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術式書士

「――さん、姫さん。終わったぜ」

「!」


 軽く肩を叩かれつつかけられた声に、アネリナははっとして身を起こす。そうして、瞬きを数回。


「わたくし、寝ていましたか」

「寝る以外、やる事ねえ場所だからな。今は季節もいいし」

「確かに」


 夏の暑さからも冬の寒さからも逃れられない牢の中では、季節は過ごしやすさに直結する。


「今は悪い季節じゃないが、体、大丈夫か? 姫さん、あんまり丈夫じゃねえんだから。悪かったな、気が付かなくて」

「わたくしももう子どもではありません。己の体調管理ぐらい、己でするものです。そこは謝るのではなく、わたくしの軽率さを叱るべきでしょう」


 アネリナはあえて、自身に厳しくそう言った。


 アッシュの優しさにも厚意にも感謝するが、つい先程彼がアネリナをどうしたいかを聞いたばかりだ。

 意に沿わないことの警戒ぐらいはする。


「……この狭い牢の中で十年も閉じ込められていれば、体力も衰えようというものですね」


 体を動かすことを怠ってきたわけではない。しかし、限界はある。

 水も食糧も満足に取れないアネリナの生活では、運動に余分なエネルギーを回すことは死にさえ繋がりかねない。


「――もう、こんな時間ですか」


 暗いと思って外を見てみれば、陽はすっかり沈んでいる。空の明かりは月と星のみだ。


「ちょっと遠くの方まで手ェ伸ばしたからな。時間かかった。だがまあ、いい頃合いだろう」

「いい……ですか? まさか、今から行くと?」

「姫さんが行けそうならそうしたいと思っているが?」


 アネリナはもう一度、空を見上げた。やはり、暗い。もう深夜の方に近い時刻ではないだろうか。


「人を訊ねるのに相応しい時間ではなさそうですが」

「いいんだよ。これぐらいの方が人に見つかりにくいだろ?」

「成程」


 ユディアスは近しい者には紹介すると言っていたが、どちらにせよ転移陣のある部屋からの移動は必須だろう。人目につかないように動くのなら、夜の方が好都合だ。


「それに、少なくともっこよりゃマシなものが食えるだろう。姫さんの体のことを思えば、一食だって早い方がいい」


 無駄な肉どころか、無駄ではない肉にさえ乏しいアネリナの体を見て、アッシュは労しそうに眉を寄せる。


「ふむ。それは魅力的ですね」


 得るべき栄養が満足に与えられない状態に、アネリナの体はすっかり慣れてしまった。とはいえ勿論欲求が消えたわけではないから、空腹と疲労感は常に存在している。


「と、言うわけだ。やってみな」

「魔法陣に魔力を流す……でしたね。ああ、使い方を聞くのを忘れてきました」

「あー、悪い。知ってる奴がやりがちなやつだな。陣に、魔力を始めに流す描き出しの部分があるだろう? そこに触れさせればいい。別の場所から始めると魔力が滞って失敗するから、注意しろよ」

「なんと」


 陣の外側にある部位が置いて行かれるとか、怖い話に尽きない魔法だ。


 術式自体も不安定だというのだから、転移魔法は本当に緊急のとき――使わねばそこで死ぬ、というような状況にしか使われないのだろう。


(わたくしに、陣の始まりが分かるでしょうか)


 もう一度よくよく紙面を見てみると、成程、ユディアスの魔法陣はとても分かりやすく描かれていた。小石とほぼ同じサイズの円が、不自然に記されていたからだ。


「ここでよいのですよね?」

「ああ。……しかし、余計な文様まで入れて整合性を取る力があるか。術式書士としては一流だな」

「術式書士、ですか」

「そうだ。使い手に依らず、魔法を図形によって再現させるための技術者だな。ほら、こうして転移魔法を使えない姫さんが、道具さえ揃えれば魔法を再現できる。そういう技術の開発、制作者だ」


 転移魔法は高度な魔法であると、ユディアスは言っていた。使い手が限られることも容易に想像がつく。


 その魔法を、理屈も何も知らないままアネリナは使おうとしている。


「……便利で、恐ろしい技術ですね」


 転移魔法がもし一般化したら、とても便利だろう。行きたい場所にいつでも行けて、すぐに帰って来られる。そこから広がる可能性は膨大だ。


 同時に危険でもある。それこそ暗殺者のような仕事は格段に難度が下がるだろう。


(ようは人次第。そして人は、その技術を良きようにだけ使えるほど、精神が発達していない)

「今のところ、物になるような品を作れる奴が少数なのが救いだ。少なくとも一般に流通する商品になる数じゃない」

「それでも、いずれその時は来るのでしょうね」


 生み出された技術というものが、消えることはないのだから。


「そうだな。――っと、横に逸れたな。やってくれ」

「分かりました」


 アッシュに促され、アネリナは改めて小石を図形の上に置く。紙面の魔法陣が輝きを増す一方、同じ速度で小石から魔力が失われていく。


 完全に魔力が行き渡った瞬間、魔法陣は紙を中心に大きく描き出され、アネリナが初めて招かれたたときと同様に、光の柱を打ち立てる。


 そして光が消えた後は、再び神殿内と思わしき魔法陣の上に戻ってきていた。

 幸いにして、今回も事故は起こっていないようだ。


(無事に着いて何より。ですが、一日に何度もしたい経験ではありませんね……)


 ふうと息をつき、冷たい石の上に座り直す。


「どうした。具合、悪いのか」

「いいえ。いつまで待つことになるか分からないので、座ってしまおうと思っただけです」


 正直に言えば、体は少し重かった。


 普段、ほとんど動かない生活をしているアネリナである。体が驚き、疲れを感じるのは当然だと、さほど気にせずそう答えた。


 疲れた、というだけでアッシュの手を煩わせるのも気が引けたのだ。


「それもそうか。けど、直接石に座ると体温奪われてよくねーぞ。……つっても俺もな。来てる服しか布ねえしな……」

「わたくしなら大丈夫です」

「姫さんが気にしねーなら、俺は脱いでもいいけど」

「結構」


 アッシュの言葉に被せ気味に、アネリナは拒絶する。仄かに頬に血が上ったのは、淑女に想像をさせたアッシュの責任と言えるだろう。


「おお。意識されてない訳じゃねーんだな。いいモン見たわ」

「そうですか。幸いでしたね。それとは関係なく、わたくしは他者が嫌がることをする性格の悪い者は嫌いですが」

「悪かったって」


 不機嫌に声を低くして、あらぬ方向へと顔を逸らしつつ言ったアネリナに、アッシュは苦笑交じりに謝罪をする。

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