学園の闇(3)攻略される“うさぎちゃん”
――深夜の学園の裏庭。
手入れがされていない荒廃した庭園に、世界で唯一無二の存在であるプレイヤー、ダン・スターマンは足を踏み入れる。
辺りに声が響き渡る。
『選ばれし者よ……合言葉を述べよ……』
彼は力強く、メモに書かれた言葉を正確に読み上げる。
「あがれれなほむよろそ!!」
合言葉は完全にランダムな文字列なので、メモを見ずに当てるのは不可能な上に、プレイする度に変化する。
『合言葉……承認しました……』
彼の前に私が……SFっぽいデザインのコスチュームに身を包んだアリス・イシュタールが演ずる“うさぎちゃん”が、ゆっくりと空から舞い降りた。
「うさぎちゃん――!」
ダンは拳を握りしめて、期待に満ちた眼差しで私を見る……普段の無表情とは掛け離れた目の輝きに、たじろいだ。
『アリス……怯まないで……セリフを言って……』
耳に付けたマジックアイテムから流れるバーナードの落ち着いた思念に助けられ、私は使命を思い出した。
「星に導かれし探求者よ……」
私が定められた台詞を発すると、彼は一言も聞き逃すまいと、聞き入っている。
「私の声を聞いて……宇宙はあまりにも広大すぎて……私たちは孤独だから……どうか私の願いを叶えて……私を見て……」
「君の願いなら、何だって叶えよう!!」
彼は若干食い気味に“正解”の返答をする。
こうしてプレイヤーによる、うさぎちゃんのルートは始まったのだ。
■
そんな風にプレイヤー、ダン・スターマンによる本格的な攻略が始まったが、当人の暮らしぶりには然程変化はなかった。
「では、こちらの素材、全部で一万二千ダラで買い取らせていただきます」
「はいっ!お願いします!!」
強いて言うなら、受け答えに多少の気合が込められるようになったが、彼は他生徒との付き合いがない為、それに気がつく者はいなかった。
当たり前のことだが、ダンは私、購買部のアリィが、うさぎちゃんだとは、まっっったく気付いていない。
多分、今の彼の頭の中は、攻略のことで頭がいっぱいなのだろう。
ダンはウキウキした様子でスキップしながら購買部を後にする。
□
「で、どうなの?気持ちの動きとか変化はあるの?」
バーナードは私の気変わりを警戒するあまり、日に何度も気持ちを聞いてくる。
心なしか、目がマジだ。
「いやー……別にぃ……例えるなら、これ採用面接?って感じで……」
前もって予想していた通りだが、プレイヤーであるダン・スターマンに対して私の恋愛メーターは一ミリも針は動いてない。
なにせ、彼は攻略情報まとめサイトに載っていた“正解”の受け答えしかしてこないのだ。
こんな事前に予測できる事務的なコミュニケーションで、恋愛に発展する訳がない。
私がそう言うと、彼は複雑な表情で呟く。
「それはそれで、夢がないな……」
「どないせいっちゅーねん!」
□
プレイヤーのルートが定まったので、私たちは本格的に違法薬物密売の元締め探しを始めた。
その過程で、思わぬ発見があり、私たちは戸惑うことになる。
それは平民の生徒を中心に民権運動組織による草の根活動が、この学園内でも広く行われている事だ。
「まぁ、多少は大目に見てやって。こういうのは取り締まりすぎると、却って良くないんだ」
学園長はノンビリとした口調でそう言う。
元より、社会思想的な運動に関しては、私たちの管轄じゃない。
ただ、彼らの動きが影に潜む非合法組織の活動に似ている為に、判別を付けるのが困難な点だ。
民権運動に関しては貴族の間でも意見が真っ二つに分かれており、現状は反対派である上流貴族による圧力が強く、運動自体を王家に対する不敬であるとして、穏当派、過激派と大小諸々ある全ての組織を不満分子として一律で弾圧している。
だが、民権運動組織の活動は活発で、大抵の平民は何らかの組織への参加に勧誘されている。
勿論、メインキャラも例外でなく、彼らは目立つ存在な為か、何度も勧誘を受けている場面が目についた。
□
そんな中、先日、規律委員アーク・デクスターに因縁を付けられた、ヒューバートとドルキャスの二人が、何度も密談している様子が、監視員の注目を浴びる。
ドルキャスの工房は、居住区から離れた林間部にある古い塔にあり、彼女は普段そこで寝泊まりしていた。
最近、ヒューバートは多くの素材を抱えて、人目に付かないように隠れて訪れている。
「流石に調査しないと不味いね……後日、お義兄さんにチャックとして捜査してもらおう」
ドルキャスもヒューバートも、あぶないドラッグを作るような悪い子ではないと思うが……でも、それはゲームの中だけの話だ。
私の前世の記憶に基づく思い込みだけで判断出来る問題じゃない……それは分かっているが……。
「心配そうだね。“推し”が事件に巻き込まれるのは嫌かい?」
バーナードは少し揶揄うように言う。
「そりゃ、そうだよ」
スタータイドというゲームを作ったのがアメリカ人だからか、登場するキャラクターのことごとくが皆、非常に自己主張が激しい。
口を開けば、私が俺が、と前傾姿勢で主張の主語が大きいし、日々寝る間も惜しんで自己研鑽に努めているからか、同レベルの努力をプレイヤーにも容赦なく求めてくる。
そんな彼らを攻略するには、次々に提示されるハードルを乗り越えていかなければならない、血を吐きながら続ける恋愛のマラソンだ。
