学園の闇(1)あぶないクスリ
購買部の一日は早い。
私たちが寝起きしているのは学生寮ではなく、オービット家所有の別荘でもある特別宿舎で、学園内でも特別機密性が高い空間な為、屋内にいる限りは寛いで生活できる。
私、アリィは早朝六時に目覚ましアイテムで起こされる。
朝は生徒が活動する前に起床して、我が家の伝統である、イシュタール体操を寝ぼけ眼でこなし、軽い朝食を摂る。
一息つく間も無く、倉庫に届けられた物資の仕入作業と、学生から買い取ったダンジョンアイテムの搬出に、購買部内の在庫の確認、それとカウンター周りの軽い清掃を行って、生徒たちの受け入れ準備を整える。
生徒の食事は主に学生寮で提供される無料の定食で賄われているが、質、味、量、全てに不満がある者が大半だ。
この国において、料理は知識層の趣味として浸透していない為か、自炊を試みる者は少数派のようで、裕福な者は学園内にある老舗レストラン“天雲亭”で、それ以外はこのカフェテリアの軽食で飢えを満たしている。
特に、野菜と肉がお手軽価格で食べられるハンバーガーは人気商品で、軽食担当のバーンは夥しい量のバーガーを一日中、作っていた。
「サンドイッチ伯爵もハンブルグも、この世界には存在しない筈だけど……何で、この名前かなぁ……?」
「何の話?」
バーンは怪訝な顔で私を見るが、こればっかりは設定に大らかなオタクである私でも、脳内の考証警察が騒いでいるから仕方ない。
アメリカ人のオタクが作った自主制作ゲームの大雑把な世界観に、こういうツッコミは今更無粋もいい所なのだろうが、時折、猛烈にモヤモヤする。
購買部は朝から夕方までは空腹を抱えた者が軽食や飲み物を求め、日暮れから夜まではダンジョンから戻ってきた者からのアイテムの売買で大忙しだ。
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私は人波が途切れて一息ついて、購買部を離れて、カフェテリアを一望する。
この学園には、基本的に私服の学園なので制服はないが、全生徒に標準服と呼ばれる物が入学時に支給される。
見た目は男女ともに、紺色のブレザーとズボンorプリーツスカートと、日本の学校制服のような感じの礼服だ。
着用は強制されることはないので、裕福な家の人間は袖を通さずに卒業まで過ごすが、そうではない者、特に毎日着替えが出来る程に服を持っていない庶民層の生徒には好評な制度だ。
もっとも、メインキャラで、普段これを着ているのは特待生のマイクルとプレイヤーキャラのみだ。
他は、真面目な優等生であるケイトリンが、生徒代表として出席するイベントの際に身に纏うくらいだ。
学園内を見渡しても、標準服を着ているのは、庶民層の、所謂モブと呼ばれる者が大半だったりする。
この世界基準でも、デザインは悪くないと思うんだけど……やっぱり見栄なのかなぁ?
オシャレに関心が薄かった前世の感覚を引きずっているせいか、朝の悩み事を増やしたくなかった私は、学園購買部の売り子アリィの時はゲーム同様に、標準服の上に白いエプロンを身に付けた地味な格好で毎日を過ごしている。
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「そろそろ、休憩入っていいわよー」
この購買部の責任者である、オービット侯爵家の令嬢ジュディさんは、人波が途切れた頃、声を掛けてくれた。
私とバーンは、そのお言葉に甘えて、休憩室に……この学園での真の任務であるプレイヤー調査のためにモニタールームへ向かう。
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関係者以外立ち入り禁止の隠し部屋モニタールームに入るなり、私とバーンは、魔法の指輪の効果を切り、本来の姿――アリスとバーナードの姿に戻った。
特に身体に負荷をかけるアイテムでは無い筈だが、身の上を偽って日常生活するのは想像以上に精神的な負担が大きかった。
その事はバーナードも同様なようで、彼は深く息を吐いた後に、私を強くハグした。
「アリーの姿だと、浮気してる気分になるんだよね……」
「うん、分かる……私も……」
私は彼の胸の中で甘い気分に浸っていたが……
何かが、二人の体の間にめりこみ、凄まじい力づくで無理やり引き離した。
「……近い……!!」
それは、学園の警備員チャックとして潜入している兄チャールズの手だった。
彼も普段は指輪の力で姿を変えている。
「そろそろ、大目に見て欲しいのだが……」
「まだ、成人じゃない!殿下には慎みを持って妹と接して欲しい!」
兄チャールズは相変わらず変わりなく安定のシスコン兄さんだった……。
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「いやー、若いっていいねぇ!」
この有様を生暖かい目で見守っていた、この壮年の紳士が、本校の学園長、タイタン・ホイヘンスだ。
彼もリーブラ機関に所属する構成員で、しかも幹部の一人でもある。
