サユリちゃん。爺ちゃんは今日も元気いっぱい!幸せです!」


毎朝ラジオ体操に始まり、散歩や運動を欠かさないお爺ちゃんが元気に言う。


「親父は昔から健康一番で過ごしてきたからなぁ」

「ほんと100歳までいけますよ、お義父さん」

父さんの言葉に、母さんも追従する。


「ミヤケ先生には120歳までいけると言われてます!」

間髪いれずお爺ちゃんが返す。


「爺ちゃんは酒も煙草もやりません!健康が一番です!ワタシひとりで思ってるわけじゃないですよ!カワニシ病院のミヤケ先生が太鼓判押してくれてるんです!ヨシカワさん、内臓は30代です。120歳までいけますよと、この様に言ってくれてるんです!100歳じゃないですよ!120歳です!」

母さんの言葉に反発する。


「…そうですね、お義父さん120歳までいけますね」

「そうです!120歳を目指します!日本新記録です!」


「お爺ちゃん、日本新記録頑張って」

サユリが笑顔で言った。


②喜寿祝い


「お爺ちゃん、いつまでも元気でね」


喜寿祝の席。

皆で記念写真を撮影した後、サユリが皆を代表して言った。


「マコトくん、サユリちゃん。爺ちゃんは今日も元気いっぱい!幸せです!」

以前よりも耳が遠くなり、少し物忘れが増えはしたが、変わらず元気なお爺ちゃんが力強く言う。


ラジオ体操に始まり、散歩、運動をして、カラオケを歌うと寝る時間。毎日変わらない生活を続けていて、健康診断では異常なし。本人の言う通り、凄く元気だ。


「来年マコトは20歳、サユリは大学受験。皆、順調に育ってくれて嬉しいよ。」

珍しく父さんが僕達を見て、少し目を潤ませている。


「あら、アナタがそんな事言うなんて珍しい…。お酒のせい?」

母さんがそれをイジる。


「爺ちゃんは酒も煙草もやりません!健康が一番です!ワタシひとりで…」

爺ちゃんのいつもの台詞。


「はいはい、ミヤケ先生に言われたんでしょ?」

割と冷たくサユリが言う。


「内臓は30代!120歳までいけますよと、言ってくれてるんです!」

我が家では何度耳にしたかわからないフレーズ。


目標を高く持つ事は良いと思うし、お爺ちゃんにはいつまでも元気でいて欲しい気持ちもあるが、同じことを何度も聞かされると飽き飽きしてくる。

僕だけじゃなく、父さんや母さん、サユリも同じ気持ちだろう。


「爺ちゃんは120歳を目指します!日本新記録です!」

…誰も返さない…


「…爺ちゃんならいけるよ」

少し苛つきながら、仕方なく僕が言った。


③米寿祝い


「ひいじぃちゃん、いつまでもげんきでね」

4歳になったミカが言う。

5年前に結婚したサユリの子だ。


「爺ちゃんは今日も元気いっぱい!幸せです!」

たまに実家に帰った時、母さんから聞かされる愚痴が増えてきた。お爺ちゃんの下の失敗が増えてきていて、一緒にいる時間が一番長い母さんは困っているようだ。一方で体の方は相変わらず元気で、病気らしい病気もないらしい。


「お爺ちゃん、今も体操してるの?」

僕から聞いてみる。


「爺ちゃんは健康が一番です!今日も朝からしっかり体操しましたよ!―」

お爺ちゃんが話し出した途端、親父と母さんは席を立ち、ミカを構いに行った。


お爺ちゃんは、そんな二人に目もくれず話し続ける。

「―カワニシ病院のミヤケ先生に120歳までいけますよと、言ってもらってるんです!120歳を目指します!日本新記録です!」


一連の流れを見るとお爺ちゃんは相も変わらず同じ話をし続けている様で、常に聞かされている父さんや母さんからすると、ウンザリしているのだろう。

とは言え家を出た僕やサユリには久しぶりの感覚で、これは僕だけかも知れないが、ある種の愛おしさすら感じた。


「新記録、目指して…」

僕はそう言いかけて、何故か急に涙ぐみそうになり、スッと言葉を切って胡麻化した。


④百寿祝い


「お爺ちゃん、いつまでも元気ね…」

誰に言うでもなく母さんがぼそりと言った。


「爺ちゃんは今日も元気いっぱい!幸せです!」

最近は記憶がかなり怪しく会話が成立しない事が増えてきた。数年前に胃癌が見つかり一時入院していたが見事に回復。今では以前と変わらない生活を送れている。100歳とは思えないほど体は元気だ。


