学園の闇(2)疑惑の魔女
私が生まれ育った、イシュタール家の領内は、十八世紀イギリスの田舎地方のような穏やかな雰囲気の世界だった。
時折、家族とともに他の領地に旅行で訪れた印象も同様だったので、この国全体がそういうものだと、私はずっと思っていた。
しかし、この学園に足を踏み入れるや否や、その世界観はガラリと変化して、まるで、海外ドラマやハリウッド映画でみたようなアメリカのハイスクール空間がそこにあった。
最初のうちは、どういうことなの……?と戸惑いを感じていたが……
「本当に、ここはまるで異世界のようだ……ボイジャ王国に他に似たような場所は二つとないだろう。入学前は、この学園に特待生として入るかどうかを悩んでいたが……来て良かったと感じている」
「まぁ、貴方ほど優秀な人が?」
「いくら勉強が得意でも……生半可な知識を持っていても、平民にはデメリットとなることが多いと聞いていた」
「私のライバルである貴方がそんなことを言うなんて……人類にとって重大な才能の損失よ」
「大袈裟だな。テストの順位なんて……努力すれば良い点は誰でも取れる」
「そんな事、人前で言わない方が良いわよ。行き過ぎた謙遜は嫌味でしかないわ。努力しても一番になれない人は、私も含めて大勢いるんですから!」
「ごめん、バカにしたつもりはないんだ……でも、ここに来なかったら……平民の自分が、辺境伯令嬢である貴方に出会う事も、こんな風に打ち解けた友達になる事もなかった……今は心から、この学園に来て良かったと思っている」
「マイクル……」
カフェテリア内での世間話を聞く限り、この世界の人たちにとっても、この学園は独自の文化を持ち、外界とは隔絶した正しく異界なのだと知った。
■
この学園の生徒の多くは国内の精鋭、何らかのエリートであるが、全ての人間が善人という訳ではない。
そうでなかったら、怪しい薬物が闇取引されることはないだろう。
また、そんな社会的に明確な悪人のみならず、エリート学園ならではの……階級を鼻に掛けたイヤミなクズも少なくない。
学園カーストの頂点に近い、教養コースは専攻する生徒の育ちの良さに加えて、庶民とは直接関わらないので、目立ったトラブルは少ない。
カースト底辺に近い、冒険者コースと商業コースは、ほぼ庶民しかいないので同様だ。
魔術コースは常日頃、知力と才能で殴り合っている弱肉強食な実力主義の世界な為、階級や財力に関係なく、落ちこぼれた生徒は一年目を過ぎると人知れずに消えて淘汰されている。
しかし、カーストの中間層であり、貴族と庶民が混合している法学コースは、この階級差に絡むトラブルが非常に多い。
特に、二年生の規律委員アーク・デクスター子爵令息は酷い差別主義者で、自分より階級の高い貴族には媚びへつらい、下の者、特に成績の良い平民には、嫌がらせで言いがかりを付けては溜飲を下げている、悪い意味で有名人だ。
学園長経由の情報によると、彼は元々魔術師コースを希望していたが、成績も魔力も足りないために、それほど高くもない入学基準を満たせず、法学コースに希望を変更した経緯があるらしい。
特待生マイクルが学年共通テストで一位を取った辺りから、彼に粘着していたが、彼は人柄が良く社交性が高いので階級問わず友人が多く、特に最近は、優等生の辺境伯令嬢のケイトリンが睨みを利かせるようになったからか、カフェテリアで彼に因縁を付ける頻度は減ったのだが……。
「お前が呪いを掛けているんだろう!この魔女めが!!」
彼はターゲットを口下手で大人しい平民の少女ドルキャスに変更したのだ。
「最近、健康不良を訴えでる者の数が目に見えて増加している!!貴様が一番怪しいんだ!!」
「……」
健康不良は多分生活環境の急激な変化と……それと例の蔓延している違法薬物アルラウネの副作用によるものと思われる。
しかし、学園長との取り決めで、これはまだ公表できない事項だ。
ドルキャスは平民ながら、豊富な魔力で魔術コースに特待生として招かれた上に、溢れる才能で魔術師の卵達からも一目を置かれている。
人付き合いが苦手な彼女の為に、学園の林間部にある工房付きの小さな塔に寝泊まりする許可を出すくらいには将来を期待されている。