イシュタール家ともバーナードとも、長年の付き合いがある旧知の仲らしい。
「見てないで、注意してください、教育者として」
「ええー、若い恋人同士のハグ程度で注意なんかしてらんないよー。しかも、幼少の頃から人間全般を虫を見るような目で見ていた殿下にやっと春が来たんだから、いやー、めでたいなー。流石イシュタールの娘だねー」
……。
学園長、普段は厳格な教育者で通っているのだが、モニタールームにいる間は何故か、ずっと、この軽いノリである。
「見ただけじゃ、分からないと思うけど、この学園は伏魔殿だよ!もー、どこに誰の目があるか分からないから、一瞬たりとも気が抜けないって!僕が安心できるのは、この部屋だけだよー、はっはっはっ!」
「今日は特別な話があると聞きましたが……?」
「あー、そうだった、そうだった」
バーナードに問われ、学園長は自分の頭を叩くと、急に顔を引き締めて話を始めた。
「実は、この学園で公にできない問題が発生して、現在も当局が糸口を掴めないまま進行している」
思ったより深刻な問題のようだ。
「生徒の間で、非認可の強化ポーション、通称“アルラウネ”が、裏取引で流通している。将来、問題の芽となりかねないので、君たちに調査をお願いしたい」
「ポーション?」
「そうだ。ダンジョンで魔獣がドロップするアイテム“マンドレイク”と“コピの実”を主成分として錬成したと思われる強化ポーションだが、なんとかして元締めを突き止めなければならない」
「どのような効用ですか?」
マンドレイクとコピの実は各種ポーションの材料となる素材の一つで、錬成せずに食べると、一時的な強化バフと引き換えに、幻覚や不眠などの複数の状態異常を引き起こすデメリットアイテムだ。
例え飢え死にしかかっても、そのまま使うアイテムじゃない。
「用いると二時間程度、ステータスが上昇、それと眠気状態解除と集中力上昇の効果がある。詳細な副作用については研究機関の調査待ちだが、既に実験動物に投与後、神経系へのダメージの蓄積が確認されている。そして、より大きな問題は生産者が、このポーションに依存性と興奮作用を後から添付している事だ」
完全に違法ドラッグです……。
名門セレスティアル学園といえども……いや、名門エリート校だからこそ、社会の暗部が否応なく関わってくるのだろう。
「最初にお試し品として、成分を薄めた廉価版を無料で配布して、常連客には取引を重ねる毎に依存性物質の量を増やした濃縮バージョンを高値で密売している。末端の売人の口の硬さといい、閉鎖空間である学園内での密売ルート構築といい、相当タチの悪い組織が背後にいると思われる」
「それ私たちに太刀打ちできますか……?」
どう考えても、ガチな悪者じゃないですかー。
流石に違法行為上等なヤクザまがいの組織とは関わり合いになりたくないよー。
「闇組織の撲滅に関しては学園の戦力的に手に余るので国に一任する。我々はこの学園における元締めを突き止めて、一時的にでもアルラウネの供給を元から断ち、違法薬物の情報を公開した上で、被害者のケアに専念したい。その為の第一段階として、モニタールームからの監視で怪しい人物の走査を君たちに依頼する」
直接生徒に聞き込み調査する訳じゃないのね。
少しホッとした。
「リーブラ機関の任務とは関係ない調査ではあるが、本学園の危機的状況なのは確かだ。任務の片手間でもいいので、協力をお願いする」
「……」
バーナードは目を閉じて色々思案している。
「任務と並行では人手が足りないな……急を要する事態だ。機関に応援を要請する」
■
二日後、機関から派遣された人員が学園にやってきた。
「リーブラ機関から来ました。レダ・サテライトと申します」
「同じく、サチ・サテライトです」
見た目は十代の双子の少女だが、リーブラ機関の捜査官として、多くの極秘任務を手がけてきた凄腕のエージェントらしい。
水色のボブカットの方がレダで、ピンクのボブカットの方がサチ、との事だ。
彼女たちは表向きはオービット家のメイドとして特別宿舎に住み込みで働く事になっているが、日中はこのモニタールームで監視業務に専念することになる。
「彼女達には交代でプレイヤーの監視をして貰い、我々は密売の元締めを見つけ出す。学園から判明している売人のリストを受け取っているので、手分けして彼らの行動を洗い出そう」
バーナードは私とチャールズに指示を出す。
これはプレイヤーの監視より、遥かに難しい任務だ。
しかし、学園の問題を簡単に部外者に委ねる訳にはいかないのも事実だ。
ましてや、悩める若者達の未来が掛かっているのだから。
□マンドレイク
バインド効果のある悲鳴をあげながら歩く根菜。各種ポーションの材料。
□コピの実
ダンジョンに生息するキラージャコウネコを倒すとドロップする。コーヒー豆。
南国では、この実から苗を育てて農園を作り、廉価版を大量生産して市場に流通している。
でも、味と効能はドロップした物の方が品質は高い。
□サンドイッチ
Wikipedia情報だと語源は謎らしいですね……。
(主人公はサンドイッチ伯爵だと思っている)