5年前に親父は退職し、母さんと時々旅行なんかを楽しんでいる。


幼い頃は遊んで遊んでと寄ってきていたミカも、今では16歳。反抗期は少し治まった様だが、全然寄って来なくなり、伯父としては少し寂しい。


「お爺ちゃん、デイサービスは楽しい?」

サユリが聞いた。


「ワタシはね、酒も煙草もやりませんよ!健康が一番なんです!内臓は30代とミヤケ先生が、こう言ってくれてるんです!120歳まで生きて日本新記録を目指すんです!」


「…全然聞こえてないみたい」

サユリは声を掛けた事を少し後悔している様だ。


⑤傘寿祝い


「母さん、80歳おめでとう」

自分に言われているのか、よくわからない様子で微笑している母。そんな姿を見て胸が締め付けられる。


親父が5,6前、運転中に軽い事故を起こした。

幸い単独事故で大した怪我も無かったが、また事故を起こすかもしれない。僕とサユリでうるさく言って免許を返納させた。


足が無いと困ると言うので、悲しいかな、この歳まで独り身で身軽だった僕が自ずと実家に戻ることになる。買い物に連れて行く等、足替わりとなった。


それから2年後、僕が仕事で出ている時、親父はまたもや事故を起こした。

ちょっと近場まで買い物に行こうと、僕の車で出掛けたらしい。


僕には内緒にしていたが以前から時々車に乗っていた様で、僅かな距離なので大丈夫だろうと母さんも見て見ぬふりをしていたらしい。


横断歩道を横断中の小学生ふたりにぶつかり、ひとりは足の骨折。もうひとりは頭や腕など全身3か所の骨折。一時、命の危険もあったが何とか一命は取り留めた。


この時ばかりは我が親ながら、本当に殺してやろうかと思った。


相手方の怒りは、なかなか治まらず、僕は平身低頭、ひたすら謝るしかなかった。

当事者の親父も流石に堪えたらしく、軽はずみな行動だったと猛省していたが、相手方への賠償が一段落済んだ後、自分の部屋で首を吊り、この世から逃げた。


母さんはその後一気に老け込み、急激に認知機能が低下した。まるで現実から逃避するかの様に…。

今は家からデイサービスに通い、大人しく日々を過ごしている。


「マコトくん、サユリちゃん、似顔絵ありがとうね。爺ちゃんはミヤケ先生に130歳まで太鼓判をもらってます!」

爺ちゃんはと言えば、いつの話をしているのかわからない台詞を繰り返し、いつの間にか目標年齢が10歳増えていた。


会話はほとんど成立せず、身の回りの事はほぼ出来なくなった。散歩中に転倒してからは、ほとんど外出していないが、今でもラジオ体操後に軽い運動とカラオケは欠かさない。年齢を考えると驚異的な元気さだ。


母さんとお爺ちゃん、ふたりの世話は、僕とサユリで交代しながら面倒を見ている。

疲労困憊で、気付くと僕の髪は真っ白になっていた。


⑥大還暦祝い


「…お爺ちゃん、いつまで元気なんだ?」

無意識に呟いた。


「健こ…第い…で」

霞んだ声でお爺ちゃんが話す。


最近は寝て過ごす事が増えていて、かつての元気はかなり衰えてきている。とは言え年齢を感じさせない活力は健在だ。何を話していたのかは聞こえなかったが、いつものやつだろう。


ついに目標の120歳を達成したが、おそらく本人はその事を解っていない。

母さんは何年か前に施設に入所となり、いくらか僕達の負担も減ったが、つい最近まで元気だったお爺ちゃんは未だ在宅で、僕の悩みの種でもある。


いつからだろうか。あれだけ愛していた家族に嫌気が差し出したのは…。

僕も既に62歳。人生の夕暮れ、終末に差し掛かり始める年齢だ。


この10年、親父の事故に他界、母さんの病気にお爺ちゃんの世話で過ぎていった。家族である以上、世話をするのが当然だ、と僕は考えていた。僕を育ててくれた人達への恩返しだと思っていた。しかし、この人達が生きている限り、僕はそれに縛られ続ける。


命は尊いものだ。それは解る。

長生きしたい。それも解る。

けど、生きる事に他人の世話や犠牲が必要な命が果たして尊いのだろうか?


死は全ての生物に必ず訪れる。

けれど誰しも死からは逃れたい。それは生物の本能だが、過剰に逃れ続けるのは生命への冒涜ではないのか?適切な去り時があるのではないか?


お爺ちゃんは未だに健康が大事で130まで生きると言う。世話をしている僕達の事は全く見ていない。

…思えば昔から僕達の事は見ておらず、自分の事、自分が長く生きる事、それだけしか見ていなかったのかもしれない。


恐ろしく身勝手な人間…まるで妖怪だ。

生命を貪る妖怪だ。


日本最高齢、新記録。見事達成おめでとう!

本人は自覚すら出来ていないのに、それに何の意味があるだろう?

全てが馬鹿らしく思えてくる。


自分の犯した過ちから逃げた父。その現実から逃げた母。

誰が僕を責められる?


出来る事なら全てが愛しかったあの頃に戻りたい。…帰りたい。


無意識にふらふらと家から出て歩きだす。


「…けん…こ……い…ち…」


家の中から、更なる生命を求めている妖怪が呻く。

いずれは僕があの様な妖怪になってしまうかもしれない。

強烈な嫌悪感を感じ、僕は……帰路についた。

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