ただ、唯一、内気で優しい少女ドルキャスだけは違った。
彼女は全てにおいて控えめでプレイヤーに強く何かを求めてくる事は少なかった。
迫害された一族の末裔として森の奥で静かに暮らしていたが、偶然にも宮廷魔術師に才能を見出され、特別特待生として学園にやってきた。
ゲームの中では華やかな学園の生活に馴染めず孤独に過ごしていた。
そんな彼女が、学園内で心を開いた人間は、彼女の知識を商売に生かしたいヒューバートと、迷惑級にお節介な王女クリスティーン、それと、彼女を攻略対象としたプレイヤーだけだった。
ドルキャスはファンには嫌われてはいないが、あまり人気はなく、人気投票でも下から二番目くらいをキープしていた。
顎のラインで切られた光沢のない黒いショートヘアと三白眼気味の丸い瞳にゲルマン系の顔立ちという中性的で線の細い、日本の恋愛系ゲームではあまり見かけないタイプの色気がない女キャラだ。
ファンの主な意見としては、『胸がないから男かと思った』『男だったら萌えキャラなのに』『見た目が不気味で怖い』などが主流だった。
でも、前世の私は陰キャなので、このゲームに登場するキャラの中では彼女が一番好きだった。
特に、好感度が高まり、初めて互いを愛称で呼び合うようになった時のイベントスチルの、あの不器用な笑顔はプライスレスだ――
「なんで、急に早口になるの?」
バーナードは私の唐突な萌語りに面食らった様子で、若干引き気味だ。
「君の前世では架空の存在だった人物に、そこまで入れこめるものなの?」
私はちょっとムッとした。
「物語を読んで登場人物を好きになったり、友達になりたいと思うのって、そんなにおかしいかな?バーニィだって、予言の書は全部読んで暗記までしてるんでしょ?だったら、お気に入りのキャラとか、自分を投影して感情移入している人物の一人や二人いるでしょう?」
私がそう言うと、彼は何故か黙りこくってしまった。
数秒の後、バーナードは、
「……いる」
と、だけ言った。
次の言葉を待ったが、彼はそれ以上何も言わない。
私は、沈黙に耐えきれずにモニターに目をやると、ドルキャスの工房近くでコソコソ隠れている人物が目に入った。
――アーク・デクスター。
彼はまだ二人を疑っているようだ……。
□
怪しい動きを見せる者は他にも存在していた。
平民以外の貴族も時折、不可解な行動をする。
意外なのはリオンとクリスティーンの異母姉弟が定期的に顔を合わせては短い会話を交わしていることだろうか。
この二人の母親が宮廷内で対立していることを考えると、お互い無視や反目しあってもおかしくはないが、親密とは言えなくとも険悪な雰囲気ではない。
大抵は、リオンがクリスティーンの他人の迷惑を顧みない強引な振る舞いを咎めたり、クリスティーンがリオンの傲慢な態度を諌めたりといった感じで、至って普通の姉弟喧嘩だ。
その日も、そのような雰囲気のやり取りをしていた。
彼女は、あのカフェテリアでの一件をキッカケに生徒の健康被害の件の調査をする過程で違法薬物の問題に気が付き、王族としての立場を濫用した独自の強引な聞き込みを開始して、一部の生徒と軋轢を生じていた。
リオンは事態の深刻さは理解しつつも、義姉の乱暴な手法を咎めていた。
『事件の捜査は学園の警備隊に任せておけ。それが組織という物だ』
『わたくしは別に彼らの手柄を取るつもりはありません。ただ、一善良な生徒として、協力しているだけですわ。それが優れた能力を持つ者としての務め、ですので』
『善良が聞いて呆れる、面白がってるだけの癖に。貴様のような世間知らずに何が分かる……その節穴の目で!』
『人に対して目が曇っていると責める前に、自分の目がちゃんと開いているかどうかを気にしなさい、愚弟。その状態でどうやって兄弟の目を開かせる事が出来ると言うのですか』
リオンが黙りこくると、クリスティーンは彼に顔を近づけて、何か小声で囁いたが、音は拾えなかった。
「『あの組織には関わるな』……何の事だろう?」
唇の動きを読んだらしいバーナードは首を傾げるが、リオンの表情はモニターからは見えない。
私も言葉の意味は分からないが……。
「今の、聖書の文言みたい……マタイ伝だっけ?」
「ん?」
この世界に前世の聖書に相当する書物は無く、最大勢力の宗教メシア教にも経典はあるが内容は異なっている。
「ああ、聖書か。転生者による写本が機関に保存されているが聖教皇による禁書認定なので内容は一般には全く知られていない……成る程、彼女は進路選択で予言の書とは異なった行動をしている……教授に調査を依頼した方が良さそうだな」
ここで、新約聖書を彷彿とさせる言葉を諳んじたクリスティーンに転生者の可能性が出てきた。
王女クリスティーンが転生者だとすると……彼女は一体何を目論んでいるのだろうか。
■
懸命な捜査にも関わらず、売人の元締めは見つからなかった。
元締めである以上、必ず売人と接触している筈なのだが……。
今まで捕捉している売人は平民で物静かな生徒である、という共通点しか見いだせていない。
売り物の受け渡しを一体どこで行なっているのか……。
「もしかすると……」
思案していたバーナードは何か閃いたようだ。
マタイ伝第7章。