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 そこで会話が途切れると、アッシュも笑うのを止め、アネリナと背中合わせに腰を降ろす。


「寄っ掛かっとけ。少しは楽だろ」

「大丈夫です」

「ここが姫さんにとって安全かどうか、まだ分からねえ。意地で無理張んのはここじゃねえぞ」

「……そう、ですね」


『まだ』大丈夫だからアッシュに甘えたくないというのは、言われた通りにただの意地だ。今ここで自分のための意地を張って、無理をする必要に陥ったときに影響したら、そちらの方が余程愚かしい。


「ありがとう。背中を借ります」

「おう」


 合わせた背中が、温かい。


(確かにわたくし、冷えていたようですね)


 その熱が心地よいということは、そういうことだろう。


 夜の間は静寂が増す気がする。ましてや自分以外の存在を知覚しながら無言であれば、尚更五感は意識してしまう。


 背中越しにとくとくと脈打つ、命の鼓動がはっきり分かってしまうのも仕方ないことだ。


「アッシュ」

「どうした」

「これは、わたくしの心音が遅いのでしょうか。それとも貴方が早いのですか」

「……悔しいから教えねー」

「それは答えを言っているようなものですよ」

「うっせ」


 ぱったぱったと落ち着かなげに床を叩く尻尾が、言葉や態度以上に雄弁だ。


 お互い少しばかりの気まずさを覚えつつも、離れようとはしない。やがてゆっくりと、鼓動も相手に合わせるように同じ間隔で刻まれていき――。


 ぎぃ、と重く軋んだ扉の音に、揃って肩を撥ね上げる。


 だが次の行動には差が出た。アッシュは即座に立ち上がり、アネリナの前に立つ。急に支点を失ったアネリナは少しよろけて、床に手をついてバランスを取り直す。


 それから立ち上がって振り向くと、入ってきた相手と視線が合った。


「待たせたか」

「いや、それほどでもねー」


 現れたユディアスの恰好は、寝間着に上着を羽織っただけのもの。


「起こしてしまいましたか?」

「寝てはいなかった。問題ない。気遣いに感謝する。――早速、場所を移そう」

「はい」


 先導するユディアスの後について、部屋を出る。等間隔で明かりの掲げられたやや長めの通路を進み、突き当たりの扉を開く。


 すると一気に、視界が開けた。


(あ……っ)


 風が新鮮な空気を運び、アネリナの全身に夜の清涼な心地良さを届けてくる。整えて植えられた草花の香りが、強く鼻腔を刺激した。


 刎ねる水音を追って首を捻れば、少し離れた場所に、四季の聖獣を象った像で飾られた噴水がある。


(外、です)


 全身に外気を感じたのなど、それこそ十年ぶりだ。

 じわりとアネリナの瞳に涙が浮かぶ。


「姫さん、大丈夫か」

「はい」


 気遣わしげに声を掛けてきたアッシュに、目元を拭いつつうなずく。


「なぜでしょう。勝手に出てきてしまいました」

「姫さんの心は、ずっと無理してんだ。理由なんか付けなくていい。自由にさせとけ」

「……はい」


 肺に送られる空気は、一呼吸ごとに違う香りがする。それが分かってしまえば、今までどれだけ淀んだ空気の中で生活していたかも知れるというもの。


「……どうしましょう。わたくし、早くも塔に戻りたくなくなってきてしまいました」

「戻らなくていいようにするんだろ。それでいい」

「そうですね」


 叶わなかったときの憧れで心が苦しくなるのを怖れるのではなく、ただ、目的を達成させるための活力として。


(わたくしは、自由が欲しい)


 ずっと、そう思ってきていた。しかし外の開放感を知ってしまった今、より渇望せずにいられない。


「貴女の置かれた状況を思えば、察するに余りある。しかしそろそろ移動したい。いいだろうか」

「そうでしたね。すみませんでした」


 申し訳なさそうに促してくるユディアスに、アネリナは謝罪とともにうなずいた。


「では、行こう」

「はい」


 どうやらアネリナたちがいたのは、本神殿の裏にある、ごく小さな建物だったらしい。

 目の前にそびえる神殿を見てから後ろを振り向いて比べてみれば、その威容は一目瞭然。


「あそこは、星読みの間、ということにしてある。聖女が星の導きを受け取る場所だな。星神官であっても、一部の者以外は立ち入り禁止だ。その実は見てもらった通りだが」

「緊急時の脱出口か」


 転移魔法陣は床に描かれていた。始めからその目的があるということだ。


「そうだ。聞くところによると、星の言葉を聞くのに場所は関係がないらしい。だが必要な場所があると思ってもらっていた方が、都合が良いのでそうしている」

「避難経路ですものね」


 穢し難い、神聖な場所であった方が安全だというのは、アネリナにも分かった。

 特に今は現政権も星の導きを信じたらしいので、聖域ともなれば手出しをためらうだろう。


(どうやら、星神殿であるのは本当のようですね)


 遠い記憶であるし、幼かったので絶対とは言えない。しかしかつてアネリナがまだ自由の身であった頃に訪れた神殿とこの場所は、雰囲気が酷似している。


 神官たちもほとんどが就寝しているらしく、本殿の中も静かだった。それでも壁に掛けられた燭台には明かりが灯っており、歩くのに不便はない。


 たまに遠くから見回りらしき者の足音が聞こえたが、ユディアスは迷いのない足取りで避けて進んでいく。巡回のルートを把握しているのだ。


 ややあって辿り着いたのは、精緻な彫刻と磨き抜かれた木面の、美しい扉の前。華美にならない程度に宝石で輝きも添えられており、部屋の主の位の高さが窺える。


 鍵を開けたユディアスに続いて、アネリナとアッシュも部屋へと入った。そして。


「まあ……」


 アネリナの口から、思わずと言った感嘆の声が出る。


「ここが聖女の私室だ。今日からは貴女の部屋になる」

「とても……広いですね。使いきれそうにありません」


 ベッド一つと机と椅子ぐらいしか家具がなく、それで手狭に感じる空間で長らく暮らしてきたアネリナだ。広すぎる空間では、身の置き所に迷う。

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