「平民の分際で、成績優秀だなんて、俺は認めんぞ!どうせ、呪いと魅了を使って人を誑かしているんだろう」
「……そんなこと……しない……!」
彼女はキッとデクスターを睨みつけた。
「黙れ!!」
彼はドルキャスを両手で突き飛ばし、彼女は尻餅をついた。
「今、俺に呪術を使おうしたな!学園の自治権において、連行する!!」
コイツ、なんか、もう言ってることが滅茶苦茶だ。
私は、動転してアワアワするが、こんな時に限って、バーンもチャックもいない。
絶対、これは誰かが何とかしないと不味い事態だ。
「ドルキャス――!!」
彼女の数少ない友人である、ヒューバートが駆け寄った。
「ヒューバートさん……来ちゃダメ……あたしは……魔女の血筋だから……」
「何言ってんだよ!ただの八つ当たりなんだから、こんな奴の因縁を真に受けんなよ!!」
平民の彼に輩呼ばわりされたデクスターは顔を赤らめて激昂した。
「平民の卑しい商人の分際で、俺に歯向かうつもりか!」
「何だとぉ!てめぇ、商いをバカにすんじゃねぇ!!」
小柄な彼は恰幅のいいデクスターを見上げつつも食ってかかった。
二人は互いに睨みながら戦闘態勢に入り、周囲に険悪な空気が流れる。
カフェテリアにいる者は皆静止して、この攻防を見守っている……。
私は勇気を出して足を踏み出そうとするが、
「お待ちなさい」
凛とした声が静寂した空間に、響き渡る。
「この諍い――わたくし、王女クリスティーンが預かりましょう」
突然の大物の登場に二人は目を見開いた。
クリスティーンはカフェテリアの大テーブルの上に乗ってポーズを付けて大見得を切っている。
彼女はおもむろに手に持った扇子をデクスターに突きつける。
「まず愚民一号、発端である貴方の主張を述べなさい、簡潔に」
「ははっ、殿下……私の周囲で原因不明の健康不良で床に臥せる者が続出し、規律委員として放っては置けぬと独自に調査をした所、この魔女の血筋にある平民が怪しいと思い……」
「簡潔に、と言った筈です、愚民。結局、証拠はあるのですか?」
「それをこれから連行して取り調べる所存です……」
「お話になりませんね。学園法においては、貴方達、規律委員にそこまでの権限は与えられておりません。あくまで任意同行の上での穏便な事情聴取、それも中立な警備隊員の同席が義務付けられてます。そのような言いがかりにも等しい強制連行で暴力を匂わせた取り調べを密室で行うなど、愚民、ましてや学生の身の上で許される筈もありません」
「このような些事、御身が関わり合いになる程の事では……」
「そもそも、捜査の令状は発行されているのでしょうか?わたくしは現在学園で公式に認められた、全ての問題・事件を把握しておりますが、この健康障害の件に関しては全くの初耳です」
「……いえ……まだ捜査の認可は下りておりません」
そもそも、この人物のことだ。そのような根回を事前にしているかすら怪しいものだ。
「では、未だ事件と認められていない事象で立場の弱い者を身勝手にも拡大解釈した強権で裁こうとした、と。これこそ愚民の保護者である王族としては見過ごせない事件ですわね」
「その辺にしておけ」
王太子リオンが取り巻きと共にカフェテリアに入場し、仲裁に入った。
「邪魔立てしますか、愚弟」
「これ以上追求を続ければ、逆に貴族と平民の間に無駄な軋轢を生むことになる。それは当事者の為にもならん」
ここまで堂々とではないが、貴族が身分を傘に平民に無理難題を強いることは珍しい事ではない。
ただ、卑怯な行為であるという認識が一般的である為に大半が陰で行われているだけだ。
王族がそれを日の光の下で断罪すれば、今まで溜め込まれてきた下々の不満が一気に爆発する可能性もある。
思わず、ドルキャスを見ると責任の重さに耐えかね、床に座り込んで真っ青な表情で怯えている。
隣で彼女を支えるヒューバートも、事の重大さを悟ったのか、必死に震えを抑えているようだ。
腹違いの弟から思わぬ正論で諭され、消化不良ながらも納得したのか、彼女は渋々テーブルから降りた。
