シーン2 マンダムとニヒルを気取る
狸の店内は戸口を入ると広い土間になっていて、上り框は腰掛けるには丁度いい高さに底上げされ、4畳ちょいあるワークスペースになっていた。
玄関から見た正面右側と、左手の敷居の壁沿いに設られたガラス戸付きの飾り棚には、かんざし、帯揚げ、帯紐、扇子、半衿などなど等々の着物に関する小物が、艶やかな色彩を誇るようにして飾られている。着物の装飾品を取扱うようになったのは、若き日のトキであった。
しかしながら今となっては、職人芸の高級品を欲する客はこの店には来ず、皆無に等しく、さりとて値下げはトキが許さず、何年も、物によっては何十年も、ガラス越しに客が眺められては「綺麗ね〜、でも」とため息まじりに言われる存在でしかなくなっていた。
許色の草履を脱ぐ事なく、上がり框の縁に置かれた座布団に腰を下ろした新日は「先日お話しました件でお伺いいたしました。こちらが昇華商事の海外担当課長さん、種崎慎吾さんでございます」と瓜実顔と一重の目で、控えるように後ろに立っている男の顔を見る。
ワークスペースに正座する菅太郎と時子は、共に右足を右に流して座っていた。互いに足が疼き、キチンと座れないのだ。だが男の顔を見るなり、2人は同時に「ほぉー」と似た声を漏らして、男の顔に魅せられてしまう。吉之助が「俺の若い頃に似てるだろう」と言うが、誰もが無言でスルーした。
種崎と紹介された男は、色香が滴り落ちるほどの二枚目で、黒いスーツに白のワイシャツ、ブラックタイという姿はけして忌まわしくはなく、返って種崎の容姿を引き立てていた。
種崎「この度は急なお願いを、ご承諾いただきましてありがとうございます」と頭を垂れ、
菅太郎「いえ、こちらこそ、過分なご発注痛み入ります」と返し、
時子はイケメンぶった菅太郎の横顔を見て吹いてしまう。
菅太郎「母さん、なに笑ってるんだい、私だって決める時はやれる男だよ。マンダム」
時子「そうは言ってもお父さん、造形が違い過ぎますよ」と屈託がない。
吉之助「だから言ってるでしょう、俺に似てるって」
そこに茶托と茶菓子がのったお盆を手にした詩子が現れ、菅太郎の右横に正座してお茶を出しながら「粗茶でございますが、どうぞ」と言った。詩子を見た種田は雷にでも打たれたかのように目を見開き、新日はそれを見逃さず「長女の詩子さんです、種田さん」と言いつつ、美しい所作でお茶を飲み始める。
詩子「この度はありがとうございます。種田さん」
種田「詩子さん、お久しぶりです。小学校の・・そうですね、3ヶ月でしたから。夢之助一座の」
詩子「あっ、しんちゃん!!」
種田「しんちゃんです」
詩子「かあさん、町内会で公演を観に行ったでしょう、忠臣蔵、大石力役だった、ほらっ」
吉之助「えっ!そうなの!あの年端もいかなかった子が、渡る世間はわからないもんだね」
時子「ホントご縁を感じるわ。泣いたのよ、私、あなたのお芝居みて、大泣きしたのよ、一座の皆さん、お元気ですか?」
新日「今は女方だった徳之助さんが、座長なさってるんですって」
台所の勝手口から、スナック“ミドリ”のママ緑子の「こんにちわ〜」と言う晴れやかな声が聞こえ、「はーい」と返した時子が、菅太郎の手を借りながら立ち上がる。
種田「契約書と発注書をお持ちしました」と言って、スーツの内ポケットから社名入りの封筒を出し、菅太郎の前に滑らせるようにして置く。封筒を押し出した種田の右手が、震えているのに気づいた詩子は「緊張するよね、7000万のお取引だもんね。しんちゃん、うちを選んでくれてありがとうございます」と微笑んだ。
種田「あ、いや、新日さんが紹介してくれたんだよ」
吉之助「あのー、家元。うちにもいいお話、お願いします」
新日「たまたま、だったんですから」と言うや、種田の顔を見た。