天和(てんな)の熱過ぎた恋
江戸時代の天和2年年末に発生した大火災。
焼け出された八百屋の娘お七の悲しくも熱すぎた恋物語
ふーもう夜の12時。 終電の時刻も過ぎちゃったわ。
明日締め切りの仕事をどうにか終わらせた玲子は一息ついた。近場のビジネスホテルに
電話を入れ、近くのコンビニで遅い夕食を買ってホテルに向かった。
ホテルの名前はビジネスホテル「鈴ヶ森」普段利用しているホテルは
予約が取れず、初めて利用するホテルだ。
玲子は部屋に入るとすぐにシャワーを浴びた。急に疲れが出たのか食事もとらずに
そのまま寝入ってしまった。
「熱いー 熱いよー かあさん 熱いよー」
玲子は切羽詰まった子供のような叫び声を聴いて夜中に目を覚ました。 なに? なんなの?
「熱いよー 熱いよー かあさん! たすけてー!」 その叫び声は部屋中にとどろくように玲子を襲った。 玲子は怖くなって耳を強くふさいだ。 なに? なに? ・・・・・
カンカンカンカン! カンカンカンカン!
天和2年、大晦日も迫った12月28日の昼過ぎ、江戸中に火事を知らせる鐘が鳴り響いた。
「おいおい 火元はどこだい」魚屋のげんさんが隣の八百屋の主人に訪ねている
「これは近そうだね あー あそこのあたりは大円寺のほうだね」
「あら これはあぶねえぞ! 風がこっちに向いている はやく逃げないと」
八百屋のムネさん「おーい かあさん! おしち! 火事だ 逃げるぞ!」と妻と娘に
大声で知らせると持てるものをもって飛び出した。
火事は冬の空っ風にのって本郷かいわいを焼き尽くした。死者は3500名以上と江戸時代の記録にある。
どうにか火から逃れた八百屋のムネさん一家。 菩提寺である万福寺に避難した。
「あー家も店も焼けちまったな。 とりあえずは再建のめどが立つまでここでお世話になろうや」
ということになり、寺から広間の片隅を借り受け落ち着くことになった。
この時代、町の立て直しは驚くほど速い。 大火災は想定済みですぐに再建できるように
木材や資材がいつでも保管してある。 一月もするとムネさんの八百屋もほぼ完成し、寺を引き払う準備を始めていた。
「いやあ、江戸の将軍様はやはりごりっぱだね。あの大火事から一月しかたたないってのに、てえしたもんだ
なあ かあさんや、おや なんだいお七浮かない顔して」
なぜか不機嫌な娘を見てムネさんは妻に聞いた
「なんでい なんでお七はあんな不機嫌な顔してるんだい」
「いや、あんた 実はこれこれしかじか」とムネさんの耳元でささやいた。
「なにー 寺の小姓と恋仲だー」
「これあんた 大きな声出すんじゃないよ」
「でなんだー この寺から離れたくねえってか あほいってるんじゃねえ、色恋など、離れちまえばそれまでよ」
「こら お七さっさと出ていくしたく・・・・・おとと もういねえや」
ここは万福寺本堂の裏手にある雑木林
「しょうさん 明日本郷に帰るって(泣)」
「えーほんとうかい お七さん 離れたくねえよ」
「もうあえないの」
「私は住職の許しをもらわないと勝手には寺からでれないよ」
「やだよ やだよ 絶対にあいにくるから ね あたいを忘れないでよ(泣)」
「忘れるもんかい 絶対に忘れるもんかい」
翌日、お七は何度も何度も寺を振り返りため息をついては重い足を運んだ。
本郷の家が見えてくると、一帯はすべて新しく生まれ変わり新しい木材の香りが漂っていた。
「さあ またやり直しでい かーさん でも新しい店は気持ちいいね」
楽し気に話しながら歩く夫婦の後ろを、浮かぬ顔のお七がとぼとぼとついていく。
それからひと月 ふた月と月日が過ぎていった。
お七の庄之助への思いは小さくなるどころか、どんどんと強くなっていく
「逢いたい 逢いたい 逢いたい・・・・・・・・」
「あ、そうだ また大火事になれば・・ 」
今、お七の瞳には小さな炎が映っている。 その炎をそーと そーと 障子にあてている
「お七―! なにしてるのー!」母さんの叫び声が江戸の夜空に響いた。
恐怖で眠れぬ夜を過ごした玲子。 重たい体を起こすと急いでホテルから飛び出した。
昨晩は気が付かなかったが、ホテル前の道に沿って石仏や謂れ(いわれ)が掘られた石板が沢山並んでいる。
ふと足元が気になり見ると、そこには人の頭くらいの石が置いてあり、周りに誰が置いたか、
まだ綺麗な花が飾ってあった。
その横に何やら看板が立っていたので気になり読んでみた。
1683年(天和3年)3月 18歳の八百屋の娘 お七が放火の罪で3日間の市中引回しの上、
ここ鈴ヶ森の刑場にて火あぶりの極刑に処せられた。 とある。
この時代 17歳以下ならば極刑は免れる。不憫に思ったお奉行は「お前は17歳だろう」と問うたが、
意味がわからぬお七は正直に18歳ですと答えてしまった・・・・・と書いてある。
玲子は、静かに手を合わせるとしばらくその場を離れることができなかった。
お七さん ずーと焼かれているのかい お願い 成仏して お願い