「では今日の所は、このくらいにしておきましょう。愚民一号、正式な手続きなしに権力を私物化する事を、わたくしクリスティーンは絶対に許しません」
リオンは『お前が言うな』と言いたげな表情を一瞬だけ見せるが、騒動を長引かせたくないからか無言を保った。
デクスターは黙って頭を下げるが、どう見ても不満そうだ。
彼女は立ち去ろうとするが、不意に振り返る。
「そうそう、愚民二号……いえ、ドルキャス・フェニックス」
突然、第一王女にフルネームを呼ばれた彼女は驚きで飛び上がった。
「は、はいっ!!」
「貴方は自然と調和する古き魔術師の一族、セイラムの末裔でしょう。その血を“魔女”などと言って卑下してはなりません。誇りある先祖の歴史を決して忘れないように」
王女はそれだけ言うと、取り巻きと共に去っていった。
□
後に、モニタールームでバーナードに先ほど起きた事件の話をした。
「学園長の話だと、アーク・デクスターには再三の注意と警告は為されている」
「それでアレなんだ……」
「学園法の思想に則れば、安易に強権に頼らず生徒同士の話し合いで解決する事が望ましいとされている。それに、デクスター家は子息が入学の際に多額の寄付金を収めている為に、余程の不祥事を起こさない限り退学させることは難しいだろう」
「うへぇ……」
商人を卑しいと言って見下してたのに、自分は実家のマネーでドヤ顔してたとは……。
「それでも、彼の現在の成績では、次に同様の問題を起こせば、何らかの処罰は免れない。少なくとも規律委員会からの除名は妥当だろう」
それにしても……彼女、ドルキャスはドクロマークの付いた黒いTシャツとスリムパンツを身に纏ったパンクロッカーみたいな風貌で、一見怖そうな見た目だが、内心は臆病で気が弱い繊細な女の子だ。
彼女が悪意ある乱暴な言いがかりで傷ついていないか心配だ……。
「いつもより、気持ちが入っているけど、どうかした?……普段だと攻略対象には関わりたくないとか言ってるのに」
「んー、前世では彼女が推しキャラだったからかなー?」
「えっ!?その情報、初めて聞いたんだけど……」
「あれー?言ってなかったっけ??」
バーナードは何故か、今まで見せた事がない複雑で深刻な表情で黙りこくった。
何か変なこと言ったかなー。
「……ああいう子が、君の好みなの?」
「はぁー??」
いや、そう言うんじゃないって、ゲームとかの推しはあくまでも、作品内世界で完結しててー……と私は微妙に不機嫌な彼に必死に説明した。
□
「はいはいはい、痴話喧嘩はその辺にしてねぇ。お仕事ですよー、お二人さん」
双子の監視官の片割れレダが割って入るが、喧嘩してないってば。
「そろそろ、ターゲットが行動を開始します」
サチはモニターの一つを指差した。
画面の中では、プレイヤーであるダンが、天球儀のモニュメントの前に立っている。
彼は手に持ったアイテムを、六分儀の形をした謎のアイテムを、台座にある隠しスロットに挿入した。
……これは、
うさぎちゃんルートを開通させる第一段階だった。
「彼が入学以来、ダンジョンに何度も潜入していたのは、この為か」
あのアイテムはダンジョン内の隠し部屋で手に入れられるが、宝箱が置かれる場所は潜入する毎に変化して定まってはいない。
満月の日にモニュメントに謎アイテムを使用すると、図書館の閉ざされた禁書領域へ続く扉の封印が僅かな時間だけ解かれ、部外者でも足を踏み入れる事ができる。
ダンは瞳を輝かせて、禁書が並ぶ書棚の間を走り、目的の場所へと向かい、彼は迷う事なく一冊の本を手に取る。
本のタイトルは『銀河ジャンクションシティで朝食を』……その本に挟まっているメモに合言葉が記してあり、それが、うさぎちゃんとの出会いの鍵となる……。
「……」
「まぁ……予想通りだね……はぁー、どうやら楽は出来ないようだ」
「えーと……これからどうするの?」
私は嫌な予感で冷や汗を流す。
「勿論、予てよりの打ち合わせ通り、アリスには、“うさぎちゃん”を演じてもらう……それが機関の意向だ」
そうかー……やっぱり、私が不思議ちゃんになるのかー……。
私の見えない未来には不安しかなかった。